第21話 大人の責務
人無き森林は混濁を乗せ──いざ、未来を覆う土砂を斬り晴らせ。
“旧街森林”
「ふぅ……これでよし!」
額の汗を腕で拭い、ルナがひと息漏らす。その眼前には、木陰にて寝かせられた二人の少年──ロップとポップの姿があった。
二人共、気絶より深い睡眠の底へ移行しており、涼しげな木陰の中を、ポップなんかは「にいちゃん……りんごがいっぱいだよぉ……」などと、むにゃむにゃ寝言を呟いている。
ここは、広場より端──ナナとグリルニードの戦いに巻き込まれない位置まで、ルナたちが彼らを運んだのだ。
『たち』──そう。ルナの隣には、白緑色の髪の少年──ピピの姿もあった。
隣へ向けて、ルナが笑顔で礼を言う。
「ありがとう! 手伝ってくれて!」
それに対してピピは、少し照れくさそうに視線を落としながらも、怯えの薄れた顔で謙遜を見せていた。
「いえ……お礼を言わなくちゃいけないのは、ぼくのほうです。助けてくれて──信じてくれて、ありがとうございます。」
恐怖に塗れていた反動からか、少し不慣れな礼にも、ルナは笑顔を崩さず受け取った。
加えて、ピピが言いづらそうに付け加える。
「それよりも……手、大丈夫ですか……?」
悲しそうに眉を下げ、彼がちらりと目を向けた先は、ルナの右手。先の戦いで、ルナの右手のひらからはナイフによる鋭利な切り傷──僅かながらも血が流れていた。
しかし、戦いが終わっていない今、彼に余計な不安を与えるわけにはいかないと考えたルナは、右手を庇うように後ろへ隠すと、強気な笑みと共に取り繕い始める。
「大丈夫、だいじょうぶ! これくらい、なんともないから!」
実際、彼女にとって、この程度の傷ならば本当に大したことはないのだろう。
だが、何かと”傷”や”怪我”と縁のあったピピは、自分の発言に僅かながらの戸惑いを見せつつも、懐から白い布切れのような物を取り出すと──。
「えっと……ごめんなさい。自分から「大丈夫……?」なんて訊いておいてなんですが──だ、だめですよ……! 小さな傷でも早めに処置しないと、菌とかが入って大変ですし、何より、長期の出血は命に関わります……!」
そう言い、自身の胸の前へ持ってきた両手の中には、白い布切れ──もとい、包帯があった。
妙に外傷に詳しく、加えて、用意周到な包帯に呆気に取られながらも、ルナはピピに促される。
「手、見せてください……!」
ルナが呆けたままに手のひらの傷を見せると、ピピは慣れたように包帯を巻いていった。
優しく──しかし、外れないように緩過ぎず、真剣な眼差しで手当てを施す姿は、医療のそれだった。
「ぼくはこれでも、”薬師”の卵なんです。本当は、流水か何かで傷口を洗ったほうがいいのですが、今は水がないので、とりあえずは止血だけでもしておきます……!」
クルクルと、赤き傷を覆い隠す純白の巻き巻き。眉を上げ、自分よりも背の低い子を相手に真剣な面持ちで手当てを施される情景に、ルナは包帯より感じる温もりから優しさや和やかさを噛み締めると、そこに、ほんのちょびっとの照れくささを交え、思わず微笑みを浮かべるのであった。
……………
「にいちゃん……みてみて〜……。りんごがぶどうになったよぉ……むにゃむにゃ……。」
「だめだぞ……ポップ……。スケートボードはたべものじゃないんだから……むにゃむにゃ……。」
……………
同時刻──。
前、二つの戦いが終わった後も、ナナとグリルニードはどちらが主導権を握るでもない、牽制のような戦闘を続けていた。
一歩も動くことなく、ただ腕のみを動かして、土の柱をナナへ伸ばすグリルニードと、それを避けるか、或いは、切り伏せるナナ。
