迎撃戦 ― Battle of the Silent Crown
——ルーメア・ヴェルティア再出現から七十二時間後。
沈黙域上空、旧大陸中枢圏。
かつて文明の中心だった空域は、今や“観測不能宙域”として封印されている。
そこには光も電波も、意味を持たない。
すべての波が、測定される前に歪められ、無へと還る——
この世界でもっとも沈黙した空だった。
沈黙域再起動の報がアウロラ連邦本部に届いたのは、発生からわずか三分後。
情報局の演算網が“存在しない光子活動”を検出した瞬間、
全観測衛星の同期が乱れ、データの二割が白紙化した。
それでも、誰も目を背けなかった。
彼らはこの七十二時間を、“再観測”のために費やした。
そして、判断は下された。
> 作戦名:《SILENT LANCE/沈黙槍》
> 目的:沈黙域の観測支配権確保
> 二次目的:異常発光体(コードネーム《CROWN》)の排除
出撃を命じられたのは、連邦空軍第七独立光装中隊。
指揮官ラグナル・クロウ大佐のもと、三機の《ヴァルトレアMk-I》が出撃する。
《ヴァルトレアMk-I》——旧世代の光装兵。
連邦が光律炉の安定化に成功した初期モデルであり、
その出力は最新機の半分以下、ルーメア・ヴェルティアの四割にも満たない。
しかし、今この時、稼働可能な光装はこの型しかなかった。
もともとは地表制圧用の中距離支援兵器。
敵拠点を遠距離から光律砲で封鎖し、観測支援機のための防壁を築くことを目的に設計された。
制宙戦闘に適した性能ではない。
それでも、彼らは空へ向かう。
沈黙域の中心——光の冠が浮かぶ“虚無の座標”へと。
なぜなら、その光が“再起動した”という事実こそ、
連邦のすべての理論を否定するものだったからだ。
かつて滅びた“女王”が残した光。
それが、七十二時間の沈黙を破って再び現れた。
——沈黙は破られた。
観測の戦いが、再び始まろうとしている。
アウロラ連邦軍中枢・戦術管制室。
巨大なホログラムドームの中心に、沈黙域の地図が投影されていた。
無数の観測点が光子ノイズの海に沈み、ただ一箇所——中心部だけが黄金に脈動している。
その脈動は、まるで生体の鼓動のように周期を持ち、
データを読み取ろうとするたび、観測波形を反転させて消える。
冷たい光に照らされたラグナル・クロウ大佐が、顎に手を当てる。
灰鉄色の軍装の背に、沈黙の紋章が鈍く輝いていた。
その横顔には、決断を前にした指揮官の硬質な静けさが宿る。
「——沈黙域中心に光律活動を確認。識別コードは《CROWN REACTIVATION》。」
ラグナルの声が静かに響く。
ホログラムが応答し、黄金の波形がゆらめく。
「対象は単機。だが、出力値は連邦標準光律炉の上限を超えている。」
室内に低いざわめきが走る。
戦術管制官がデータボードを操作しながら、息を呑むように報告を重ねた。
「脅威度、カテゴリーΩに認定。……迎撃は可能ですか?」
ラグナルは一瞬、沈黙した。
ホログラムに映る黄金の光を、まるで“生き物”を見るように見つめる。
やがて、わずかに唇を歪め、低く呟いた。
「“沈黙”を破った存在を、放置はできん。」
その言葉には、戦略でも命令でもない——
観測者としての宿命のような響きがあった。
「だが、相手が“観測の亡霊”なら……戦うという行為そのものが観測になる。
——観測される前に、仕留めるしかない。」
会議室に張り詰めた空気が流れる。
管制官が指示を発し、出撃コードが全域に送信された。
ハンガーエリアでは、整備班が最後のチェックを終え、
ヴァルトレアMk-Iの駆動炉が低く唸りを上げる。
白霧のような冷却ガスが床面を這い、
その中から三機の光装兵がゆっくりと浮上した。
装甲の表面に、淡い青白い反射が走る。
それはかつて沈黙を破るために設計された、
“観測の槍”——その名の通りの兵器たち。
