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光化学戦記《沈黙の都篇》  作者: 南蛇井


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7/21

観測者たち― “沈黙を測る者たち” ―

軌道上観測ステーション《アウロラ》。

地球の影をかすめる高度、無音の宙に浮かぶ銀白の要塞。

第零観測室では、静寂を裂くように無数のホログラムが点滅していた。


ティア=レインは、眼前に漂う複層データの束を見つめていた。

白い指先が光の粒をすべらせ、断片的な映像をつなぎ合わせる。

そこに浮かび上がったのは——“欠けた光”だった。


輪郭のない空間。

可視光も、電磁波も、重力線も反応を示さない。

ただ、観測データの中央に**「沈黙」**という深い円がぽっかりと穿たれている。


まるで、世界がそこだけ存在を放棄したかのように。


通信が開く。

上官の声が、ざらつく電波の向こうから届いた。


「——観測不能領域、コードネーム:Silent Zone。

  その中心で、旧王国文明の座標データが反応を示している。」


ティアはわずかに息を呑んだ。

“旧王国文明”——百年以上前に崩壊し、記録上から消滅したとされる幻の都市圏。

それが、沈黙の中心で反応を返している。


その報を受け、調査任務の同行者として呼ばれたのは、一人の青年だった。

学府出身の理論研究士、リオル=ヴァイン。

まだ白衣の匂いが抜けきらない新任の科学者である。


ドアが開き、軽い足音。

ホログラムの淡い光に照らされ、彼は軽口を投げた。


「“沈黙を観測する”なんて、詩人の仕事みたいだね。」


ティアは視線を外さず、短く応じる。


「観測できないものを測る——それが、観測者の仕事よ。」


ふたりの間に沈黙が流れる。

だがその沈黙は、観測不能領域の闇に似て、どこか深く冷たかった。


モニタ群がざわめくように波形を乱した。

灰金色のノイズが広がり、空間データが歪む。

一瞬、そこに“何か”が映った——。


それは、

風のように儚い残響。

人の形をして、しかし定義できない光のゆらめき。


ティアはわずかに前のめりになり、囁くように言った。


「……誰かが、そこにいる。」


音もなく、ホログラムが瞬いた。

灰金の乱流の奥、記録の深淵で、確かに**“誰か”**がこちらを見返していた。


調査艇オルディナスは、灰金の海をゆっくりと進んでいた。

外部モニタはすでに映像出力を失い、視界はただ、ゆらめく靄の中に沈む。

航行灯の光さえ霧に呑まれ、“方向”という概念が次第に意味を失っていく。


リオルは前方スクリーンを見つめ、唇をかすかに噛んだ。


「……これが、“沈黙域”か。」


ティアは無言で頷くと、指先をホログラムパネルに滑らせた。

淡い蒼光が彼女の横顔を照らし、観測機構の階層構造が立体的に展開される。


光律観測網リュミエール・デッキ、全層展開——」


低音が船体を震わせ、光子アンカーが次々と射出される。

無数の光点が球状に展開し、沈黙域を包囲するように軌道を描く。

それは、まるで光そのものが触覚を持ち、**虚空を“なぞる”**かのようだった。


ティアの視線が、走査線のデータを追う。

だが、次の瞬間——センサーの波形が途切れた。


ログウィンドウが一斉に赤く染まり、冷たい電子音が観測室を満たす。


《信号逸失:光律応答ゼロ》

《観測対象:未定義構造体/名称推奨:沈黙域(Silent Zone)》


リオルが息を呑み、椅子を引き寄せる。


「……空間が、光を飲み込んでる。」


ティアは、ほんのわずかに首を振った。

その声は、静寂の中に沈みながらも確かに響いた。


「違うわ。光が、“見られること”を拒んでいるの。」


リオルは振り向く。

彼女の瞳の奥には、ただならぬ緊張と——微かな畏怖があった。


船外の光子アンカーが、ひとつ、またひとつと消えていく。

まるで“誰か”が、観測の手をひとつずつ摘み取っているかのように。


