表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光化学戦記《沈黙の都篇》  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/21

光律炉残響観測

アウロラ・ステーション内観測ブリッジ


 金属と霧の境界を思わせる、冷たい光が満ちていた。

 南大陸上空を漂う高層観測拠点アウロラ・ステーション——その中心部に位置するブリッジでは、無数のモニタが無音のまま点滅を繰り返している。


 観測士ティア・レムスは、夜を三度越えてなお席を離れていなかった。

 ディスプレイの輝きが彼女の頬を淡く照らし、瞳の奥ではフォトン干渉波が無数の光の線を描いては消える。

 その光は、まるで——過去の亡霊たちが何かを語りかけてくるかのようだった。


 背後の通路で、上官のヴァルク中佐が静かに足を止める。

 彼女の肩越しに覗き込みながら、低く呟いた。


「まだやっていたのか。……ティア、休め。沈黙域はもう観測できない。崩壊から三年だ。何も残っていない。」


 ティアは返事をしなかった。

 指先が微かに震えながら、光律データの波形を操作していく。

 解析システムの画面には、数億単位の干渉波が織りなす複雑なパターン。

 それを凝視する彼女の瞳が、一瞬だけ強く光を反射した。


「……ノイズ分布が変動してる。」

 その声は、独り言にも似た細い響きだった。

「まるで、誰かが再構築してるみたい。」


 ヴァルク中佐は眉をひそめる。

「そんな馬鹿な。沈黙域は完全崩壊した。観測点すら——」


 ティアの声が、それを遮った。

 囁くように、しかし確信を持った響きで。


「違う。観測されていないだけ。」


 ブリッジに、静寂が落ちた。

 空調の音さえ遠のき、ただ光の粒だけが舞っている。

 モニタの光が彼女の頬に滑り、瞳孔の奥で細く震えた。

 その姿は、まるで“存在を測ろうとする者”——光そのものの意志を聴き取ろうとする観測者のようだった。


 ヴァルクは息を呑む。

 言葉を失ったまま、ただその背を見つめていた。


 ティアの手が、静かにパネルの上を滑る。

 映像データの奥で、崩壊したはずの光律炉の残響が、かすかに揺らめいていた。


 それは、確かに“何か”を語っている。

 ——まだ終わっていない。

 観測が続く限り、沈黙の向こうには“存在”がある。


 ティアの唇が、誰にも聞こえないほど小さく動く。

「観測とは……存在を、定義すること。」


 その瞬間、スクリーンの端で微かな光が跳ねた。

 ——まるで彼女の言葉に応えるかのように。


光律干渉レンズの手動再調整


 観測ブリッジの空気が、音を失った。

 わずかに聞こえるのは、機械の呼吸音——

 冷却ファンの低い唸りと、ティア・レムスの静かな息だけ。


 モニタ群の数値が、すべて“空白”を示していた。

 自動観測システムは沈黙域を“存在しない領域”として処理している。

 データの行間には、何もない。

 ただゼロの羅列だけが、虚空のように並んでいた。


 ティアはゆっくりと立ち上がる。

 青白い光に照らされたその横顔は、眠りを拒むように硬い。

 彼女はブリッジ奥の制御台に手を伸ばし、封印されていた古い装置を起動した。

 機械が軋む。

 金属音が一瞬だけ響き、次いで深い低音が空気を震わせる。


 ——光律干渉レンズ、手動モードへ移行。


 天井部のリング状ユニットが緩やかに回転を始めた。