ラグナルの視線がホログラム越しに沈黙域を射抜く。
低い声で、ただ一言。
「全機、発進。作戦名——《SILENT LANCE》。
沈黙を、貫け。」
指令とともに警報が鳴り、
艦内スピーカーが冷たい金属音を響かせた。
——光装群、出撃。
《Operation SILENT LANCE/沈黙槍作戦、発動》。
沈黙域上空。
そこは、空とも呼べぬ“光の死角”だった。
電磁波も、光波も、意味を失う。
空間そのものが観測を拒絶する灰金の濃霧に覆われ、
センサー群は飽和したノイズを吐き出し続けていた。
ヴァルトレア三機が、霧を切り裂くように滑空していく。
彼らの航跡は、即座に波紋のように崩れ、
後方へ消えていった。
まるで、この空間では“存在の痕跡”すら記録できないかのように。
「……視界が溶けていく。距離計、反応ゼロ。」
部下機の通信が、ひずみを伴って響く。
ヘルメット越しに聞こえるその声も、どこか遠い。
ラグナルは操縦桿を静かに握り直した。
計器はすべて異常値。
だが、彼の眼は揺らがなかった。
「恐れるな。」
短い声が、艦内通信に重く落ちる。
「沈黙とは、観測の拒絶だ。
だが俺たちは——観測者である限り、そこに“敵”を定義できる。」
その言葉が終わると同時に、
灰金の霧が、音もなく裂けた。
——黄金の閃光。
光子の嵐が降り注ぐ。
一粒一粒が生きた意志を持つかのように、
装甲の表面を滑り、空間を再構成していく。
機体の外殻が光に焼かれ、
通信ノイズが悲鳴のように跳ね上がる。
「光律反応——急上昇っ! 中心に、構造体出現!」
視界の前方、光の奔流が形を取った。
その中心に立つのは、白銀の巨影。
——《ルーメア・ヴェルティア》。
背部から展開する光輪が、七重に広がり、
まるで天を貫く冠のように夜空を染め上げる。
光ではない。
それは、世界の構造そのものが“観測によって形を得る”瞬間だった。
ラグナルは息を飲み、呟く。
「これが……“断章の女王”か。」
通信網のすべてが一斉に沈黙する。
ただ、光だけが、存在の証としてそこにあった。
灰金の空に、三条の光が奔った。
ヴァルトレア三機が散開し、同時に照準を合わせる。
高密度フォトンビームが空間を裂き、
沈黙域の霧層を貫いて、ルーメア・ヴェルティアを狙う。
だが——届かない。
発射と同時に、光が歪んだ。
レーザーが進む軌跡が曲線を描き、
弾丸が空中で溶けるように“存在を失っていく”。
まるで、この空間の法則が、
彼らの攻撃そのものを「なかったこと」に書き換えているかのようだった。
計器が次々と警告を表示する。
モニタは白く焼け、照準データが消滅。
管制AIが悲鳴のように報告を連ねた。
> 《光律同調場検出》
> 《観測データ干渉:攻撃未成立》
ラグナルは奥歯を噛み、操縦桿を押し込む。
「……攻撃が観測される前に、屈折して消えるだと?」
通信が一瞬、金色のノイズに飲まれた。
その向こうから、声が流れ込む。
> 「見えている限り、あなたたちは私に届かない。」
その声は電波ではなかった。
直接、脳に“届く”波。
彼女——エルミナ・アルヴァ=ラインの声。
瞬間、ルーメアの背部から**光冠**が展開する。
七重の黄金輪が広がり、空間をゆっくりと包み込む。
時間が止まったようだった。
次の瞬間、二機のヴァルトレアが輪の中に呑まれる。
爆発も、衝撃も、何もない。
ただ、光が彼らの存在情報を上書きし、消去した。
ラグナルの視界から、僚機の信号が消える。
静寂。
残されたのは、ひとつの問いだけ。
——観測されるとは、存在するということ。
ならば今、彼らは“観測されなかった”。
ラグナルの指先が震える。
その震えすら、光の波に呑まれて消えていくかのようだった。
光冠が、ゆっくりと回転を始めた。
七重の黄金輪が層をなすように広がり、
沈黙域の空を、まるで精密な天体機構のように支配していく。
