陽炎 二十二
6月1日。
いよいよ始まる俺たちの季節。夢への挑戦。
今日も活気のある声が方々から飛び交っている。飛び散る汗も、軋む関節も、喰いしばる歯茎もすべてあの場所のため。今月の末から始まる南北海道函館支部予選、その先にある南北海道大会予選。そして遥か遠くに目指す甲子園のため。
俺たちは一丸とならなくてはいけないそんな大切な時期・・・だったのだが、一番恐れていたことが起こってしまった。
ある日曜日。
今日もヤマの気合いは全開だった。チームを引っ張って行かなくてはいけない主将としての責任感、それ以前の彼の男気からくる発言がウッチーの気に多少障ってしまったのだろう。
「ほら、ペースを落とすなよ」
ランニングも42周目に入っていた。日曜日の朝から始まる地獄のような練習の締めは、いつもこの過酷なランニングではあったが、今日は特別周回数が多かった。ヤマの後ろを続く連中もそろそろ息が上がってきていた頃だった。俺は投手なので別メニューのストレッチをしながらそれらを眺めていた。
「まだ日は暮れないぞ、あと13周だっ」
後続からは一斉にブーイングが飛んだ。
「何言ってるんだよ。こんなんでばててちゃ甲子園でプレーはできないぞ・・・まったく、不甲斐ない」
いつもならこれでみんなは諦めブーブー言いながらも走り続けるはずなのだが、ヤマのすぐ後ろを走っていたウッチーが我慢しきれずに口を開いた。
「今日はこの辺でいいんじゃないか、ヤマちゃん」
「どうしたウッチャン、これくらいで」
「いや、俺はまだ平気だけど・・・」
「じゃ、文句言わないで走るんだ」
「別に文句じゃないだろ。チームメイトとして意見を言ってるだけだろうが」
「甲子園の夏はこんなもんじゃないぞ。今から音を上げてたらお先真っ暗だな」
「そんな言い方はないだろ。そうじゃなくて、こんなの毎日やってたら大事な大会までに潰れちまうって言ってるんだ」
「だから、それが甘いって言ってるんだよ」
ヤマとウッチーだけはその場で足を止めていた。
「甘いとか、辛いとかっていう問題じゃなくて、徐々に上げていったらいいじゃないか。3年は体力もついてきているからまだ大丈夫だろうけど、後輩たちにはきつすぎるよ」
「今からこれぐらいをやっておけば、大会までには相当体力がつくだろ」
「それにしてもやりすぎだよ。倒れたら元も子もない」
「ウッチャン。それぞれが思ったことを意見するなら、チームはまとまっていかないんじゃないか。みんながそれぞれわがまま言ったら、チームワークなんてものはあったもんじゃない。甲子園なんてそんな甘かないぞ」
「ヤマ、甲子園甲子園って言うけど、その前に潰れたら本当に甲子園どころじゃなくなるぞ」
「やりたくないなら、やらなくていい」
「えっ?い、今なんて」
「だからやる気のないやつはいなくていいって言ってるんだよ。士気が下がる」
「お、お前、それ本気か?」
「ああ、本心だ」
「お、お前、そんなんでいいのかよ」
「何がだよ」
「お前だけが気合い入ってたってだめなんだよ。野球はひとりじゃできないんだぞ」
「ひとりはぐれてんのは、ウッチャンだけだろ」
「何言ってんだよ。目を覚ませよ。どうかしてるぞ、ヤマ」
「どうかしてるのは、お前だろ」
「どうしちまったんだよ、ヤマ。なんか変わっちまったな」
「俺はみんなと甲子園に行きたいだけさ」
「違う」
「何も違わないよ。理由はそれだけだよ」
「・・・違う。お前が変わってしまった理由は・・・優香ちゃんのせいだな」
なにか言い合いしている事に気が付いた俺は、ストレッチを途中でやめ二人の傍に駆け寄った。
「のぼせてんだろ、お前」
こんな表情のウッチーは見たことがなかった。
「てめえー」
ヤマも頭から湯気を立ち昇らせながら、ウッチーの胸ぐらを掴み上げた。
「ず、図星なんだろ」
「やめろっ、お前たち」
俺はそんな二人の間に割って入った。興奮冷めないヤマは再び猛獣のごとくまた掴みかかったが、それも俺は力ずくで引き離した。
「マキっ・・・邪魔だ。どけっ」
「いい加減にしろっヤマ。冷静になれっ」
「俺は冷静だよ。おかしいのはウッチャンの方だ」
「いいから落ちつけっ」
俺はヤマを突き飛ばしてしまった。1メートル、いや2メートルほど突き飛ばされたヤマは、グラウンドにどすんと尻もちをついた。
「マキー、何するんだよ」
「ヤマ。ウッチーの言い分も一理あるぞ。こんなの続けてちゃ全員はついてこれない。もうすぐ始まる予選を勝ち抜くにはチーム全員の力が必要なんだ」
「そ、それはわかってるさ。だから俺は・・・」
「ヤマの気持ちもわかるよ。でもな、引っ張っていくだけがキャプテンの仕事じゃないんじゃないかな」
「えっ」
「チームメイトの表情を見て、練習メニューの調整をすることも大切だと思うんだけどな」
ヤマは突然、目を伏してしまった。
「今のこの時期に脱落者が出たら、多分そいつはもう立ち上がってこれないよ。そのくらい時間は迫っているということだ」
「でも、それと里村の問題は別だろ。ウッチャンだって言い過ぎだろ」
俺はウッチーに視線を移した。ウッチーもまた申し訳なさそうに俯いていた。
「聞こえたか、ウッチー。お前も言い過ぎたな。わかるだろ」
ウッチーはコクンと頷いた。
「じゃ、二人とも握手しろ。さっさと仲直りして、そしてみんなに詫びるんだ。お前たち二人が一番練習を妨害したんだからな」
ヤマとウッチーはそれぞれに目を合わせ、小さく頭を下げていた。
「それにしても、どうして知ってたんだ?ヤマと里村のこと」
「どうしてって、みんな知ってるさ。ヤマの態度見ればわかるっしょ普通。あの余所余所しさはないっしょ」
ヤマはとうとう参ったのだろう、いたたまれなさそうな表情をして俺とウッチーを見上げていた。
「ウッチャン・・・ごめん。気合いが入りすぎていたことは謝るよ。でもな、これだけは誤解しないでくれ。俺が張りきっていたのは里村のためとか、いいところ見せたいとかそういう理由じゃないってことをさ」
「いや、俺の方こそ言い過ぎたよ。ごねんな。ヤマがそんな浮かれた野郎じゃないってことは十分わかっているよ」
「ハハハ」
「どうしたのマキ、突然」
「いやいや、なんかこれでさっぱりしたと思ってさ」
「なんでマキがさっぱりするんだよ」
「えっ?・・・ああ、まあ細かいことな気にすんな。そんなことよりも良かったじゃないかヤマ。これで堂々と手を繋いで歩けるな」
俺はおもいっきりヤマの肩を叩いた。複雑な俺の心境の現れだった。でもその反面、俺の気持ちの片隅が、すうーっと澄んでいくような心地を感じていたのも事実だった。
太陽はすでに暮れていた。山間の空が濃い橙色に染まっている。
表立ったヤマと里村の関係。これでもう、ヤマも里村も、そして俺も悩むことはなく野球に専念できるだろう。でも俺たちは後戻りはできなくなったということだ。いずれにしても俺たちはもう前のめりにいくしかない。




