第18話 正規と闇
一対の正規と無数の闇。
“旧街森林”
一斉に向けられた長銃の引き金へ、男たちの指が掛けられる──。
「──”壁ガラス”!」
瞬間の発砲。同時に、ナナの声が響くが、それを文字どおり打ち消すが如く、瞬く間に無数の銃声が広場を覆い、放たれた鉛玉が音速を纏ってナナたちを貫きにかかる。
だが、一歩早かったナナの宣言。ルナたちを庇うように立ちはだかったナナの眼前に、四角い板状のガラスの壁が張られ、初弾を筆頭に精確な狙いの保持した鉛玉は、ナナたちへ辿り着くことなく全て弾かれていた。
しかし、それでも、とめどなく引き金は引かれ、溢れる銃弾はまるで、暴風の日の雨粒の如く叩きつけ、騒音と轟音を伴ってナナたちの精神を削る。
隣人の声すら聞こえない激しい衝突音に、ルナとチロットと少年は耳を塞ぎながら、ナナの背後で身を寄せ合うかのように丸くなり──圧倒的強度を有したガラスとはいえ、薄壁一枚、隔てただけの防衛は、術者にも一切の余裕を与えず、ナナも冷や汗に歯を食いしばりながら、一瞬のヒビすら見逃さないように全神経を張り巡らせ、ガラスの壁と睨めっこをしていた。
何分──いや、実際は何秒とない時間。
気づけば、銃弾の嵐は収まっていた。
途端に帰ってくる森の静寂──大自然の囀り。
悉くが幻想かのようにも錯覚し兼ねないが、向けられた銃口から燻らす煙、木々を犠牲にした無数の弾痕、役目を終え地面へ転がった鉛玉。そのどれもが、少年少女を狙った非道な痕跡として確かに残存していた。
そして、射撃の対象となり、銃弾を一身に浴びせられたナナたちは──。
「…………。」
僅かに眉をひそめた、グリルニードの睨みに晒されていた。
男たちが銃を下げ、後に驚愕した表情を浮かべる。
「……! 銃弾が、通らない……!?」
無傷無痕。一切のヒビすら許していない曇りなきガラスの向こう側では、変わりないナナたちの姿があった。
あれだけの銃弾を受けてもなお、擦り傷ひとつ付かないガラスの壁。改めて、その異常なる強度を再認識させられる。
同時に、手段を失った男たち。銃を以てしても突破できない防壁に、射殺は失敗。命令は遂行できなかった。
どうするべきかと悩む間の刹那──不意に、ガラスの壁越しに桜色の影が動く。距離があるため、よく見えなかったが、目を凝らすと同時に、その桜色の影がガラスの壁を飛び越えたかと思えば、ガラスの面に対して垂直に、ルナが物凄い勢いで突っ込んできた。
困惑と驚愕に気を取られ、眼前まで迫ってきたと気づいた頃には、時既に遅し。運悪く、ガラスの壁の正面方向に居た男の腹へ目掛け、ルナの拳が放たれた。
まるで弾丸の如く、勢いのまま全体重を乗せたかのような拳は、無防備に佇んでいた男を後方へ吹き飛ばし、入れ替わるかのように、ルナがその場へ着地する。
状況を追い切れない男たち。困惑を露わに、自身たちの懐に飛び込んできた桜色の少女へ反射的に目を向けるが、現状を把握する前に、続けてルナが、身を翻すかたちで一番近くに居た男へ蹴りを打つ。
小柄な体から繰り出されたとは思えない、素早く重い一撃。案の定、心構えの余裕すらなかった男は、一人目の男と同様、真っ正面より直撃を受けてしまい、付近に居た数人の者を巻き込むかたちで倒れていった。
おかげで、狙撃隊による陣形は正面より欠損。彼らの横暴な態度がルナの闘志に火をつけ、今まさに、反撃の狼煙を上げたのだ。
唐突な特攻に、敵の判断力は鈍っている。このままいけば、狙撃隊の全滅も時間の問題に思えるが、残念ながら、彼らの後ろにはあの男が居た。
