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陽炎 十六

 興奮冷めやらぬベンチ裏。

 みんなはまだざわざわとしている。カネさんなんて、さっきからずっと涙目のままだった。

「みんなっ」

 俺はその場の空気を裂くように言った。

「顔を上げてくれ」と。みんなは言われたまま一斉に顔を上げた。

「もう涙は拭いてくれ。その涙は夏までとっておこう」

 ウッチーが頬を拭った。

「最高の夏のために」

 言った自分が泣きだしそうになってしまったが、飲み込むようにして俺は堪えた。

 ベンチ裏は騒がしくなっていた。準決勝の第2試合を行う次のチームが入れ替えでやってきていたから、俺たちは余韻を引きずりながらも各自帰る支度をしていた。

 その時だった。しゃがむ俺の背中に懐かしい声が掛けられた。

「東吾っ」

「東吾さん」

 懐かしいその声は、中学時代にバッテリーを組んでいた梶原とひとつ下の後輩・堀内の二人からだった。

「やったなあ、おい」と離れていた時間も忘れさせるほど親しげに肩を抱いた梶原。

「さすがですね」とグローブをポンポンと叩く堀内は、俺よりも身長が高くなっていた。

「ああ、ありがとな。次はお前らか」

「ああ、そうだ。決勝でやり合えるように頑張るさ」

 梶原のその言い方は自信に満ちあふれていた。

「相手が相手だから油断はできないな」

「それは東吾も同じだったろ」

「そ、そうだな。お前らならやれるさ」

「ああ、俺もそう思ってるよ。全力を尽くすさ」

「上で観てるよ」

「応援してくれるのか、それとも・・・」

 二人を隔てた言葉。昔の俺を皮肉っているのか。

「まあ、東吾は勝者になったんだからな、次は俺たちの番だよ。出し惜しみはしないから、とくと見ていってくれ」

 俺たちは拳と拳をぶつけた。

 俺と梶原。彼もまた中学の頃のかけがえのない仲間だった。

 あの頃の俺らも燃えていた・・・


 函館市中体連野球大会・決勝。

 俺と梶原がバッテリーを組む萩原中は、学校創立以来の盛り上がりを見せていた。学校創立10周年にして初の全道大会進出のチャンス。平日に行われた準決勝、そして今日の決勝は全校生徒総出の応援となり、当時の校長先生が先頭を切って校旗を振る始末。いやが上でも興奮は増していた。

「おい、見たか。スタンド」

 ベンチの隅で呟く梶原が、人差し指を上に向けて言った。

「見ない方がいいんじゃないか」

「東吾、お前のその余裕はどこから来るんだよ」

 俺は全然余裕などではない。ただ、それを周囲に見せないようにしているのだ。

「カジ、お前尻の穴に力入ってないか?」

 俺は尻を横に突き出して言った。カジは尻に手を当てて「?」っていう顔をしている。

「ここが力むと緊張するんだぞ。少し緩めてみろ」

 カジは真剣な表情で腰をクネクネと動かしている。俺はそれを見て、ぷっと吹き出してしまった。

「笑うなよ」

 カジはまだ眉間に皺を寄せている。

「だって・・・おまえ、その顔・・・」

 ぷぷっとまた噴き出してしまった。

「・・・・・・まさか、嘘じゃないだろうな」

 カジは俺を睨みつけて言った。

「嘘じゃないさ、冗談だよ冗談。そんな真剣にやるからさ、ついね」

 俺は笑いを堪えるのに必死だった。

「このやろう」と拳を振り上げるカジ。俺はその腕を掴んで怒っているカジに言った。

「ほら、ほぐれただろ。緊張」

 カジは、ん?という表情をして、自分の頬が緩んでいるのを確認していた。

「ホントだな」

「・・・だろ」

 何をするのも一緒だった。登校する時も近所だったこともあり一緒だった。クラスも3年間同じ。野球部に入部した1年の時から投手希望と捕手希望の俺たちは、今の俺とヤマの関係のように昵懇の仲になった。