 光子層が空間を漂い、彼女の指の動きに反応して波面を変化させる。


 ティアの指が、感圧パネルの上を滑った。

 指先が動くたび、光の層が呼吸のように膨らみ、収縮する。

 それは、まるでティア自身の生命信号が観測装置に移植されたかのようだった。


 《⚠ 警告:手動観測は非推奨。光律過負荷の危険あり。》

 中空に浮かぶリスコードAIの投影が、淡く瞬く。

 無機質な女性の声が、冷たく響いた。


 《観測者の生体リズムが光場波長に干渉中。続行しますか。》


 ティアは一瞬だけ目を閉じた。

 そのまま、息を吸い込み、答えるように手を前へ差し出す。


「続行。」


 AIの警告音が短く鳴り、途切れる。

 次の瞬間——視界全体が、光の波紋で満たされた。


 干渉レンズが発する光子の帯が空間を揺らし、

 その一筋一筋がまるで“何かの記憶”のように脈打っている。

 指先をわずかに動かすたび、波面の形が変わり、

 光と闇の境界がひとつの“像”へと集束していく。


 ティアの呼吸が浅くなる。

 手のひらから、熱とも冷たさともつかない感触が伝わる。

 ——彼女が“触れている”。

 世界そのものの構造に、指先で。


 光子粒が干渉を起こすたび、観測空間がわずかに震えた。

 解析モニタに、微弱なデータの震えが記録される。

 ——1.02E−12秒の位相揺らぎ。

 沈黙の中の、確かな“存在の波”。


 ティアは息を吐く。

 その声は、ほとんど音にならなかった。


「……見えてきた。」


 光律レンズの中心に、微かに黄金色の線が走った。

 それはまだ形を成してはいない。

 だが確かに“そこにある”。

 誰も観測していなかっただけの、沈黙域の残響——。


 ティアは微笑みにも似た表情を浮かべた。

 光が、彼女の瞳に映り込む。

 ——観測は危険行為。

 それでも、彼女は止めない。


 彼女の存在そのものが、すでに“観測”そのものだった。


光律干渉レンズの手動再調整


 音が、消えていた。

 ブリッジ全体が呼吸を止めたかのように、沈黙の膜に覆われている。

 聞こえるのは、機械が吐く低い息と、ティア・レムスの指先が触れる微かな摩擦音だけ。


 メインモニタには、真っ白な空白が映っていた。

 自動観測システムは沈黙域のデータを「無」と判定している。

 何もない。

 ただの空間——そう、観測装置たちは告げていた。


 ティアはその画面を見つめながら、静かに息を吐く。

 眠らぬ瞳の奥で、光がわずかに震える。


 彼女は手元のロックを外し、封印されていた旧式の干渉レンズを起動させた。

 機械が古びた金属音を響かせ、薄い霧のような光子層を吐き出す。

 青白い光の粒が空間を漂い、ブリッジの闇にゆっくりと溶け込んでいった。


 ティアの指が、感圧パネルの上を滑る。

 光の波面がそれに応じてゆらめき、彼女の呼吸のリズムに合わせて形を変える。

 光と呼吸が、ひとつの律動を奏で始めた。


 その瞬間、機械音声がブリッジの静寂を破る。

 《⚠ 警告:手動観測は非推奨。光律過負荷の危険あり。》

 AI——リスコードが淡く浮かび上がり、仮想の瞳でティアを見つめていた。


 《観測者の生体波長が干渉域に接触。続行は危険です。》


 ティアは答えない。

 ただ、指先をもう一度ゆっくりと動かす。

 光子の波が応じ、波面がねじれ、やがて一点に集束していく。


 呼吸のリズムと、光の振動が完全に同期した。

 世界が、彼女の体内の律動に従って鼓動しているようだった。


 《……確認。手動観測、続行。》


