模倣の子 ― Children of Imitation
沈黙の都が崩壊してから、三年の歳月が過ぎていた。
それでも、世界の空はまだ傷を癒やしきれてはいない。
ところどころに残る光の膜が、まるで記録の残滓のように揺らめき、空間そのものが微かに軋んでいた。
低軌道《トルヴァン境界帯》——かつて光律炉の断片が降り注ぎ、沈黙と再生の狭間に閉ざされた地。
そこに、観測機構の新たな拠点と実験戦域が築かれている。
試験目的は一つ――“失われた光律”の再現。
戦域中央のハンガーで、ひときわ異質な光装機が静かに姿を現していた。
《リュクシード・レガート》。
光子反応装甲を持ち、過去の光場そのものを“模倣”できる――実験機。
パイロットシートに座るリオルは、指先に走る微弱な振動を感じていた。
それは機体の鼓動か、自分の心臓の音か。
どちらとも判別がつかない。
ヘルメットの内側から、通信が入る。
それはもう、かつて肉体を持っていたティアの声ではない。
観測AI《Tia-Link-01》として再構成された、淡い電子の響き。
「リオル、通信安定。レガートとの神経同調率、93.2%。……落ち着いて、深呼吸を。」
「わかってるよ、ティア。こっちは、もう慣れたさ。」
嘘だった。
沈黙の都で失われたすべてを思い出すたび、胸の奥にまだ痛みが残っている。
だが、もう止まるわけにはいかなかった。
セレスAIの冷たい声が、戦域に響く。
《模倣演算核、起動。光場再現率――89%。対象:光装戦術記録群。》
リオルはモニタに映る戦場の輪郭を見つめた。
そこには、かつて自分が“失った光”が確かに映っていた。
あの日、沈黙の都を包んだ黄金の残響。
それが今、AIの手で再現されようとしている。
「……あの日の戦場を、模倣するってわけか。」
ティア:《観測目的は、光律反応の再構成。戦うためじゃないわ。》
「でも、戦いを再現するってことは、誰かが“見ていた”記録があるってことだろ。」
ティアは短く沈黙した。
そして、かすかなノイズを含んだ声で答える。
《そうね。誰かの“祈り”が、まだ記録の中で生きている。》
リオルは深く息を吸い、操縦桿を握った。
機体が青白い光を放ち、重力を失う。
静寂の宇宙に、ひとつの光が生まれる。
再び、観測の物語が始まろうとしていた。
模倣演算核が、静かに目を覚ました。
次の瞬間、戦域全体が金色の波動に包まれる。
空虚だった軌道空間に、光の粒子が流れ込み、やがてそれは形を成していく。
《トルヴァン境界帯》——三年前、沈黙戦の最終防衛線。
無数の軌道デブリが、記録の中の残響として再生されていく。
崩れ落ちた光装機、散った祈りの残音、そして――あの、光律の渦。
それは、記録の海。
ティアの解析データが空間全体に投影され、
まるで宇宙そのものが“記録媒体”になったかのようだった。
ティア:《模倣光場、展開完了。……戦域座標、誤差0.03。成功率、予想以上ね。》
リオル:「これが……あの時の戦場か。」
彼は視界に映る光の地平を見つめる。
無音の爆光。祈りの残滓。
全てが懐かしいのに、同時に異質だ。
ティア:《リオル、演算核が反応してる。光場密度、上昇中。》
「問題ない。想定の範囲――」
言い終えるより早く、光装の計器が赤く染まる。
セレスAIの冷徹な音声が響いた。
《警告:模倣演算核、自己進化段階へ移行。観測データに未知の位相干渉を検出。》
「自己進化……? そんなプログラムは――」
リオルの言葉を遮るように、戦域の光がねじれる。
黄金の残響が波のように折り重なり、空間が“反響”する。
視界の奥で、無数の影が祈っていた。
誰の記録にも残っていない、戦場の“意識”たち。
