陽炎 十
札幌円山球場。
特に想い入れはないが、踏み越えていかなければいけないステージだ。
北・南北海道の全地域から各地方の代表16校が出揃う。もちろんその中に甲子園の常連校も顔を出す。それに比べ俺らのチームは3年ぶりの全道大会。ほとんどの部員が緊張の色を隠せない状態だ。
かつて全国連覇を果たした絶対的王者やベスト4常連の古豪などは、放つオーラだけでも他を圧倒している。前哨戦の開会式。その錚々たる顔ぶれの中に俺たちはいた。
昨夜、消灯前のミーティングの時、俺はみんなにこう言った。
「怖気づくな」と。
最初から気持ちで負けるなと。
「同じ高校生だ」と。
今朝のみんなの表情は、昨日とは違い明るさを取り戻していた。
ヤマが言った。
「楽しもう」と。この言葉で俺たちはひとつになれた。
スカイブルー。まさに快晴。地区大会の時も思ったが、白い鳩が実に似合うと思っていた。
プラカードを持つのはウッチーだ。チームの中で一番背が低いからだったが、ウッチーが踏み出した一歩はとても大きなものだった。
始まった。憧れの舞台への第一歩。行進曲に負けないくらいの大きな声でヤマが叫んだ。
「胸を張れ」と。
「俺たちは代表だ」と。
みんなはそれを聞いて大きく腕を振った。言われたままに胸を張った。俺は列の後方からその勇姿を見て、グッときていたのだった。
(最高の仲間だ)
素直にそう思っていた。
(こいつらとなら・・・)
青空を見上げた。
(こいつらとなら、行ける)
自信が確信へと変わった瞬間だった。俺も自然と腕を大きく振っていた。
俺たちの試合は明日の2日目、第1試合。相手は進学校ながらもなかなかの強豪だ。なかなかの強豪だという情報は監督からもコーチからも、もう耳にタコができるほど聞かされている。
開会式の夜。今晩もまたミーティングが開かれた。今回のは明日のスタメンと基本的な確認作業を行うため。相手チームの投手の癖や打者の特徴などが主。ミーティング時の監督は節々のこう言う。
「なかなかの強豪だから、気を抜くなよ」
それを胡坐をかいて聞いていた俺は突然その場でズイっと立上り、
「俺たちも・・・なかなかの強豪ですよ」と言った。
20帖ほどの和室。そこにいた全員が一斉に頷いていた。
「関係ないんですよ・・・」
監督が俺の顔を凝視していた。
「・・・俺たちには・・・」
輪になっている全員が俺を見ている。
「・・・誰が来ようと、自分たちの野球をするだけですから」
輪の中の誰かが、ごくりと唾を飲み込んだ。静まりかえる20帖間。空気の淀みさえも感じていた。
「そうですよ」
輪の外側から突然声がした。みんなは一斉に首を回した。里村だった。彼女はいつの間にか立上り、胸の前で力強く両手に拳を作っていた。
「絶対に大丈夫です・・・みんななら」
里村は輪を見廻した。
「あれだけ頑張ったんですから」
その輪の誰しもが里村のように拳を握っていたのだった。
「その通りだ」
監督が割って入ってきた。
「実力は互角だ。あとは運のみぞ知る。その運を掴む者は人一倍の努力をし、人一倍仲間を信頼している者だ」
俺の隣でヤマが泣いていた。俺はヤマの肩に手を添えた。ヤマは、うんうんと頷いていた。
「感動したぜ」
ヤマが鼻を啜りながら言った。
「俺はお前たちで良かったと思ってる」
泣き顔を上げた。
「俺は幸せだよ」
頬を拭った。
「最高の仲間を持てたことを」
(ホントだな)
俺は心の中で呟いた。
消灯は9時。でも誰もがその前に布団に入っていた。10帖間に几帳面に敷かれた布団。もうほとんどのやつが鼾をかいている。縁側にある籐細工の椅子に腰掛け、夜空に浮かぶ満月を見ていた。
狼男。
ふと思い出した。満月の夜に普通の男が狼に変身するという物語。満月の光は不思議な力を与えるといにしえから言われている。
俺はそれを浴びようと思った。狼男でも何にでもなれ、と思っていた。
「俺にもっと力を・・・」
目を閉じて、浴びた。浴衣を上半身だけ降ろし両手を大きく拡げ、満月の妖光を浴びた。
顎を触った。
「濃くなってないな」
いつもとかわらない短い髭のままだった。もう一度両手を拡げた。何度でも浴びてやろうと思った。
明日・・・勝てるなら。
不安だった。ミーティングの時にああは言ったが、内心は不安と緊張でいても立ってもいられないくらいだった。許されるのならば今すぐにでも、ロードワークに行ってこの心境を紛らわせたいほどだ。
鼻から息を深く吸った。叫びたかった、けどやめた。みんなが寝ている。
「眠れないのか」
もうひとつの籐細工の椅子にヤマが座った。籐細工の椅子が、ギシっと軋んだ。
「まあ・・・そんなとこだ」
両手を戻し、浴衣に袖を通した。
「マキ、ごめんな」
畏まってヤマが言い出した。
「なんだよ、突然。気持ちわるいわ」
俺は口元だけをニヤつかせた。
「俺がこうだから、マキには負担ばかりを掛けてしまって・・・」
ヤマは俯いている。俺は窓の外を眺めた。
「俺は良かったと思ってるよ・・・」
俺は立ちあがった。
「・・・キャプテンはヤマで良かったと思ってる」
ヤマはまだ顔を上げていない。
「俺たちのチームだろ」
ヤマの肩に手を置いた。
「辛い時は俺がいる」
ヤマはやっと顔を上げた。
「シゲキもいる。ウッチーだってカネさんだっている。サトルだっていつもはおとなしいけど、あいつは優しくて頼りがいのある男だ」
ヤマも立ち上がった。
「背負い込むなよキャプテン。俺たちで掴むんだよ。俺たち全員で。夢の切符をな」
「そうだよ」
気が付くと、寝ていると思っていた連中が俺とヤマを囲っていた。シゲキもいる。ウッチーもいる。カネさんはガッツポーズをしている。サトルは力強く頷いた。
これが仲間なんだ・・・俺たちの。
運命によって出逢った男たち。全員が別の中学から集まってきた。まさに運命の糸。時には罵倒し、時には励まし合い、時には涙を流し、俺たちはそうしてひとつになった。甲子園という短い夏のためにすべてを犠牲にし、すべてを賭ける。高校生という思春期に俺たちは夜な夜なバット振り続ける。手のひらのマメが弾ける。血まみれになるグリップ。激痛に耐えながら俺たちは何度も何度もバットを拾うのだ。
すべては、あの舞台で振るために。いや、振れるために。
「起こして悪かったな」
みんなは首を振った。
「たのしもうぜ」
俺たちは同時に頷いた。
月明かりに照らされた6人。それぞれが腕を伸ばし合い影をひとつに重ねた。




