プロローグ⑨
腰を回転させた。右手の拳を、レックスの顎めがけて振り抜いている。自分は人間、相手は機械……素手だけの肉弾戦で勝てる確率はゼロに近い。なんとか、ナイフを使える場面を作るか、銃撃戦に持ち込めればいいのだが……。
武器で突くのであればまだしも、拳で戦おうなんて無茶だ。案の定、ウルフは素早く、レックスの懐に踏み込んだ。そして、腰を回転させた。右手の拳を、レックスの顎めがけて振り抜いている。速い……だが、避けきれる。
「今の一撃を避けるか……」
強化コスチュームの威力は絶大だ。受けるだけでも、骨が割れそうだ。なんとか、ウルフの攻撃をいなしているものの、限界も近い。
細い線を描いて、先程R.Eを仕留めた蹴りが腹部に直撃する。風船のように軽く浮いて、コンクリートに転がる。
「か、は……!」
重い一撃。だけど、まだ死んでない。
距離を取れたおかげで、銃を構えられる。相手に銃を向けられれば隠れざるをえない。こうなってしまえば、ウルフも銃を使わなくてはいけない。お互い、遮蔽物に身を隠し、タイミングを伺う。ウルフが顔を出す。距離を詰めようと動くレックスに狙いを定めながら。
呼吸が乱れる。
戦闘開始から十分。銃弾が荒れ狂う場所だ。遠くから銃弾が静寂を飾り、低く唸る。胸を焦がす乾いた音。近くをかすめた弾丸は高く響く音を奏でる。地面に転がる弾丸。土埃が舞う。埃のベールに次の弾丸が風穴を開ける。
たった一発、指ほどの大きさのそれが肉体に沈んだだけで死ぬ。ついさっきまで、声を発していたR.Eの呼吸が浅い。
死と言うのは無慈悲で、突然で、遠慮を知らない。考える間もなく死んでいった奴がどれほど幸運か……考えたくもないな。
もし、天国と言うところがあるのなら、そこは俺の居場所じゃない。
俺の居場所は地獄だけ。
こんな感覚……久しぶりだな。
こわばった指でトリガーを弾く。弾丸が、暗闇に潜むウルフの肩に命中する。人の肉を撃ち抜く感触が指先に広がる。
――なぜわかる……この暗闇の中、どうやって狙った……まさか、銃声だけで位置を特定したのか。こんな小さな的を、わずかな音だけで。
やはり、俺の勘は鈍っていなかった。
「お前は……強い!」
ウルフが体制を整えている今のうちに距離を詰める。だが、ウルフの暗視外膜レンズは、しっかりと暗闇を見据えていた。
外さない。外れるわけがない。
ウルフの弾丸は飛び、レックスの右手に着弾する。血が吹き出し、銃が転がり落ちる。
武器が無ければ戦えない。しくじったな。
ナイフを片手に、今度はウルフの足首を狙う。片腕だろうが、ナイフひとつで倒せる確率はある。鋭い突き、動きには無駄がない。腕を掴み、絞り上げようと力を込めようとした瞬間、身体が飛ぶ。投げ技。肌の感触でウルフは今、やっと気がついた。コイツ……人間か。半端じゃない近接格闘術。人間にしては、瞬発力も聴力も桁違い。
なんなんだ……コイツ。地面に叩きつけられながらも、豪快に振りほどく。蹴りを入れようと身体を起こすが、当たらない。ウルフも片手にナイフを取り、構えをとる。先に動いたのはウルフ。シュ、シュと細かい声を漏らしながら詰め寄る。
そのまっすぐに伸びた腕を、掴み、引き寄せながら、関節を抑え、死なないよう動脈を避けて、ナイフを突き刺す。
一……二……三……ナイフの動きは止まらない。鮮血が舞うよりも先にその臭いが鼻を刺激した。それよりも先に、ナイフを握り締めた手に伝わってきた、人の温かな肉を切り裂く感触が腕をつたって全身に駆け巡る。
「ああああああ!」
雄叫びをあげながら、ウルフは狙いを定めず銃を乱発する。
このまま、首の関節を……。
締め上げようと首に手を回した時、銃口が顔に向く。咄嗟に回避行動を取り、直撃はまのがれた。
「うう……うう……」
ウルフの身体はもう限界だ。足に一箇所、胴に二箇所の刺し傷、肩には弾傷。もう勝負は終わった。
「クソ……クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!」
「殺してやる……殺してやる……お前なんかに……俺が、負けるはずがない」
「俺は強い……誰よりも強いはずだ。なのに……どうしてこんな人間なんかに……」
「許さない……お前だけは……絶対に」
地面に横たわりながら、ウルフはレックスの背後を狙う。
その行動はレックスの読み通りだった。後ろを振り返らず撃ったゴム弾はウルフの頭に命中する。静寂が、倉庫の中に息を沈めたように流れる。
「ひどいやられようだな、R.E」
「ほっとけ。ちょいと油断しただけだ」
「立てるか?」
「……生体サインがレッドモードだ。身体が言うことをきかねぇ」
「ガキにやられるなんて……俺も歳かね」
「最悪な気分だぜ……喉からは血の味がするし、息ができない……」
「R.Eしっかりしろ。医務寮に連れて行ってやろうか? いや……俺がいるなら、タグのところがいいか」
「すまねぇレックス……お前の足を引っ張っちゃまった……ガキ相手に何もできないなんて、俺の腕も落ちたもんだ」
「そんなこと言うな。お前はよくやったさ」
「この後、レディとデートの約束があるんだ。もし、俺がぶっ倒れたら、代わりに謝っておいてくれ」
「R.E……R.E!」
「うるせぇな。耳元で叫ぶなよ。俺は死なねぇ……ちょっと眠るだけだ……すまねぇレックス。あとは任せた……」
「ああ……任せろ。ゆっくり休んでな」
商品はみな、怯えていた。まるで目の前に怪物でもいるかのような。そんな顔だ。
「安心しろ、俺はコンジットだ。アンタたちを助けに――」
「――後ろ!」
商品の誰かが短く叫んだ。
咄嗟に銃を取り、ふたつの銃声が同時に鳴る。レックスとウルフの身体は左右に一歩、二歩よろめくと、滴る血の重みに倒れるかのようにばったりと地に倒れた。段々消えて行く、霧のような取り止めもない意識の中に……深く。