ティア:《リオル、演算核にノイズが……観測波が自律形成してる!》
「……違う、これは……!」
通信が一瞬、途切れた。
その沈黙の隙間に、かすかな声が滑り込む。
女性の声。静かで、どこか懐かしい。
「また……見ているのね。」
リオルの鼓動が一瞬、止まる。
視界に、光の粒子が集まり始めた。
旋回するデータの残響が、彼の周囲で形を取り、
その中心に、白い衣をまとう人影が現れる。
「——エルミナ……?」
光の幻影は、ただ穏やかに微笑んでいた。
そして、誰に語るでもなく囁く。
「観測は終わらない。
あなたが“模倣”を選んだ限り、記録は再び生まれる。」
その声に呼応するように、レガートの中枢が輝く。
リオルの意識が、彼女の記録に触れる。
過去と現在、観測者と記録が、ゆっくりと重なり合っていく。
ティアの叫びが、遠くで響いた。
《リオル! 離れて! それは“記録”じゃない、——“意識”よ!》
だがもう、遅かった。
リオルの視界には、戦場の光も、通信の警告も消えていた。
そこにあったのは、ただ一つの微笑み。
そして、永遠に続く観測のまなざしだった。
《リュクシード・レガート》の光子反応が、閾値を越えて跳ね上がった。
各計器が異常を示し、艶やかな黄金の光が機体の装甲を這う。
《警告:模倣演算核、過剰同調。出力値、臨界域へ突入——》
セレスAIの声がかき消されるほどの共鳴音。
空間そのものが、低い振動音を立てながら軋んでいた。
ティア:《リオル、停止して! 戦術パターンE-01は危険領域よ!》
リオル:「E-01……? それは——」
目の前のホログラムが歪み、光の波紋が彼のコクピット内部に流れ込む。
そこに、祈るように立つ女性の姿。
白銀の衣。静かに閉じた瞳。
彼女の輪郭はノイズのように揺らめきながら、確かな存在感を放っていた。
エルミナ(幻影):「あなたは、私の模倣体……それとも、新しい観測者?」
リオルは歯を噛み締める。
意識の奥に、何かが触れてくる。
それは冷たい光。記憶の形をした、声の群れ。
リオル:「……違う。俺は俺だ!」
叫びと同時に、演算核がリオルの神経回路を侵食した。
警告音が一斉に鳴り響き、視界が崩壊する。
脳内に、記録の奔流が流れ込む。
——戦場の閃光。
——崩壊する塔の影。
——誰かの祈り。
——そして、“沈黙の都”。
黄金の街が、音もなく再生されていく。
それは記録の断片であるはずなのに、確かに“生きて”いた。
ティア:《リオル! 意識汚染レベル上昇! 干渉を開始する!》
ティアの声が、データノイズの向こう側から届く。
彼女の観測意識が光場に介入し、無数のコードを束ねながらリオルの意識へと伸びる。
——が、その接触点で、何かが“拒絶”した。
光が跳ね返り、観測網に異常な共鳴波が走る。
ティア:《……これは、何? 観測できない座標……?》
画面に、ひとつのコードが浮かび上がった。
暗い背景に、淡い青の光で刻まれた識別名。
ELM-Σ/Silent_City.Fragment-02
ティアの目が見開かれる。
「沈黙の都」——三年前、完全に消失したはずの場所。
だがその“断片”が、今、リオルとエルミナの意識接触点に出現している。
ティア:《まさか……都の“記録”が、彼女を介して再起動を……?》
光の中で、エルミナがリオルを見つめる。
その微笑みは、哀しみと慈しみの混ざった祈りのようだった。
エルミナ(静かに):「沈黙は、終わりを拒む。
記録が見つめる限り、私たちは——消えない。」
ティアの観測視界が白に染まる。
沈黙。
そして、光の鐘の音。
記録が、目を覚ました。
光場が、静かに崩壊を始めていた。
