第7話 対山越盗賊団
一夜の開戦。
“山越盗賊団アジト”
ニロを庇うように立ち塞がるナナとルナを、盗賊たちは各々の刃物を以て取り囲む。
緊迫と警戒の中で渦巻く剥き出しの敵意──ニロの頬に汗が伝わり、その抜け目のない空気に、ナナとルナも緊張を高める。
一方で、そんな様子を遠目から眺めていた、文字どおり、頭一つどころか頭数個分飛び抜けた体格の持ち主──オオグマは、その情景を見下ろすかのように眉をひそめていた。
「まさか本当に助けを呼んできたのか……? 見たところ、傭兵やギルドの連中じゃなさそうだが……。」
ナナたちを見てオオグマが真っ先に懸念したのは、自身の首を取りにきた実力者かどうか。略奪を繰り返すオオグマは、その盗賊の頭として、国や政府による正式な討伐依頼書が発行されている。簡単に言えば、この世に仇なす悪党として、世界中に指名手配を受けている身だ。
つまり、依頼を請け負ったギルドの人間や国の傭兵といった者たちが、自身を捕らえにやってくることも、やはり考慮しなければならない。
しかし、フレッシュリーフでの既述のとおり、この辺りはどこの国にも属していない辺境の地。加えて、初心の者が集まるだけの過疎地でもある。
ゆえに、善人悪人含めた実力者が、わざわざ今居る自分の地から赴いてまで、この地にやってくる理由はない。そのため、ほかと比べれば悪党が少ない、比較的平和な地域といってもいいだろう。
だが、それに比例して、治安を守るような軍隊が少なくなってしまうのも、やはり仕方のないこと。危険だからこそ、彼らはその地域で治安を守り、そのために実力者が集まる。何も起こらない場所に軍など張らないのだ。
だから、ただ略奪を目的とするオオグマにとっては、自分よりも圧倒的な弱者が集まっているこの地域が、絶好の狩り場として非常に居心地が良かった。
とはいえ、治安を守るような軍隊やギルドが、この地に全く居ないわけではない。フレッシュリーフに赴けば、最低限のギルドや傭兵を見かけることはできるだろう。
話を戻すと、オオグマはナナたちが現れた時、この地に存在するギルドや傭兵がやってきたのかと、一瞬警戒したのだが、ナナたちの服装や佇まい……いや、大半はルナの見た目から判断して、彼らふたりが治安を守るための軍隊などではないということをなんとなく察した。
そして、仮にギルドや傭兵であるならば、何十人と居る盗賊相手に、たった二人だけで討ちに来るとは考えにくい。
つまり、現れたあのふたりは、自分たちが略奪の対象にしているカモと同類──今現在、捕らえたばかりのニロの仲間たちと同じ、初心者冒険者であると認識したオオグマは、眉をひそめ警戒していた表情を緩めると、嘲笑うように鼻を鳴らした。
「ふん。まぁいいさ。ギルドでもない限り、所詮はこの辺りで燻っている程度の弱小共。そこらの野良を二匹連れてきたところで何ができる……!」
寧ろ、カモが二匹増えたと幸運にさえも思い始めたところで、未だ牽制の一途でいる盗賊たちへ、鼓舞するように大声を上げた。
「野郎共!! そのガキ共を吊し上げろ!!」
その声は、渓谷に響き渡る山彦のように、全ての盗賊たちの耳に届く。
どこか仕掛けるタイミングを見失っていた盗賊たちは、それに応えるように雄叫びを上げると、各々の刃物を構えながらナナとルナへ目掛け一斉に駆け出した。
遂に仕掛けてくる無数の盗賊たちを相手に、ナナとルナが余裕を以て待ち構えるなか、真っ先にナナへ辿り着いた盗賊のひとりが、ナナの眼前で剣を振り上げる。
「おりゃあ!」
声を上げ、自身へ目掛け振り上げ振り下ろされる盗賊の鈍い刃に対して、ナナは自身の剣を横へ向けると、同時に上方で辻のように受け止めた。
カキン、と金属音が鳴り、一瞬の剣の交えが生じたが、ナナは素早く力強く盗賊の剣を上へ弾き返す。
それにより、巻き戻ったかのように剣を振り上げた体勢へ強制的に戻される盗賊。そんな無防備となった盗賊の胸部へ目掛け、ナナが流れるように剣を振る。
瞬間の斬撃──。
抗うことなく正面より斬られた盗賊は、ナナの前からフェードアウトするかのように地面へ倒れる。
だが、間髪を容れずに、また別の盗賊たちが向かってくる。
振り下ろされる刃を避け──斬り──刃を防ぎ──弾き──また斬る。
そして、何人かの盗賊を順にあしらった後、自身の持つ剣をカチャリと持ち直すと、今度は自ら盗賊のひとりへ向かっていった。
「な……!」
今まで迎え撃つ一方だったナナが突然向かってきたことに不意をつかれ、驚く盗賊の男。武器を構える隙も与えることなく、ナナはその勢いのまま盗賊を斬った。
場面は変わり、一方でルナ。
こちらもまた、一人の盗賊がルナへ目掛け剣を振り上げる。
だが、盗賊が剣を振り下ろす前に、ルナの撃ち出したかのような蹴りが盗賊の腹に炸裂。がはっ、と途切らせた息でえずき、盗賊は剣を振り下ろすことなく気絶、ルナの前で倒れる。
しかし、続けて、今度は少し大柄な体格の盗賊がルナへ迫ってきた。
