陽炎 九
安藤秀作の自叙伝にも、恋の話は綴られている。
彼の場合、非常に自虐的な恋愛を送っているのだが
結末は・・・その相手となる女性を生涯の伴侶としているのだ。
いわゆるハッピーエンドだ。
私のこの作品は、私の大切なものに対しての私の人生観を綴ろうと思い筆を取った。
しかし、安藤秀作の人生のように自虐的なものでは決してない。
この高校生という人生で最も輝いていて、最も貴重な時間。
そこで起こった悲劇。
私自信ではなくて、私の身の回りで起こった切なくて、儚い夢物語。
私はこの作品にどうしても組み入れたかったのです。
最高の友のことと・・・私の淡い初恋を。
だから書こうと思ったのだ。書き残すことによってはなむけの言葉になるのならば・・・。
ヤマは俺の教室にずかずかと入ってくる。
何故なら、俺と彼女になった里村がいるからだった。休み時間になると必ずだ。以前も度々来ることはあったが、今は来るやいなや鼻の下が伸びっ放しだ。
学校内では秘密になっている二人の関係。でもそれ以上に他所他所しいヤマの態度は、余計に妖しくも見える。関係を知っている俺からすると。
彼氏・彼女の関係を除けば、二人はれっきとした野球部主将とマネージャーなのだから、おもむろに敬遠するのは逆効果とも思えた。が、そこはヤマなのだ。その不器用なところがヤマらしさと言えた。
顔の表情と発せられる言葉は俺の方を向いているのだが、気もそぞろ、意識は里村の方にあるのは俺もヒシヒシと感じている。俺に向けられているはずの瞳が、右往左往しているからわかりやすい。
見るに忍びないヤマに俺は右手を丸め口に当てて、こう言った。
「公表しちゃえば」
それを聞いたヤマは、頬肉が飛んでいきそうなほど顔を振っていた。
「マキ、声が大きいよ」と声になっていない声で言った。
「だって、我慢しすぎだろオマエ」
充血した目を大きく見開き、ヤマは小さく頷いた。
「そうだけどさ・・・」
俺は両手を拡げた。オーマイガー、って感じで。
授業が始まるチャイムが鳴ると、ヤマはスゴスゴと自分の教室に戻っていく。でもただでは戻らないのだ。わざとらしく里村の脇を通り、通り過ぎる際に拳で机を、コンコン、と叩いていくのだ。
鬱憤。
俺はそれを見ていて、そう思った。半径1m以内にいるのに話し掛けることもできないストレス。まさに鬱憤だと。
俺は、なんだかなあ、という表情でその後窓の外を眺めるのだった。
ヤマが知らない事が1つだけあった。自分の教室へと戻って行くヤマの後ろ姿が知らない事。
里村の脇を通り過ぎる際に叩かれる机。ヤマは叩いて通り過ぎ、黒板の前を経由して教室を出てゆく。その後決まって里村は俺の方に振り向き、くすくすと薄く笑みを浮かべるのである。時間にして数秒ほどの間。そうしているうちに先生が教室にやってくるので、里村は俺に微笑みという残像を残して正面に向きを戻す。
俺の瞼に焼きついた微笑みという光景。その光景の意味。最初はヤマに対する照れ笑いだと思っていたのだが、何か最近違和感を覚えていた。口元は確かに笑みを浮かべているのだが、俺を見つめる瞳がどうしても、俺に向けられているようにしか見えないのだ。
(何かほかにあるのか、特別なワケが・・・)ついそう思ってしまうが、俺はいつも心の中でかぶりを振り(ヤマの彼女、ヤマの彼女)と復唱していたのだった。
だから俺はいつもその後、窓の外を眺めるのだ。気を紛らわす為、いや、動揺を回復させる為に。
今日から通常通りの練習を再開していた。通常の練習プラスアルファとでも言った方が適当かもしれない。あえて言えば「対全道」と監督は言っていたが、俺は少しだけ違った。俺はその先にある「対甲子園」モードに既に切り替わっていたから。その方がより高いモチベーションで臨めるし、取り組めるから。
今日もヤマの声が響いていた。ヤマの声は聞いているだけで気合いが入ってくる。里村といる時のヤマとはまるで別人だ。俺はそれをひとり思い出し、ぷっと吹き出してしまった。
「マキっ、声出せよっ」
ヤマから気合が飛んだ。まるで聞こえていたかのようなタイミング。俺は気合が入っている主将に向かって全力で叫び返した。
カキーン、カキーンと金属バットの快い音。俺はそれを耳にしながら水飲み場にいた。火照った頭に水をぶっかけて冷やしてしる最中だった。屈んで水をかぶっているそんな時、俺は背後に気配を感じた。
「・・・ヤマか?」
返事がない。屈みながら俺は片目だけを開けた。
(・・・!!!?)
目を閉じた。俺は慌てていた。
脇の間から見えたもの。それは女子の足だった。黒い皮靴と白いソックスが見えたのだ。
(里村か?)
瞬時に、無条件で俺はそう思っていた。
「誰なんだよ」
俺は白々しく言った。でもまだ返事がない。
「ちょっと待ってろよ、もうすぐ終わるから・・・」と言い終わる時だった。ちょうど俺が口を閉じようとした時、背中に温もりを感じた。覆いかぶさるようなその温もりは俺の腰に腕を巻き付けるように回してきた。
蛇口からの水。止めることを忘れていた。しばらくの間その体勢だった二人。今動いているのは、蛇口から止めどなく流れる水と張り裂けんばかりの俺の心臓、そして腰の辺りに感じる彼女の鼓動だけだった。
俺はふと我に帰った。
「お、おい・・・」
俺は動揺したままで言った。
「誰だかわからないけど、俺をからかうなよ。誰だかわからないけど、俺はまだ何も見てないからな。誰だかわからないけど・・・」
思い出していた。黒い皮靴と白いソックス。しかもその白いソックスにクマさんの絵が書いてあったのを見つけていた。
背中に何やら、しくしくという感じが伝わってきた。
(泣いてるのか?)
俺は目を瞑ったまま、右に5度だけ首を回した。
「・・・ごめんね。わたし・・」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
自分の耳を塞ぐように俺は大声を出していた。
「声は出すなよ。誰だかわかっちまうだろ」
頷く動作を背中で感じた。
「早く離れろ、誰かに見られたら大変だぞ」
もう一度、背中の上で頷いていた。その後走り去る足音が遠ざかって行った。遠のいたのを確認した俺は頭を上げた。
誰に見られると大変なのか。頭の中で自問自答していた。
(!!!)
誰なのかは考えないようにした。通りすがりの悪戯だと。悪戯にしては悪質だとは思った。だって血圧の上昇を感じるくらいに高鳴る鼓動と水のかけすぎでズキズキしている後頭部。かき氷をかき込んだ時のキーンという痛みの凄い感じ。俺はこめかみも押さえていたのだ。
頭を拭きながらベンチに腰を降ろした。
「また、やってたのか」
バットを握りしめたヤマが歩いてきた。
「頭、おかしくするぞ」
(もうなってるよ)
心の中で皮肉った。
「マキー」バッティングゲージの中でカネさんが叫んでいる。「次、いいぞー」と。俺の番が廻ってきたらしい。俺は立ち上がりバットケースから黄金色の俺専用バットを躊躇うことなく引き抜いた。
「うぉっしゃーーー」
俺は日が暮れそうな空に向かって雄叫びを上げた。




