陽炎 十三
あと3つ。
夢への階段。夏へと続く道。
俺には、はっきりと見えていた。
2回戦も圧勝だった。やはり俺の領域を侵すほどの存在感はいなかった。1回戦に続くノーヒットノーラン。地区の決勝から数えると3試合ヒットを打たれていないことになる。
燃えるのだ。相手が強くなればなるほど。俺の中を流れる血が熱く、紅く燃え滾る。
このまま行くのだと思っていた。このままの調子で、難なくと。
しかし、準決勝は甘くはなかった。王者と呼ばれる常勝軍団が、俺たちの前に立ちはだかった。
初回。
俺の制球が定まらない。3者連続四球。夢にも思わなかった乱調。狙ったようにストライクゾーンから外れる白球。俺は天を仰いだ。
(とうとう来たな)
王者の四番。
オーラからして違う。バッターボックスへと向かう風体も、軽く振っているように見える素振りさえも今まで対戦した打者とは、ひと味もふた味も格別に感じた。
俺は全校応援で埋め尽くされたスタンドを見て、息をひとつ吐いた。滴り落ちる汗。尋常じゃないほど全身が濡れていた。
(打たれるのか・・・俺は)
俺はマウンドを蹴った。
ヤマがここでタイムを取った。駆け寄ってくるヤマの表情は・・・?笑っていた。ヤマは来るなり指を2本立てて見せた。
「2点までは許す」
やはりその表情は明るい。
俺の左肩に誰かが手をのせた。シゲキだった。シゲキも笑っていた。
次は尻を叩かれた。笑顔のウッチーだった。
「マキ、気にすんなよ。マキの球は今日も走ってるゼ」
カネさんは親指を立てた。
「ただちょっとだけ、ほんの少しだけ、気がはやっているだけだ。調子は悪くねえよ」
「マキっ」
俺はヤマを見た。
「俺たちはマキのお陰で夢というものを見ることができているし、追うこともできている。中学までの俺たちじゃ甲子園なんて夢のまた夢だった。そんな俺たちをここまでしてくれたのは誰でもない、マキ、お前のお陰なんだ」
俺は首を振った。
「俺たちはマキにすべてを預けている。だから・・・」ヤマはみんなを見まわした。「・・・後悔だけはしないでくれ。お前に悔いが残れば俺たちはもっと浮かばれないから」
シゲキも、ウッチーも、カネさんも頷いていた。
「そんなことはないよ」
俺はヤマの瞳を見つめた。ヤマの瞳は希望の光に満ちていた。
「何も考えるな」カネさんだった。「後ろのことは俺たちに任せろ」と、胸をひとつドンと叩いた。
「神の領域なんだろ。もう一度、見せてくれよ」
シゲキがグローブを上げた。
「マキ、お前らしくな」
ウッチーもブローブを高く掲げた。
みんながそれぞれのポジションに戻ろうとした時、俺はみんなにこう言った。
「甘くみるなよ」と。
みんなが薄く笑みを浮かべ俺を見ている。
「2点ってなんだ。俺が2点も取られると思ってんのか」
それを聞いたヤマはミットをひとつ叩いてから駆けだしたのだった。ヤマの背中を見て俺は思っていた。やっぱり俺は最高の仲間に助けられていると、俺は最高に幸せ者だと。
3者連続三振。
切り抜けた初回の絶体絶命。みんなの気持ちで、みんなの魂の結晶だった。
ベンチに戻ると、みんなが俺の頭を小突きはじめた。チームが前向きになった瞬間だった。
マネージャーのアカネが濡れたタオルを持ってきてくれた。
「東吾くん、これ使って」と。
さすがにベテランマネだと俺は感心していた。さすがに気が利く。俺はそのタオルを顔に乗せ、ベンチの天井を仰いだ。突然に乱れた制球のことを考えていた。狙ったように外れていった俺の球。まるで何かを避けているようにも見えた。
(・・・まさか)
思い当ることが浮かんでいた。
(ヤマのミット・・・か)
溜息が洩れていた。
俺は昨夜の出来事を思い出していた。
昨日も一昨日と同様に夜の街を走っていた。
その夜は里村からの呼出しではなく、ミーティング後に突如姿をくらました二人・ヤマと里村のことが気になり「ちょっと走ってくるわ」とウッチーに告げ、ホテルを抜け出したのだった。
少しひんやりとする夜だった。それでも夜空は無数の星々を輝かせ、その真ん中に大きな月も浮かばせている。走りながらそれらを見るのは嫌いじゃなかった。夜空を見上げながらヒムロを聴く。こんな夜はムーンという曲が最高にマッチしていると思った。
俺はその曲を口ずさみながら走った。そして風を感じながら二人を探した。
コンビニの前を通った。煌々と光を放つ店内には見当たらなかった。俺はそのまま素通りし、交差点をふたつ右に曲がった。
(あとはあそこか・・・)
公園だけだと思った。薄暗くて木々が気味悪くざわめくあの公園。見知らぬ街なので、そんなに遠くまでは行かないだろうから。
公園の手前で足を止めた。木々の隙間をかき分けるようにして中の様子を窺った。
(いた!)
