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陽炎 十一

「好きなの・・・東吾のこと。私をどこか遠くへ連れていって」

「それは無理だろ」

「好きなの」

「お前はヤマの彼女だろ」

「私は最初から・・・」

「それ以上は言うなよ」

「お願い・・・どこか遠くへ」

「それ以上はやめてくれ」

「嫌い?・・・私のこと」

「壊れちまうよ」

「私のこと、嫌い?」

「知らねえよ」

「東吾の瞳が私を見てるのよ、いつも」

「ヤマの事が心配だからだよ」

「あの眼差しは違うわ」

「違わないよ」

「アナタの瞳には、私が映ってる」

「もうやめてくれ、本当に」

「好きなんだよ・・・東吾のこと」

「壊さないでくれ、俺たちを」

「私じゃ・・・ダメなの?」

「黙って今のままでいてくれよ」

「苦しいのよ・・・胸の奥が」

「・・・・・・俺だって、そうだよ」


 第1試合だというのに、なんてエグい夢を見てしまったんだろうか。

 夜は明けていた。チュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえてきそうな爽やかな朝だった。

「早いな、マキ」

 全身で朝陽を浴びている俺の背中にヤマははっきりとした口調で声を掛けた。

「寝れなかったのか」

(夢のせい)だとは言えなかった。「ちょっと興奮してな」聞く人によっては意味ありげな物言いをしてしまった。

 ヤマは俺の横に並び「始まるな」と呟いた。俺は無言で大きめに頷いた。

 神の領域っていうものを知っているだろうか。誰も踏み入ることのできない、許されない聖域。選ばれし者のみがそこへのパスを与えられる。

 俺はおそらくそのひとりだ。

 唸る剛速球。空気をも切り裂く、いや次元をも隔ててしまうほどの俺の投球。まるでバッターなどいないのではないかと思わせるくらいの独壇場。細かく震える指先。その震えは次第に肩から胸へと移り、そして俺の心臓へと伝道してくる。

 俺はヤマが構えるミットしか見えていない。何も聞こえない。聞こえるのは終わりを告げるサイレンだけ。そのサイレンが鳴り止む時、俺の仲間たちは右手を天に向け、人差し指を立てながら俺の元に走り寄る。

 それを見て、俺はやっと(勝った)と実感する。俺が打たれなければ負けないのだ。俺さえが。あとは仲間たちが決めてくれる。俺の愛する最高の仲間たちが。

 校歌が流れている。やっぱり俺は歌う気が起きない。

(ここではない)

 そう決めているから。

 スタンドに向かって一礼した。遠く地元から応援に来てくれているブラスバンド部に対してだ。

「ありがとうーーー」

 俺の隣で潤んだ目をしたヤマが、大きく手を振って叫んでいた。俺はその手を振る先を見た。

(さ、里村)

 視線の先には彼女がいた。ヤマは満面の笑みを向けている。俺はもう一度スタンドを見た。スタンドにいる里村の視線は俺に向けられていた。

 瞳が重なった。5度目のことだった。

 俺はそそくさと列から離れベンチの中に戻った。ベンチに座るなり、はあ~と大きく肩で息をした。

「疲れたか。さすがのお前も」三木杉監督だった。「あんまり飛ばし過ぎるなよ」と肩をポンとひとつ叩いた。

 その晩、ミーティングも終わり俺たちはそれぞれの部屋でゆっくりと昼間の疲れを癒していた。次の試合は三日後という事もあってだ。

 TVを観ている者。布団の上で後輩とプロレスごっこをしている者。それを見て笑っている者。俺はその内の一人だった。その笑っている最中に俺の携帯が突然震えた。メールだった。送信主は・・・里村からだった。俺はTVを観て大笑いしているヤマを見た。ヤマはそんな事知るはずもなく、隣のウッチーの肩をバシバシ叩き腹を抱えて笑っていた。

 俺はそっと・・・メールを開いた。

 そこには『話があるの』とだけ。

 俺はすぐさま『俺にはないよ』と返信した。

『ロビーで待ってる』と返ってきた。

『行かないよ』と俺は返した。

『待ってるもん』

「ヤマ・・・」

 俺は部屋の引き戸を引いていた。

「ちょっと、ロードワークに行ってくるわ」

 ヤマは涙目をこすりながら、俺を見た。

「何?これからかよ。俺もお供するか」

「いや、大丈夫だ。やっぱ7回だと物足りないみたいだな」

「無理だけはすんなよ。先は長いんだ」

 俺はヤマの方を見ずに「ああ」とだけ発して襖を閉めた。笑い声が廊下まで漏れていた。俺はその声に後ろ髪を牽かれながらも、エレベーターのボタンを押していた。

 5・4・3、とデジタルの表示が変わってゆく。俺は漠然とそれを眺めながら、漠然と里村のことを考えていた。会ったら何を言われるのか。里村はどういうつもりなのか。そんな余計な想像だけが膨らんでいった。

「トビラガヒラキマス」とエレベーターが喋った。俺は心の中で(お、おう)と返事をしていた。その時から胸の奥がざわつき始めた。試合でも感じたことのない不安定な感覚だった。

 エレベーターから取りあえずは降りた。あとはここを左に曲がってフロントの前を通り、肩くらいある観葉植物に囲まれたカフェを目指すのみ。里村は多分その辺りにいるはずだった。

 一歩踏み出した。と同時にドクンと反応した心臓。歩を進めるごとに、カフェへの視界が開けていくごとに、俺の胸は強く鼓動した。歩いていくにつれ、俺は頭が下がり背も曲がり下を向いていってしまう。そんな時俺のポケットで再び携帯が震えた。俺は重苦しい体躯をコンクリートの壁に預けて、携帯を取りだした。

 またメールだった。

『場所変更!!!』と件名にはあった。引っ掛かりを感じながらも俺は指を滑らせた。

『隣のコンビニにいるよん』と。

 脳天気だな、と憤りを感じた。重く考えているのは自分だけなんだろうか。それほど深く悩む事ではないのか。俺が考え過ぎなのか。

 俺は携帯をポケットに戻して、いつものニット帽を深めにかぶった。



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