「甲子園に行こうぜ」

 その頃から意識しだしていた。ヤマと出逢う前のず~っと前から、中学で活躍して、有名高校から特学待をもらい、最高の環境で練習をするとその先には甲子園があると。行きつく先には甲子園が待っていると。

 俺たちは市内でも評判のバッテリーだった。中二の頃からスカウト連中が学校にやってくるほど。俺とカジの人気は二分していた。投の俺に対して、打の梶原。しかもカジはリードにも定評があった。声を掛けてくるスカウトマンたちは、こぞって言った。

「槇原くんと梶原くんをセットで・・・」と。

 俺はそれに対して別に違和感はなかった。俺もカジを認めていたし、カジも俺を信頼してくれていたから。

 中体連の決勝は、結果的には負けてしまった。震えるほどの緊張の舞台は、いつもの俺たちのプレーをさせてはくれなかった。続くエラーで落ち込む内野陣。俺は必死で声を掛けた。でもその声も届かずに俺たちは準優勝に終わった。なんか不思議な試合だった。どう表現していいかわからないが、抗いがたい何かに阻まれているような、そんな試合だった。

 夏休み。カジが俺の家にやってきた。

「キャッチボールでも・・・」と言ってミットを見せた。中体連が終わって約2週間が過ぎていた。ちょうど体が鈍ってきていた頃だったので俺は快く返事をした。学校のグラウンドではすでに後輩たちが、秋の新人戦に向けて猛練習を始めた時だったから、あまり邪魔もできないと遠慮がちになっていたので、グローブをはくのも決勝戦以来の事だった。

 2週間前の事なのに、妙に懐かしく聞こえるグローブの音。やっぱり心地のいい音だった。

「どうすんの」

 俺がボールをキャッチするのと同時にカジが言った。俺は投げ返すのと同時に答えた。

「何のこと」

「高校、決めたのか?」

「いや」

 内心は決まっていないわけでもなかった。

「行こうぜ、光陵に」

 前から誘われていた。カジにも、スカウトマンにも。

「まだ、時間あるだろ」

 グローブを催促するように振った。

「一緒に行こうって、前に言ったじゃんか」

 強い返球が返ってきた。

 俺は「ああ」とだけしか答えなかった。

「甲子園、目指すんだろ」

 確かにそう思っている。その気持ちは今でも変わっていない。

「もう少しだけ時間くれよ」

 俺は無意識に全力で放っていた。放った後、肩をグルグル回した。いつもより肩が軽く感じられた。さすがにこれだけ休養をとっていれば軽くも感じるはずだった。今の自分なら、あの決勝戦でも勝てていたような気がした。

 その夜。

 カジの言葉を思い出していた。一緒に行こう、と誓った想い。一緒に行くこと自体は別にかまわなかった。高校でもまたカジとバッテリーを組みたいとも思っている。でも引っ掛かることがひとつだけあった。それは光陵スカウトマンの一言だった。

「君のような才能は、恵まれた施設環境で、ハイレベルな指導者のもと、育まれていく事が理想なのだよ。そしてそういう環境で鍛錬と経験を積み、栄光を掴むことを許されている君たちは大きく羽ばたいていくのだ」

(恵まれた・・・環境)

 唇を噛んだ。なんか面白くなかった。そのような環境でなければ行けないというのか、俺は甲子園に。心の奥底で小さな、とても小さな炎が灯ったような気がした。それからだった野球留学に対する抵抗感を覚えたのは。

 良く言うとハングリー、悪く言うと無謀。

 周囲の人は多分そう言うだろう。でもそんな何もかも揃った環境で野球をやったって、そんな恵まれた環境で甲子園に行ったとして、俺は果たして満足できるのだろうか。俺自信に達成感は与えられるのだろうか。

 迷っていられる時間には限りがある。迷えるかぎり迷おうと思った。自分の人生だから、後悔はしたくはなかったから。

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