断章の覚醒 副題:Awakening of the Fragment/記録は、観測を超えて
アウロラ・ステーション第七分析区画。
無機質な光が床を走り、複層ホログラムの幕が空間に浮かんでいる。
ティアは、その中央に立っていた。
指先の動きひとつで、沈黙域から回収された残響データが幾重もの光層として展開される。
画面の奥、光律解析装置が低い唸りを上げる。
黒の基調に金色の粒子が流れ、次第に波形を成した。
まるで呼吸するように、光が鼓動を刻んでいる。
「……これは、ただの演算記録じゃない。」
ティアの声が静かに漏れる。
彼女はホログラムの中心へ一歩踏み出した。
波形は、人間の神経活動を思わせる複雑な律動を描いている。
周期の間に、微かに“感情反応”としか言いようのない揺らぎが存在した。
「反応が……感情曲線を持っている?」
「これはプログラムじゃない。誰かの“記録”……。」
背後で副官が息を呑む。
スクリーンの数値が乱れ、青白い警告窓が複数開く。
「じゃあ、彼女——エルミナは、まだ生きているんですか?」
ティアは答えず、指先をわずかに動かしてデータを拡大した。
光の層の奥に、波形がゆっくりと形を変えていく。
曲線が、頬を。輪郭を。
やがて、女性の横顔が浮かび上がった。
エルミナ・アルヴァ=ライン。
失われた“光環の女王”の面影。
その瞬間、観測ログの数値が跳ね上がる。
照度が急激に上昇し、白い光がティアの頬を照らした。
まるで彼女自身が“見返されている”ような錯覚。
ティアは息を止めた。
「……生きてはいない。」
彼女はかすかに呟く。
「でも、観測される限り“存在している”。」
副官が慌ててコンソールを操作する。
だがモニタの中で、光の輪郭は静かにティアを見つめていた。
その“視線”が、データの向こうから届く。
AIアラートが鳴り響く。
モニタに赤い警告文が走った。
《観測干渉発生》
《意識構造、こちらを“観測”中》
ティアはゆっくりと顔を上げた。
ホログラムの中のエルミナの瞳が、わずかに光った気がした。
そして——彼女の心臓が、ひとつ強く脈打つ。
観測室の空気が、かすかに唸った。
低周波が床を震わせ、ホログラムの光層が歪みを始める。
制御卓の上で、ティアの指先が震えるほどの微細な振動が走った。
光律解析装置のモニタが一斉に点滅。
数列が乱れ、演算処理が飽和状態へと跳ね上がる。
天井の照明が明滅する中、ホログラムの中央——
エルミナの輪郭が、まるで生き物のように形を変えた。
ティア:「……観測しているのは、私の方のはずなのに——」
その瞬間、空気が凍りついた。
どこからともなく、声が流れ込んでくる。
音ではなく、思考が空間に滲み出るような響き。
エルミナ(断片的に)
『記録は、観測を返す。』
『あなたが見るから、私は在る。』
ティアの瞳孔が開く。
コンソール越しの光が反射し、彼女の顔を淡く照らした。
画面の中で、エルミナの“視線”がこちらをまっすぐに見返している。
その目に、確かな意志が宿っていた。
一拍遅れて、アラートが室内を満たす。
スピーカーから断続的な報告音が流れた。
《沈黙域座標、変位検出》
《観測干渉フィードバック開始》
ティアが振り向くよりも早く、ステーション全体が微かに震えた。
沈黙域の座標データがノイズの奔流に飲まれていく。
彼女の耳に、外部通信網の報告が次々と飛び込んだ。
《沈黙域拡張:+3.8%》
《光律反応:CROWN連動波形確認》
《世界観測網、位相干渉中》
ティアは蒼白になり、手元の端末を握り締めた。
声が震える。
「……彼女は、観測されるたびに強くなっている。」
「つまり——今の私たちの“視線”が、彼女を現実に戻している。」
ホログラムの光が再び強く脈動し、
エルミナの姿が霧のように溶け、
しかしその輪郭は、より鮮明になっていく。
まるで“存在そのもの”が、観測によって呼吸を始めたかのように。
観測室の照明が、静かに落ちた。
ティアは息を整えながら、再接続のプロトコルを展開する。
