陽炎 二十一
「久し振りだな」
本当に久し振りだったヤマの声。決勝戦が終わったあとも、誰もが俺に気を遣い話しかけることを避けていた。決してそれは薄情な行為ではなくて、あくまでもみんなの優しさからくることだと、俺は認識していた。
「槇原くん」
里村もか細い声で心配そうに言った。
「マキはなにも言わなくていいからな」
俺はヤマの顔を見た。ヤマは俺と目を合わせてからひとつだけ頷いた。
「・・・よく堪えたな、お疲れさん。っていうか、よくやったな本当に・・・」
俺はヤマの発言がいまいち理解できずに、目をぱちくりとさせた。
「キャッチャーの俺にはできないからな、あの芸当は」
俺はその言葉でピンときた。
「・・・ヤマ、まさか」
ヤマはもう一度小さく頷いた。
「ピッチャーだからって辛い役目をさせてしまったな。ホント、監督も酷な人だ」
ヤマは知っていた。いや、ヤマも理解していたのだ監督の真意を。
「マキ、誤解だけはするなよ。みんなは大丈夫だから。お前が犠牲を払ってくれたお陰で俺たちは強くなれるんだ。本当に感謝してるよ。みんなもきっとわかってくれるさ」
その言葉に俺は、込み上げてくるものを感じた。「そっか・・・」目頭をぎゅっと押さえた。
「おいおい、そんな柄じゃないだろ。そんなマキは見たくねえよ」
「・・・ホントだな。悪りィ悪りィ」
「でもな、今回のことで犠牲は大きかったけど、得たものはそれ以上だと俺は確信しているんだ。俺は正直、監督を見直しちまったよ」
それは俺も同感だった。
新チームの俺たちが初めて味わった敗北感や屈辱感は、それ相応の衝撃があった。自分で言うのもなんだけど、圧倒的な投球でいつも相手をねじ伏せてきた俺でさえもワイルドピッチのような予期せぬミスやちょっとした慢心からくる油断で負けることがあるんだと、チームメイトたちは実感したに違いない。
そして、この犠牲を無駄にしないように夏の本戦までの間に俺たちは、再び立ち上がらなくてはいけないのだ。このままずるずると落ち込んでいくわけにはいかない。監督の真意を理解した俺とヤマの二人でチームを導いていかなければいけない。
「それよりも、いつまで繋いでんの?手。いいかげん暑苦しいんだけどな」
ヤマは思い出したように顔を赤らめたが、手は離そうとしなかった。
「そんな暑苦しいだなんて・・・なあ、優香。そんなことないよなあ」
(???)
俺の周囲だけ時間の流れが止まったように感じた。俺の指先も、俺の血液も、俺の呼吸も、最悪は俺の心臓の鼓動までも止まってしまったかのような錯覚に陥っていた。
「ハハハ」
俺は苦笑うしかなかった。
「どした?マキ。具合でも悪いのか?目が泳いでるぞ」
確かに具合は相当悪い。今すぐにでも寝込みたい気分だ。俺は恐る恐るヤマの隣で微笑む里村の方に視線を寄せた。
「槇原くん、疲れてるの?顔、青いよ」
「いや、大丈夫だよ。気にすんな。それより・・・いつから」
「ん?何が」
「いや、だから・・・いつから下の名前で呼んでるのかな~ってさ」
「いつからって・・・ねえ。全道の途中からだったよね、優香」
里村は恥ずかしそうに俯きながら頷いた。
「全道の、そ、そっかあ、そりゃ良かった。それ聞いて安心したわ・・・仲、良さそうでさ・・・ホント良かった」
俺は今、自分がどんな顔をしているのか自分で見てみたくなっていた。多分今の俺の表情は、苦汁+苦渋+悲愴+安堵=×△○□?。自分でもわけがわからないくらいまとまりがないはずだ。
「ありがとな、マキ。お前のお陰だよ本当に」
二人はあの夜から親密になったのだ。あの薄暗い公園で交わされた口づけから。ヤマはわかりやすいやつだから、きっとそうだろう。
「ヤマのこと、これからもよろしくな・・・里村頼んだぞ」
それを聞いた里村はグイっと顔を上げ、俺と視線を合わせてきた。その眼差しは揺れていた・・・俺に何かを語りかけるようにゆっくりと揺れていた。俺は里村の気持ちを知っている。里村もまたチームの為に犠牲を払った一人ということになる。ヤマには申し訳ないがいくら俺とヤマの仲でも、これだけは決して口外できない・・・俺と里村だけの秘密なのである。
結局、ヤマは手を離すことなく帰っていった。俺は夕日に向かって歩く二人の後ろ姿を見ていた。
「これで・・・いいんだよな」
自分で自分に問いかけていた。
「うん。これで良かったんだよ」
俺はひとりで納得していたが、心の中には小さな猜疑心に似た感情が生まれていた。人の気持ちを犠牲にしてまで叶えなければいけない夢・甲子園。人によってはその価値観は大なり小なり異なるのは確かだ。俺たちが目指している甲子園という偶像は、果たしてそれに値するものなのか。人の人生に対価するものなのだろうか。
高校生という一瞬だけの季節に、わずかに輝く甲子園という一番星。だからみんなはそのわずかな輝きに向かってすべてを賭ける。
「甲子園ってやつは・・・本当に罪ななつだ」
頬を伝う涙を俺はそっと拭っていた。




