永遠に八月が続けばいいのに
眠れない夜は人生よりも長いのです
ページを繰る感触は不思議だ。退屈な本を読んでいる時は今の進捗ばかり気になるが、興味深い本を読んでいると残りの量が気になる。義務的に読む本はこれだけ読んだという無為な達成感を、好奇から読む本はまだ終わって欲しくないという悲痛な虚無感を。
読み始めは、何だかよく分からなかった小説。少し繰れば、状況の推理に意識が奪われる。また少し繰れば波乱の展開に目が奪われて、あとがきに辿り着くころには時間が奪われている。
デジタルはちょっと、残念だ。あの感触が無ければ物足りないと思ってしまう。
だから僕はいつも、小説を書く時は紙のノートに書いていた。
夏の空気は寂しい。とても穏やかで、澄んでいて、何よりも美しいと思うのに。
この世界のどこにもない記憶が呼び起こされるような気がして、物憂げで、儚い気持ちがやまない。
ひと夏の冒険、見知らぬ少女との思い出、夜に啼く獣との闘い。
陽炎がこちらを見つめているような気がして、あれ、そんな話どっかで聞いたな、って思いながら。
いつだって思い出せる。懐かしさと切なさを孕んだ夏の空気。夏だけの世界観。
「ほら、こっちに来いよ」夏が叫んだ。
中学生の頃テレビで見た。どこかの県の少女が学校で飛び降り自殺をしたニュース。
一緒にリビングにいた母が悲しそうな顔で、「こんなことしないでね」と、言った。
僕は自殺したいと思ったことがない。だから彼女の気持ちなど分からなくて、「僕は強いから」と、言った。
心が弱い人間は不幸だ。頭が悪いのと同じくらい可哀そう。
僕は、生まれつき、なんて言葉ばかり使ってしまう。一昔前の運命論者みたいに。
運命とは環境だ。身の回りの条件次第で人は何者にもなれる。
逆説的に、身の回りの環境こそがその人の特性を決定するとも言える。
「だからそれは一種の運命である」と、嘯きながら呑む酒はちっとも美味くなどない。
夜の土手を駆け下りる風が彼の前髪を揺らした。その顔は愉悦に浸る僕の鏡だ。
彼は小学校の同級生だった。
パッとしない顔だち、学校の誰よりも先に眼鏡をかけていたから、あだ名はメガネ。
不名誉極まりない忌み名を呼ばれるたび、彼は不細工で歪んだ笑みを浮かべた。
休み時間にドッヂボールが始まると、僕は必ず彼を狙った。どんくさくて、どんな弱い球でもあたってくれるからだ。サッカーや野球をやってる子たちは僕のことを気にも留めないけれど、彼はいつも僕を褒めた。
「君は運動できるもんね。凄いや」と、彼は言う。
僕は得意げな顔をしてドッヂボールのコツなどを教える。だが、彼以外の人を当てた記憶など片手で数えられるほどだった。
関の山の大将。僕が自分につけたあだ名である。凡庸な人生を表すには具合がよい。
土手は彼の家の傍にある。
小学生の僕らはよくそこで遊んでいた。偶に僕ら以外の、やはりパッとしない友達もいたけれど、大方は二人でいた気がする。何をしていたかはあまり覚えていない。
「あの頃は楽しかったな」とか、高校生になるとノスタルジーな想いが湧いたりした。僕はその日初めてあの日々を思い出し、不意に泣いた。
理由のない涙がこの世で最も美しいことに気づいた途端、聖水は泥水へと変わり、泣き止んだ。
風の噂
「彼は省庁に行ったらしい」
あぁ。
同窓会で聞いたよ。
彼の家に行くのは、小学生の頃、僕のささやかな楽しみだった。
なんといってもあの、圧巻の豪邸。子供が肩車をしても届かない玄関扉のてっぺんには丸い銀飾りがついている。
庭にはプールこそないが、大きくてふさふさの犬が二匹いて、僕は遊びに行くたびフリスビーを投げた。居間の暖炉が使われている所は、残念ながら見たことないが。
僕らはとても仲が良かったが、中学生になると噓みたいに疎遠になった。
喧嘩や仲違いではない。彼はその辺りじゃ一番賢い私立の中学へ行ったのだ。
子どもの縁は切れやすい。じゃなければ、同窓会なんて文化が生まれる筋合いもないだろう。
卒業を折に、連絡を取り合うこともなくなった。家は若干離れていたから、偶然彼を見かけることもなくて、というか、忘れるという作業も経ず、子どもの小さな世界から彼は消失した。
小学校、中学校、高校、大学。
ライフステージの移り変わりに応じて、人生の自由度は上がっていく。
ソシャゲやRPGの機能が解放されていくのに似ているかもしれない。
行動範囲や所持金が増えて、知り合いの数もうなぎ上り。その分難易度はあがって、気づいたらミスしてたり。
最近のゲームは人生に近づいてきているのかもしれない。選択肢は目に見えるように表示されず、攻略法を持っていなければ突然詰む。
だからこそ攻略法は高く売れるし、縛りプレイや神プレイをする人はちやほやされる。
凡庸な人間は敷かれたレールを探して、ノーマルエンドを目指す。クリアできるだけ偉い、とか笑えるな。
「人生をゲームに例えるなんてばからしいよ」と、彼は嘲笑を浮かべて言うけれど、僕にだってそういう気分の日はあるのだ。
彼はよく僕に小説を勧めた。父さんが買ってくれたとか、兄貴が教えてくれたとか。
思えば彼自身が好きな本の話をしたことはなかったかもしれない。
僕は彼に感謝していて、同時に少し憎らしくも思っている。
僕が小説を読むようになったのは彼のおかげで、僕が小説を書くようになったのは彼のせいだから。
あぁ。
この小説はオマージュだったのか。
僕は今になって気づく。
しかし、僕以外の誰もこの文章がオマージュだと気づきはしないのだろう。
なんせ、オリジナルの文章はもはやこの世界のどこを探しても見つからないのだから。
となると、これは小説ではないのだな。
とすると、これはノンフィクションやエッセイの類の文章なのだな。
おかしいな、嘘ばかり書いているのにノンフィクションだなんて。
それとも、全てはフィクションだ、とか、のたまってみようか。
君はどうしてこの文章を読む?
