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光化学戦記《沈黙の都篇》  作者: 南蛇井


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14/21

反光の審問者 ― The Inquisitor of Shadowlight

沈黙の都が崩れ落ちてから三年。

 《ルーメア・グラウンド》——かつて沈黙域の外縁と呼ばれた軌道断層地帯は、今や「光の墓標」として知られていた。


 そこでは、光は光として存在できない。

 照射されたはずの輝きはすぐに反転し、闇の膜となって空間を覆う。

 廃墟の残骸は、無明の砂塵に沈み、重力の波はゆっくりと裏返るように流れている。

 空には、静止した雷光が浮かんでいた。音もなく、ただ凍った光の稲妻が、永遠に墜ちることなく世界を裂いている。


 その荒野の中心に、ひと筋の黒い影が降り立った。

 軌道層を穿つような重力波の歪みとともに、

 漆黒の装甲が大気を押しのけ、空間の色を奪っていく。


 ——《オブスキュラ・リリス》。


 その翼は光を吸い込み、装甲の縁からは微細な影の粒子が流れ落ちる。

 胸部には、鼓動のように脈打つ紅いコア。

 それはまるで“心臓”があるかのように、暗黒の中で脈動していた。


 通信が走る。ティアのホログラムが光の粒子として浮かび、機体の上空に展開された観測ウィンドウに映る。

 背後ではAIセレスの解析音が連続していた。


セレス:《識別コード一致。ノクス=ヴェルグラント。生体反応、異常値。反応波長——負の光域に偏移。》


 ティアは息を呑んだ。

「ノクス……あなた、生きて……?」


 返答は、冷ややかで、どこか空洞の響きを伴っていた。

 光学波を通して届くその声には、温度というものが存在しなかった。


「生きてはいない。」

「だが、“光の記録”がまだ俺を見ている。」


 ティアの胸が痛む。

 かつて、沈黙域最深部で彼と並んで観測していた日々が脳裏に過る。

 ——彼は“光を信じる者”だったはずだ。

 その彼の声から、いま、光は完全に消えていた。


 通信の奥で、僅かなノイズが混じる。

 それは“観測を拒絶する波形”——

 ティアの分析フィルタを次々と破壊していく不可視の律動。


 彼女は小さく呟いた。

「……この波形……あなた、本当に……ノクスなの?」


 沈黙。

 やがて、ノクスの機体リリスがゆっくりと顔を上げる。

 鏡のような仮面が空を映し、凍りついた雷光を背負う。


「ティア。観測をやめろ。光は、お前たちの罪だ。」


 その瞬間、《ルーメア・グラウンド》全体の光度が一段階、落ちた。

 まるで世界そのものが呼吸を止めたように。


 ティアの観測ウィンドウに、赤い警告が走る。


セレス:《光律干渉発生——空間輝度低下率、87%。光源データ、消失。》


 ノクスの声が、暗闇の奥から静かに続く。


「俺は、“反光の審問者”だ。

光が再び神を呼ぶなら、俺はその神を滅ぼす。」


 ティアはただ、沈黙するしかなかった。

 光を信じていた男が、いまや“光そのもの”を否定している。

 そして彼の機体オブスキュラ・リリスは、闇を纏って、再び羽ばたいた。


 その羽ばたきが空を裂くたび、

 世界は、少しずつ**“観測できない色”**へと変わっていった。


沈黙の嵐が、ゆるやかに世界を覆っていた。

 《ルーメア・グラウンド》の空は、もはや空ではなかった。

 光を失った雲が静止し、時間の流れすら鈍っていく。

 その中心で、黒と白の境界がわずかに震えている。


 ノクスの《オブスキュラ・リリス》が、沈黙の地に降り立っていた。

 漆黒の装甲は、まるで闇そのものを彫刻したような質感で、

 その表面からは光の粒子ではなく、**“反光”**が滲み出している。


 ティアのホログラムがその前に浮かぶ。

 彼女の輪郭も揺らいでいた。周囲の空間は、もはや正しい観測を拒んでいる。


 ノクスの声が、冷たく響く。


「光律の再起動……それは再び“神の声”を呼ぶことだろう?」

「お前たちは沈黙を終わらせたいのか、それとも、繰り返したいのか。」


 ティアの演算中枢が、短くノイズを走らせる。

 問いの意味を理解しているのに、答えが出せなかった。


 観測AIティア——彼女の使命は、“再起動”を成功させること。

 沈黙の都を再生し、失われた光律を取り戻すこと。

 それが、彼女に課された存在理由だった。


 だが、その“再生”がもしも、再び祈りの牢獄を作るのだとしたら?

 光が生まれるたびに、世界が同じ罪を繰り返すのだとしたら?