「ガキが……! なめるな!」
威圧的に言葉を放つと同時に、その体格に見合った巨大な斧を振り上げ、まるでルナを薪と見立てたかのように垂直に斧を振り下ろす盗賊だが、ルナはその場から勢いよくジャンプすることにより、斧を避ける。
空振った斧は誰も居ない地面を捉え、ルナは盗賊を飛び越え背後へ着地。
盗賊は避けたルナを目で追おうと慌てて振り返ろうとするが、その直後──。
「てい!」
ルナの回し蹴りが盗賊の横顔へ入る。
いくら体格差があるとはいえ、顔への回し蹴り。鍛え上げられた肉体も意味は成さず、盗賊は顔を歪ませながら横へ少し吹き飛ばされ、地面へ倒れた。
だが──盗賊は次から次へと現れる。
回し蹴りによる体勢を整えたばかりのルナの背後に、今度は覆い被さるかのような人影がかかった。また別の盗賊が、ルナの背後を位置取ったのだ。
子どものように小柄なルナと、成人男性の体格の差は一目瞭然。
加えて、盗賊たちは一般の男性と比べても体格が良く、筋肉の付き方も違う。伊達に略奪行為で生計を立てているわけではないと、その肉体が語っている。
松明の明かりを背で遮り、広がった影でルナを覆った盗賊は、その影のもと、薄ら笑みを浮かべる。
そして、明かりの反射により一層目立つ輝きを見せる剣の刃を構え、ルナの背後から勢いよく横切りした。
だが瞬間、横へ振られた盗賊の剣は、ルナの脳天ギリギリの空を掠めていた。桜色の髪が僅かに散り、春の花弁を思わせる。
いくらルナが小柄とはいえ、決してその背丈を見誤ったわけではない。盗賊側に落ち度はなかった。
事を変えたのはルナのほうだ。剣が振られる瞬間、ルナは咄嗟に姿勢を低くすることにより、横へ振られた盗賊の剣をしゃがんで避けたのだ。
盗賊は剣を振り切ると同時にそれに気がつき、驚きの表情を浮かべるが、直後──下方から伸びてきたルナの拳が盗賊の下顎を捉える。
「ぐはっ……!」
それにより、盗賊は天を仰ぐように顔を仰け反らせ、その足が一瞬地面を離れた。
コンマの空中浮遊を味わうことができた盗賊だが、残念ながら、ルナの拳を受けた時点で既に気絶。そのまま背中から地面へ倒れる。
「凄い……。」
そんなふたりの戦いぶりを後ろから見ていたニロは、すっかり恐怖や緊張を忘れ、呆気に取られたように驚いていた。
それは、オオグマの足元に居るニロの仲間たちも同じのようで──。
「何……? あの人たち……。」
主に、少女たちが呆けたように呟いている。
だが、ナナたちが押しているように見えても、数的不利は依然変わりない。個別に斬りかかることをやめ、遂に盗賊たちも数を組みナナの前へ立ち塞がった。
「俺たちをなめてんじゃねぇよ……!」
「一斉にかかれ!!」
誰かのその声を合図とするように、盗賊たちは一斉にナナへ目掛け駆け出す。我先にと刃を向けながら突っ込んでくるその模様に、統率という言葉などない。
「…………。」
対して、それを見たナナは今まで以上に剣を握る手に力を込めると、その場で少し大きく、横に剣を振りかぶった。
片足を一歩退き──瞬時に走れるように体勢を構え──向かってくる盗賊たちを目線の先に捉える。
そして、駆けてくる盗賊たちよりも更に速い速度で自身からも駆け出すと、盗賊たちと正面から鉢合う瞬間──太刀筋を盗賊たち全員に流し込むように、振りかぶっていた剣を横向き斜めに思いっきり振った。
「”撫譲”──!」
その瞬間、ナナへ斬りかかろうと駆けていた盗賊たちが、正面より纏めて斬られる。
「「「ぐわぁっ!!」」」
呻き声を上げ、斬撃と共に血を流し倒れる盗賊たち。その後方には、剣を振り切った体勢のナナが居た。
盗賊たちと鉢合う瞬間、数人と居る盗賊たちをナナが一太刀で斬ったのだ。
反撃や回避の隙を与えない、ナナの素早い剣技と動き。そして、数人の人間をたった一太刀で斬る正確さ。
ナナのこの剣技は、この世界で生きるために10年かけて培ってきたものだ。
そう……あの日からずっと──10年間──この世界で生きるために、ナナはひとりで魔物と戦いながら独自で生きる術を得てきた。
魔物と戦うとなると、大抵の人間は複数人でパーティーを組み、明確な準備のもと、絶対に被害を出さないように考慮しながら魔物に挑むもの。魔物狩りとは従来より、確立された一方的な狩りなのだ。
危険が伴うのは当然だが、最低限、被害を出さないように狩りを行うのが一般常識。狩りの成功より命が最優先。少しでも計画に狂いが生じれば、一時撤退は当たり前だ。
魔物狩り──すなわち、魔物と戦うという行為に、戦闘というものは本来存在しない。
だが、それはあくまで、魔物を狩るという行為のみに当て嵌まることであり、脅威による対立・抗争とは、また話が違ってくるのだが、今はそれについては触れないでおく。
つまり、ほとんどの人間は、魔物と一対一で戦うということをしない。
当たり前だ。誰しも命が惜しい。わざわざ魔物と命のやり取りなんてしてやる理由はない。
