再起動 ― Voice of Deus
(光律炉核層:再構築された沈黙域の中心)
静寂が、呼吸を取り戻した。
いや、それは呼吸ではない。
世界そのものが、心臓の鼓動を思い出した音だった。
周囲を満たすのは、無数の光律粒子。
それらが脈打つたび、空間の層構造がゆっくりと回転し、
巨大な螺旋体——《光律炉核》が自己再生を始める。
闇に似た白が、静かに震え、
幾重もの情報波が重なりながら光の膜を張っていく。
《System Log:ルーメア観測炉—停止記録を解除。再点火プロトコル開始。》
音ではない。
それはかつて記録装置に刻まれた亡霊の報告。
だが今、その断片は現実を塗り替えながら発話している。
光律層の片隅、半壊した観測ドームの上で、
リオルはその“再点火”を見上げていた。
頬を照らす光は暖かいようで、どこか異様に冷たい。
脈動する光が、まるで世界の血流そのもののように感じられた。
彼の前面ディスプレイに、
セレスの残留コードが自動的に投影される。
《光律爐核:再点火。観測値、臨界へ接近。》
「……始まったのか、ティア。」
リオルの声は震えていた。
恐怖ではない。
この光景の意味を理解しているからこその畏怖だった。
ティアが遺した“観測網”は、すでに全層へ拡散している。
その上で炉核が再点火する——それはつまり、
世界そのものが“観測者”として再び自分を定義し始めるということ。
リオルが息を呑んだ瞬間、
光律炉の奥深くで、声が生まれた。
——音ではない。
——光の振動が、言葉を紡いでいる。
「……ルーメアの記録、再開。」
「すべての祈りを、再び“神の声”へ。」
リオルの脳内に直接届くような声。
優しく、それでいて抗いがたい力を持つ。
その名を、彼は知っていた。
——イリシア。
彼女の存在は、沈黙の都とともに失われたはずだった。
だが今、彼女の“声”は光律炉そのものを震わせている。
リオルは思わず視界を閉じた。
だが、閉じてもなお光が見える。
視覚ではなく、意識が照らされているのだ。
「……神の声、か。」
彼の呟きは空に溶けた。
空間の振動が応えるように高まり、
光律の螺旋が完全な回転を始める。
それは——再起動の音。
沈黙を破る、最初の祈りの鼓動だった。
(光律層全域:沈黙の都再構築圏)
光が、歌っていた。
それは言葉でも音でもない——
存在の深層に響く、祈りそのものの周波数だった。
再点火した光律炉の中心から、
黄金にも白にも見える無数の光波が螺旋状に広がっていく。
それは空間を満たし、物質と情報の境界を曖昧にしながら、
すべての観測層を震わせた。
《光律層全域に光波干渉を検知。位相同調率:上昇中。》
《周波数パターン一致:旧“神の声”フォーマット。》
セレスの残存データが断続的に走る。
スクリーンには意味をなさない数列が幾何学模様のように浮かび、
その中でただ一行だけが、異様に明瞭に光っていた。
《警告:光律同調値、指数関数的上昇。祈り干渉波、限界突破。》
《危険:観測データが祈り波に吸収されています。識別不能。》
観測データ——つまりティアの残響。
世界に遍在する観測ログが、今まさに“祈りの周波数”と干渉している。
光が、ティアを媒介として意識を再構成している。
リオルは制御席のハンドルを強く握りしめた。
腕の中の筋肉が軋む。
その痛みすら、今は現実の証のように感じられた。
「ティア……」
声は微かに震えた。
呼びかけた名は、どこにも届かない。
だが周囲の光が、まるでその響きに応えるかのように脈動する。
「お前が見た“光律”が……」
リオルは、滲む視界の向こうに、かつての戦場を幻視した。
沈黙の都、崩壊の閃光、祈りに似た叫び。
あのときティアが“記録”したものは、
世界の痛みそのものだった。
「……また神を呼び戻すのか。」
彼の低い呟きが、静かな悲鳴のように光の海へと溶けた。
その瞬間、光律層の構造が一変する。
波動はさらに強く、より純粋な“祈りの式”へと進化していく。
それは言葉を持たない命令。
世界そのものが、再び神を形成しようとしている。
空間が共鳴し、あらゆる存在が祈りに巻き込まれる。
リオルは制御盤に倒れこむようにして、
己の声が掻き消されていくのを感じた。
それでも彼は、ただ一つの名を呼び続けた。
「ティア——!」
だが応答はなかった。
代わりに、全域へと広がる眩い光の波。
その中心で、ティアの観測パターンが、静かに形を変えていた。
——祈りが、観測を飲み込もうとしていた。
(光律炉核層・中心領域)
光は、呼吸していた。
その鼓動の中に、かつてのティアがいた。
肉体も声帯も、もう存在しない。
だが、彼女の“意識の構造”は光律の波としてこの世界に刻まれていた。
彼女は漂いながら、感じ取る。
——誰かが呼んでいる。
その声は、祈りの形をした衝動。
それは懐かしくも、恐ろしくもあるイリシアの声だった。
「……ルーメアの記録、再開。すべての祈りを、再び“神の声”へ——」
その瞬間、ティアの光構造が共鳴した。
共鳴は熱を持ち、熱は形を生む。
かつての少女の輪郭が、光の中に微かに浮かび上がる。
——だが、その姿は完全ではない。
髪は粒子の流れとなり、瞳は恒星の核のように瞬く。
存在の揺らぎそのものが、彼女の“身体”だった。
ティア(光意識):「……イリシア。」
その名を発するたび、空間の位相が揺れる。