この文章のタイトルは――『僕は永遠に生きる』
高校生になると、僕はよく学校をサボって土手に来た。
遅めの朝から昼下がり、夕焼けの綺麗な時間まで。文学マニア気取りで海外文学を読み漁り、哲学を知った風に語った。
ある日、いつものようにここへ来ると彼がいた。彼はあの頃と変わらぬ風貌で、僕を見つけて相変わらず不細工で歪んだ笑みを浮かべた。眼鏡の映す朝日を覚えている。
彼は自らを逸脱者と呼んだ。「僕には立派な人生が待っていた。大学受験に成功して官僚になる未来が鮮明に浮かんだんだよ」彼は醜い嘲笑をした。
僕はそれが羨ましいなと思って、あぁ、自分は弱い人間なのだと、初めて気づいた。
僕は図書館で借りた岩波文庫を雑に放り投げた。隣り合ってトルストイを読む青春が、この世界のどこかにあってもいいじゃないか。
僕らは大学生になってから、教養系ユーチューバーになった。僕らは大学生になってから、麻雀に明け暮れた。僕らは大学生になってから、疎遠になった。
どの未来も鮮明に浮かぶもんで、焼き払った。土手の周りが焼け野原になったら、清々しい二酸化炭素で二人一緒に深呼吸しよう。
風の噂
「彼は結婚したらしい」
あぁ。
それはとても。とても、素晴らしいことだね。
バイパスをスポーツカーが走ってゆく。左の車線を走るおんぼろの中古車を追い抜いた。
下道で信号待ちをしながら高速道路を見上げる。その上で、轟音をあげる飛行機が小さくなった。
東に道があることを知らず、藪を傷だらけになって切り拓く人生。
それは夏のように美しいだろうか。
人生は芸術ではない。
芸術だったらどれほどよかったろう。
「君の人生は素朴さの中に趣があるね」
なんて、とんだ皮肉だろう、クソ野郎。
中学生の頃。運動も勉強もお笑いもできない人間には価値がないことを悟った。
芸は身を助く、したがって、芸無き者には死が降り注ぐ。
徐々に現れだす人間の序列。嫌気顔の曇天。
芸術はどうだろう。
「少年漫画やライトノベルが芸術なのか?」僕らは憐れみを込めて笑った。
風の噂
「彼は死んだらしい」
あぁ――
そんな気はしていたさ。
フィクションの中でも、誰かを殺すのは胸が痛むな。
「人は、人に忘れられたときに死ぬ」
見事な金言、痛み入るな。
ちっとも響かないと言ったら、逆張り人間の出来上がりだ。
「僕は小説の中の存在だ」、とか言ってしまうのも。現実で言えば痛々しいなら、どうしてキャラクターに言わせられようものか。
全て理解した患った?賢者のフリをするのは心地がいいさ。
君はどうしてこの文章を読む?
この文章のタイトルは――『八月の悪魔』
僕は土手を歩いた。
そこには僕がいる。彼の顔をしながら、こちらを覗く。
「人生をやり直せるならいつからやり直したい?」小学生の僕がいたずらな笑みを浮かべた。
「勉強して、あいつと同じ中学に行きたい?」中学生の僕が憂いを湛えて聞いた。
「いっそ、生まれてこなければよかった!」高校生の僕が天を仰いだ。
それは僕が決めることではないだろう。
僕はノートを火にくべる。
「真の芸術と、人の生きる意味とは」
八月の終わり、僕らの声が揃った。
※ここに金科玉条の傑作名文※
この文章は限りなくフィクションで、まごうことなきノンフィクションで、前衛的で、古典的で、文学的で、娯楽的な、僕のための文章だ。
――『人生は続く』
だから眠れない夜に捧げます
https://note.com/lizyeiz/n/n5bd4e7d71e60
https://note.com/lizyeiz/n/ncd905c0eb018