互いに一定の距離を空け、遠隔攻撃が可能なグリルニードが少し優勢か。距離を詰め切れないナナが考える。
「…………。」
奴の得意とする魔法は、恐らく、”土砂の操作”。分かりやすく言うならば、”土の魔法”といったところだろう。
口で説明するだけなら簡単だが、実際に相対した身で見れば、正直、かなり厄介な相手だ。
ここが屋外であることはもちろん、この辺り一帯は土壌の宝庫。見渡さんばかりに限りなく敷き詰められている。
足元に始まり、正面、左右、後ろにまで──言うなれば、四方八方、奴の目が届く限り、この場──いや、この全ての大地が、奴の武器となる。
腐っても正規ギルド──。それを言わしめるかのような規模の能力に、ナナは桁の違いを痛感していた。
しかし、魔法の使用は無限ではない。どんな強大な能力でも、元となる魔力が尽きれば、魔法は放てなくなる。
ひとつの勝算として、相手の魔力を尽きさせる、ということも考えていたナナだったが、ここ数分──魔法を多用しているグリルニードの顔には、疲労どころか、一滴の汗すら浮かんではいない。
最初に見せた、部下諸共を巻き込んだ魔法だけを取っても、あれだけの規模となれば相当の魔力が必要になるうえ、同時に、既にそれだけの魔力を消耗しているはずなのに──。
やはり、体内に内蔵している魔力量も桁違いなのか、魔力を尽きさせるために、ナナが一手、挑発をかける。
「そろそろ、本気を出したらどうだ……?」
事実、グリルニードの攻撃は単調の一途。部下諸共を沈めた、あの大地の怒りをも思わせる技を使ってこないところを見るに、明らかに力を抑えている。
だが、グリルニードにとっては取るに足らないことなのか、ナナの挑発を不機嫌に嘲笑った。
「はぁ? 生意気言ってんじゃねぇよ。テメェのような高々小僧の剣士一匹相手に本気を出すわけねぇだろ! お前の相手は永遠に土塊だけだ……! テメェを殺す手段なんざ、なんだっていいんだよ……!」
強者の余裕というやつだろう。もはやこれを、”戦い”とは思っていない様子だ。
グリルニードにとっては蟻の巣駆除も同然。同じ土俵に立っていない限り、本気など出すわけはない。体力の無駄遣いだ。
だが、遊戯くらいにはなると考えたのか、グリルニードがニヤリと笑みを浮かべると、挑発には挑発を以て返した。
「しかし、そう言うお前も本気を出していないだろう……? あの時、銃を防いだ透明な壁の存在を俺が見過ごしたとでも思っていたのか……? お前が妙な魔法を使えることくらい、とっくに把握してんだぜ……?!」
ナナもまだ魔法を使っていない以上、どっちもどっち。腹の探り合いはお互い様とばかりに、挑発を相殺する。
同時に、グリルニードが両腕を広げ、手のひらを上へ向け、持ち上げると、自身を中心に四方から、根っこのような形状の土の柱が蛇のように畝りながら迫り上がった。
顔面に落とした影のもと、不気味に浮かんだ笑みと眼光を宿す。
「まぁ、お前が本気を出そうと出さなかろうと勝手だが、悠長にしている暇はないと思うぞ……? 俺はお前の能力なんぞに興味はねぇからな。──気づいた頃には土の中だ……!!」
身構えるナナへ向け、グリルニードが両腕を以て放つ。
「”壌土竜”!」
瞬間、地面より生えた四本の土の柱がナナへ迫った。
奴の言うとおり、確かに悠長にしている暇はないのかもしれない。相手の魔力の底が見えない限り、このままでは、こちらの体力の限界が先に来る。
グリルニードの言葉どおりに実行するのは悔しいところはあるが、作戦変更──迫りくる土塊たちへナナが剣先を向けると、その左右と上方に、無数のガラスの槍を生成した。
迫る土の大蛇とその奥のグリルニードへ照準を合わせるかのように、ナナが言い放つ。
「”ガラスピア”──!」