だが──本来なら、戦う必要のない狩りの対象としかならない魔物と、ナナはいつもひとりで戦っていた。
初めて魔物と相対したのは、故意によるものではなかった。必然による、抗えぬ遭遇だった。
戦う術を知らない。逃げる術を知らない。助けを求める人間も居ない。
文明社会を焼き払った魔物を見てはいたが、実際に面と向かって対面したのは初めてだった。足が震えた。恐怖した。
住み場所を焼き払われ、家族を失い、今更、生きる理由もないのに、対面した死の予感に恐れを抱いた。
だから──抗った。
もし奇跡を信じるなら、あの日に運良く生き残ったことの次に、奇跡といっていいかもしれない。
ナナはまた、何もなくなった世界で生き残った──。
そして──初めて魔物を殺した。
それから、ナナは抱いた死の予感を取っ払うかのように、この世界で生きる術を得るため、最低限、自分ひとりでも抗えるような術を得るため、日々を魔物との戦いに費やした。
そうして、魔物と弱肉強食のやり取りを交わすうちに、徐々に魔物に対する恐怖も薄れ、独自の剣術や魔法も編み出し、いつの日か、ひとりで魔物と戦い過ごしていくことが普通のこととなったのだ。
今でこそ、ナナはこの辺りの魔物であれば、一人で狩れるほどの実力は持っている。
ナナ本人はあまり気にしてはいないが、いくらこの辺りの魔物が弱いとはいえ、魔物相手に一人で渡り合える人間など、この地にはほとんど居ないだろう。
そんなものは──初心者とはいわない。
もちろん、盗賊たちはナナの人生を知るはずもないのだが、ナナにより纏めて倒された同胞たちを見て、さすがの盗賊たちもナナが只者ではないことを悟る。
同時に、ナナに負けず劣らず、武器も使わず素手で大の男を軽くあしらうルナにも、同じくらいの脅威の目が向けられた。
「強いぞ……! こいつら……!」
盗賊たちの勢いが失速。体を硬直させるようにたじろぎ、ナナたちから一歩身を退き始める。
ニロの仲間たちも同じように驚いているなか──しかし──たった一人だけ──眉間に目一杯のシワを寄せている者が居た。
「おのれぇ……!」
その地響きのような低い唸り声に、ピクン、と反応したのはニロの仲間たち。
恐る恐る声のするほうを見上げると、釣り上がった目に影を落とし、自身の歯を噛み砕こうとしているかというほど、怒りに歯を食いしばっているオオグマの姿があった。
そんなオオグマの姿に少女二人はもちろんのこと、今まで恐怖を押し殺していた青年までも、慄いた表情で一歩身を退く。
オオグマの怒りに触れたのは、決して自分の部下がやられたことに対してではない。高々獲物二匹、狩ることもできない部下への不甲斐なさと、自分の縄張りで好き勝手に抵抗する、ナナとルナに対しての怒りだった。
そんな怒りが極限にまで達したのか、オオグマは突如、目をカッ! と見開くと、その巨体とは思えない身体能力を発揮し、なんと、その場から大きく跳んだ。
まるで大砲の玉でも打ち上げられたかのような音と衝撃風に、オオグマの足元に居たニロの仲間たちは思わず腕で顔を覆う。
「…………!」
そうして、慌てて目で追うように上を見上げると、跳んだオオグマは夜の空を覆いながら、ナナとルナの方向へ目掛けているのが分かった。
ニロはその存在にすぐに気がつき驚愕し、牽制し合っているナナとルナ、盗賊たちは、何かが落下してくるような音を聞き、遅れて上を見上げる。
「ガキ共があぁぁ!!!」
すると、その巨大な体の身の丈に合った、巨大なハンマーを頭上へ大きく振りかぶりながら落下してくる、オオグマの姿が全員の目に映った。
「…………!」
鬼の形相で落下してくるオオグマに部下の盗賊たちさえも驚き、ナナとルナも突然過ぎる情景に驚愕する。
しかし、あの巨体の落下を止められる者は居ない。
オオグマはナナとルナを空中で文字どおり見下ろし、その存在を捉えると、足で着地する代わりというように、その巨大なハンマーを地面へ目掛け振り下ろした。
落下による自身の全体重を乗せたハンマーの一撃。それにより、まるで隕石でも落ちたかのような衝撃と共に地面が砕かれ、近くに張られていたテントが崩れ、潰れ、吹き飛ぶ。
土砂が四方に散布するなか、なんとかハンマーの直撃は避けたナナとルナだったが、その衝撃にほかの盗賊と共に吹き飛ばされてしまう。
そうして、自分の立ち位置を獲得するかのように人間を四方へ吹き飛ばしたオオグマは、その中心へ、ドスン、と着地した。
吹き飛ばされた者たちは衝撃が過ぎ去ると共に各々立ち上がり、荒れた大地や潰れたテント、吹き飛んだ自分や他の人間たちに、数秒思考が停止する。
ナナも吹き飛ばされた後、姿勢を低くしていた体を立ち上がらせながら──。
「仲間諸共かよ……。」
冷や汗混じりにそう呟き、ルナも朝起きのように上半身を垂直に起こしながら──。
「はぁー……! びっくりしたぁ!」
目を丸くし驚き、ニロも──。
