第31話 夜半の邂逅
その日の深夜、私は眠れなかった。
ずっと私についてくれていたサリアさんは優しい言葉をかけてくれたけれど、できなかったこととたくさんの赤が、私の中でずっと渦まいていて。
「……喉、かわいたな」
眠れないのはきっとそのせいだと言い訳をしながら起き上がる。
水差しを補充し忘れていたから、食堂まで行かないと何も飲めないのは、今の私には好都合だったかもしれない。
なるべくゆっくり、気分転換を兼ねて歩こう。足取りは普段より何倍も重たかった。
◇ ◆ ◇
「……あの剣幕だ。どうしたって檎母龍は精霊を許せず敵対していただろうし、俺はかの母龍を斬り捨てることになっていたよ。そこに至るまでの被害がなかっただけマシだ」
聞こえてきた声に食堂手前で足が止まる。
深夜は本来誰も使っては行けない場所。そこには金と銀、二人の男性がグラスを片手に静かに語り合っていた。
近くのテーブルにはお酒だろうか。ラベルのついたボトルもある。立ち去ったほうがいいと分かっていても、先ほど聞こえてきた単語が足を留まらせた。
「だろうな。あの魔族と精霊の関係性など知らぬが、檎母龍が精霊を憎んでいるのなら、それに愛されている貴様は天敵以外の何者でもない」
「さすがメッド。話が早い」
「茶化すな。……クラコシマナミの力はたしかに本物だと認めよう。おかげでドラゴンの根絶は免れた。ただ、たとえあり方を変えようと変えられない心というものが向こうにあっただけだ」
メッドさんの静かな言葉に息が詰まる。……分かっている。檎母龍はただ、許せないことがあって、それが相容れないものだった。
「うん。……それで、当のマナミさんだけれど、元の世界に戻す算段がついたよ」
「えっ、」
「誰だ!」
思わず口からこぼれた声を聞きつけて、大きなものが倒れる音と鋭い声が飛んでくる。
小さな悲鳴を飲み込んでその場にしゃがみこんでいれば、足音がゆっくりとちかづいてきた。
「……マナミか。今の話、聞いていたのか?」
「……………っ、ごめんな、さ……」
「っ、別に叱りつけたいわけじゃない。……入れ。茶くらいなら出してやる」
しゃがみ込む私をみたメッドさんはそうとだけ告げて食堂へと足を踏み入れる。入るべきか、戻るべきか。少しだけ立ち止まった私の足は、けれどもゆっくりと彼の後を追いかけた。
「や、マナミさん。目が覚めたようでよかったよ。とはいえまだ病み上がりだろう。メッドがお茶を淹れるまでそこで座って休むといい」
「……あの」
言われるままにリュミエルさんの前に座るけれども、彼の顔をまっすぐ見れない。言いたいことも聞きたいこともたくさんあるはずなのに。メッドさんはそのまま食堂の奥に消えていき、二人だけで向き合った。
「ゆっくりでいいよ。時間は有限とはいえ確かにここにある。焦りにこまねいて伝えたいと思う言葉を取りこぼす方が悲しいことだ」
「はい……」
穏やかな響きはとても先日の一幕をもたらした人とは思えなかった。
テーブルに視線を落とす私には、リュミエルさんの指先しか見えていなかったけれど。
時計がない部屋は本当に静かで、奥からかすかにお湯が湧いたらしき音が聞こえてきたころに、ようやく私は口を開く。
「……リュミエルさん、けがは大丈夫なんですか?」
「完治したわけではないけれど、動く分には問題ないよ」
「そう、ですか。……良かった」
──本当によかったと思っているの?
私の中で誰かが囁いた気がするのを、あわてて打ち消す。死んでほしかったわけじゃない。生きていてくれて、こうして動けるくらいには元気でよかったと思っているのは本当のはずだ。
「……先日の件、謝罪はしないよ。君の前でしたことは非難されるべきかもしれないけれど。ああなった以上は俺のすべきことは一つだったから」
「っ。……リュミエルさんは、すごいですね」
何を私が考えているのか、見通しているみたいだ。
喉奥がじんわりと熱くなる。けれどもリュミエルさんは「そんなことはないさ」と柔らかくもはっきりと否定してきた。
「他の人が何を考えているかなんて、全てを識ることはできないさ。例えば、さっきのメッドとの話の続き。君がどちらを選ぼうとするか、今の俺にはさっぱり想像がつかないね」
お道化た言い回しで、けれども声の一定の調子の柔らかさ。一体どんな顔をしているのか想像つかなくて、思わず顔をあげれば聡明な翠の眼と視線が合う。
「さっきのメッドさんとの会話……」
「ああ。聞いていただろう。君が元の世界に戻るための算段がついた、と」
乾いた空気を飲み込むのに失敗して、小さく咳きこむ。お茶を持って戻ってきたメッドさんが早足でこちらへと駆け寄ってきた。
「おい、クラコシマナミ!?」
「ちょっと寝起きすぐには驚く話だったかな。ほら、メッドが淹れてくれたお茶を飲みなさい」
「っ、は、はい」
受け取った紅茶色の飲み物は花のような香りがして。飲み込めば甘い蜜の風味が口いっぱいに広がる。
この世界に来てはじめて飲んだのと同じ味を、けれどもあの時のような歓びと共に飲み干せない私がいた。