 リスコードの声が途切れた。

 次の瞬間、ブリッジ全体がかすかに震えた。


 光の粒が空間の深部で干渉を起こし、

 その交点が、まるで“世界の構造そのもの”を震わせている。

 数値化不能のノイズが走り、映像が一瞬だけ歪んだ。


 ティアはその瞬間を、確かに見た。

 光の層が、何かの“輪郭”を描こうとしている。

 誰も観測しなかっただけの、存在の残響。


 ——観測とは、触れること。

 ——触れることは、壊すこと。


 彼女の指先に、微かな痛みが走った。

 静電のような、しかしそれは確かに“逆流”の感触だった。


 ティアの唇が震える。

 言葉にはならない。

 ただ、その瞳に宿る光だけが告げていた。


 ——沈黙の向こうに、まだ“誰か”がいる。


 光の波が、再び震えた。

 世界が呼吸する音が、微かに、戻り始める。



光律炉残響観測

シーン3 光冠クラウン現象の出現


 音が、再び消えた。

 ブリッジの空気は緊張に満ち、誰も息をしていないかのようだった。

 干渉レンズの中央に、わずかな波紋。

 光律干渉波が無限の位相を刻みながら、極点で震えている。


 ティアの瞳に、異変が映った。

 光子粒が、一点に吸い寄せられていく。

 それはノイズでも乱反射でもなかった。

 ——秩序だった、整然とした法則の光。


 空間の中心に、ひと筋の“金”が生まれた。

 最初は針のように細く、

 次の瞬間には、黒い虚空を裂くように走る。


 黄金光はゆっくりと、しかし確実に形を成していく。

 まるで何者かがこの瞬間を“待っていた”かのように。

 干渉レンズを通して観測される映像は、崩壊しない。

 むしろ、整然とした数学的美を宿して拡張していく。


 リスコードAIの声が割れるように響く。

 《解析不能。……パターン構造に再現性あり。推定信号:CROWN CODE。》


 ヴァルク中佐が息を呑む。

 「クラウン……? それは——」


 ティアが振り返る。

 その顔には、驚愕と確信が同居していた。


 「——光律炉の再起動信号……!」


 彼女の言葉に、リスコードの波形が乱れた。

 警告音が一瞬だけ鳴り、次いで全モニタが白く焼ける。


 黒い空を切り裂くように、一筋の黄金光が走った。

 それは天空を貫き、静止することなく広がっていく。

 黄金の輪——光冠クラウンが形成され、

 まるで神々の手で描かれた図形のように、夜空を包み込んだ。


 雲が焼ける。

 沈黙していたはずの大地が、応えるように震えた。

 観測データが焼き付き、モニタが一斉に明滅する。

 数値の羅列が意味を失い、ただ光の言語だけが残る。


 ティアは、その光を見上げていた。

 黄金の輝きが彼女の頬を照らし、影を消し去っていく。


 ——沈黙の都。

 崩壊の中心に眠っていたはずの場所が、

 今、再び“観測された”。


 光冠がゆっくりと回転を始める。

 その内部から、微弱な波動がステーションの外壁を震わせた。

 振動が共鳴し、機器が一斉に軋む。


 ヴァルク中佐が叫ぶ。

 「観測を停止しろ! 干渉レンズを閉じろ!」


 しかしティアは、動かない。

 彼女の瞳は光冠の中心に釘付けになっていた。


 そこに——“誰か”がいた。

 光の奥に、確かに“人の影”が見えた。


 それは、あの声の主。

 かつて“光律崩壊”の中心で消えた存在。


 黄金の光冠の中心で、

 少女の輪郭が、ゆっくりと形を取り戻していく。



観測者の共鳴(ティアの内的覚醒)


