陽炎 五
翌日。
学校の正門をくぐってから教室に入るまでの間。俺の周りは大変な賑わいを見せていた。昨日の今日である。昨日の試合に対しての賛辞が俺を取り巻いていた。
俺はそれらから逃げるように廊下を駆け抜けて行った。別に嫌なことではないのだが、はっきり言って恥ずかしさが頂点を極めていたからだった。
まだ地区大会の途中である。たかが3つ勝っただけだ。それほど騒がれるような事はしていないのだ。でも朝からこの騒ぎようだった。その原因は今日の朝刊のせいだった。全道版の一角に俺の写真が載ったのだそうだ。俺は朝が弱いから、朝刊を読む習慣がない。今朝もいつもと変わらずに家を出てきたし、お袋も何も言ってなかったし、普段と変わらない朝のはずだった。
俺は急ぎ足で教室に入り、自分のイスを引いた。そして腰を降ろしてから大きく息をついた。
「大変だなー、スターは」
同じクラスのウッチーが耳元で悪びれながら囁いた。
「大袈裟だぜ」と俺はそれを一蹴した。
ウッチーは、あはは、と笑いながら自分の席に戻って行った。
俺は、ふう~、ともう一度息を吐いたその時、ふとあるものが目に入ってきた。それは里村の席だった。昨日のヤマの言葉が脳裏に浮かんだ。
(ヤマの彼女)
里村はまだ登校してきていなかった。俺は黙って空席を見つめていた。
(・・・)
そうしていると、チャイムが鳴りだした。みんなは今日が始まるチャイムに焦りながら席に駆けこんで来る。そんな中、里村も慌てるように教室に入ってきたのだ。
俺の目玉は、彼女に釘づけになっていた。
黒板の前を通り、彼女は自分の席へと向かって小走ってくる。自分の席っていう事は、言い直せば、俺の方に向かって来るようにも見えるのだ。
目が合ってしまった。これで3度目の事だった。
「お、おはよう」
初めて交わした言葉。日本の挨拶。それとほぼ同時に浮かべた微笑み。ヤマの彼女。俺の大切な相棒の彼女。俺は・・・ぶっきら棒に返事をしていた。
「お、おう」
席に座る里村。乱れた髪を何気なく直していた。彼女の香りがほんのりとしたような気がした。
授業中。
俺の頭の中は彼女の、おはよう、が繰り返されていた。彼女の言葉が5回繰り返すとしたら、その途中途中にヤマの笑顔が4回も浮かんでくるのだ。俺はそれを振り払うように何度もかぶりを振っていた。今日だけで何度振ったことか。もう、うんざりしていた。
(おはよう、槇原くん)
(おはよう、東吾くん)
(おはよう、・・・・)
五時間目の体育。
今日は各班に分かれてチームを作り、バスケットの対抗戦をする事になっていた。俺はステージの上で横になり順番を待っていた。キュッキュッと切れのいいバッシューの音を聞き、俺は眠りに落ちそうになっていた時だ。
「槇原くん・・・」
聞き覚えのない声がした。しかも異様に近くで。俺は大儀そうに瞼を開けた。しかし視界には誰もいなかった。気のせいだろうと思い、もう一度俺は瞼を降ろした。すると、
「槇原くんってば・・・」
確かにまた聞こえた。しかもさっきよりもはっきりと。俺はしょうがなく今度は片目だけを開け、声がした方に首を回した。
(???)
里村だった。しかも、さっき言ったように異様な近さだった。ほんのりとシャンプーのいい香りがした。彼女の香りに俺の顔が火照ってきたので、おもむろに背中を向けたのだった。
でも・・・かわいかった。至近距離の里村。色白で柔らかそうな肌だった。目なんかはクリックリで、唇なんかもプルンプルンで、つい手を伸ばしてしまいそうな衝動を抑えることに必死だった俺。だから俺は背を向けたのだ。でなければあの理性には勝てる者などいるはずがないくらいに・・・すごかった。
「・・・どうした」
あくまでも白々しく言った。
「聞いてないの?」
周りのやつらに聞こえないほどの小さな声だった。バスケをやっている連中の声の方がはっきりと聞こえるほどだ。
「・・・ヤマの事か」
里村が頷いたような気配を感じていた。
「・・・良かったな」
背中にまた同じ気配を感じた。
「・・・仲良くな」
里村が業を煮やして突然俺の視界に入ってきた。そしてその時、また重なったのだ・・・瞳が。これで4度目だった。俺は急に起き上がってそれらすべてを逸らしたのだった。
「いいのかな」
「なんで・・・なんでそんな事・・・」
俺は決して目を合わせなかった。俺は必死でステージの隅に寄せてある演説台を睨んでいた。
「だって、大事な時期だよね」
彼女はやっぱりチームの事を気にしているようだ。
歓声が上がった。バスケ部のやつがガッツポーズしていた。多分、スリーポイントでも決めたのだろう。
「私なんかで・・・」
俺は遮るように言った。「仲良くな」と。
「えっ」
「仲良くな・・・頼むから」
里村は少し間を置いてから静かに頷いていた。
ヤマは別のクラスだ。別のクラスで良かった気がした・・・つくづくと。
明日は準決勝だ。そして、明後日は決勝。待ったはない。負ければ終わりだ。ここで負ければ夏の本戦に影響が出るのは明白だった。だから、ヤマには悪いが、そんな事にかまっている余裕などはないのだ。里村が言ったように、何故今だったんだろうか。俺にもその疑問はあった。野球が終わった後にゆっくりとつき合えばいいだけの事。なんで今なのか。俺は唇を噛んでいた。
でももう済んだ事なのだ。二人はつき合ってしまった。あとは、うまく・仲良くやってもらうしか他にない。下手に別れでもしたら、ヤマの性格上、すぐには立ち直れないと思われる。結構見かけによらずナーバスな男なのだ、ヤマっていう奴は。
ピーっと笛が鳴った。前の試合が終わった事を知らせている。次は俺たちの番だった。俺はステージから飛び降りたが、里村が気になってチラっと振り返ると、里村も俺を見つめていた。慌てて首を戻した俺。心拍が急に飛び上がったのを感じていた。胸に手を当てた。
「おい、トウゴ。怪我だけはするなよ」
俺は気を取り直して、コートに立った。




