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陽炎 三

 春の予選が始まった。

 この大会は直接甲子園には繋がらないが、夏の本戦をうらなう大切な試合だった。

 俺たちは初戦から全開だった。俺の肩の調子も上々で、打線もなかなかの集中力を見せていた。里村がマネージャーになってからというもの、部員たちの目の色が変わったように見えていた。・・・俺も含めて。

 1、2回戦は順調に勝ち進んだ。チームも勢いに乗っている。明日3回戦があるということで、休養も兼ねて今日は早めに練習を終えていた。俺は一塁側のベンチで帰る支度をしていた。いつものようにスパイクの土を丁寧に落としている時、ヤマが走ってやってきた。そして息を切らしながらヤマはこういった。

「マキっ、お、俺、言おうと思うんだ」

 何のことだかわからない俺はスパイク片手に怪訝な表情でヤマを見上げた。

「何を」と。

 ヤマはその筋肉質な体をモジモジさせて言った。

「里村に告白しようと思うんだ」そう言った後に、エヘっとでも言いだしそうな感じで顔を赤らめた。それを見た俺は一瞬、息を呑んだ。

「・・・どう思う」

「ど、どう思うって・・・言われても」

 返す適当な言葉が見つからない。額に汗が滲んできた。俺をその汗を左手の甲で拭い払った。

「何で、俺に訊くんだよ。お前の恋事なんかを」

 目を見ることができなかった。

「だって、そりゃ相棒だもんな。マキの意見が訊きたくてさ」

 夕焼けは今日も奇麗だった。爽やかな風も吹いている。俺はそっと目を閉じた。そしてそれらを感じるように少しだけ顎を上げ、鼻からゆっくりと吸い込んだのだった。

 ヤマのゴクっと唾を飲み込む音が聞こえた。

「好きなんだろ」

 俺は静かに瞼を開け、ヤマの方に顔を向けた。

 ヤマはそれに間を置かずに「お、おう」と頷いた。

「好きになったらしょうがないべ。当って砕けろや」

 男の友情。熱くなる言葉だ。ヤマは俺の言葉を聞くと飛び跳ねるように俺に抱きついてきて何度も、ありがとう、ありがとう、と感謝していた。

「抱きつく相手が違うだろ」と俺はヤマを突き離した。俺たちの笑い声が夕焼け空に高らかに響き渡っていた。俺とヤマだけの秘密だった。

 翌日。

 3回戦の第2試合に向け第1試合の前からアップを始めていた。体とそして心の準備をするのだ。嫌がうえでも緊張感は高まってくる。ランニングを終えた後、球場の横にある小さな公園でヤマと肩慣らしを始めた。今日も肩の調子は良さそうだった。試合になってみないとわからない部分もあるが、変な自信が湧いていたのは事実だ。

 キャッチボールを済ませ、ヤマと木陰で休んでいると一年の新入部員が第1試合の経過報告にやってきた。

「キャプテン。1試合目早く終わりそうです」と。いわゆるコールドゲームになりそうらしい。今、6回を終了したそうなので、あと1イニング。コールド成立は7回終了だ。それを聞いただけで俺の気持ちは引き締まっていった。そんな時、

「なあ、マキ・・・」

 俺は何気にヤマの方を見た。

「なんだよ、緊張でもしてるか」

 ヤマの表情の固さに気が付いた。

「どうしたんだよ、柄でもない」

 俺はそういって、ヤマの肩を強めに叩いた。

「この試合に勝ったら・・・いおうと思ってる」

 球場の歓声に紛れてそんな言葉が聞こえてきた。俺はそのまま固まっていた。湧きあがる歓声。負けているチームが盛り返しているような歓声だった。俺はしばらくそっちに耳を傾けていた。