やっぱりここにいた。しかもすぐそこのベンチに二人は座っていた。俺に背を向けた状態で。距離にして10メートル程度。俺は耳を澄ました。すると会話が聞こえてきた。
「ごめんな、突然呼び出して」
里村は首を振った。まだ二人はここに着いたばかりのようだった。
「俺で良かったのかな・・・」
ヤマが力のない声で言った。
「どうしたの?急に」
里村は俯いたままで応えた。
「誰か他に・・・」
遮るように里村は口を開いた。
「いないよ」と。「そんなのいない」と。
「でも・・・」
ヤマは里村を見つめている。
しばらくの間、沈黙が二人を包んでいた。
突然の風に里村は髪を押さえた。
「お願いがあるんだ」
ヤマは意を決したような表情に変わっていた。里村はそれを聞いて顔を上げた。ヤマは右腕を伸ばし、里村を抱き寄せて、キスをした。
流れるようなその一連の動作に俺の瞳孔は開いていた。見ていることができなくて、俺は目を逸らしていた。まるで、あの夢をもう一度観ているようだった。
俯きながら唇を離した二人。
ヤマは小さな声で「ごめん」と呟いた。無言で首を振った里村。
「お願い・・・もう一度して・・・」
里村はヤマの首に巻き付けるように腕を回し、ヤマに体を預けていった。ヤマはその体をしっかりと抱きしめていた。
目を閉じていた。ヤマも・・・里村も・・・そして、俺も。
(これで・・・いいんだ)
拳を握った。
長くそしてゆっくりと、お互いの気持ちを確認しているようだった。ヤマは里村の細い肩を両手で掴み、唇を遠ざけていった。見つめ合う二人。ヤマはこれ以上ないほどに照れている。
「好きです」
里村の肩を掴む手に力が入った。
「好きで、好きでたまりません」
里村はそれを聞いて俯いた。そしてこう呟いた。
「私には・・・アナタしか見えていない」と「だから心配しないで」と。
俺は横を向いた。里村の発言に唇を噛んだ。昨晩の出来事を思い出していた。俺が里村に言ったこと。里村は実行してくれた。俺のために、いや俺たちのために。
いや、そうじゃない。ヤマのことが本当に好きになったんだ、と思うようにした。その方が気持ち的に楽になれるような気がしたから。俺の気持ちが。
(・・・俺って、最悪だ)
虚しさが俺を襲っていた。
「甲子園、行ってね」
里村は低く重く言った。
「ああ、連れて行くよ。きっと」
「きっとじゃなくて・・・絶対って言って、じゃなきゃ・・・」
「えっ」
里村は薄く笑いながら首をゆっくりと振っていた。ヤマはそんな里村の手をとった。
「ああ、約束するよ。絶対に」
瞳を重ねていた。瞳を重ねている相手は、俺ではない。爆発しそうな何かとそれを押さえ込もうとする何かが、俺の胸の奥底で激しくぶつかり合い火花を散らしていた。
俺は・・・嫉妬していた。




