第弐幕:非日常との遭遇
犀、梗哉、謙太郎が駆け付けた時には、既に一面血の海だった。女性が血の噴き出す腹部を押さえて倒れている。犀は躊躇うことなく、女性に触れた。
「……まだ息がある。謙太郎、救急車だ!」
「へいっ!」
謙太郎が携帯電話を取り出し、素早く通報した。これが彼等の日常なのだ。梗哉はただジッと目を凝らして彼らを見ていた。
「こりゃひでェ。傷が深いな」
犀は刺された部分を懐から取り出したハンカチで押さえた。青いハンカチが真っ赤に染まる。
「犀の兄貴! 救急車来ました!」
向こうから謙太郎が駆けてくる。犀は大きく頷いた。
「おうッ! おい、ガキ。手伝え!」
犀は梗哉にクイクイと手招きし、女性を持ち上げるのを手伝うように促す。しかし梗哉はピクリとも動かなかった。
「おい!」
「……」
「ビビってんのか?」
犀がフンと鼻で笑う。するとやっと梗哉が反応した。
「び、ビビってなんかねェ!!」
「じゃあ、こっち来い。一人じゃ持てん」
梗哉は渋々近付き、そしてしゃがんだ。恐る恐る女性に触れる。
「いいか、ゆっくり持ち上げるんだ」
「うるせぇ!」
刺された女性を無事に救急車に乗せることができ、犀は煙草を取り出してから一服した。救急車が去って以来、梗哉はずっと黙っていた。
「さァて、次の仕事と行くか。情報集めにゃ、始まらねェ」
「そッスね!」
素直に頷く謙太郎に対し、梗哉は嫌そうな顔をした。
「何でだよ? それはサツの仕事じゃねェか」
「甘いねえ、ガキんちょは。甘々だ」
チッチッチッ、と犀は口を鳴らした。
「ウチのシマで起こった事件だ。ここの管轄はサツじゃない。オレ達だ」
「……オレはこういう所が気に入らねぇ」
梗哉はキッと犀を睨んだ。犀は目を細めた。笑っているようにも見える。
「いつか分かるさ。暴力だけのオレ達じゃない」
「……」
クルッと向きを変え、梗哉が帰ろうとした。しかしその腕を謙太郎が力強く捕まえた。
「おい、ケン。何のつもりだ? 離せよ!」
グッと腕を掴んだまま、謙太郎は静かに首を横に振った。
「ぼっちゃん、帰るのは頂けませんぜ。ぼっちゃんの仕事はこれからだ」
梗哉はムッとして、謙太郎の手を無理矢理振り払った。そして二人を睨む。
「ケッ、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。付き合ってらんねぇよ!」
「馬鹿で結構。生憎オレはこれでもお前の教育係なんでね。教えにゃならんこと、山程あるもんだから。さっさと行くぞ」
犀は二人を置いて先に進んだ。謙太郎は全く、と苦笑いし、梗哉はポケットに手を突っ込み、不服そうに後に続いた。
「犀の兄貴!」
タッタッと謙太郎が駆けてくる。犀と梗哉は木陰のベンチで座っていた。
「おう、お疲れ。で、どうだった?」
「はい。目撃者は佐仲のオヤジのただ一人ッス」
「佐仲かぁ、面倒だな」
隣で梗哉が不思議そうな顔をした。
「何でだよ」
「兄貴、佐仲のオヤジと犬猿の仲なんスよ」
謙太郎は少し困った様に笑う。ふぅ、と犀は煙草の煙を吐き出した。
「仕方ねェや。梗哉、お前も付いて来い」
「オレも!?」
「だーから、コレも勉強だと言ってるだろ?」
梗哉は口を尖らせたが、最終的には、おとなしくそれに従った。そして三人で佐仲へ話を聞きに向かう。
「おい、オヤジぃ」
ガラッと店の扉を開ける。佐仲は骨董品屋を営んでいた。
「……嫌な客が来やがった」
佐仲はあからさまに嫌な顔をした。それに対抗するように、犀も同じような顔をした。
「わしは何も知らんぞ」
佐仲は彼等が自分の元に来た理由を十分に知っていた。犀は佐仲の様子を見て、苦々しく笑った。
「しかし目撃者はアンタだけなんだよ、オヤジ」
犀はドカッと近くにあった丸椅子に座る。椅子の脚の長さが違うのか、少し動くだけでガタガタと揺れる。
「困ったもんだ」
ハァ、と佐仲は大袈裟に溜め息をついてみた。犀は相変わらず嫌そうな顔で佐仲を見ている。
「オヤジ、アンタしかいないんスから、頼みますよ」
謙太郎が顔の前で手を合わせ、拝む様な格好になる。それを見ても佐仲は黙ったままだった。そのまま無言の時が流れた。
ガラガラと何かが崩れる音がした。
それがオレの日常だと気付いた時には
もう遅い。