無数のガラスの槍が外敵を目掛けて飛翔。既に中腹にまで迫っていた土の柱を次々と貫き、粉々となった土砂諸共、勢いを失い地面へ突き刺さる。
ボロボロと崩れ落ちる土砂とガラスの槍越しに、佇むグリルニードが不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。”ガラスの魔法”とは珍しい。だが、所詮は創造魔法──高は知れてる……!」
グリルニードの四方から、再び土の柱が迫り上がる。
魔法である以上、能力の限界は体内の魔力量によって決まるものだが、広大な大地のもと、無制限に迫り上がる土の柱には、ある種の限界を感じさせなかった。
元より分かり切っていたこととはいえ、やはり、術者本人を仕留めなければ意味はない。
しかし、無数の土の柱がそれをさせない。
強固を貫くに槍の形状は最適だが、重量がない分、一度、外から力が加わると、すぐに軌道が変わってしまうのが難点。土の柱を容易く貫けても、砕けた土砂に煽られてしまい、その先に居るグリルニードまでは届かない。
いや──今回に関しては、特段、重量や貫き力は必要ない。奴の魔法の弱点は、その脆さだ。
自然の土砂を無理矢理に纏め、操っているがためにか、奴の放つ土の柱に結合力はなく、簡単に砕き割ることができる。
「…………。」
ナナが剣先を向け、無数のガラスの刃を生成した。
ここは、一点に力を集中させるのではなく、衝撃を分散させる切る形状へ──。一点にかかる力は減るが、接触面積が増えた分、反動にかかる力も分散する。
砕けた土砂を受け流せるように、形も横長ではなく縦長へ──逆さ三日月型に形成。
僅かに湾曲した鋭い断面が、グリルニードを見据えた。
「──”壌土竜”!」
先程同様、グリルニードより無数の土の柱が迫る。
対してナナも、剣先を向けたまま、それを鋭い目に捉えると──。
「──”ガラスラッシュ”!」
生み出した、逆さ三日月型──或いは、斬撃型のガラスの刃たちを放った。
目算どおり、勢いよく飛翔した無数のガラスの刃は中腹にて、土の柱を容易く切り裂き、無力化を果たし、勢いを衰えさせることなく、真っ直ぐグリルニードへ。
圧倒的強度で勝り、斬撃を可視化させたかのような透明な刃たちは、グリルニードの喉元含め、全身を切り裂くため空気を裂いた。
しかし、それを見たグリルニードは余裕の表情で片手のひらを地面へ向け伏せると──。
「”土壁”──!」
正面より、グリルニードを庇うように迫り上がった分厚い土の壁に、ナナの放ったガラスの刃が遮断される。
数個は貫通することなく突き刺さり、また数個は弾かれた模様に、ナナが怪訝そうに眉をひそめた。
(そうか。あの技があったか。)
攻撃用の土の柱は脆いが、防御用の土の壁は随分と頑丈なことを忘れていた。
次なる目標は、あの壁を突破することか──ナナが土の壁へ目を向けていると、不意に足元から──。
「──”突き土竜”。」
グリルニードの呟きと共に、三本の先の尖った土の柱がナナの顔面へ目掛け飛び出した。
地面より勢いよく伸びたそれらは、細い円錐状の直線的な土の柱。人間の腕ほどの太さしかないが、その先端は非常に尖っており、映った黄色の瞳へ急速に拡大されていくと同時に、ナナは素早く身を逸らし、直前のところでそれらを回避する。
形状は単調だが、能力は槍のそれ。もし突き刺さっていたならば、軽くナナの体を貫通したであろう位置で留まり、奇妙なオブジェクトと化した土の槍はパラパラと土煙を滴らせていた。
今までの柱と比べて重量はないが、単純な殺傷力に振った第二の戦法と不意打ちに、ナナは僅かに冷や汗を垂らし、グリルニードへ目を向ける。