「なんて馬鹿力だ……。」
顔を遮っていた腕を下ろしながら、呆れと驚愕に呟いていた。
着地したオオグマが辺りを見渡す。
そして、立ち上がったナナを発見するなり、自身の影が覆う位置までナナに近づいた。
「…………。」
「…………。」
見上げるナナと、見下ろすオオグマ。遂に、その目が互いを捉える。
……………
一方で、ニロは盗賊たちの陣形が崩れた隙に、仲間たちのもとへ駆け寄っていた。
「ニロ……!」
「みんな……! 無事で良かった!」
出会い、大声を上げられないなかでも喜び合う仲間たちとニロ。ようやく確認できた互いの無事に、心の底から安堵する。
しかし、不意に、青年が少し真面目な顔つきになると、オオグマとナナたちのほうへ目線を移しながらニロへ問いかけた。
「あの人たちは……?」
ナナとルナの登場──そして、数十人の盗賊を相手に一歩も退かない強さで戦う情景に、まだ困惑しているといったふうの青年。
そんな青年に対して、ニロは安心させるように強気の表情で微笑みかける。
「優しい人たちが手を貸してくれたんだ……! でも、まさかあんなに強かったなんて……。」
しかし、ニロもまだ半分、驚いているといったふうに呟きながら、真剣な様子でナナたちを見守る。
……………
遂に相対したナナとオオグマ。
もはや言わずもがな、その体格の差は歴然。目の前で見て、改めてオオグマの圧倒的な巨大さが分かる。
もちろん、山のように巨大──というのは比喩表現だが、そう譬えたくなるような人間離れした体格を持っていた。
ナナの倍以上はある身長に、横幅は四倍以上。筋肉質な褐色の胸板は、まさに筋肉の壁。剛腕を思わせる大木のように太い腕には、歪な隆起が備えられている。
剥ぎ取った獣の皮をそのまま着たかのような獣皮の服を羽織り、ズボンは腰から足首まで肌を隠した、これまた暗い色合いの獣皮のような素材。
その顔に刻まれたシワは人生の深みを語り、同時に人生の半ばに差し掛かっていることを意味しているが、その表情に老いは感じさせない。手に持った巨大なハンマーは人一人を簡単に覆い、押し潰すことができるだろう。
改めて、オオグマを見てナナが抱いた感想は、その名のとおり──巨大な大熊だった。
そんな、相手の情報を探るかのように互いに睨み合っているなか、不意にオオグマも探るように口を開く。
「お前……中々やるようだが、何者だぁ……?」
恐らくそれは、心の底からの問いだろう。オオグマはナナを、獲物ではなく敵と認識したようだ。
しかし、その問いを聞いたナナは少し困ったように眉をひそめた。
「何者って訊かれても……ただの……一般人……?」
ナナは特に肩書きを持っているわけでもなければ、何かに所属しているわけでもない。加えて、何か目的を持って生きているわけでもないので、「何者」という質問に対する答えを用意できなかった。
だが、オオグマにとってはそれが相当な煽りに聞こえたのだろう。さながら、「お前如きに教えてやる名はない」とばかりに。
オオグマの眉がピクつく。
「……いい度胸だ。心底むかつくぜ。テメェ、俺がどういう通称で呼ばれてるか知ってんのか?」
代わりというように、自身のことを知らしめるかのように問いかけてくるオオグマだが、ナナはその問いには答えない。知っているが、わざわざ答えても大した返しはこないだろうと悟ったからだ。
そんなナナの表情を見たオオグマは、知らないなら教えてやる、とばかりにニヤリと笑みを浮かべると、不敵に口を開いた。
「俺は──岩男だぞ!」
どうだ、とばかりに言い放つオオグマだが、その瞬間、その言葉にオオグマ以外の全て人間に疑問符が浮かぶ。
──岩……?
ナナを含めるナナの味方たちが、「あれ? そうだったっけ?」と頭の中で首を傾げる一方で、部下である盗賊たちはこの状況に憶えがあるようで、皆、口には出さないが、やれやれまたか、といったような表情を浮かべていた。
そんな、少しシラけたかのような空気が流れるなか、一番近くに居た盗賊の男がオオグマへ耳打ちをするように囁きかける。
「お頭……! 岩男じゃなくて、山男ですよ……!」
その囁きに、オオグマが耳を傾けながら「あぁ……そうか」と納得の表情を浮かべているのを見て、ナナは「そんな間違いするか……?」と呆れた表情を浮かべる。
しかし、気を取り直したかのように再びオオグマがナナへ目を向けると、先程までの緊迫した空気が帰ってくる。
警戒の表情へ切り替えるナナへ、オオグマは改めて言い放った。
「そうだ。俺は沼男だ!」
緊迫した空気はどこへやら。謎過ぎる言い間違え──しかも、訂正後の二回目の言い間違えに、全員が肩すら落としそうになった時、この空気の一番の被害者であるナナが思わず呆れた表情で呟いた。
「……バカなのか……?」
その言葉に、ナナの味方たちは心の底から頷いたが、それを聞いた盗賊たちは皆、冷や汗を垂らしながら口をあんぐりと開けていた。
──それだけは言っちゃいけない……!