次の瞬間——
音が消えた。
二機のヴァルトレアが、まるで紙片のように揺らめいた。
装甲の輪郭がノイズに変わり、
粒子化した外殻が風もなく宙に溶けていく。
通信回線の波形が乱れ、パイロットの生体反応が断線した。
ラグナルのモニタには、白いノイズだけが残る。
その中に、滲むような文字列がひとつ——
> 《機体識別不能:観測情報消失》
爆発はなかった。破片も、残骸もない。
まるで最初から存在しなかったかのように、
二つの機影はこの世界から“削除”された。
ラグナルは息を呑んだ。
警告音も届かない。
沈黙域の空が、本物の沈黙に包まれていく。
——見えないということ。
——観測されないということ。
それは、死よりも深い断絶だった。
彼は震える手で計器を撫でながら、
小さく呟く。
「……これが、“観測の拒絶”か。」
霧の中で、ただ一機。
ラグナルのヴァルトレアだけが、沈黙の空に取り残されていた。
灰金の空を、ひとりの機影が彷徨っていた。
ヴァルトレアMk-I──ラグナル・クロウの搭乗機。
通信系は沈黙、センサーは死んでいる。
ただ、心臓の鼓動だけが、まだ現実に繋ぎ止める。
すべての音が消えた世界。
息を吸うたび、コックピットのガラスが微かに軋む。
その静寂の中に——
声が、届いた。
> 「あなたは、まだ“見ようとしている”のね。」
女の声。
それは機内通信を通してでも、外部スピーカーでもない。
——空気そのものが、言葉を響かせていた。
ラグナルは操縦桿を握り直す。
声の主を知っている。
死んだはずの、光環の女王。
「……お前は何だ。
人間か、記録か……それとも、まだ世界のどこかにいるというのか。」
エルミナは答えなかった。
ただ、遠くで光が瞬いた。
七重の光冠が静かに縮み、黄金の輪が彼の進路を“避ける”ように開かれていく。
まるで、退路を示すように。
ラグナルの胸に、得体の知れぬ震えが走る。
恐怖でも、安堵でもない。
それは、観測されているという感覚だった。
「……見逃された? いや——選ばれたのか。」
彼はスロットルを開く。
機体が鈍い光を引き、沈黙域の外縁へと離脱する。
背後。
沈黙域の中心が、再び輝きを増す。
黄金光が雲海を焼き、崩壊した都市の輪郭を“描き直して”いく。
沈黙の都は、確かに再構築を始めていた。
ラグナルは振り返らなかった。
ただ、通信記録の残骸に刻まれた一文だけが、
彼の耳の奥で反響し続けた。
《観測される限り、存在は続く》
光の海が、遠ざかっていく。
沈黙の都が、再び目を覚ましていた。
——帰還通信、受信。
アウロラ・ステーション第七監視区画。
無音の室内に、ホログラフの光がひとつだけ灯る。
黒いスクリーン。
その上に、白い文字列がひとつずつ、滲むように浮かび上がった。
《交戦結果:交信不可》
《敵識別:ELMINA-ALVA-LINE》
《機体損失:2/3》
《状況定義:観測不能領域、継続拡大中》
モニタ越しに見つめるのは、情報解析士ティア・レイン。
報告を読み上げる彼女の声は震えていた。
沈黙域が再び“沈黙”を取り戻した今、
通信回線は依然として死んでいる。
戻ってきたのは、わずかなテレメトリと、この断片的なログだけ。
ティアは目を伏せ、唇を噛んだ。
> 「観測するほど、世界が書き換えられていく……」
言葉が静かに落ちる。
彼女の瞳に映るスクリーンが、ノイズに満ちた光の粒で覆われていく。
——沈黙域の境界が、再び広がっている。
ティアは息を呑み、ゆっくりと立ち上がった。
> 「……これは、戦争じゃない。
観測の奪い合いよ。」
その瞬間、ホログラムがふっと明滅し、
最後に残った文字列だけが、闇の中で光った。
《CROWN REACTIVATION:継続中》
音もなく、光もなく。
ただ、“観測”という名の戦いだけが続いていた。