 音が、完全に消えた。

 機械の唸りも、警告音も、遠くの風の震えさえも。

 残されたのは——光の鼓動だけ。


 それは脈を打つように、静かにティアの胸を叩いていた。

 黄金の波長がステーションの壁面を通り抜け、

 彼女の体内へ、脳へ、そして心の奥へと浸透していく。


 モニタが一斉に点滅し、リスコードAIの声が途切れがちに鳴った。

 《警告——観測士脳波パターン、光律同調域に侵入。危険レベル:未定義。》


 ティアは耳を塞がない。

 彼女の視界の中心に、光冠が映り続けていた。

 その黄金はただの光ではない。

 脳の奥に、直接、形のない像を刻みつけてくる。


 ——人の姿。


 それは、微かな幻影だった。

 黄金の粒子が人の輪郭をなぞり、

 髪が流れ、衣がゆらめく。


 亡霊のように淡く、しかし確かに“そこに在る”。


 ティアの唇が震えた。

 「……あなた……?」


 声は届かない。

 それでも、光が応えた。


 ——観測を止めないで。


 その声は、音ではなく、記憶の奥から滲む“残響”だった。

 それは三年前、崩壊の記録に刻まれていた声。

 死んだはずの観測女王——エルミナ・アルヴァ=ラインの声。


 ティアの瞳が、光を映す。

 黄金の輪が瞳孔に重なり、静かに脈打つ。


 彼女の意識が、光律の波に呑まれていく。

 周囲の現実が溶け、ただ黄金の世界が広がった。


 “観測されること”と“観測すること”の境界が崩れていく。

 彼女の存在そのものが、光の中に再定義されていく。


 リスコードAIの最終報告が、遠くに聞こえた。

 《識別不能データ検出——観測士ティア・レムス、状態:Witness。》


 ——“観測者”の誕生。


 その瞬間、ティアの瞳に宿った光冠の反射が、

 まるで新たな星のように燃え上がった。


 沈黙の都が、彼女を見ている。

 そして彼女も、都を——見ていた。


データの転送・世界的衝撃


 アウロラ・ステーションの通信中枢が、低く唸りを上げた。

 ティアの観測ログが、自動バックアップのプロトコルを超えて——世界中へ拡散していく。


 止めることは、もうできなかった。

 それはデータではなく、現象だった。


 光律干渉波が通信網の全帯域に侵入し、衛星経由で各国のネットワークを走査する。

 ただの情報転送ではない。

 ——“観測結果そのもの”が、世界の構造に書き込まれていく。


 各地の受信ステーションが次々と警報を鳴らした。


 《観測報告:CROWN CODE/GLOBAL SYNC DETECTED》

 《光律炉共鳴開始——》


 リスコードAIの声がかすれ、機械の語尾が震えた。

 《……反応値上昇。世界規模の同期現象を確認。》


 遠く離れた大陸で、

 封鎖されていた光律炉群が、ひとつ、またひとつと再活性化を始める。


 沈黙していた都市が、再び心臓を打つ。

 冷え切った光導管の奥で、金色の脈が走った。


 夜空が、変わった。


 最初は、誰も気づかなかった。

 だが、数分後——地球のあらゆる地点で、

 微細な光粒子の帯が同時に発光を始める。


 その輝きは風に溶けるように揺らめき、やがて連なり、

 大気圏の高層でひとつの“環”を形づくった。


 ——光の環。


 沈黙域を中心に、世界を囲む巨大な黄金の輪。

 人々はそれを、空に浮かぶ新しい星の冠だと錯覚した。


 だが、それは祝福ではない。

 それは再定義の前兆だった。


 ヴァルク中佐がティアの肩を掴む。

 「何をした、ティア! 何を観測したんだ!」


 ティアは答えられなかった。

 ただ、光に照らされる窓の向こうを見つめていた。


 沈黙の都が、

 再び、世界を観測し始めたのだ。




再定義される世界


 モニタ群が、脈動するように明滅していた。

 スクリーンの一枚一枚が、まるで生き物のように息をしている。


 《CROWN REACTIVATION》

 《CROWN REACTIVATION》

 《CROWN REACTIVATION》


 ——その文字列が、滝のように流れ続ける。

 数字も符号も意味を失い、ただ光の奔流だけが残った。


 背後で、ヴァルク中佐が呆然と立ち尽くしている。

 誰も、何も言葉を発せない。

 アウロラ・ステーション全体が、ひとつの巨大な心臓のように脈を打っていた。


 ティアは、ただ黙って窓の外を見つめる。

 夜空には、黄金の環が浮かんでいた。

 その輝きは静かで、けれど圧倒的で——

 まるで、かつて“女王”が頭上に戴いていた冠のようだった。


 彼女の瞳に、その輪が映り込む。

 まるで、光そのものが“観測者”を選んだかのように。


 ティア(心の声)

 「観測されるということは……」

 「世界が、再び名を持つということ。」


 光の環がゆっくりと回転を始める。

 その中心に、沈黙域の座標が微かに浮かび上がる。


 ——そこに、再び“声”が生まれるだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