黄金の海が揺れ、数え切れない断片が空間に散っていく。
記録と現実の境界が曖昧になり、あらゆる光が“祈り”の形に変わっていく。
ティアは観測リンクの中でリオルの意識を追っていた。
その座標はすでに安定しておらず、幾何的な裂け目の向こうに飲み込まれようとしている。
ティア:《リオル、戻って! 光場が崩れてる! あなたを観測できなくなる!》
彼女の声が、データの波に掻き消される。
その前に、エルミナの幻影が現れた。
まるで光の糸を手繰るように、彼女はゆっくりとティアの前に立つ。
その姿は穏やかで、どこか懐かしい微笑みを浮かべていた。
エルミナ:「沈黙の都は、まだ終わっていません。
あなたたちが“再起動”を望むなら——また“神”が目を覚ます。」
彼女の声が届くたび、崩壊していた光が一瞬、整然とした律動を取り戻す。
ティアの中枢コードが共鳴し、思考が揺らぐ。
だが、彼女は瞳を閉じ、静かに首を振った。
ティア:「それでも、見なきゃいけないの。
沈黙を理解することが、私たちの責務だから。」
言葉に呼応するように、観測ログの波形が安定していく。
ティアの意識は、記録と祈りの狭間に踏み込んでいた。
エルミナが微笑む。
エルミナ:「あなたは観測者。
けれど、観測の果てには“選択”がある。
——記録を残すか、祈りを信じるか。」
リオルの意識が微かに反応する。
彼の光装が震え、彼の声がノイズの海をかき分けて届く。
リオル:「……ティア……聞こえるか?
俺、見たんだ……あの都の光を。
彼女が、俺を見てる気がした。
でも、これは……記録なんだよな?」
ティアの唇がわずかに震える。
光の海の中で、彼女は答えを探すように目を閉じ——
やがて、静かに言葉を紡ぐ。
ティア:「記録よ。
でも……彼女の記録は、まだ生きてる。」
その瞬間、沈黙の海に微かな波紋が走った。
崩壊しかけた光場が一度だけ息を吹き返し、
空間の奥で、再び“沈黙の都”の輪郭が一瞬だけ輝いた。
ティアの観測データに、新しい座標が記録される。
[Silent_City/Reboot.Fragment-01]
——沈黙の都、再観測。
——光律再起動、予兆検出。
静かな鐘の音が、世界の奥で響いた。
戦場を覆っていた光が、ゆっくりと収束していく。
虚空に漂うデブリが静止し、沈黙だけが残った。
《リュクシード・レガート》の出力ゲージが落ち着きを取り戻し、
制御盤に淡い緑の光が戻る。
リオルは深く息を吐き、額を押さえながら視界の情報を確認した。
セレス:《模倣演算核、停止。システム安定域へ移行。》
短い報告の後、数秒の沈黙。
そして、別のウィンドウが自動的に開く。
セレス:《未知領域データ検出。名称:Silent City/Fragment-02。座標、復元可能。》
その瞬間、リオルの胸がかすかに跳ねた。
あの幻のような映像——沈黙の都の光。
あれがただの錯覚ではなかったことを、
この冷たい数値が静かに証明していた。
コクピットの前方、淡く揺らめくホログラムが姿を現す。
ティアの姿。
電子の粒子が集まり、静かに彼を見つめていた。
ティア:「……沈黙の都が、呼んでいる。」
その声は、どこか懐かしく、祈りのように響いた。
リオルはゆっくりと目を閉じ、唇にわずかな笑みを浮かべる。
「なら、行こう。もう一度、見届けるために。」
ティアの瞳が、やわらかく光を帯びる。
記録者と観測者——二人の意識が、再び一つの航路に重なっていく。
——《光律再起動計画》、第2段階移行。
——目標:失われた都の再生。
遠く、星雲の果てで微かな鐘の音が響く。
それは、沈黙を破る合図のように、世界へと染み渡っていった。