グリルニード──。
困惑に包まれた戦場に対し、傍観するかたちで眺めていたグリルニードは、冷静ながらも不愉快そうに眉をひそめると、男たちへ一喝、命令を飛ばした。
「何をしている。さっさと次の弾を込めて撃ち殺さねぇか! でなければ斬り殺せ!」
グリルニードの言葉に、男たちはようやく戦闘態勢へ。まだ僅かに冷や汗を垂らしながらも、眼前の敵、ルナを睨み、狙撃兵の弾込め時間稼ぎとばかりに、銃を持たない男たちが腰や背から剣を抜く。
ルナも拳を構え、まずは一人──。
「こんの……!」
剣を大きく振り上げ、ルナへ斬りかかるが、彼女は冷静に間合いを把握。振り下ろされる瞬間に後方へ身を退き、躱すと同時に男の左前へ侵入、胸へ拳を放ち、殴り飛ばす。
続けて、次鋒とばかりに二人目の男も斬りかかりに行くが、ルナは同じ要領で回避。時間差で後ろからも斬りかかられるが、足を前へ戻すかたちでそれも避け、振り向き様に左拳のストレートで後ろの男を先に倒す。
その隙を狙い、次鋒の男が二太刀目。背を向けたルナへ目掛け、切り返すかたちで横切りを放つが、察知したルナは自身の右正面へ飛び込むかたちで緊急回避。空中で一回転した後、着地と同時に体を捻り、左足による上段蹴りで男を蹴り飛ばした。
グリルニードの指示から三人の男が脱落。ルナも思わず、ふぅ、と息を漏らすが、敵はまだ数十人と居る。
足を下ろしたルナへ透かさず、別の男の横切りが迫り、ルナは「わぁ」としゃがみ込み、頭上で刃が空を切る。
そんなルナへ、今度は銃口が狙う。気づいたルナがしゃがみ込んだまま、呆けたように目を丸くするのも刹那、横切りを放った男が割り込むように剣を振り下ろし、ルナは驚いた蛙のように跳んで逃げる。
その後も、着地点にて剣を振り下ろされ続け、「おっとっと……」と二、三回ほど飛び退いた後、ルナの背に行き止まり──否、男の硬い胸板が当たった。
呆けたルナが自身の肩越しに見上げると、横長ベース顔の渋い男の睨みと目が合ったのに気がつく。怒りというより、警戒からくる威嚇に近い見下ろしに対し、肩越し上目遣いがそれを相殺する。
どちらもそのまま、数秒、動かずに居たが、照れ隠しのつもりなのか、不意にルナが「えへへ」と満面の笑みを浮かべたことをきっかけに、ベース顔の男が左上から右下へかけて、剣で斜め切りを放った。
油断をついたつもりだったのだろうか。残念ながら、そんなことは一切なかった。
ルナは男を背にした状態のまま、左下へ体を沈め、剣の斬り下ろしを回避する。
同時に、下方から勢いを乗せると、そのまま男の頬へ目掛けて拳をぶつけた。
それにより、男は顔を歪ませながら、体を捻り吹き飛んでいく。
次に、ルナを追ってきた二人の男が駆けた勢いのまま、同時に斬りかかるが、振り下ろした刃に手応えはなし。避けた瞬間すら見逃したのか、ふと、左方向より踏み締めるような音が聞こえ、男たちが目を向けたかと思えば、「はや!」という掛け声と共に、男の腹へ回し蹴りが入れられた。
腰を中心に体をくの字に曲げ、もうひとりの男を巻き込みながら吹っ飛んでいく。
ここまでは危なげなく、快勝。
しかし、不意に──カチャリ──という嫌な音が耳に届く。
共に向けられた筒はルナを狙い、後に──バンッ──と発砲。
ルナはそれを回避──否、正確には、撃たれる瞬間に走り出すことで、相手に外させ、複雑な斜め移動で間合いを詰める。
銃を撃ったのは巨漢の男。迫りくるルナへ続けて、二発連続で発砲するが、動きが速く、どれも外れる。