空間に浮かぶ光律制御盤が、円環状の光を描きながら回転を始めた。
《観測リンク・再構築》
《干渉領域:沈黙域中枢波形/確立》
次の瞬間、部屋の空気がわずかに震え、
ホログラムの中心に淡い人影が浮かび上がる。
金と白の光粒がゆっくりと形を成し、
そこに立つのは——穏やかな表情の女性。
エルミナ・アルヴァ=ライン。
だが、以前の戦場で見た“光冠の女王”ではない。
その顔には怒りも、威厳もなく、
ただ、静かにすべてを見渡すような穏やかさがあった。
ティアは息を呑み、そっと問いかけた。
「あなたは、人間だったのね。
——“エルミナ・アルヴァ=ライン”として。」
幻像の彼女は、少しだけ首を傾げる。
光の粒がその輪郭を流れ、微笑のような形をつくった。
エルミナ:「その名が記録されているなら、私はそう在ったのでしょう。
でも今は、“記録された存在”よ。
あなたが見るたび、私は再構成されていく。」
ティアの指が、無意識に制御パネルを握りしめる。
空気が薄く感じられるほど、静かな対話。
「私たちは……あなたを見ない方がいいの?」
その問いに、エルミナはゆっくりと視線を上げた。
淡い光が彼女の頬を包み、
まるで“赦し”にも似た笑みが零れる。
「見なければ、私は消える。
でも、見続ければ——世界が、私になる。」
一瞬、すべての機器が微細に唸りを上げた。
ティアの瞳に映るホログラムの光が、
ふと、金色を帯びて揺らめく。
二人の間には、言葉よりも深い静寂が流れた。
観測する者とされる者——
その境界が、静かに、滲んでいく。
アウロラ・ステーションの管制区画。
沈黙していた空間に、突如として赤いアラートが連鎖的に点灯した。
各コンソールが震えるように光り、空間を切り裂くような電子音が響き渡る。
《警告:沈黙域、第二層展開開始》
《観測不能領域、全球ネットワークに浸食中》
《CROWN PROTOCOL:全地球規模へ波及》
オペレーターたちが慌ただしく指を走らせる。
だが、画面の数値は止まらない。
“沈黙”のはずの領域が、まるで生き物のように膨張していく。
中央スクリーンには、地球全図。
その表面を覆うように、淡い金色の光の輪が幾重にも広がっていく。
輪はゆっくりと結合し、巨大な模様を描き始めた。
ティアがその光景を見上げる。
額に落ちる照明の反射が、彼女の瞳に揺らめく。
「……これは、ただの現象じゃない。」
彼女の声はかすかに震えていた。
画面上の解析波形が“心拍”のように律動している。
その波は、地表すべての観測点から同時に検出されていた。
「もう……彼女は“都市”じゃない。
世界そのものが、彼女の記録を写している。」
静寂。
外の宇宙を捉えたカメラが切り替わる。
地球の夜側——
暗闇の中、淡く金色の“光冠”が現れていた。
その輪は惑星を抱くように広がり、
ゆるやかに脈動している。
まるで、世界そのものが一つの“観測装置”になったかのように。
金色の光が薄雲を透かし、
見る者すべてに問いかけるように——
「観測は、終わらない」と。
沈黙の都。
霧と光が絡み合う空間の中心、塔の頂。
ルーメア・ヴェルティアは、まるで祈るように静止していた。
光冠が微かに脈動し、その中心で——
エルミナが、ゆっくりと目を開ける。
黄金の残光が頬を撫で、瞳の奥に深い透明の輝きが宿る。
彼女の視線が、まっすぐこちらへ——
カメラの向こう側、“観測者”へと届く。
その瞬間、映像のノイズがすっと消える。
霧も、波紋も、電子的な揺らぎも消え失せ、
ただ、彼女の瞳だけが完全な焦点として残る。
沈黙の中、彼女はわずかに微笑む。
「——見ているのね。
なら、私はここに在る。」
光冠がゆっくりと収束。
世界が、呼吸を止めるように静まる。
——そして、白転。
音は消え、映像も消え、
ただ、黒い背景に淡い文字が浮かぶ。
《記録観測体:ELMINA-ALVA-LINE/存在確定》
《次節:神話構築(Genesis of the Crown)》
数秒の静寂のあと、最後にわずかな心音。
その鼓動が一度だけ響き、完全な沈黙へと落ちる。