オオグマの部下たちは知っている。バカなんて言葉を口にしたら、殺されても殺され切れないと……。
「バカ……だと……!」
盗賊たちがオオグマから距離を取るようにそっと身を退き始めるのに比例して、オオグマの眉間にメリメリとシワが寄っていく。
お帰り緊張感。
オオグマが怒りに震え、まるで感情を噴火させるかのように目と口を大きく見開くと──。
「俺を……! コケにしやがって!!」
ナナへ目掛け、勢いよくハンマーを振り下ろした。
再び地面が砕かれ、飛び散る土砂と共にナナは後方へ跳び、オオグマのハンマーを避ける。
「ふん!」
それを追うように、オオグマは一歩と共にハンマーをひと振りしながら、なんどもナナへ目掛けハンマーを振り、ナナは後ろへ退きながら振られるハンマーを避け続ける。
……………
ナナがオオグマとの戦いを始めた頃──逃げるようにオオグマから離れた盗賊たちは、ナナを仕留めることを諦め、ルナを狙っていた。
ルナは次々と向かってくる盗賊たちを順番に殴り、蹴り、振り下ろされる刃を避け、また蹴り飛ばす。
小柄なゆえに、とても軽い身の熟し。まるで宙を舞う綿毛のように、ふわっ、と盗賊たちの間を跳び回り、自分より背丈の高い男たちを軽やかにいなす。
だがそれでも、体力は無限ではない。
これも小さな体ゆえなのか、徐々に疲れが見え始めていた。
……………
薙ぎ払うかのように左右へ乱暴に振られるハンマー。それにより押し退けられた大気が辺りに散り、後ろへ退き続けるナナへ吹きつける。
後、再びオオグマの頭上へハンマーが振り上げられると、一歩と共に勢いよくハンマーが振り下ろされ、また地面が砕かれた。
ナナは、それも後ろへ跳ぶことにより避けるが、飛び散る土砂や砂塵から目を守るため、反射的に腕で顔を覆う。
しかし、ハンマーを一度振り下ろしてしまったため、オオグマの流れるような連続攻撃が一瞬途切れる。
それを見計らったナナは後方へ着地した後、遮っていた腕を素早く下ろすと、今度は跳ね返るように地面を蹴り、オオグマの懐へ飛びかかるように斬りかかった。
だが、攻撃が一瞬途切れたとはいえ、オオグマにもハンマーを構え直す時間はあった。
飛びかかってくるナナを、飛んで火に入る夏の虫、というように見下ろすと──。
「無駄なことを!!」
そう言い放つと共に、既に横へ振りかぶっていたハンマーの平たい面で、向かってくるナナを振り払うかのようにハンマーを振った。
同時に、ナナは向かってきたハンマーを剣で受け止めるが、その圧倒的な体格差とパワー──そして、何より、しっかりと地面を踏み締められているオオグマに対して、ナナは空中へ跳んだため、衝撃を流す足場がない。
これらの条件のもと、剣とハンマーによる一瞬の鍔迫り合いは生じたが、数秒と経たずしてナナが押し負ける。
しかし、押し負けることを鍔迫り合った瞬間に予期していたナナは、弾き返され吹き飛ばされながらも体勢を立て直し、踵から順に滑るように地面へ着地した。
だが、予期せぬことに、オオグマは着地したナナへ追い討ちかけるように、今度はハンマーの尖った面で薙ぎ払おうと迫ってきた。
「食らえ!!」
「…………!」
ドンッ、と大きく一歩踏み出し、向かってくる横振りハンマーに対して、ナナは咄嗟に剣の腹でハンマーの尖端を受け止める。
耳鳴りがするかというほどの鋭い金属の衝突音が辺りに流れ、剣が折れるかというほどの衝撃に歯を食いしばる。
「くっ……!」
カチャカチャと震える刃。腕から体中に伝わる衝撃。踏み締め踵に集まる土。
だが、そんな耐えも一瞬のこと──体は限界を感じ、衝撃を止めることを拒絶。オオグマが特に力むこともなくハンマーを振り切ると、同時にナナの足が地面を離れ、その重い一撃に弾かれるように吹き飛ばされてしまった。
撃ち出された弾丸のように吹き飛ばされたナナは、そのまま背中からテントのひとつへ突っ込み、テントはその衝撃に崩れ、中にあった木箱諸共、砂煙を撒き散らしながらナナの姿を覆い隠す。
それを見届けたオオグマは、吹き飛んだナナのほうへ体を向けながら、振り切ったハンマーを肩へ乗せ鼻を鳴らした。
「ふん。小癪な奴め。」
対して、同じくそれを見ていたニロたちは、その表情に心配と焦りを浮かばせる。
「ナナさん……。」
ニロが小さく呟き、そして、ふとルナのほうへ目を向けると、こちらも盗賊たちに詰め寄られ、固定松明を背に背水と化しているような切迫した情景が目に映った。
凶暴な動物を追い込むかのように少しずつ歩み寄ってくる盗賊たちに比例して、ルナは弱気な表情は見せないものの、冷や汗を垂らしながら一歩ずつ身を退いていく。
だが、先にも述べたように、背後には固定松明。これ以上は、その熱により身を退けない。
「…………。」
刃を構え、徐々に歩み寄ってくる盗賊たち。
逃げ道はなく、かといって、武器を持たないルナが特攻を図っても、陣形を組んでしまった盗賊たちの刃のリーチは越えられない。
もはや絶体絶命──。
誰しもがそう思い、盗賊たちもようやく、この子ねずみを捕らえることができる、と歩幅を大きくしようとした時──企みを以たルナの強気な笑みが松明により照らされた。
「仕方ない……! だったら見せてあげるよ……!」
追い込まれた小動物の戯言か。しかし、追い込まれた獣ほど、何をするかは分からない。ルナの表情からはそんな、言いようのない自信が溢れていた。
今まで素手のみで戦っていた少女の、新たな戦法を仄めかす発言。まさか武器が出てくるのではないか、と盗賊たちが警戒に近づけずにいると、ルナは唐突に、前方へ両腕を伸ばし始めた。
すると、ルナの伸ばした両手のひらの前に、一つの”魔法陣”が展開される。
色のない真っ白な光を放つ魔法陣は、人の頭よりふた回りほど大きい程度の円を以て形成し、ルナの体から溢れる優しくも威圧的なオーラと同調するように、歯車のような僅かな回転を始めながら、その輝きを増した。
盗賊たちは察する──。
目の前の少女は今──”魔法”を発動させようとしていると──。
