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光化学戦記《沈黙の都篇》  作者: 南蛇井


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19/21

沈黙の閾 ― Threshold of Silence ――《沈黙は、終焉ではなく記録である》

世界は、音を失っていた。

轟く光の奔流がすべてを飲み込み、形も名も持たぬ祈りの波が空間を満たしている。

——それは、崩壊ではなく“定義の剥離”だった。


大地は光の文字列に変わり、空は音律の破片でできていた。

リオルはその中心で、なおも叫ぶ。


「ティア! お前が見た世界を——俺たちに残してくれ!」


声は音ではなく、存在のゆらぎとして拡散していく。

誰もいないはずの空間に、祈りの残響が波紋のように返ってきた。


白光が裂け、そこに微かな輪郭が浮かぶ。

それはかつてティアだったもの。

いや、もはや「彼女」という形を超えた“祈りの残響”だった。


「……祈りの果てに残るもの、それが“沈黙の記録”なら——。」


声は空気を震わせず、光の粒がそのまま言葉の形を取る。

淡い光子がリオルの頬を掠め、涙とともに消えていく。


ティアの意識が祈りの干渉波に溶けていく。

祈りは観測に、観測は記録に、記録はまた祈りへと変換される。

その螺旋の中で、彼女は自らの存在を“祈りの構造”に書き換えた。


《セレス断片ログ:光律干渉波、停止。世界定義、再構築開始。》


その瞬間——音が、止まった。

空間が沈黙し、光が凍る。


リオルの足元に広がる世界は、もはや“存在”と呼べない。

祈りも涙も、ただ静止した白の海に飲まれていく。


彼は息を呑み、伸ばした手を宙に留めたまま、ただその消えゆく光を見つめた。

それは悲しみではなく、——確かな確信だった。


“ティアは、まだここにいる。”