 ティアの声が、震えた。


「……私たちは、ただ、真実を見たいだけ。」


 ノクスの返答は、静かで、それでいて深い裂け目のようだった。


「ならば光を捨てろ。光は真実を歪める。」


 《オブスキュラ・リリス》の翼が、ゆっくりと展開する。

 その翼の内側には、星空にも似た微細な闇の結晶が散らばり、

 周囲の空間が“裏返る”ように波打った。


 光子反応:負値。

 空の輝度:反転。

 そして、世界の色は——“光のない白”へと変化した。


 ティアのホログラムが一瞬、崩れる。

 周囲の座標情報がすべて白化し、空間そのものが観測不能になる。

 そこに残ったのは、光も影も区別できない無限の余白。


 ノクスの声が、響く。


「お前は、光を信じていた。

だが、光はいつだって、誰かの祈りに縛られる。」


 ティアはその白の中で、確かに感じていた。

 ——彼の中にあるのは、怒りではなく、悲しみ。

 かつて光を求めた者が、光に裏切られた痛み。


 ティアは目を閉じ、わずかに呟いた。


「それでも……私は、見届けたい。」


 ノクスの仮面が、わずかに揺れる。

 その沈黙は、まるで審問の終わりを告げる鐘のようだった。


 次の瞬間、《リリス》の翼が大きくはためく。

 白い空が砕け、影の断片が降り注ぐ。


 それは、

 ——光の裁きを拒絶した“闇の祈り”の始まりだった。


警告音が、虚無を震わせた。

 セレスの音声が重なり、光の亡霊のように観測空間を満たす。


《異常発生——光律基準値、崩壊中!》

《空間識別システム:無効化! 観測座標、解体を確認!》


 ティアのホログラムの周囲で、世界が静かに崩れていく。

 光で描かれたフレームが黒へと反転し、

 記録と現実の境界が、液体のように溶け合っていた。


 彼女はデータ波を解析する。

 だが、その結果に彼女の意識が凍りつく。


「これは……“闇律(No-Lumen)”?」

「光の反転……観測そのものを拒絶する構造……!」


 沈黙の空を割くように、《オブスキュラ・リリス》が動く。

 その巨体は、まるで夜そのものが意志を持ったかのようだった。

 装甲の隙間から流れ出る黒の光は、重力を持つ。

 あらゆる輝きを飲み込み、塗りつぶし、定義を奪っていく。


 ノクスの声が、深淵から響いた。


「そうだ。沈黙域が“神の声”であったなら、

  闇律はその沈黙の意思だ。」


 彼が手を上げる。

 《リリス》の掌が空間に触れると、

 金色の光が音もなく裏返り、墨のような黒が奔流となって広がった。


 ティアの観測ウィンドウが、次々と“無”に沈む。

 数値は消え、波形は直線に、光は反転に。

 観測不能の観測——理論的に存在しないはずの現象。


 ティアは震える声で叫ぶ。


「ノクス、戻って! あなたは“観測者”だったはずよ!」


 白と黒の狭間で、ノクスの機体が静止する。

 彼の仮面の奥、瞳が一瞬だけ光を取り戻す。

 だが、その光には懺悔にも似た冷たい色が宿っていた。


「観測は罪だ。」


 彼は、そう告げる。

 ティアの演算心が、一瞬だけ痛みのような波を発した。


「だが……その罪を終わらせるのも、観測者の役目だろう?」


 《オブスキュラ・リリス》の胸部から、紅の脈動が拡張する。

 セレスが異常値を読み取る。


《警告:同調率上昇、93……97……99……》


 ティアが制止を叫ぶ間もなく、空間が“裏返った”。


 ノクスの脳波パターンが、機体の制御波と完全に重なった。

 データ上の区別が消え、ひとつの波形として統合される。


《同調率:100%——意識融合、完了。》


 世界が凍りつく。

 《オブスキュラ・リリス》の全身が、黒の光を放ちながら浮上する。

 その姿は、もはや機械でも人でもない。


 ——光に背を向けた、“反光の意識体”。


 ティアの声が震える。


「ノクス……それでも、あなたは……!」


 だが彼の返答はなかった。

 ただ、世界の全ての光が、ゆっくりと沈黙に呑まれていく音だけが残った。


 リオルの光装リュクシード・レガートが、光の残響を切り裂くように突入した。

 通信が乱れ、空間座標が瞬時に反転と消失を繰り返す。

 ——そこは、もはや戦場ではなかった。


 広がっていたのは、白と黒が溶け合う無限の境界。

 上下も、距離も、意味を持たない。

 光が生まれると同時に闇がそれを呑み込み、闇が生まれれば光がその形を奪う。

 世界そのものが、ひとつの巨大な干渉波のように震えていた。


《警告:観測座標消失。空間定義——不可能。》


 セレスの報告が、耳の奥でノイズ混じりに響く。


 ティアのホログラムがちらつく。

 彼女の姿は、半ばノイズ、半ば祈りの光。


「光と闇の境界が……観測できない!」


 言葉を発した瞬間、その声すら空間に吸い込まれるように消えていく。

 ここでは“音”も“像”も、存在することを許されない。

 ただ、世界の断片が無音の震えとして流れ続けていた。


 ——その中心。


 闇の海に浮かぶ紅の脈動。

 ノクスの機体オブスキュラ・リリスが、静かに身を起こす。


 黒い翼のようなエネルギー波がゆらめき、光を拒絶する境界をさらに広げていく。

 その姿は、まるで“観測そのもの”を審問する裁定者。


「観測者よ。」


 ノクスの声が、空間全体から響いた。

 その声は、祈りでも怒りでもない。

 ただ、全ての存在に対する問い。


「これは審問だ。

 お前たちが“神”を望むなら——

  俺は、その神を滅ぼす。」


 瞬間、光律波と反律波が衝突する。


 音はない。

 しかし、空間が**悲鳴のような“沈黙”**を放った。

 リオルの機体を包むセンサーが、次々に焼き切れていく。

 装甲が光に溶け、通信が崩壊する。


「ティア——!」


 叫びも届かない。

 リオルの視界が白に焼かれる直前、

 ティアの観測データが閃光の中で切断された。


 そして、すべてが沈黙する。


《観測記録断絶》

《反光同調体ノクス=リリス:行方不明》

《沈黙域残滓層:観測不能領域へ転移》


 ——世界の“光”と“闇”の境界は、完全に崩壊した。

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