夏のイメージ戦略が好きだった
武 頼庵(藤谷 K介)さま主催『夏の◯◯が好きだった企画』参加作品です。
ホラー作品ですのでご注意を!
思い出す、海辺を走るラビットの排気音。
ラビットなんてスクーター、乗ったことも見たこともなかったけど。
でもジョニー・リードが歌ってたんだ。
夏によく似合うグループ・サウンズに乗せて。
僕は15歳だった。
まだバイクの免許を取ることもできず、それでもオートバイ雑誌を夢中になって隅から隅まで読んでいた。
遠い街のバイク店の広告まで読んでいた。
バイクと関係のない時事コラムまで読んでいた。
それはきっとバイクと夏の魔法にかかっていたんだ。
夏には恋をして、恋したその女の子とキスをして、岩陰に隠れて二人で肩を寄せ合う。そんな夢を見ていた。
傍らにはもちろんラビットが停車してる。
星の模様のヒトデが僕らの前を歩いて通り、僕は彼女の前でテナーサックスを吹き鳴らし、青空からは僕らを祝福する天使たちが微笑みながら降りてきていた。
彼女はネコと女の子のハーフだった。
恥ずかしがると耳がもじもじと垂れ、しっぽがウズウズとのの字を書いて動く。
僕はそんな彼女を同じ人間と認め、何も言わずにただ微笑んで抱きしめる。
後ろの国道を赤いスポーツカーが走り去る。きっと緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェだ。──あ、これは夏関係ないか。プレイバック。
とにかく夏には恋をしなくちゃいけないって、色んなアーティストが歌ってたんだ。だから僕も恋したかった。
でも、実際に海辺に一人で行っても、ドラマみたいな出会いはなかった。
まだ僕は男だからよかったんだろう。僕がもし女の子だったら、期待にちっちゃい胸を膨らませて海へ一人で出かけ、心にもカラダにも一生消えない傷を負って、とんでもないことになってたかもしれない。
すべては企業やアーティストによる夏のイメージ戦略のせいだった。
中学生にそれを見破ることなんてできない。だから僕らに責任はなかった。
夏なんてただの暑すぎるだけの季節だ。今ならそれをわかって、極力外へ出ないようにして、クーラーの効いた部屋の中で夏とは何の関係もない音楽を聴いていられるんだけど、あの頃の僕は本気で企業やアーティストによる夏のイメージ戦略が好きだった。そのイメージに恋していた。
「目を覚まさせてくれたのは、君だ。美玖」
暗い部屋で振り返り、僕は彼女に礼を言う。
「──君は礼を言われても、嬉しくもなんともないんだろうけど……」
「ううん? あたしもあれで目が覚めたもの」
美玖は青白い顔に血液の筋を浮かべ、フッと笑う。
「できればあたしをレイプして海に沈めて殺したあいつらを見つけ出して、復讐したいの。手伝ってくれる?」
「もう40年も前のことだ。忘れなよ」
「忘れられない。だって、あたしはあそこまでは、とても純粋で綺麗な女の子だったもの」
美玖は僕の幼なじみだった。
僕が、あの時、いち早く企業の洗脳に気がついて、美玖にあんなことを提案しなければ──
あの日の自分のことばが甦る。
『夏には恋をしないといけないんだ。お互い、一人で海へ行って、恋を見つけようぜ』
後悔先に立たずだ。
無理だった。
だってほんとうに、心から、僕らは企業やアーティストによる夏のイメージ戦略が好きだったのだから。