なんとか照準を合わせ、三発目も撃とうとするが、既に遅かった。悟った男が銃を下ろし、慄いた表情を浮かべたのも束の間、ルナの正拳突きが男の腹にめり込んだ。波紋が脂肪を伝い、巨漢の男は、がはっ、と白目を剥き、その場に倒れる。
素手の少女相手に手も足も出ない男たち、フォレストハント。巨漢の男が倒されたのを最後に、グリルニードが小さく舌打ちを鳴らし──それに気がついたか否か、ルナがグリルニードへ顔を向けると、一言──。
「おまえたちにあの子は渡さないぞ! グリンピース!」
恐らくは、悪気のない言い間違え。しかし、グリルニードは特に何かを指摘するわけでもなく、無言で睨みを返していた。
一方で、ルナという防衛を失ったナナたち側では、また数人の男たちが目敏く、白緑色の髪の少年を狙っていた。
「目的はあくまで後ろのガキだ! 邪魔するやつは斬り殺せ!」
そんな声を筆頭に、剣を構えた一部の男たちがナナたち三人へ迫る。
ナナはガラスの壁を解除しており、近接ならば、直接、斬ればいいという考えのもと、左腰に携えた剣の柄に手を添え、迎え撃とうとする。
しかし、ふと、背後から風切り音が聞こえたかと思えば、構え佇むナナの横を通り過ぎるかたちで、チロットが敵陣へ突っ込んだ。
そして、駆けながら槍を構えると、集団で迫ってくる男たちへ向けて、刃を勢いよく突き出した。
「”槍錐”!」
瞬間──男たちが正面より吹き飛ばされる。
集団で攻めたことが逆にあだとなったのか、槍によって吹き飛ばされた者が更に人を巻き込み、予期せぬダメージとなって地面へ伏せさせ、その中心地に立ったチロットが残りの男たちを見据える。
「あの子は──渡さない……!」
チロットも僅かに前衛へ。そのため、白緑色の髪の少年のもとに居るのはナナだけとなったのだが、それを見計らったかのように、再び狙撃隊の一部がナナと少年へ銃口を向け始める。
それに気がつき、少年が身を退いたのも僅か、男たちの指が引き金へ──。
「…………!」
しかし直前、銃を構える男たちの眼前にナナが飛び込んだ。同時に、一瞬にして二回の斬撃が男たちを襲い、突然のことに思わず目を瞑った者も居るなか、切られたのは人体ではなく、男たちが構えた長銃。
輪切りの要領で見事に三つに分離を果たし、長銃から短銃へ早変わり。
軽量化の到来に歓声もなく、寧ろ、慄きから驚きの表情を浮かべる男たちへ、ナナが脅すように切先を向けると、無表情ながらも睨みを利かせた瞳で見下ろした。
「子ども相手に銃口を向けるな。」
グリルニードの命令と対抗するかのように圧を乗せ、斬らずとも男たちの闘争心を奪う。
三者三様。銃すらも携えた圧倒的な戦力に対して、一歩も退かないどころか好転的な状況に、白緑色の髪の少年は怯えることも忘れ、呆気に取られたように戦況を眺めていた。
しかし、同じ状況を目にしても、立場によって心情は違ってくる。
敵対勢力──グリルニードの表情は怒りに強張り始めていた。
「役立たず共が……!」
不意に呟き、グリルニードの拳に力が籠る。
そして、唐突に、二、三歩ほど前に出たかと思えば、片手のひらを地面へ伏せ始めた。
「面倒だ……! 纏めて生き埋めにしてやる……!」
グリルニードを中心に、不穏な空気が森の広場へ流れ、何か嫌な予感を察知したナナたちが顔を向ける。
これは──恐らく気のせいではない。ただの不穏な空気ではない。
地面へ手を伏したグリルニードから感じるのは、確かな”魔力”──それも、素人でも分かるような、膨大な魔力の流れだ。