同時に、互いの視線を遮っていた土の壁が崩れ落ちると、グリルニードの睨みにも似た笑みと目が合った。
「大人しく貫かれていれば良かったものを……!」
「そんなやつがお前の前なんかに立つか。」
開いた距離を感じさせないほどに、睨み合う。
グリルニードの右手の地面より、土の柱が迫り上がった。
「本気を出して欲しいなら見せてやるとも……! ただデカい力をぶつけるだけが戦いではない、本当の殺し合いというやつをな……!」
ナナも改めて剣を構え、その覇気に迎え撃つ。
グリルニードが種を撒くかのように片腕を広げると、本番の合図とばかりに言い放った。
「”突き土竜”!!」
瞬間──剣を構えるナナの二、三歩先の正面の地面から、先の尖った土の槍が無数に生え迫る。
種蒔きからの急速成長か──実際は、ただの魔法による遠隔操作だが、木の根のような形状がそう思わせる。
正面のあらゆる角度から迫る土の槍をナナは横へ駆けると共に縫うように避けていき、土の槍はナナの右、左、頭上や顔横などを勢いよく通過すると共に次々と空を刺した。
ナナの通った後に残るは茨のようなモニュメント。敵を捉え損ね、意思なく留まるが、それらの仇討ちとばかりに数本目の一本がナナの服を掠めると、一瞬の隙が生まれたナナへ目掛け数十本の土の槍が同時に迫る。
それを見たナナは僅かに目を見張るが、瞬間的に無数の斬撃が乱雑に往復したかと思えば、土の槍たちは一斉に微塵へ喫した。
細切れの土砂が舞う中、黄色の瞳の眼前で自身の刃が光る。
同時に、その鋭い目の輝きへ、片腕を突き伸ばすグリルニードの姿が映った。
グリルニードの斜め後方より巨大な土の柱が弧を描くように迫り、ナナは剣を振り下ろすと、土の柱を受け流すかのように側面を削った。
列車の如く通過する風圧に髪と衣服を揺らし、抑えるかのように当てられた剣の刃から土砂が散る。
土の柱から剣を離し、ナナがグリルニードへ駆けた。
しかし、不敵な笑みが浮かんだかと思えば、再度、地面より突き上がる無数の土の槍がナナへ襲いかかる。
それを見たナナは咄嗟の判断で後方へ跳び、避け、瞬時に剣を構え直すと、次々にその刃を振り、土の槍を迫る順に切り砕いていった。
土の槍をあしらっているナナへ水を差すように、再びグリルニードが前方へ片腕を伸ばす。
「”壌土竜”!」
真っ正面、急速に迫る土の柱。
対したナナは、素早く目を向けると──。
「”壁ガラス”──!」
自身の前にガラスの壁を張った。
それにより、勢いよく突っ込んできた土の柱がガラスの壁へ正面から衝突し、爆発をも思わせる轟音と共に砕けた先端が爆風の如く砂塵となって辺りを覆う。
土煙とガラスを隔て、煙の奥でゆらゆらと浮かぶグリルニードの影。不意に、その背後より、細長く巨大な影がゆっくりと天へ伸びていったかと思えば、漂う土煙を無理矢理、裂きながら、ガラスの壁の側面から回り込み、ナナの右サイドより突っ込んだ。
一瞬にして地面を捉えた土の柱は、ガラスの向こう側で凄まじい衝突音と共に砂塵を撒き散らし、ナナの姿を覆い隠す。
「…………。」
外と内よりガラスの壁を覆い隠した膨大な土煙。見えなくなったナナを静かに見据えていたグリルニードだったが、不意に、その視線が上を向いたかと思えば、僅かに光を遮りながら降ってくる人影の存在を目視した。
紺色の髪を靡かせながら、白銀の刃を構えるその姿に、グリルニードが不愉快そうな笑みを浮かべ、空を仰ぐ。
「しつこい奴め……!!」
同時に、両腕を勢いよく伸ばすと、空から降ってくる影──ナナへ目掛けて、四本の土の柱を放った。
対したナナも、落下の合間、剣を勢いよくひと振りすると──。
「それはこちらの台詞だ……! ──”ガラスラッシュ”!」