その時、沈黙域の中心——視えないはずの場所に、微かな残響が走った。

空間そのものが脈打つように、灰金の霧が震える。


ティアはその波形を見つめ、かすかに囁いた。


「……そこに、“何か”が応えている。」


沈黙域が、観測を拒みながら——観測者たちを見返していた。


観測艇オルディナスの内部は、呼吸音さえ吸い込むような静寂に包まれていた。

光律観測網リュミエール・デッキの波形が、何度目かの干渉試行を繰り返す。

ディスプレイの上では、灰金のノイズが渦を巻き、乱流のように形を変えていく。


ティアの指がパネルの上を滑り、解析層をひとつずつ解凍していった。

そのとき——


波形の中心に、金色の輪が浮かび上がった。

それはまるで、沈黙の海のただ中に沈む光の残響。

不完全な輪郭ながらも、確かに「律動」している。


ティアは息を詰めた。


「中心に……律動するパターンがある。

  まるで、心臓の鼓動みたい。」


リオルが隣で、すぐさま解析モジュールを走らせる。

データが層を重ね、周期が数値化されていく。


《データ波形一致率:92.3%》

《比較対象:人間脳波・αリズム》


リオルの指が止まり、言葉が喉の奥で固まった。

画面に映るのは、都市の構造信号ではなく、生体的な波動。


「これ……都市の信号じゃない。

  “誰か”の意識だ。」


ティアはゆっくりと顔を上げ、その瞳の奥に微かな光を宿した。


「沈黙域の中に、まだ観測されていない“存在”がいる。」


その瞬間、映像が一度途切れた。

黒いノイズが一瞬走り、スクリーンが白く閃光を放つ。

次のフレーム——


そこに、女性の姿影が映っていた。

黄金の光に包まれ、王冠を戴くような輪郭だけが鮮明に浮かぶ。

顔は霞のように揺らぎ、しかし瞳の位置だけがはっきりと「こちら」を見つめていた。


AIアラートが警告音を鳴らす。


《観測対象:光律体エネルギー反応/識別不明》

《観測干渉レベル上昇中》


ティアの声は、囁きのように静かだった。


「——彼女が、“見返してくる”。」


リオルが振り返る。

その瞬間、ティアの瞳に微かに金の光が宿り、

モニタ越しに映る“彼女”の視線と、完全に重なった。


観測は成立した。

だがそれは同時に、観測されることの始まりでもあった。


調査艇オルディナスは、沈黙域の外縁をゆっくりと離脱していた。

艦体を包む灰金の靄が少しずつ薄れ、恒星の光が再びセンサーに戻る。

だがその安堵の空気の中、船内には張り詰めた静寂が続いていた。


ティアは観測ログを再生していた。

ホログラムに投影された波形は、不規則な揺らぎを伴いながらも、

どこか——**「呼吸」**のように見えた。


その波形の中心に、微かに残る“視線の痕”。

まるで誰かが記録装置の内側から、こちらを見返しているかのようだった。


ティアは目を離さずに言う。


「この領域は、ただの現象じゃない。

  “誰か”が観測を拒んでいる。

  そして同時に——“観測されること”を望んでいる。」


リオルは隣で眉をひそめ、ログを覗き込む。

彼の声はわずかに震えていた。


「……それは、意思があるってことですか?」


ティアは短く頷いた。

冷たい光の中、その表情はどこか遠くを見つめているようだった。


「ええ。

  沈黙の中に、観測者がいるのよ。」


その言葉が落ちた瞬間、モニタが一瞬だけ点滅する。

ティアの瞳に、沈黙域で見た黄金の輪が淡く反射した。

まるであの存在が、いまだこちらを“見続けている”かのように。


彼女は無意識のうちに視線を上げ、黒い宇宙を見つめた。

そこには何もない——はずなのに、確かに“誰か”の気配があった。


リオルが息を呑む。

ティアはただ小さく呟いた。


「観測は……もう、始まっている。」


その瞬間、船体を包む通信波が微かに揺らぎ、

沈黙域の座標が再び短く点滅した。


——それは呼応のようでもあり、警告のようでもあった。


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