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第16話 寒霧の惑い

「ということで、俺たちはここであいつらの奮闘を見守るとしよう」

「は、はい。ありがとうございます」


 私たちから距離を置いて近づいていく彼らの姿はまだ見えない。ずっと気を張り詰めてその様子を見守る私の緊張を解きほぐすように、リュミエルさんはこちらに声をかけてくる。


「なーに、個性は強いけど実力は確かな面々だ、任せて問題ないよ。問題は魔獣にちゃんと黎属(れいぞく)が効くかだけれど」

「……効いてくれるでしょうか」


 もしも効かなかったら……最悪の想像は、大きく二つに分かれる。そのどちらも見透かしたようにリュミエルさんが静かに呟いた。


「優しいな、マナさんは。あいつらだけじゃなくて鶏蛇君主(コカトリクス)のことも心配してるんだろう?」

「……。はい。魔獣というのも、危険な生き物だから排除しないといけないって考え方も分かってはいるんですけれど」


 それでも、もしもを夢見ずにはいられなかった。こんな世界だからこそのもしもを。茂みの向こう側はまだ動かない。


「なるほど。俺個人としてはマナさんにその想いを大事にしてほしいな」

「……ありがとうございます」


 まだここに来て一月も経っていないけれど、あの騎士団をまとめているリュミエルさんがそう言ってくれるのなら。



「ただ、もしそれをここに留まる言い訳にするのなら、やめた方がいい」

「…………っ!」


 周囲の気温が下がった。それは錯覚ではなく彼らが温度の変化を悟られないよう、この辺り一帯に冷気の霧をまとわせたのだろう。

 すぐそばにいるリュミエルさんの姿だけがはっきりと映る。


「さっきディノクスが告げたように戻るのにリスクがあるのは事実だ。だから帰らないという選択も君にはある」

「……どうして」


 どうして私の胸の内を悟ったようなことを言うのだろう。浮き上がった疑問はたやすくすくいあげられた。


「最初に会った時に言っただろう。荷物は検分させてもらったってさ。……随分と汚れた服や破られたノートが入ってた。なのに文字は丁寧だったり、綺麗なものも混ざってる。訳ありだろうとは思っていたさ」

「…………」


 小さい頃から動物が好きだった。助けたいと手を差し伸べて、時には家に連れ帰って。同年代の友だちとお洒落をして好きな人の話をするよりも、ペットショップや近所の野山や公園や。動物と会える場所を一人で歩くのが好きだった。

 その姿は周囲からしたら“変な子”だったらしい。気がつけば同年代の子と当たり障りのない話以外何を話したらいいか分からなくなって……そうなっていた。


「うちの奴らは気がいいからね。マナさんの事情を知ればそんな場所に帰る必要はない、ここで手伝ってくれというだろう」

「だったら……!」


 顔をあげる。ここがどこなのかも忘れて一瞬大声を出して──それ以上に大きな鶏に似た鳴き声が向こう側から聞こえてきて、ようやく今何をしていたのかを思い出した。


「だからこそ、だよ。君は優しい子だから責任がないままのやさしさはきっと重荷になる。もしも留まることを望むのならば、情や言い訳ではない、願いを持ちなさい。翼となって飛び立てるような、ね」


 ヒースさんたちは大丈夫だろうか。そう腰を浮かせて離れかけた真奈美の背中に、優しくも突き放すような声だけが聞こえてきた。



 ◇ ◆ ◇



「あ~~~もう!! 黎属(れいぞく)の術式はちゃんと掛かっているはずでしょ! なんでメッドはともかくアタシに威嚇してるのよこいつ!!」

「勝手にともかくの枠に入れるな」


 真奈美が駆け寄ってみれば、ヒースさんの後ろ側で残る二人に対して嘴と翼を使って全身で威嚇する鶏蛇君主(コカトリクス)の姿。会話を聞く限り以前天馬に掛けた術と同じものを掛け終えはしたようだ。数メートルほど手前で一度立ち止まり、恐る恐る声をかける。