魔法というものを完全に説明することは難しいが、簡単に説明すると──魔法とは”魔力”を元に変換された『物質・エネルギー・概念』のこと。
『物質』であれば、炎、水、空気などの元素から、石や鉄、混合物や人工的物質までの、ありとあらゆる物質に変換させることができる。しかし、大半は一時的変換による、その性質を完璧に模造したものに過ぎない。使用者の意志、または使用者の意識消失や死、魔力操作範囲外による変換された物質の魔力消失、大気中の魔力との融合などの要因を経て、基本的には全ての魔法として生み出された物質は魔力へ還る。
『エネルギー』は文字どおり、目に見えないものや触れることのできない、概念的な動力を基本としたもの。魔力を一時的に引力や浮力に似たものへ変換し、物体の遠隔操作を行ったり、運動や熱、電気や磁気、光、音、原子といったものへ干渉、或いは操作を行う。ただし、『物質』へ変換させることと違い、『エネルギー』へ変換、操作という行為を行なっている間は、常に魔力を使い続けなければならない。あくまで『エネルギー』の変換、操作という行為は、魔力で模造した動力を魔力により操作している行為である。
最後に『概念』とは、この世の全ての概念を示したものである。例えば、闇や影、色といった曖昧な概念。成長、修復、治癒の促進などの生の概念。その逆、崩壊や腐食、風化などの死の概念。時間の流れ、速度、遅延、時の概念。移動などの空間の概念。一時的な肉体促進、強化、弱体化。物質、性質、質量の変化。融合、物質の借用、変化の概念。
つまり、ここに記載することのできないほどの数多の概念。人間が考え得る全ての事柄、上記のルールに適用されないようなその他への変換が、この『概念』である。
要するに──人が古来より想像してきた”魔法”なのだ。
……………
ルナにより展開された魔法陣──それと共に、その背後で揺らめきを始める固定松明の炎。そのうち、その揺らめきが蛇のような激しい畝りへと変わると、ルナの生み出した魔法陣へ吸い込まれていくかのように流動を始めた。
それを見た盗賊たちがたじろぐ。
「な、何をする気だ……!」
何かを放つわけでもなく、何かを生み出すわけでもなく、ただ背後の固定松明の炎を吸引する魔法陣。まるで、ブラックホールにでも吸い込まれていくかのような見たことのない炎の動きに、盗賊たちは僅かな神々しさを感じながらも未知なる恐怖を抱く。
ルナは、そんな魔法陣を抑えるかのように両腕を伸ばしているため、魔法陣で吸い込んだ炎を自らへ吸収しているかのようだった。
そして、数秒の後──ルナが詠唱するかのように声を張り上げる。
「”コピー&テイク”!」
すると、その瞬間、白く輝いていた魔法陣がオレンジ色の発光へ変わると共に弾けるように消えると、ルナの桜色の髪が鮮やかな赤色へと染まり、同じく桜色のふわふわとした質感のパーカーのような服も、基調は赤へ──三日月模様の桃色はオレンジ色へと変化した。
腰に巻いていたブランケットも、炎の色合いを彷彿とさせるオレンジ色の配色へと変わり、袖口には焔のような花びら模様。共に、体の周りには渦のように流動した炎を僅かに纏い、気持ち、辺りの温度が上昇したような感覚に陥る。
その姿はまさに──炎という概念を纏ったかのような──いや、炎を取り込み一体とし、彼女自身が炎という概念として実体化した、というような姿を彷彿とさせた。
突然、色合いが変わり、更には炎まで纏い出した少女に、盗賊たちは冷や汗を垂らしながら身を退き始める。
さながら、焚き火に怯える獣のように──。
ルナはそんな盗賊たちへ向け、重ね合わせた両手のひらを見せつけるかのように前へ突き出すと、同時に──その空色の瞳が盗賊たちの姿を捉える。
「”星炎”!」
瞬間、ルナがそう言い放つと、重ね合わせ向けられた手のひらから、まるで火炎放射の如く炎が噴き出した。
「な……!」
それを見て驚いた盗賊たちは慌てて踵を返し逃げ出そうとするが、放たれ広がる炎の勢いに回避は間に合わない。
驚愕に顔を染める盗賊たちの表情と──全身を──その鮮やかなオレンジ色の炎が包み込む。
そして、諸悪の心までをも焼き払うかのように、ルナを囲っていた盗賊たちは勢いよく炎に吹き飛ばされた。
これにより、盗賊たちは半壊──。
悪しき心が集ったかのような夜の闇を、ルナの放った炎がオレンジ色に──夜空に輝く星々のように彩った。
……………
崩れたテントを尻餅に立ち上がるナナ。幸い、テントがクッションになったため、軽く腰を打った程度で済んだ。
立ち上がると、夜の闇に勢いよく放たれたオレンジ色の炎が横目に映る。
同時に、吹き飛ばされ飛び散るように倒れている無数の盗賊たちの姿と、固定松明を背に威勢良く立っているルナの姿を確認し、ナナは炎を放った者が誰であるのか察した。
「あの子……ほんと何者なんだ……?」
身体能力自体も相当なものだと認識していたが、まさかルナがあれほどの魔法までをも扱えたことに、ナナは感心の中に僅かな驚きを込め呟く。
もちろん、炎の魔法を扱えること自体は珍しいことではない。
ただ、あの見た目からは想像のつかないほどの割と容赦ない攻撃とその威力──出会った当初から今に至るまで、謎が多い不思議な少女だとは思っていたが、想像以上の実力にやはり驚かされていた。
「…………。」
しかし、今は悠長にそんなことを考えている暇はない。
前方へ視線を戻すと、重い足音を響かせながら駆けてくる、オオグマの姿が目に入る。
「今度こそ……! ペチャンコに潰してやる!」
ハンマーを構え、殺気を露わに勢いよく向かってくるオオグマ。
それを見たナナも、その場で迎え撃つため、再び剣を構えるのか──と思いきや、不意に、思い留まったかのように剣を握っていた手の力を緩めると、なぜか剣を構えることをやめた。
突然の諦め、とも取れる態度だが、小さな動きのせいで気にも留めていないのか、オオグマは勢いを緩めず突っ込んでくる。
ナナはそんなオオグマへ向けて溜め息をひとつ吐くと──一言、呟いた。
