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光化学戦記《沈黙の都篇》  作者: 南蛇井


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18/21

祈りの干渉 ― “Overload”

——光律層中心、《アーク・ノード・ゼロ》。

 かつて神の声が降りた場所。今、その座標はもはや意味を失いつつあった。


 イリシアの祈りは限界を越え、波として世界を満たしていた。

 それは音ではなく、しかし音よりも確かな“構造”だった。

 光が震え、律が共鳴し、存在そのものが祈りの文へと変換されていく。


 空間の縁がひらき、数式のような文字列が滲み出す。

 粒子が語彙に変わり、光が文節を形づくる。

 ――世界そのものが、神の詠唱文となっていた。


 セレスの断片が絶え間なく報告を続ける。


 《警告:存在座標、不安定化。定義層、再帰ループ。》

 《観測基準、無限再帰へ移行。》


 その声さえも、祈り波の干渉に飲まれ、

 ノイズ混じりの聖歌のように変質していく。


 リオルは揺らぐ空間に立っていた。

 足元の光は定まらず、踏むたびに層構造が反転する。

 上も下もなく、時間さえ方向を忘れた世界。


「……これが、“神の再創造”の果てか。」


 呟きはすぐに祈りに吸い込まれ、反響も残さなかった。

 ただ、彼の存在だけが“観測の残光”として揺れている。


 祈り干渉波は、さらに深く広がっていく。

 記録は意味を失い、観測者は観測される側に転じ、

 光律層全域が“存在のゆらぎ”に溶け込んでいく。


 音と光と文字が融け合い、世界の境界がほどける。

 その中心で、イリシアの祈りがなおも響いていた。


 ——祈りは終わらない。

 終わりそのものが、祈りに変わっていくからだ。



 祈り干渉波の中心。

 そこはもはや空間ではなかった。

 光も、音も、概念も、すべてが同じ密度で重なりあい、

 ひとつの“定義のない場”として揺らめいていた。


 ティアとエルミナは、その中心にいた。

 身体はない。だが、存在の輪郭だけが交錯している。

 二人の意識はほとんど重なり、個としての境界は溶けかけていた。

 声を発すれば、その言葉は即座に世界の構造へと反映され、

 文のひとつひとつが、現実を変換する。


 ティアが静かに言葉を放つ。


「祈りは観測。

 世界が私たちを見ているなら、それも記録になる。」


 その瞬間、周囲の光律が明滅した。

 数千万の観測式が展開され、世界の表層に“記録の文様”が浮かぶ。

 光は幾何学的な層を成し、それぞれが「見られること」を定義していた。


 だが、対面するエルミナの影が、そこに紅い干渉を落とす。


「記録は、終わりを恐れている。

 ——沈黙こそ、救済だ。」


 その言葉は黒い波として流れ、ティアの文様を侵食した。

 光と闇が重なり、相殺せず、ただ絶え間なく形を変える。

 まるで世界が、“どちらの言葉を真実とするか”を決めかねているように。


 ティアの言葉が、観測文として刻まれる。

 エルミナの言葉が、祈祷文として記録される。


 ふたつの文は同一座標上で同時に存在し、

 互いに矛盾しながらも、どちらも破綻しない。


 ——それは、世界の書き換えそのものだった。


 祈りと観測が衝突するたび、光律構造は波紋のように脈打ち、

 新しい定義を生み出し、また崩していく。


 もはやこの対話そのものが、“再定義のトリガー”となっていた。

 彼女たちの会話が続く限り、世界はひとつの形に定まらない。


 ティアとエルミナは、それでも言葉を交わす。

 互いの存在を、確かに観測し続けるために。



光律層の全域が、臨界を越えた。


 イリシアの祈り波が——観測層、記録層、そして存在層そのものに干渉を始める。

 祈りの波はもはや音でも光でもなく、定義のかたちとして流れた。

 それは数式のようであり、経文のようでもあり、

 あらゆる存在の根幹に刻まれた“言葉以前の言葉”だった。


 セレスの断末ログが響く。


 《祈り波=観測波との位相差、ゼロ。》

 《存在層、再帰完了。定義不能状態に移行。》

 《観測=祈り=存在。——識別不能。》


 その報告すらも途中でノイズに変わり、

