陽炎 二十三
最近、ときどきだが胸に苦しさを覚えることがある。薬のお陰で普段のほとんどは感じないのだが、たまにやってくるその苦しさは私を現実の世界に引き戻すような残酷さを感じさせる。
妻の景子は依然と通院して来てくれて、洗濯物の回収や基本暇な私の話相手になってくれている。今の私の楽しみはそんな妻の笑顔だけだった。
だから、胸の苦しさのことは彼女には話していない。
それはおかしい。と言う人もいるかもしれないが、妻だからといって何でも包み隠さず言うべきなのだろうかと疑問を抱いている。妻だからっていらぬ心配をさせる必要はないと思うから、私は決してそれに賛成する気にはなれないのだ。だって、妻とは・・・良い思い出を残しておきたいから。
話は変わるが、この自叙伝を手掛けてから早いもので1ヶ月が過ぎた。ただ単に昔の事を書くのとはワケが違い、読者になるべく私の想いが伝わるように苦心しているのだが、果たしてそれがうまく表現できているのかは、はなはだ疑問を感じる。
作中の槇原東吾という人物は、もう自分でいて自分ではない存在だ。すでに物語の主人公と化しているので私自身も内心ではドキドキしながら彼の行方を見守っている状況。
そんな物語もいよいよクライマックスへと向かうが、私の体調の行方も怪しくなってきている今日この頃、身を削る思いでワープロの画面を睨もうと思う。
『熱血!甲子園への道』というテレビ番組を知っているだろうか。最後の夏に賭ける高校球児の熱き地方予選の模様を、毎日つつがなく所を変えながら深夜に放送する人気番組のひとつである。
昨日、その番組のリポーターの女の人が俺たちが宿泊しているホテルにやって来た。主将のヤマや熱血カネさんもインタビューを受けていたが、番組でもっとも話題となったのは何を隠そう・・・マネージャーの里村のことだった。番組の特集として各校のマネージャーを紹介するというものらしく里村がそのインタビューを受けたのだ。先輩マネのアカネが受けると思っていたのだが、アカネは顔を真っ赤にして里村にその取材を譲ったのだった。アカネの意外な一面を見た気がした。
長「こんにちは。ホントかわいらしいマネージャーさんですね。お名前うかがってもいいですか?」
里村は照れくさそうに笑みを作って応えた。
里「あ、はい。こんにちは。マネージャーの里村優香です。3年生です」
長「優香ちゃんですか。名前もかわいらしいですね。こんなマネージャーさんがいたら部員のみんなもさぞや、やる気マンマンでしょうね」
リポーターは作り慣れた笑顔をカメラに向けた。
長「彼氏とかいるのかな?」
返答に困った里村はおもむろに顔を伏せてしまった。
長「まっ、いないわけないよね。こんなにかわいいんだもんね。ごめんね、変なこと訊いて」
里「・・・い、いえ。大丈夫です」
長「けど、野球部のマネージャーって、やっぱりキャプテンとかとつき合ってたりしちゃうのかな?なんかそういうのって、禁断の・・・って感じするよね」
里村の頬は真っ赤っかになっていた。返事をしなくても、これじゃ返事をしているようなものだった。
長「ごめんごめん。あんまりかわいいもんで・・・ついね」
そう言って舌先をチロって出して笑った。
里「・ません」
話が終わりそうなタイミングで里村が口を開いた。
里「彼氏なんて・・・いません」
そこでカメラは一旦止められたのだが、その取材をリアルに聞いていた俺はそのあとの里村の発言が耳に残ってしまい、どうしてもその夜寝つけなかったのだった。そのあとの里村の発言は、こうだった。
里「彼氏なんていないんです。わ、私は別に・・・いいんです」
その言葉を受けたリポーターは心配そうに里村の顔を覗いた。
長「な、なんかあったのかな?いいんですって、どういう意味なの?私・・・そんな深い意味で訊いたわけじゃなかったんだけど」
リポーターの額に汗が滲んでいた。
里「長○さん。心底人を好きになったことってありますか。彼氏って一体何なんですか。本当の恋ってどういうものですか」
里村のあんな表情は初めてだった。実に苦しそうな、何かを吐きだしてしまいそうな苦悶そのものだった。
インタビューはそこで終わった。リポーターも帰り際、里村の肩に触れ、哀れんだ表情を見せていた。そこまでは、良かった。そこまでなら何ら問題はなかったんだ。事件はその3日後に起きてしまった。
1回戦を難なく勝利した俺たちは、宿をとっていた札幌市内のホテルに到着した。春の大会のこともあって、ホテルの前はマスコミの人たちやら一般の人たちやらでごった返していたのだった。
「槇原くん、ちょっといいですか」とか、「山城くんも話聞かせてくださいよ」
ひしめく人ごみを掻き分けるように俺たちはホテルへと入って行ったのだ。それは監督の意思でもあったからだった。ホテルへと向かうバスの中で三木杉監督が言っていた。
「前だけを見るんだ」と。
つまり、余計なことは口にするな、ということだ。俺たちが口を開けば様々な解釈をされてしまいマスコミのネタになりかねないからだろう。
「君たちは噺家じゃない、スポーツマンなんだから」と腕を組んで言った姿が印象的だった。
俺たち一同は同感し、それを実行したまでだった。颯爽と歩き、ホテル内へと突き進んだ。さすがのマスコミの人たちもホテルの中までは入ってこなかった。止めていた呼吸を再び始めるように俺は大きく息を吐いた。
「さすがに来ないな、ここまでは」
カネさんも振り返りながら、ホッと息をひとつついていた。
「ヤマ、なんか疲れたな・・・余計なことでな」と俺はヤマに話掛けたのだが、ヤマからの返事はなかった。「どうした?ヤマ」
ヤマは俺の言葉も耳に入っていない様子でキョロキョロと辺りを見回していた。
「なんか探しものか」
「いや・・・その・・・」
「誰かいるのか」と言って俺はヤマと同じように辺りを見回した。「ん~、誰もいないみたいだな。なあヤマ、一体・・・」
俺がそう言い掛けた時、ヤマがぼそっと呟いた。
「いないんだ」
あまりの声の小ささに俺は訊き返していた。
「いないんだよ」
「だから、誰がだよ」
「・・・・・・里村・・・がだよ」
「さとむら?」
俺は隣りにいたアカネの顔を見た。アカネは頭の上にはてなマークを浮かべたような表情で首を傾げた。
「どこ行ったか知ってる?アカネ」
アカネはそれを聞いて、逆に首を倒していた。
「買い物でも行ったんじゃないか」
「そ、それならいいんだけど」
ヤマの目は虚ろだった。
「ったく、心配性だなヤマは」
俺はそう言いながら扉が開いたエレベーターに乗り込んでいった。