生み出した無数のガラスの刃を撃ち返し、空中より土の柱を粉砕──グリルニードへ迫らせた。
だが、ここまでは前例ある鬩ぎ合い。前回と同様、グリルニードが片手のひらを地面へ構え──。
「”土壁”!」
案の定、迫り上がった分厚い土の壁に、ナナの放ったガラスの刃が阻害される。
「何度やっても同じこと……!」
土の壁にできた影のもと、グリルニードが歪に浮かんだ笑みで嗤う。
暫しの衝突音が収まり、静寂が僅か数秒──。
「────。」
しかし、突如、何かが土の壁を飛び越えたかと思えば、ナナがグリルニードの眼前にまで迫っていた。
「…………!」
グリルニードが驚愕に目を見開く。
そう。土の壁の弱点は、自身の視界すらも遮ってしまうこと。ガラスの刃の防衛のために壁を作らせ、お互いの視界が遮られたタイミングで、ナナが死角となった正面から間合いを詰めたのだ。
「はぁあ!」
壁を飛び越えた勢いを乗せながらナナが刃を構え、無防備に身を退くグリルニードへ目掛けて、剣で斜め切りを放った。
────。
「…………!」
だが──次の瞬間に驚いた表情を浮かべていたのは、ナナのほうだった。
なんと、勢いよく振られたナナの剣は、グリルニードの眼前にてバツ印のように張られた、二本の土の柱によって遮られていた。
「っ……!」
刃は、土の柱の半分ほどめり込んだところで止まっており、そこから先は、まるで芯に鉄の棒でも入っているかのように、びくとも動かない。
加えて、めり込んでしまっているがために、引き抜くこともできず──歯を食いしばりながら冷や汗を垂らすナナの眼前で、グリルニードが口角を吊り上げた。
「これは俺の魔力を更に込めて作った土の塊だぁ……。そんななまくらじゃ、何百回斬りかかろうと、一生、俺には届かねぇよ……!」
「…………!」
瞬間──交差するように張られた土の柱が崩れ落ちる。
同時に、宙へ投げ出されるようにバランスを失ったナナの懐へ、グリルニードが狂気的な笑みと共に侵入したかと思えば、前傾姿勢に向かうナナの腹部へ目掛け、遅れて勢いをつけた自身の右拳を放った。
「がはっ……!」
自然な前傾が歪な前傾へ歪み、ナナの口から数滴の血が漏れる。
魔法とはかけ離れた、ただの殴り。
距離を取らされるように後方へ吹き飛ばされながらも、ナナは片膝をつくかたちで着地を果たし──グリルニードが腕を引き戻し笑みを浮かべた。
「戦いの中で人を殴るなんてのはいつ振りだ……? だが、やはり自らの手で直接殴るってのはいい気分だなぁ……。なぁ?」
不敵な睨みに晒され、ナナも睨みを返すように顔を上げると、口端から垂れる血を腕で拭いながら呟いた。
「……性悪め。」
……………
「…………。」
そんな戦いの様子を、ルナは不安げな表情で見詰めていた。
しかし、手は出さない。いや──出せない。
疲労も然り──右手を負傷しているルナにとって、今の自分は足手纏いにほかならない。そう感じていたからだ。
何より、ナナの邪魔をしたくはない。せっかく、自身を庇ってまでも、グリルニードを引き受けてくれたのだ。
その心意気を──覚悟を、邪魔するわけにはいかない。妨げるわけにはいかない。
「…………。」
ふと、胸の前に添えた右拳に左手を被せる。
さらりとした布地の感触が掌を覆った。
包帯を巻いても、一瞬で傷が塞がるわけではない。疲労や魔力が回復するわけではない。
──せめて、自身が全開であったら……。
ルナ本人はもちろん、手当てを施したピピ自身も、それは痛いほどに理解していたがために、彼もまた、ただ彼女の隣に立ち、共に戦況を見守ることしかできなかった。
互いを信じる想いは同一に──。
残す戦いはナナひとり──。
♢
……………