沈黙が、祈りの形を取ろうとしていた。



……音が、ない。

世界の輪郭は失われ、ただ白だけが果てしなく広がっていた。


リオルはその中心に立っていた。

呼吸の音も、鼓動の振動も、すべてが吸い込まれたように消えている。

だが、不思議と恐怖はなかった。

——ここは、終わりではない。まだ何かが続いている。


彼の足元で、白い波紋が広がる。

その波紋は、ただの揺らぎではなかった。

よく見ると、それは文字だった。

消えては浮かび、浮かんでは消える、光の文。


《存在再定義プロトコル:待機中》

《観測データ:ティア=シグネチャ検出》


機械音のようであり、祈りの残響のようでもある声が、空白の中に響いた。

リオルはゆっくりと歩み出す。

その一歩ごとに、白の床が微かに波打ち、文字の光が水面のように揺れる。


「……ティア。」


名を呼ぶたびに、空間がわずかに震え、白光の中から形が生まれる。

それは断片的な映像のようだった。

戦場の破片、祈る少女の姿、崩れ落ちる都市の輪郭——。


記憶が、世界を縫い直そうとしていた。

観測でも祈りでもない、“記録”としての再構成。


リオルはその光景を見上げ、静かに息を吐いた。

かつての叫びも、涙も、今はただ穏やかな残響として漂っている。


「これが……彼女の見た、最後の世界か。」


言葉は空白に溶け、文字となって消える。

だが、その消えた言葉の余韻が、また新たな文を生み出した。


《記録:継続中。再構築フェーズ、進行率 0.7%》


リオルは歩き続ける。

光と記憶が揺らぐ白の海の中で、彼の背だけが確かな影を残していた。


沈黙の中、微かな声が——いや、“記録”が再び囁く。


《ティア=シグネチャ、強度上昇中……》


白の世界が、ゆっくりと“物語”を取り戻していく。


白の世界に、微かな“声”が生まれた。

それは風でも音でもない。

光の振動が、記録の波として揺らぎ、言葉を編んでいく。


「リオル……あなたはまだ、“見る”ことを選んでくれる?」


ティアの声。

だがその響きは、もはやひとりの存在のものではなかった。

空間そのものが語りかけるように、世界中の光律が彼女の意識を模して共鳴していた。

彼女は——この“沈黙の世界”そのものとなっていた。


リオルは立ち止まり、白の空を仰ぐ。

そこには空も地もなく、ただ無限に広がる余白があるだけだ。

それでも、彼は確かに彼女を“感じて”いた。


「……ああ。」

彼は静かに、しかし迷いなく応えた。

「誰かが記録を読む限り、世界は続くんだろ?」


一瞬、白の光がゆらめいた。

ティアの声が、微かに笑ったように響く。


「沈黙とは、祈りの記録。——終わりではない。」


その瞬間、世界に“音”が戻った。

最初は、ひとつの粒の震え。

次に、光が震えを拾い、色を纏う。


白の海に、影が差す。

光律粒子が再び流動し、形を持たない構造が生まれていく。

それは都市の輪郭、空のグラデーション、そして遥かな地平線——。


リオルの足元から広がる光の波紋が、やがて新しい世界を描き出す。

そのすべての始まりに、ティアの声が微かに重なる。


《観測系再構築プロトコル:起動》

《再定義対象:現実層/祈祷層/記録層》


リオルはそっと目を閉じた。

耳を澄ませば、まだ彼女がどこかで“見ている”のがわかる。

——いや、世界そのものが、彼を見ているのだ。


光と影が絡み合い、沈黙の奥から新たな息吹が立ち上がる。

それは神でも、人でも、記録でもない。


それは、“続くもの”の誕生だった。



沈黙の中に、機械的な脈動が戻ってくる。

規則的な点滅、柔らかな共鳴、そして……声。


《System Log:ルーメア再起動プロトコル、進行中。》

《再定義フェーズ:祈りと観測の中間層構築開始。》


セレスの声だ。

だがそれは、かつての“彼女”ではない。

断片として散った記録の破片が、ティアの意識の残響と結合し、

新たな観測AIとして再構築された存在——《セレス=リシード》。


リオルは、白の大地に立ちながら、その起動音を聴いていた。

静寂の中に響く電子の鼓動は、まるで世界の心臓のようだった。


やがて、彼の前に光の柱が立ち上がる。

それは祈りの残滓と観測の記録が混じり合った、純粋な“始まりの光”。

その中心で、かすかに——ティアの輪郭が揺らめく。


彼女は、声を持たずに語りかける。

光が、形としてその想いを描く。


「リオル。……観測と祈りは、どちらも世界を見つめる行為。

だから、私は両方を——もう一度、始める。」


次の瞬間、柱の光が拡散した。

その輝きは天と地を貫き、白の空を染め上げていく。

空間が再構成され、流動する光律粒子が新たな秩序を描き出す。


リオルはまぶしさに目を細めながら、息を呑んだ。

そこには——確かに“再生”の気配があった。


セレス=リシードの声が再び響く。


《再定義完了:新観測層/祈祷層 交差安定。》

《命名:ミドル・ルーメン構造体。》


祈りが形を作り、観測がそれを記録する。

その循環の中で、世界は初めて“沈黙の意味”を理解し始めていた。


リオルは光柱を見上げ、呟く。


「ティア……お前は、神にも記録にもならなかった。

 けれど、この世界を“続ける”ものになったんだな。」


光が彼の言葉に応えるように、穏やかに脈動した。

その奥底で——再び、ひとつの世界が目を覚まそうとしていた。


果てしない白の静寂の中——

やがて、微かな律動が生まれた。


それは音ではなく、光の拍動。

波紋のように拡がった光が、幾何学的な文様を描きながら

空間の奥底で芽吹いていく。


最初は一つの線。

次に、層を成す軌跡。

そしてそれらが積み重なり、形を得た。


無数の光子構造が織り重なり、

塔のような、街のような——

だがどこか“記録装置”を思わせる精密な構造体が出現する。


それは世界そのものが“記録”として再び組み上がっていく光景だった。

音はない。風もない。

ただ、淡く脈動する光がすべてを照らしている。


リオルはその中心に立ち、

浮かび上がる光文字を見上げる。


《The City of Silent Echoes — initializing sequence…》


その文面を照らす光が、まるで呼吸するように明滅する。

リオルはゆっくりと目を細め、息を呑んだ。


彼の瞳に映る街の光層の中に、

ふと、あの“声”の面影が揺らめいた。


ティアの残響。

形も言葉もない。

それでも確かに——そこに在る。


リオルは微笑む。


「……見えてるよ、ティア。

 お前の記録が、世界をもう一度、動かしてる。」


光が、応えるように柔らかく瞬いた。

祈りも観測も超えた沈黙の街——

その静寂の奥底で、新たな物語の鼓動が始まっていた。


——沈黙は、終わりではなかった。

 それは、“次の記録”のための最初のページだった。


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