 すると「聞いてる?マキ」と歓声が途切れた時に、ヤマが呟いたのだった。

「試合の事じゃないのかよ」俺はわざと冷たくあしらった。「緊張感ねえやつだな。どこから来るんだよその余裕は」俺は心のイラつきをヤマにぶつけた。

 ヤマはそれを聞き、ガクンと項垂れてしまった。

 ウー、とサイレンが鳴った。試合が終わったらしい。コールドゲームが成立したのだ。俺たちの時間がやってくる。

「この大会は直接関係が無いかもしれない。でも、勝たなければいけない事に変わりはないんだ。お前が告白するも、しないも、はっきり言って今の俺には関係ないんだよ。ヤマ、俺の足だけは引っ張るなよ」

 冷たい言い方かもしれないけど、今の俺はこういう言い方しか出来ない。変な同情や優しさは逆効果と思えたから。

 ヤマは顔を、スッと上げた。表情が少し引き締まったように見えた。俺は内心、ホッとしていた。

「すまない。こんな時に」

 ペコリと頭を下げたヤマ。

「勝って・・・告白できるように、がんばろうぜ」

 俺はヤマの背中を力強く叩いた。


 3回戦。準々決勝だ。決勝という名が付くと我が校は全校応援になる。スタンドは前の試合の観客と入れ替えに、我が校の生徒たちで埋め尽くされていた。

 どよめく雰囲気。グラウンドに陽炎が見えるほど、今日は朝から熱気が立っていた。

 ベンチの前。円陣を組んだ。輪の中心にヤマがいる。

「準備はいいか」目を閉じながら口を開いた。俺たちはそれに「おう」と応える。

「俺たちは何処へ向かう」目を開けた。

「言ってみろよ」挑発的な目だ。さっきのヤマはもうここにはいない。

「甲子園だよ、決まってるベ」サードの金山が、誰に言っての、というふてぶてしい態度で言い返した。

「もう一度訊く。準備はいいのか」ヤマがさらに煽る。

「あったりまえだ」俺はマウンドを見つめる目に力を込めた。

「さあ、行こうぜ。夢の彼方へ」ヤマはマスクとミットを天に向かって翳した。俺たちのボルテージはその時最高潮に達する。

 武者ぶるい。俺は試合前によくしていた。胸の奥底で得体の知れない何かが、ふつふつと湧き起こるような不思議な感覚。足の先から手の先まで、頭のてっぺんまでもが緊張感で痺れる時間なのだ。それはいつもこのプレイボール前のこの投球練習中に起こる。でもそんな事はこの球場にいる誰もが知らない事だ。

 俺は大きく息を吸った。

 ヤマがセカンドへ送球する。俺はそっと背を向けて、静かに鼻から息を抜くんだ。深く被った帽子の陰で誰にも感付かれることのないように。

 送球された白球はショートが受け、それを素早くサードに送る。サードからセカンドへ、そしてファーストへ流れるような白いライン。

「マキっ」

 ファーストのシゲキが俺を呼び、俺は顔を上げる。戦闘準備が整う瞬間だ。力強く投げつけるシゲキの送球。シゲキもまた、アドレナリンが全開で出ている証拠だ。左側に逸れた球を俺は、腕を真横に伸ばしてがっちりと掴んだ。

(俺の球だ)

 打たれるわけにはいかない。そう言い聞かせる。ボールにも俺自身にもだ。願いを込めるように。

 先頭打者が打席に入った。バットをしきりに回している。ヤマがマスクを降ろし、ホームベースの前に仁王立ちした。大きく息を吸込み、ヤマもまたアドレナリンを放出するように叫んだ。

「夢を掴むぞ」と。

 普通は、しまっていこう、なのだがヤマは違う。ヤマのキャプテンなりの号令なのだ。

 俺たちは応える。風が止まり、地が震えるような声で。それを聞いたヤマは気合いの入った表情で、審判の前に腰を降ろすのだった。

 試合が始まる。俺たちの夏への続き。俺たちの夢への道のり。

 けたたましくサイレンが鳴った。いつもよりも長く感じた。

 俺は大きく振りかぶった・・・

 

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