「──全く、理解に苦しむよ。お前らの言動には。」
片膝をつくナナへ向け、静かに蔑む声が零される。
ナナはその声に、不愉快と怪訝を込めて眉をひそめた。
「見ず知らずのガキの一匹や二匹──そもそも、放っておけば痛い目を見ずに済んだものを……。」
続けるように紡がれるグリルニードの呆れ、嘲笑、蔑み。その全てを、ナナは心の中ですら否定はしなかった。
全くもってそのとおり──。
ナナへ向けるグリルニードの目が、更にナナの本質へ踏み入る。
「年端もいかねぇような小娘ならいざ知らず……お前くらいならそれくらいの能はあるはずだ。なぜ、あのガキを庇い続ける……!」
あくまで今回は、ナナ個人へ向けた問い。
そんなことは解っている──。
しかし──。
ナナはその問いに、ゆっくりと立ち上がると、一切の否定をせずとも、人間のみが持つ、少々面倒くさくも美しい性質を以て──。
「幸い、俺にも情はある。ただそれだけのことだろ。悪党と判った相手に、見ず知らずのガキを渡せるかよ。」
後悔のない、強気の笑みでそう答えた。
生きるうえで合理的ではないが、最も人間らしい動機に、グリルニードも自らが人間であることを思い出したのか、冷酷な表情ながらも黙り込む。
それを確認の後、ナナは敵へ向けていた不敵な表情を僅かに和らげると共に、今度は遠くに見えるピピへちらりと目を向け、同時に、その視線をグリルニードへ戻しながら──。
「それに──。」
──────────
──助けて……!!
──────────
「──あそこであの子を突き放したら、大人じゃないだろ。」
己の意志として、優しくも強く、そう言い切るのだった。
決して、ルナに感化されただけではない。流されたわけではない。
自身の確かな意志として、ナナは今、ここに立っている。
しかし、グリルニードはそれを鼻で笑い飛ばしていた。
「ガキが一丁前に大人を語るんじゃねぇよ。お前みたいな命知らずが大人ってんなら世も末だ。笑わせるんじゃねぇ!」
完全に相対した考え方に、心底、憤慨していることだろう。
なぜなら、対立しているナナ自身、グリルニードの言葉に、内心、冷淡な怒りを増幅させていたからだ。
剣の柄を強く握り締める。
「人を助けないのが大人というなら、それこそ、この世の終わりだろ……! ──泣いてる子どもを見捨てる大人がどこに居る!!」
そして、その言葉と共にグリルニードへ目掛けて駆け出すナナの姿に、ピピは思わず丸い瞳を潤ませた。
しかし、それは、悲しみや恐怖からくるものではない。嬉しさや感激からくる、感動の涙だった。
今日だけで、己の最大の敵と、己の最大の味方に出会い、その落差だけで、彼の小さな胸はぐちゃぐちゃである。
……………
「ナナさん……?」
一方で、マグルとの戦闘を終えたチロットも、このタイミングで広場へ帰還。
距離も相まって、ナナが何を言っていたのかまでは聞き取れなかったが、その憤った様子に最後の木の葉を潜りながら、全てを賭けた決着の行く末に立ち会うのだった。
……………
迫りくるナナへ向け、グリルニードが拳を眼前に構える。
「何が大人だ。ガキひとり見捨てられないお人好しだと、素直にそう言やいいだろ。お人好しは長生きできねぇ。心身共にな……!!」
そして、そのまま構えた拳を解すと、途端に両腕を広げながら、黒い笑みを纏わせナナを見据えた。
グリルニードが己の魔法と共に待ち構える。
「そのお優しい幻想と共に土葬してやるよ……! 荒く、丁重になぁ……!!」
グリルニードが片腕を伸ばし、手のひらを上へ向ける。
同時に、手招きをするかのように一度、指を起こすと──。
「──”塚土竜”!」
その言葉を合図とするように、辺りから、分厚い壁のような土の塊が間欠泉の如く、ボコボコと迫り上がり始めた。