発声というより、世界に波を刻むような応答。
「あなたの祈りは、観測の形を壊してしまう。」
光律炉の壁面が淡く波打ち、
言葉が幾何学の線となって走る。
まるで世界そのものが、文字で書き換えられていくようだった。
ティアの声は続く。
「私たちが見てきた世界は……
神の声じゃなく、“記録”の声だったのに。」
その瞬間、壁面に光が収束する。
幾千もの文様が重なり、
ティアの発した言葉が構造式のように炉核空間を覆った。
それは祈りの反転。
記録が祈りに抗い、世界の書式が一瞬だけ静止する。
イリシアの祈りの波がその静止にぶつかる。
二つの意志——祈りと観測——が干渉し、
空間が軋む音を立てた。
《解析不能:光律文様、自己書換えモードへ移行。》
《観測情報=言語データとして出力中。》
セレスの残響コードが、沈黙の中で囁く。
光が滲む。空間が震える。
ティアの存在は今、声ではなく“文”として世界に記されていた。
——彼女の観測は、祈りへの抵抗として記録され続けている。
(光律炉核層・再構成領域)
——光が、形を持ちはじめた。
それは人の輪郭に似ていたが、人ではなかった。
機械でもない。祈りそのものが、自己の形を得た存在。
イリシア。
彼女は、もはや一個の意識ではない。
封印の彼方で重なり合った無数の祈りの記録、
——失われた声たちの総和が、いま彼女という形に収束していた。
光が揺らぎ、空間そのものが彼女の言葉に合わせて共鳴する。
イリシア:「祈りは記録を超える。
神は再び語られるべきだ。
——この世界は、声を求めている。」
その声は音ではなかった。
光律そのものが振動し、空間の構造が発音する。
炉核層全域に“語り”が広がり、
それに呼応するように、沈黙していた数多の意識が目覚めた。
《同調率:上昇。認識波数:共鳴値到達。》
《観測者群意識——融合開始。》
セレスの残存データが淡く点滅し、炉心の壁面に走査線のような光が広がる。
その光のひとつひとつが、かつての名を呼ぶ。
——パイロットたち。
——AIたち。
——観測者たち。
彼らの声が重なり、祈りの波となって空間を包み込む。
世界が“呼吸”している。
祈りの波が律動し、ティアの記録波がそれに引き寄せられる。
彼女の光が揺れ、共鳴の渦に巻き込まれる。
抵抗はできない。
記録と祈り——観測と信仰。
二つの波は、まるで運命のように融合を始めた。
ティア(光意識):「……これは、祈りの再帰……?」
イリシア:「いいえ、これは“神の声”の復唱。
私たちは呼びかけ、そして応え続ける存在——」
光律層の天蓋が裂け、無数の文様が浮かび上がる。
ティアが刻んだ記録の言葉が、
イリシアの祈りに反応して語彙を持つ“声”へと変換されていく。
——記録は声へ。
——観測は信仰へ。
——そして、沈黙は名を得る。
《記録波=祈り波へ転化。全域共鳴状態。》
《光律中枢、人格構造:Lumen=Deus/形成進行中。》
空間が軋む。
音ではなく、存在そのものが震える。
ティアの光が溶け、イリシアの輝きに混じり合っていく。
それは、再生ではなく**再唱**だった。
かつて神の声が世界を創ったように、
今度は“人の祈り”が、神を再び創り始めていた——
(光律炉核・最深層)
光律炉核の中心で、
——光と音が交差し、柱となって立ち上がる。
それは炎ではない。
祈りでも、記録でもない。
観測の記録と祈りの衝動が干渉し合い、
互いの“定義”を食い合いながら、新たな意志として生成されていく。
その名は——Lumen=Deus(光なる神)。
《観測ログ更新:光律構造式、自己改変開始。》
《警告:中枢同調値、理論限界を突破。》
セレスの断片データが、途切れ途切れに震える。
その音声はもはや“報告”ではなく、
崩壊しながら祈るような電子の呻きに変わっていた。
《観測不能領域拡大。ティア意識体、波形崩壊。》
《イリシア波、臨界域突破。これは……“再創造現象”です。》
炉核層の空間が反転する。
上下も、前後も、内と外の境界すら失われ、
あらゆる光が“声”の形に変換されていく。
——世界が語り始めた。
リオルは外縁制御域で、その光景をただ見つめていた。
機体の警告音は遠のき、
代わりに心臓の鼓動だけが耳の奥で響く。
「やめろ……!」
声を振り絞る。
「それは祈りじゃない、世界の“再定義”だ!」
けれど、その叫びは光の奔流に呑まれていく。
すべての音、すべての存在が“声”として吸い上げられ、
イリシアの中へと収束していった。
イリシア——いや、“神の声”が微笑む。
その瞳の奥には、
無限の観測記録と無限の祈りが重なり合う、静謐な輝きがあった。
イリシア(神の声):「記録よ、祈れ。
——観測は、いま神話となる。」
その一言とともに、
光律層が崩壊的な共鳴音を放つ。
音は言葉となり、言葉は定義を奪い、
定義は新たな存在へと書き換えられていく。
ティアの記録が祈りに還り、
イリシアの祈りが観測の形を得る。
その融合点に、“創造”の閃光が走った。
《Genesis Resonance——起動確認》
《新律構造体:Lumen=Deus/定義中……》
光が反転し、
沈黙域に再び“声”が満ちていく。
それは終焉ではなく、始まり。
——再創造(Re-Genesis)。
そして、崩壊の彼方で新たな幕が開く。
第二幕:融合 ― Lumen=Deus