「あ……あの、そちらはもう大丈夫そうでしょうか?」

「グル、グ……コケッ、コココ……クルルル……」


 先ほどまで二人に唸っていた鶏蛇君主(コカトリクス)が、私の方を見る。広げかけていた翼を収めて、甘えるようにすり寄ってきた。


「えぇ!? なんでアンタいきなりそんな甘えられてんの!?」

「あ、も、もしかしたらこれかもしれません」


 そういえば持ってきていたんだったとカバンを広げて、何重もの袋に包んだものを取り出せば鳴き声が強まった。甲高い音にメッドさんが眉をひそめる。


「それは一体何だ、クラコシマナミ」

「食堂からもらってきたベーコンの残りの部分と、街で買っておいた雑穀です」


 蛇と鶏の特徴を併せ持つとなると、肉食なのか野菜でも大丈夫なのかが分からなかったので両方持ってきたのだった。袋を広げて少し離れたところに置くと、何度か舌を出し入れしてから勢いよく食べはじめる。


「お肉も雑穀も両方区別なく食べてますね。……換羽期は体力もなくなるから、お腹減ってたのかな」

「……人間しか食わんとあらば飼育は不可能だが、それ以外でも食物の代替になるなら飼育も一応の選択肢ではある、か」


 気むずかしい顔をしながらも、メッドさんがそう呟く。袋から香る食欲をそそるにおいにふと思いついたことがあって、あっと小さく声を上げた。


「どうしたのよ、そんな変な声を出して」

「いえ、もしかしたらディノクスさんが警戒されているの、化粧品の匂いのせいかもしれないって思って」

「化粧品の?」


 目を丸くしたディノクスさんは、そのまま自らの手首や指先の香りをかぐ。けれども自分の匂いをかぎ取るというのは至難の業だ。最終的にあきらめて手を下ろしてしまった。


「自分じゃさすがに分かんないけど……何、コイツらってそんなに匂いに敏感なわけ?」

「動物によって五感のどこが発達しているかは違いますけど、蛇は匂いに鋭いといいますからもしかしてって……」

「……。某の身は移ろい(ジャスディモイエン)遷ろい(インティカル)虚ろう(アドラフ)肉体の色を消せ(マハロウニディスメ)


 唇を引き締めたディノクスさんはそのまま自身の胸元に手を当てて何事かつぶやく。それから未だ食事に夢中な鶏蛇君主(コカトリクス)へ一歩、二歩と歩み寄る。


「……先ほどのように威嚇はされていないな」

「本当ね……」


 メッドさんと二人が呟く声が響く。感情のこもった言葉の多い二人の、どこか虚に突かれたような声はいやに静けさに包まれる。


「ミツドリの羽ばたきが聞こえてきそうだな」


 ぽつりとつぶやいたヒースさんの言葉は、この国の格言だろうか。ディノクスさんはそのまま震えそうな手で鶏蛇君主(コカトリクス)の羽毛をひと撫でした。


「っ!? えっ、本当これ! 夢じゃないわよね!?」

「ディ、ディノクスさん。もうちょっと声を落として……」


 鶏蛇君主(コカトリクス)の尾がムチのようにしなる。威嚇の動作に慌ててかすかな声で懇願する。ヒースさんが舌を打つような声を二・三度あげればその仕草も落ち着いた。


「あらごめんなさい。にしても、まさか匂いのせいで威嚇されてるとは思わなかったわ」

「化粧品は匂いのあるものも多いですから」

「ふぅん……。ひょっとしてマナミ、アナタが化粧しないのはそれが理由?動物に嫌われないため?」

「あ、あはは……まぁ」


 それもゼロとは言わないけれど……単純になれていないだけ。とは今のしみじみ納得した顔をしているディノクスさんには言いにくい。


「なるほどね。リュミエルのヤツに文句は言ったけど、アンタにはアンタの信念があるってことね。ちょっと見直したわ」


 歯を見せて笑うディノクスさんは、そのまま私の頭をわしゃわしゃと撫でてきたのに、胸がむず痒くなる。先ほど鶏蛇君主(コカトリクス)を撫でていた手。先ほどまで魔獣を対処すべき相手と認識していた人が、その体に触れて笑う姿。


 ──情や言い訳ではない、願いを持ちなさい。


 何故だかあの、穏やかな声が脳裏によぎった。

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