まるで地殻変動。無数の土の塊が遮蔽となる、妙な地形に変わりつつあるが、ナナは気にも留めず、ただ一直線にグリルニードのみを見据え、駆けていく。
何を仕掛けようとも、グリルニードさえ仕留めれば終わり。そんな考えが強く表れているのか、矢となり突き進むナナだったが、それをグリルニードが見逃すはずはない。
見計らったかのように、グリルニードの笑みが浮かんだかと思えば、駆けるナナの足元より、分厚い土の塊が急速に迫り上がった。
察知した黄色の瞳が反射的に見下ろすが、避ける暇を許さず──。
「かはっ……!」
迫り上がった土の塊により、ナナの腹が押し上げられるかたちで天へ突き上げられる。
両足が数センチ地面を離れ、力なく抱えられたそれは、まるで死人の磔。項垂れた頭から、ルナたちは思わず息を呑むが、すぐに、開かれた口より、ギリッ、と鉄分が噛み締められると、土の塊が十字に斬られた。
宙に舞った二片と地面に固定された二片とで、見事に四分割を果たした土の塊。その中心で、ナナが地面に降り立つ。
「っ……。」
痛みと怒りに歯を食いしばりながら顔を上げると、追い討ちとばかりに、二本の土の柱が迫ってきているのが見えた。
避ける暇はない。ナナが剣を振り上げる。
「っ──”白半月”!」
瞬間の振り下ろし。同時に、刃に纏わりつかせた粉状ガラスの斬撃が放たれる。
白くキラキラ、ラメのように輝くそれは、高速で空気を裂きながら、迫る二本の柱を豆腐のように切り砕いた。
それでも、斬撃は衰えることを知らず、そのままグリルニードへ真っ直ぐ飛翔。
思わぬ威力に意表を突かれたグリルニードが焦ったように片手のひらを地面へ伏せ、自身の前へ土の壁を迫り上がらせる。
「”土壁”……!」
視界は遮られたが、防衛は間に合った。思わず、安堵の笑みを零すが、瞬間──鋭い音と共に、土の壁へ白き一閃が走る。
「…………!」
瞬時の判断でグリルニードは横へ跳び、土の壁は斜めに真っ二つ。
その後も、森まで貫通した粉状ガラスの斬撃は、木々を七、八本切り倒し、その余波を周囲に轟かせた。
「…………。」
避けたグリルニードが片膝をつきながら、その様子を目の端に冷や汗を垂らす。
(まだ、あんな威力の技を持っていたとは……。)
立ち上がり、警戒の表情でナナを見据える。
「はぁ……はぁ……。」
一方でナナは、腹部に蓄積したダメージと魔力の消耗により、息が切れつつあった。
そんなナナの様子を見て、グリルニードが再び口角を吊り上げる。
「随分と息が上がっているようだが……そろそろ限界も近そうだなぁ。虚勢も魔力も底を尽きたといったところか。」
グリルニードの挑発に、ナナは表情を変えることなく、狙いを定めるかのように剣先を向ける。
息を切らしてはいるが、疲れを顔に出すことはなく、ただ一心に──。
「もう、お前とは会話を交わしたくない。」
鋭い切先に負けないほどの、冷たく鋭い眼差しで相手を刺した。
二つの鋭利に晒されたグリルニードが不快そうに血管を浮き上がらせる。しかし、そこには同感の意も含まれていた。
「安心しろ……! 言われなくとも、すぐにその口を塞いでやる……! 誰にも声が届かない、暗い土の中で──未来永劫なあ!!」
その声に反響したかのように、グリルニード──そして、ナナの周りの地面から、数十本の巨大な土の柱が畝りながら迫り上がる。
怪物のあばら──大蛇の群れ。日の光を遮り、無数の細長い影を大地に落とすこの光景は、一番最初にグリルニードが見せた、敵味方、無差別に生命を呑み込んだ土砂崩れだ。
ナナを生き埋めにし、この戦いに終止符を打つつもりか──。今までの人生、不利益なものを散々、土に葬り、悪事を隠し続けてきたグリルニードには似つかわしい戦法といえるだろう。