「はぁ……仕方ない……。だったら俺も、得意技ってやつを見せてあげるよ。」
それは、諦めなどではなかった。寧ろ、ルナが魔法を使ったのを見て、自身も得意技なるものを使おうと思い立った強気の発言だった。
それを聞いたオオグマの片眉が吊り上がる。
「はぁあ? 得意技だぁ? おもしれぇ……。やってみやがれ!!」
ナナを臆するどころか、寧ろ、オオグマの勢いと殺気に拍車がかかる。
対してナナも、そんなオオグマに臆することなく、ただその場で佇んでいた。
しかし、なぜか剣は下げたまま、構えようとはしない。
「ただし──。」
そして、瞬間──ナナを射程圏内に入れたオオグマが今まで以上の歩幅で踏み出すと──。
「──やれるもんならな!!」
ナナへ目掛け飛びかかるかのようにハンマーを振り上げた。
迫るハンマーと風圧。それでも避けようとしないナナに、今更、回避行動を取っても間に合わない。
♢────♢
だが、その時──ナナの無にも思えるほどの冷静な表情がオオグマの目に映ったのも刹那──鏡に反射した一瞬の光の煌めきのようなものが横切ると、次の時にはナナの姿が消えていた。
(……! 消えた……!)
それを見たオオグマは驚きに目を見開くが、振り下ろされたハンマーの勢いを止めることはできず、そのまま誰も居なくなった地面へ目掛けハンマーが振り下ろされる。
しかし、次の瞬間、今度は、ガキィィン、という鋭い音が響くと、なんと、オオグマのハンマーが空中で止まった。
「な、なんだ……!」
オオグマが思わず声を上げる。それを見るに、オオグマの意志ではないことが窺える。
突然、目の前の人間が消えたかと思えば、次には何も無い空間にハンマーが阻まれた。
立て続けに起きる理解しがたい現象に、オオグマは困惑に冷や汗を垂らしながらも手に持つハンマーへ力を込めるが、いくら力を込めても、ハンマーはこれより前に行こうとはしない。
しかし、確かに感じた衝撃と衝突音。何も無いなんてことはないはずだ。
間違いなく──そこに何かがある──。
ニロとニロの仲間たちや、残りの盗賊たちもその情景に驚いているなか、オオグマは目の前のハンマーの先へ目を凝らし始める。
すると、確かにそこに、何かがあるのが見えた。
森の木々や草原を透き通り映し、ほんの僅かに空間を霞ませ主張する塊は、暗がりを照らす固定松明や月の明かりを歪を以て反射させ、その存在を認識したオオグマに息を呑むのような驚愕と、とある周知の物体を連想させる。
「氷──!」
そう。夜の暗闇のせいで気がつかなかっただけで、オオグマのハンマーは氷塊のような形状の透明な物体に阻まれていたのだ。
その言葉にほかの者たちも驚くが、しかし、不意に、オオグマの横から否定の言葉が聞こえてくる。
「いや……氷じゃないよ。」
声を聞き取り、オオグマは慌てて右へ顔を向ける。
すると、そこには、いつの間に右側へ回ったのやら、つい先程、目の前から姿を消したはずの、変わりないナナの姿があった。
「……! 貴様……! いつの間に……!」
消えた人間の、まるで空間を飛び越えたかのような出現に、オオグマは再び驚愕に声を上げる。
しかし、ナナは驚いている皆に反して冷静な表情でオオグマを見据えると、「氷じゃない」と言った続きの言葉を淡々と話し始めた。
「それは”硝水晶”。──簡単に言えばガラスだ。複雑な形の硝水晶で光を屈折させ、反射した俺の姿をお前の目に映らなくさせたのさ。」
そう。氷塊のような透明な物体の正体は、ナナの”魔法”により生み出された硝水晶──俗にいう”ガラス”の塊であった。
更にナナは、それを自身とオオグマの間に生み出したことにより、歪な形状を保ったガラスの塊が光を屈折させ、ナナを映し出すはずだった光をオオグマの目に入らないようにしたのだ。
ゆえに、オオグマ視点からはナナが消えたように見えた。
その間に、ナナはオオグマの目を盗み、距離を取るかたちでオオグマの右側へ移動。瞬間移動などという不思議な力を使ったわけでもなく、ナナ自身はオオグマの死角を通り、普通に移動したに過ぎない。
加えて、今は真夜中である。差してくる光も弱い松明の明かりや淡い月明かりのみだったからこそ、楽にそういったことを可能にした、夜だからこその戦法ともいえるだろう。
そして、何より、夜の暗闇のせいで透明を保っているガラスの存在自体に気がつけなかった。それらが噛み合った結果、今回のような状況を引き起こしたのだ。
これが──ナナの得意とする魔法──。
“硝水晶”──俗にいう”ガラス”を生み出し、それを操る魔法だ。
「ガラスだと……!」
オオグマの顔が怒りと驚愕に歪む。
そして、再び、自身のハンマーを阻んでいるガラスの塊へ目を向けた。
確かに氷塊のような形状をしてはいるが、氷のような冷気は感じない。
しかも、氷より遥かに透明──。
その透明度は、後ろの景色を曇りひとつなく通すほどの透明度だ。
しかし、オオグマが驚愕に顔を歪ませた何よりの要因は──。
「バカな……! 俺のハンマーでヒビひとつ入らないガラスがあって堪るか……!」
その、強度であった。
オオグマが驚愕しているとおり、あの巨漢から振り下ろされる巨大なハンマーを受けてもなお、文字どおり、傷ひとつ付かないほどの圧倒的な頑丈さを誇っていた。
驚愕するオオグマに、ナナは半ば呆れたように眉をひそめる。
「まぁもちろん、ただのガラスじゃない。魔法で作ったガラスだぞ……?」
ナナのその言葉と態度に、オオグマの頭に一気に血が駆け上る。
「くっ……き……きき……!」
怒りゆえの歯軋りか声か分からない音を出し、自身に仇なす全てを睨みつけた。
オオグマにとって、自分よりも遥かに年下の相手におちょくられることが何よりも許せない。たとえ本人にその気がなくとも、オオグマの機嫌を損ねれば死が待っている。
ガキはガキらしく、目上の者にこうべを垂れ、「はい」とだけ返事をして、ただ従ってればいいんだ。
──小さく弱い者が──この俺に逆らうんじゃねぇ……!
