命からがら 15
ドラゴンの標的になり、追いかけられる。そんな状況を想像したことがあるだろうか。
実際にその状況になった時、人は何も考えられなくなる。せめて戦える能力があるならば良いが、今の僕たちはあまりに無力だ。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。もうドラゴンは目の前だ。遠くでドラゴンの気を引こうと傭兵たちが矢を使ったり投げナイフを投げたりしているが、興奮したドラゴンには効果が薄かった。そもそも、鱗が硬すぎて傷自体がついていない。
「ば、馬車で逃げるしかない!」
時間があまりにも足りない。御者席に飛び移り、車輪止めとして差し込まれている棒を抜いた。これで動けるぞと思った瞬間、ドラゴンが迫ってくる光景に怯えていた馬が車輪止めを外した衝撃で動き出した。嘶きを上げて走り出す馬二頭。その勢いは凄まじく、危うく御者席から振り落とされそうになった。
しかし、そのお陰でドラゴンの突進は回避に成功する。ただし、進行方向は最悪だ。馬車の向かう先には巨大な山々と深い森がある。一方、森の方向からドラゴンが現れたので、他の皆は来た道を戻る形で退却しようとしている。
「ら、ラーシュ様!?」
「だ、ダメだ! 馬が言うことを聞いてくれないよ!」
イリーニャに悲鳴に近い声で名を呼ばれ、声を裏返らせながら答える。馬を制御して何とか皆と合流したいところだが、興奮した馬二頭は暴れん坊将軍もビックリという勢いで森に向かって走っている。舗装されていない場所を走っている為、しがみ付いていないと馬車から放り出されるほどの揺れだ。
「ラーシュ様!」
「お、おい!?」
「ドラゴンを引きつけろ!」
皆の声が段々遠くなる。ドラゴンの咆哮や戦闘の激しい音が聞こえる中、街道から外れた森の浅いところに馬車が飛び込んでしまう。巨大な木々が左右を流れるように通り過ぎ、どうにか馬の向かう方向だけ操作しようと手綱を引いて操作するが、すぐに限界がきてしまった。
森の中を進む中、大きな岩か段差を乗り越えて馬車が大きく跳ね、急な坂道を転がり落ちるように下っていく。その勢いのまま、馬が転倒して馬車は大きく傾いた。
無重力になったかのような浮遊感。視界が傾き、木が横向きになったと思ったらすぐに地面が顔に迫ってきた。馬車が倒れる。そう認識すると同時に、一気にスローだった時間が元に戻っていく。
そして、地面に肩が接触した瞬間、激しい衝撃と移り変わる視界に意識が遠くなる。
幸運にも地面は岩場ではなかったが、霞む視界の中で激しく損傷した馬車があった。その衝撃で馬の紐が切れたらしく、二頭とも森の中へと走っていったようだ。馬車の窓のところからはイリーニャの手がだらりと出ていて不安になったが、指がぴくりと動いたので生きてはいる筈だ。
そこまで考えて、視界は暗転し、完全に意識を失ってしまった。
不思議な香りがした。
湿った温かい空気。柔らかい背中の感触。手には少し硬めの毛先が振れている感覚があった。毛皮だ。そう思うと、ハーブのような香りの中に獣のような香りが混じっている気がした。
目を開けると、そこには木の板と枝を張り合わせたような壁があった。いや、自分が寝ているから、あれは天井か。首を回して横に視線を向けると、丸太で組んだ壁が目に入った。ログハウスのようだが、随分とワイルドな見た目だ。丸太も枝葉を切り落としただけといった状態で使われている。
どうやら、毛皮が敷かれた布団のような場所で寝ているらしい。壁の一部には窓らしく空間が開いていたが、景色が見えないほど高い位置にあった。単純に、僕の視点が低いためだ。
毛皮の上に手を突いて上半身を起こし、視点を高くしてみる。窓から差し込む光が顔の位置に当たり、一瞬目が眩んでしまった。目を細めてゆっくりと慣らしていくと、徐々に窓の外の景色が目に入ってくる。
とはいえ、上半身を起こしただけなので見えるのは青い空と白い雲だけだ。いや、微かに木々の枝が見えている。
今、自分はどこにいるのか。改めて室内を見回して、随分と狭い個室だなと思った。家具も何もない。あるのは僕が寝かされていた毛皮だけだ。下には藁みたいな草が敷き詰められているようで、敷布団程度には厚みが出ていた。
「……イリーニャはどうなったんだろう」
呟いた声が、自分のものではないかのように掠れていた。
足に力を込めて立ち上がり、少し震える膝を右手で押さえつけて顔を上げた。視点が更に高くなり、窓から外を見てみる。
そこは予想外の光景だった。丸太で組んだ家が幾つもあり、井戸らしきものまである。だが、それよりも驚くべきは大きな木々に囲まれていることだ。深い森が目の前にあり、奥には巨大な山々が荘厳な姿を見せている。
ここは、森の中? まさか、伯爵家が開拓をする前に森を切り開こうとする人々がいたのか。
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