だから、ナナは今更、驚かない。光にも闇にも染まり切らず、ただ隠れて生きてきた中途半端な男に恐怖などない。
土砂など見せかけだ。目を呉れる必要もない。全ての土砂を──日陰を晴らすためにナナが斬るべき対象は、グリルニードただひとりだ。
「…………。」
剣を構え、一直線に駆け出す。
同時に、グリルニードが片腕を伸ばし、宣言した。
「生き埋めになれ!! ──”土石竜”!!」
合図を受け、全、土の柱がナナへ目掛け覆い被さる。
畝る大地を踏み締め、迫る土砂を躱し、ナナは一心不乱にグリルニードを目指した。
閉鎖される大空──一筋の光を潜って、肌や衣服を掠めても気にとめない。
グリルニードが不敵に笑う。
「バカめ……! 逃げられるものか……!」
だが、グリルニードとの距離が縮まれば縮まるほど、土砂の密度は濃く、深く、光が狭まっていく。
大地の流動もより激しく、拡大する土汚れと擦り傷が血を滲ませる。
しかし、それでも、ナナは剣を振らなかった。全ての体力を、距離を詰めることに費やすために──。
寸分でも足を緩めれば、この大地の荒波に呑まれてしまうがゆえに──。
そして、全力の一撃を確実にぶつけるために──。
ナナは防衛することなく、グリルニードの懐をひた目指した。
収束する光。覆い隠される大地。
己を貫いたルナは祈り──力を示したチロットは託し──ピピは安泰と勝利を願った。
あの憎き笑みに一太刀を──。光出ずる土塊の外へ──届け、間に合え、この刃よ──。
生き埋めになんぞ──なって堪るか──!!
「…………!」
眩いほどの光が目を覆う。同時に、グリルニードが驚愕した表情を浮かべた。
土片が舞い、二メートルもない土砂の隙間から、ナナが剣の刃を盾に削りながら飛び出してきたからだ。
明暗差による視界不良を払拭し、光照らす大地にグリルニードを目視する。
「バカな……! あの土砂の中を潜り抜けたというのか……!?」
そう。見事に潜り抜けたのだ。
代わりに、全身、土塗れだが、そんなことはどうでもいい。
ナナがグリルニードへ目掛けて、剣を振りかぶる。
「チッ……!」
対して、グリルニードは顔を顰めながら自身の眼前より二本の土の柱を生やすと、バツ印を描くように交差させた。ナナの剣を防ぎ止めた、あの頑丈な防御魔法である。
「…………。」
しかし、ナナは表情を変えず、勢いも緩めず、後方へ振りかぶった剣で距離を詰めると、その刃に、白くキラキラと輝く粉状ガラスを纏わせた。
もはや、説明するまでもない。
強度には強度。その鋭利さは、今までの戦いで散々見せてきた。
ガラスが土に負けるはずはない──。
ナナは渾身の一撃を以て、ガラスを纏わせた刃を振り下ろした。
「”白月一閃”──!!」
瞬間──白き一閃が迸る。
「ぐはあぁ!!」
同時に、グリルニードが苦悶の表情で吐血すると共に後方へ仰け反り、胸部から血を流した。
眼前に張っていたバツ印型の土の柱も、交差点で見事に切断。『X』の字から『V』の字へと分離を果たし、散った土片と揺らめく緑の長髪がグリルニードの敗北を彩る。
「…………。」
グリルニードの後方へ流れたナナも、その様子を目の端で確認し──皆の表情へ各々の気持ちが乗った驚きが浮ぶと共に、その最期を──地面へ背を落とすグリルニードの姿をナナが背面より見届けるのだった。
………to be continued………
───hidden world story───
土に塗れようとも、肌に血が滲もうとも、生きている限り、日の眩しさを忘れることはない。
明日もきっと──目が眩むほどに晴れ渡るだろう。