という精神のもと……。
……………
だが、不意に、熱が冷めたかのように急に冷静な表情になると、オオグマはゆっくりとナナのほうへ体を向けた。
オオグマが僅かな間を空け、口を開く。
「…………。……高がガラスを生み出せるからなんだ。──お前を叩き潰せば終いだろ!!」
しかし、すぐに目をカッ、と見開き、勢いよくそう大声を上げると、再びハンマーを構えながらナナへ目掛けて一直線に駆け始めた。
どうやら、心までは冷静ではなかったらしい。
それを見たナナが小さく呟く。
「……確かにそうかもな。」
相手が冷静ではないとはいえ、怒りに任せた力も相当なものであることは確かだ。ただでさえ、純粋な力勝負では勝ち目はないといっていいだろう。
──だから──。
「だから……そうなる前に決着をつけよう……!」
ナナはここで勝負を決めるため、勢いよく向かってくるオオグマを真っ直ぐに見据えると、徐に剣を構えた。
そして、何を思ったか、そのまま構えた剣を上方へ振りかぶると、怒りのままに突進してくるオオグマへ向け、勢いよく──斜めに剣を振り下ろし、空を切った。
ブンッ、と大気が切られる音が僅かに響くが、存知のとおり、ナナとオオグマの距離はまだ離れている。
傍から見たら、オオグマへ向けて、ただ剣を素振りしたようにしか見えないその行動だが──しかし、次の瞬間──。
「──ッ──!!」
まだナナと距離が空いていたはずのオオグマが、突如、正面より何かに斬られた。
鋭利な斬撃音が響くと共に、何が起きたか分からないといった表情を浮かべるオオグマの褐色の胸板から、血が吹き出す。
突然過ぎる出血と困惑に視界がぼやけるなか、オオグマの目に入ったのは、前方で剣を振り切った体勢を維持しているナナの姿──。
「──”白半月”。」
同時に呟きを耳にし、オオグマは自身に起きた現象を前方の男の仕業だと本能的に察するが、その理屈までは分からない。
(ば、バカな……!! なぜ俺は斬られて……! い、一体……! どんな魔法を……!!)
朦朧とする意識の中、オオグマは困惑の表情を浮かべながらナナを睨みつける。
だが、もう思考も体もいうことを利かない。
胸にできた斜めの切り傷から血が流れ、腰から膝へ垂れていく。
既に、血を流し過ぎた。
「がはっ……!」
そのうち、オオグマは数滴の血を吐くと共に意識を手放すと、白目を剥き、仰向けに勢いよく倒れた。
その倒れた衝撃が渓谷に響き渡る。
「…………。」
後、ナナは剣を鞘へと仕舞う。
同時に、それまで時間が停止したかのように固まっていた盗賊たちが、今までにないほど驚愕に冷や汗を垂らしながら動揺に口を開き始めた。
「が……! お、お頭が……! やられた……!?」
「バカな……! あのガキ……! 一体、何をしやがった……!」
傍から見ていた盗賊たちも、なぜオオグマが斬られたのか理解できないといった様子。
もちろん、それはニロとニロの仲間たちも同じのようだが、彼らはそんなことよりも──。
「凄い……! オオグマを……倒しちゃった……!」
恐怖の元凶であるオオグマが倒れたことに、希望を込めた表情で驚いていた。
……………
そして──。
「ねぇ! ニロたちから奪った物、返してよ!」
元の桜色に戻っていたルナが、まるで子どもを叱りつけるかのように残党となった盗賊たちへ言い放つ。
「は、はい……!」
対して盗賊たちは、大人気なく地面に膝をつき、降参に意を示していた。
その様子は、大人と子どもの立場が逆転しているかのようで、少し面白い。
……………
オオグマの敗北により、盗賊たちは戦意を失い完全に降伏。
一夜の小さな戦いは、ナナとルナの勝利で幕を下ろした。
………to be continued………
───hidden world story───
山越盗賊団、壊滅。




