陽炎 十九
夕食のあとに行われる恒例のミーティングで、三木杉監督が声を張った。大人しく淡々と語るいつもの監督の姿は、そこにはなかった。
「昔、尾張の国に織田信長という皆もよく知っている戦国大名がいたんだ。彼はそれまでの戦争の仕方というものを一変した。鉄砲という武器でだ。そこで力を付け、領土を拡大していった信長は京都への上洛を果たした。昔の日本は京都を都としていたため、文化や交流の中心は今の関西地区、いわゆる近畿地方がメインとなっていたんだ。その日本の中心を押さえた彼は、いよいよ天下をおさめる一歩手前で本能寺にて家臣の明智光秀に裏切られ、その夢を断念することになる・・・」
ヒートアップ気味の監督は、コホンという乾いた咳をひとつ吐いてから続けた。
「何が言いたいかというと、どれほど実力があろうと油断をするな、ということだ。あれだけの圧倒的な力を持った信長が本能寺に宿をとった時は、供の者をまったく連れていなかったと言われている。まったくの油断だ。そりゃ誰だって裏切りにあうとは思わないけど、ある程度の警戒心というか危険予知は必要だ・・・」
歴史好きなヤマの瞳はキラキラと潤んでいて、監督がもの申すごとにうんうんと頷いていたのだった。
「そこで明日の試合なんだが、敢えて言うよ・・・明日は負けるな」
監督を中心に輪を作っているチームメイトたちに動揺が走ったのを、俺は肌で感じていた。
「勝て、とは言わない。明日は・・・負けるな」
その言葉の意味は、その時の俺たちには正直ピンときていなかった。
その夜。各自の部屋に戻った俺たちは、今までにないくらい神妙な空気の中にいた。そんな時、いつもは明るく振舞うウッチーがいつになく重たく口を開いた。
「なあ、みんな」
みんなは察していたかのように、一斉にウッチーの方を向いた。
「さっきの監督の・・・意味だんだけど。頭悪い俺にはいまいち理解できてないんだよね。カネちゃん、どう思う?」
呼ばれたカネさんは腕を組換え首を傾げひと言「わからん」と言った。
「勝てばいいんじゃないのかな」
静かな面持ちでサトルが言った。それにカネさんは、そりゃそうだろうけど、と納得のいかない様子でまた腕を組み替えていた。
「負けるなって言うんだから、とりあえず勝とうよ」とサトルが続けた。
「ごめん、ちょっといいかな。今のは少し・・・ニュアンスが違うと思うんだけど」と今度はシゲキが言った。それにもカネさんは眉をしかめていた。
「監督が本当に伝えたかったこと・・・か」
ヤマがぼそっと呟いた。
「信長まで出てくるんだから、もっと裏があるんじゃないかな。それとも、ただ言いたかっただけとかね」と言ってウッチーは舌をペロっと出してはにかんだ。
「歴史の勉強、ちゃんとしておけば良かったな」
サトルのその誠実な発言にまたウッチーは舌を出して言った。
「まだ遅くないよ、きっと」
「とにかく油断するなってことだよ。率直にね」
俺はのそっと立ち上がり、縁側の窓ガラスを指で摩り「難しく考えなくていいんだよ」と俺は付け加えた。
それを聞いたみんなは「そうだよな」と声を揃えた。
深夜。
俺は眠れないでいた。みんなには、ああ言ったが俺が一番監督の言葉に引っ掛かっていたのだ。
「負けるな・・・か」
呟きながら、天井を仰いだ。その言葉の裏にあるもの、うすうすは感じてはいた。でもみんなには言わなかった。それを伝えたところで、それをみんながうまく理解できる保証はないから。変に曲げて理解してしまったら厄介なことになりかねないから。
「余計な・・・」
唇を噛んだ。もっと前向きになるような、モチベーションが上がるような事を言えばいいものを。監督が何故ああいう言い方をしたのか、の方が正直気になっていた。
監督の言葉の裏にはきっと・・・明日の試合、全力で負けてこい・・・という意味が込められていると思っていた。
(全力で負ける・・・か、面倒だなこりゃ)
蒼い雲が妖しく月明かりに照らされていた。
監督は本番前の俺たちに、敗北の味、を覚えさせたいに違いないからああいう言い方になったのだろう。だから、例え話を使ってでもあの場で言いたかったのだ。
筋のように連なる蒼い雲。時は確実に未来へと向かっていた。
春の頂点までとりあえず、あと1つ・・・