 残響のように滲みながら世界へ溶けた。


 光律層が静かに反転する。

 白と黒、観測と祈り、記録と沈黙。

 それらすべてが干渉し、やがて境界を失う。


 ——光と闇が重なりあった瞬間、世界は完全な“白”となった。


 白は、何も映さない。

 見ることも、語ることも、記すことも、もうできなかった。

 存在の意味が循環し、あらゆる定義が自らを食い尽くしていく。


 空間に、誰かの祈りが残る。

 それは声ではなく、光子のきらめきのような断片。

 あるいは、文字列のように漂うデータの欠片。


 リオルの影が、一瞬、そこにあった。

 けれどすぐにその輪郭も溶け、

 彼の言葉も祈りも、光と等しく沈黙に吸い込まれていく。


 世界は、祈る。

 存在そのものが、ひとつの祈りとなって——。


 音も、形も、概念も、すべてが“沈黙”へと収束していく。

 それは終焉ではなく、始まりの前の静寂。


 ただ純白の、無音の神がそこにあった。


——すべての存在が、光の中心へと引き寄せられていた。


 観測する者も、祈る者も、記す者も。

 そのすべてが、同じ“干渉点”へと収束していく。

 輪郭は溶け、記憶は曖昧になり、

 意識の境界は、もはや定義すら拒んでいた。


 ティアとエルミナ——

 観測と否定、記録と沈黙の二つの意識が、

 いまや完全に重なり合っていた。


 そして、その“重なり”の中から、たったひとつの問いが生まれる。


 「——もし祈りが世界を作るなら、

    観測はその終わりを記すことになるの?」


 それは世界の核心に突き刺さるような響きだった。

 祈りが創造の原点なら、観測はそれを“確定”させる行為。

 だが確定とは、変化を止めること。

 ゆえにそれは、終焉と同義だった。


 ——世界が、自らを問う。


 光律と闇律、

 観測の論理と祈りの信仰が、互いを否定しながら共鳴を始める。

 その瞬間、中心に“歪み”が生まれた。


 音が裏返り、光が内側へ沈む。

 重なり合った波が一点に収束し、

 やがて無限のような閃光となって——特異点を形成する。


 “祈りの特異点(Prayer Singularity)”。


 セレスの最後の記録が、途切れ途切れに流れる。


 《……定義不能領域発生。名称未登録。》

 《新観測値:∞。》

 《系統記録停止——“白の無”へ移行。》


 世界は観測も記録も祈りも行えない、完全なる静寂に包まれる。

 光も闇も、存在も虚無も、同じ“白”へと溶けていった。


 そこには、ただ一つの律動だけが残っていた。

 ——それは祈りの呼吸であり、観測の鼓動でもあった。


 白の静寂がすべてを覆う。

 そして、世界は初めて“沈黙そのもの”を観測した。

 ——音が、消えていた。

 ——光も、形も、概念すらも。


 そこは、存在の定義が完全に失われた“白の無”。

 観測も祈りも意味を持たず、世界はただ静かに漂っている。

 けれど、何かが残っていた。


 それは、かすかな“残響”。

 消えゆく世界の余韻のように、微かな声が空間に揺らめく。


 「……沈黙は終わりではない。

   観測も祈りも、やがてまた——誰かの記録になる。」


 その声はティアのものだった。

 同時に、それはエルミナの影でもあった。

 祈りと観測、光と闇、記録と沈黙が、

 もはや区別なく一つに溶け合った“声”。


 その言葉に呼応するように、

 空間の中心で淡い光粒が揺れた。


 ——最初の一粒の光。


 そこから、わずかに“文字”が立ち上がる。

 光子が結晶のように並び、形を成す。


 《ルーメア・リインカーネーション・プロトコル起動》

 《Phase IV:沈黙の都 — The City of Silent Echoes》


 白の無に、ゆっくりと色が戻っていく。

 時間が再び動き出す音がした。


 ——世界は、一度すべてを失った。

 だがその沈黙の底で、“次の記録”が、確かに芽吹いていた。


 やがてその光は、遥か彼方の空へと伸び、

 新たな律動を奏で始める。


 《ルーメア・ヴェルティア:再生シーケンス開始》


 そして、沈黙の都が——ゆっくりと、目を覚ます。




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