陽炎 十四
すでに公園をあとにしていた。
来た道を戻るように、二人に気付かれないように交差点まで後ずさりをして、そこからダッシュした。もはやロードワークのようなスピードではない。逃げているかのような感覚だった。忘れたかったのだあの映像を。俺は振りきるように走った。向かい風がとても強く感じた。
ホテルに戻るとみんなはまだ部屋でくつろいでいる最中だった。息を乱している俺にウッチーが近寄ってきて
「マキ、明日の事で確認したい事があるんだけど」と、ちょっといいかな?っていう遠慮気味な感じで言ってきた。
俺は部屋の中を見回した。いつも通りのみんながいる。何も変わったことなどない。浮足立っているのは俺だけだった。大きくそして深く息を吸い込んでから俺は「了解だ」と親指を立てた。
俺とシゲキとウッチーで三角形になるように座り、明日の試合の話をしている時、ヤマが帰ってきた。シゲキとウッチーは何気ない顔で「おかえり」と言った。俺もシゲキとウッチーに倣ったような何気ない顔で、ヤマを見た。
ヤマは「悪い、悪い」と頭を掻きながら、俺たちの三角形に割って入り「明日の打合せかい?さすがだねえ」と頬を緩ませて言った。
ヤマと目が合った。ヤマは幸せそうな笑顔を俺に向けている。俺もニッコリと笑顔を作り「明日は頼むぞ」と言った。俺は別にその発言に深い意味や特別な感情も含まれてはいないのだが、それを聞いたウッチーは「本当だぞ、キャプテン。しっかり頼むな」と俺に触発されたかのような発言をしたのだった。俺はその言葉を聞いて正直ドキリとした。おそらくウッチーの発言は俺以上に特別な意味は含まれていない思われる。でも何か引っ掛かりを俺は感じていた。
その夜、俺はまったく寝付けなかった。試合の前は結構ある事なのだが、今日のはまた違った感じだった。目を閉じると浮かぶのだ。ぼんやりと、宙にふわふわ~っとヤマと里村のあの映像が。振りきる事などできていなかった。外灯が淋しく灯っている暗闇の中、唇を合わせている二人。里村の柔らかそうな唇が・・・。俺は寝ながらにして眉をひそめ、寝返りを打った。
月明かりで瞼の外が明るい。余計に寝付けない状況ではあったが、瞼に力を込めて眠るように努力した。布団も頭までかぶった。
(明日は試合だ)と念ずるように何度も唱えた。そう思えば思うほど眠れなくなってゆく。
「私にはアナタしか見えていない・・・」
あの柔らかそうな唇が、そう言った。
冷静に聞くと、とても違和感のある言い回しだと思った。
「・・・アナタしか・・・」
他に誰がいると言うのだ。ヤマとつき合っているわけだから、あの言い回しはやっぱり変だ。それを敢えて言った「私には・・・」と。その言葉が俺の心に妙な釘を打っていた。
昨日の今日だから仕方がないのか。里村は無理をしているのか。本当にこれで良かったのか。
(いや)
俺は呼吸を止めた。
(それでいいんだ。これで良かったんだ)
今の俺たちには、何ごとにも替え難い甲子園という夢がある。すべてのものを犠牲にしてでも、叶えたい夢。辿りつきたい境地。俺たちは今、そこに手が届きそうな場所に立っている。選ばれた者が許された権利。今はなりふりかまってはいられないのだ。
多分、おそらく、俺は里村のことが好きなのだろう。はっきりとは自分でもわからないが、彼女を気にする自分がいることは最近感じていた。ヤマと一緒にいる里村を見ていると、嫉妬している自分が必ずと言っていいほどいたからだ。でも、同等もしくはそれ以上にヤマのことも大切な存在なのだ。相棒として、友として、彼もまた俺のかけがえのない存在。そして共に夢を叶えようと走り続ける仲間。夢を叶えるために必要な仲間。今はそれを尊重したい自分の気持ち。だから、里村には悪いが里村が犠牲にした彼女の感情に甘えようと思っていた。
だから言った。「せめて、この夏が終わるまでは」と。その場しのぎなのかもしれない。でも、今の俺にはもうどうする事もできない、と思っていたから。この夏が終わればヤマと絶縁してもいい、という意味でも、覚悟でもないし、そんな深い意味すらない。やっぱりその場しのぎの言葉だった。
でも、里村は感情を押し殺してくれた。俺が遮った彼女の言葉。なんて言おうとしていたのか正直気にはなっていた。しかし、今の俺にはそれを聞いたからといって、それに応えることは不可能なのだ。だから無意識に遮ったのかもしれない。
寝つけぬ夜。
(こんなんで明日、大丈夫なのか)
不安ばかりがよぎっていく。不安ばかりが積もっていく。
6人部屋。カエルの合唱のような鼾が耳につく。
(どっちにしても寝れないな、これじゃ)
そう思った俺は、隣りでゴウゴウと寝ているヤマの鼻を摘まんだ。




