準備 12
感情を爆発させてヨハンソンに直接抗議に行こうとするイリーニャを引き留め、出発の準備に向かう。
「あ、ラーシュ様!」
「あれ? シグリド?」
呼び止められて振り向くと、そこには見慣れた庭師のおじさんがいた。元奴隷だが、凄腕の庭師で造園計画なども任されている人物だ。髭は剪定しておらず、もじゃもじゃなままなのが面白い。
シグリドは泣きそうな顔で前に立つと、両手で僕の肩を掴んだ。少し力の籠った手で握られて、思わずギョッとしてしまう。
「ど、どど、どうしたの?」
驚いて尋ねると、シグリドは眉根を寄せて唸った。
「……北部の森へ送られるってのは、本当ですか?」
「え? もう知ってるの?」
思わず聞き返す。その言葉を聞き、シグリドは苦しそうな表情になった。
「あの女……!」
いつも温和で優しいシグリドの激怒する姿。それは、僕から言葉を失わせるほどの驚きを与えた。目をぱちくりしていると、シグリドは血相を変えてどこかへ行こうとする。その様子を見て、ものすごく嫌な予感がしてすぐに手を掴んで止めた。
「ちょ、ちょっと……!? どこに行くの!?」
「もう許せねぇ! 離してくだせぇ!」
「だ、ダメだってば! 怒って行動しても良いことないよ!?」
興奮するシグリドを何とかなだめ、改めて理由を聞く。すると、シグリドは何故か申し訳なさそうに語ってくれた。
「……オリヴィア様が、ラーシュ様のご出立だと言って色々と準備をしてるんですよ。馬車を二台と馬を準備していて、それに使用人選びも……」
「え? もし選べるなら僕が選びたいんだけど……」
「それも露骨に、明らかにまだ補佐をするには未熟な使用人ばかり選んでます……ラーシュ様に近い年齢の方が楽しいだろう、なんてことを言って笑ってるのが許せないんですよ」
シグリドは怒りを滲ませながらオリヴィアの行動を批判する。だが、シグリドが抗議したところで何も変わらないだろう。残念ながら、オリヴィアは伯爵家内で大きな一派であり、ダディもオリヴィアの意見は無視できない状態だ。正直、オリヴィアの政治的勝利と言えるだろう。オリヴィアを自由にさせ過ぎたという点で、僕自身の失態だ。
「いやいや、もうどうしようもないよ。それで文句を言ってシグリドの立場が悪くなる方が悲しいし、何もしなくて良いからね」
諦めの境地である。仕方がないこととシグリドを諭すと、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。まさかの、シグリドの号泣である。
「ぐ……す、すいません……! くそ、ヨハンソン様は何を見ていらっしゃるのか……っ」
大の大人が肩を震わせて泣きながら悔しがる。その様子を見て、思わず釣られて泣いてしまいそうになった。だが、ここで僕が泣いてしまっては本当にシグリドがオリヴィアに殴り掛かってしまいそうだ。
「まぁ、辺境で気長にやるから大丈夫だよ。いつか戻って来れる日がくるかもしれないから、その時の為にシグリドは綺麗な庭を維持していてね」
そう言って背中を片手でぽんぽんと叩くと、シグリドは嗚咽を堪えて何度も頷いた。さて、これは急いで使用人の選別に口出ししないといけないかな。そう思って振り返ると、小さな滝が二つあった。
イリーニャの涙滝である。高低差はそれほどではないかもしれないが、その水量は屈指。恐らく、今後の伯爵家領内の有名観光地になるのではないか。命名するならばエンジェルフォール……って、冗談を言っている時ではない。
「い、イリーニャ。泣かないで」
そう言って今度はイリーニャの背中を片手でぽんぽんと叩く。イリーニャは泣き止む気配を見せないが、残酷なことに泣き止むのを待ってあげられない。仕方なく、イリーニャの手を引いて連れていくことにした。
しくしく泣くイリーニャを連れて歩き回り、ようやくオリヴィアを発見する。なんと、すぐにでも追い出すつもりなのか、正門の下で執事長を引き連れて立っていた。シグリドが言っていた通り、茶色の馬車が二台置かれている。馬が四頭傍に待機しているが、本気で今すぐに追い出そうとしてないだろうね?
まだ泣いたままのイリーニャを連れてオリヴィアの下へと向かった。オリヴィアの後ろには腕を組んだニルスと地面に座り込んだエリックの姿もあった。そして、オリヴィアと執事長が見つめる先には獣人の使用人達が並んでいる。
「……あのー」
何か話し合っている二人に声を掛けると、揃って振り返った。四人の目が僕に向く。
「……これはこれは、ラーシュ様」
一番に反応したのは執事長だ。片眼鏡の位置を右手で調整しながら、顎を上げて僕を見下ろす。
「あら、ラーシュ様! ご機嫌はいかがですか? もう聞かれたかと思いますが、ラーシュ様は辺境の代官になられますよ。その若さでとてもすごいことですわね?」
オリヴィアがそう言うと、ニルスが楽しそうに笑った。
「木を切るんだろ? 知ってるぞ」
「……面倒くさそう」
ニルスが馬鹿にしたような笑みで森の開拓についてコメントすると、エリックが嫌そうにそんなことを言った。
本当に露骨である。まぁ、今に始まったことではない。オリヴィアたちの態度に呆れつつも、軽く息を吐いて笑顔を作った。
「そうなんだ。大変だと思うから、連れていく人は自分で選ぼうかと思って」
そう告げると、オリヴィアの笑みは一瞬で消え去り、何かを探るような冷たい視線が向けられた。
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