魔法を放とうとしていることは間違いない。しかし、この膨大な魔力は一体、どこへ流れているのか──。
──答えはすぐに判った。
瞬間、この場に居る全ての人間が気がつく。
大地が──震動を始めていることに──。
立っていられないほどの振動ではないが、確かに感じる揺れに、全員がその場で停止する。
振動は地面より来ているはずなのに、多くは上を見上げる人間の不思議。しかし、今回に関しては、それは間違いではなかった。
「──”壌土竜”。」
グリルニードの呟きが聞こえた。
すると瞬間、地面が波打つかのように形状を変えたかと思えば、ナナたちや、ほか男たちを囲い込むかのように、幅、五十センチはあろう、まるで木の根のような形状の先の尖った巨大な土の柱が、何本と迫り上がり始める。
土の柱はそれぞれが湾曲しているため、遠巻きから見れば、巨大なあばら骨のよう。
ナナたちの居る戦場は、丁度、そのあばら骨に包まれているかたちになっており、中の全員が戦うことも忘れ、困惑と驚きの表情で土の柱を見上げていた。
男たちは知っている。これから先──何が起きるのか。
ゆえに、今まで以上に焦った表情で、自身たちの上司へ声を上げる。
「ぐ、グリルニードさん! 待ってください! まだ俺たちが──!」
しかし、手遅れ──。
グリルニードが不敵な笑みと共に、静かに言い放った。
「──”土石竜”。」
土の柱が空の閉鎖を開始する。否──正確には、土の柱が中側へ倒れ込み始めたのだ。
日光が次々と遮断され、絡み合った土の柱が空間を狭くする。
脱出を試みようと走り出す者も居るが、土の柱の動きに伴って、地面も流砂の如く脈打つため、足が取られ上手く前へ進めない。
ナナたちもなんとかしようと思考を巡らせるが、相手は大自然の産物──規模が違い過ぎる。
土の柱は大蛇のように折り重なりながら、悲鳴や懇願の声を轟音で遮り、驚愕と恐怖の表情を土気色で遮り、小さき命の躍動を巨大な大地の胎動を以て──瞠った黄色の瞳を最後に、その視線をも遮り、全ての生命を飲み込み蓋をした。
……………
振動や土砂の音が収まり、途端に静かになった広場にて、グリルニードが地面から手を離し、立ち上がる。
まさに一掃──。
何十人と居た人の姿は消え、残ったのは大きく歪に盛り上がった土砂の塊。
「……ぇ。」
希望は一瞬で途絶え、ひとり反対側で残された少年は、土砂の塊を空虚な瞳で見詰めながら、言葉を失っていた。
だが、それは、グリルニードの後方に居た少年たちもだった。
「え……なんで味方ごと……。」
ポップが困惑したかのように呟き、ロップは無言で佇み──マグルが卑しい笑みを浮かべる。
「あ~あ……。随分と呆気ねぇなぁ。」
この場で落ち着いていられるのは、マグルくらいなものだろう。
共に、残ったのは前線に出ていなかった僅か数名の部下たちだけとなり、息を呑む声が、そこかしこから聞こえてくる。
「こ、これが……闇の世界で”埋葬屋”と呼ばれている、グリルニードさんの実力……。」
因果が違えば、生き埋めにされていたのは自分たちだったかもしれないという事実に背筋が寒くなる。
そう。これがグリルニードという男の実力──正規ギルドを冠した男の実力──。
グリルニードがギョロリと部下たちへ横目を向ける。
「何をやっている。さっさとガキを捕まえねぇか!」
「は、はい……! ただ今……!!」
もはや邪魔者は居ないというのに、部下へ強く当たるグリルニードを見て、マグルが鼻で笑った。
「あれは相当、機嫌が悪いな。」
命令を受けた四、五人の男たちは、グリルニードの視線から逃げるように慌てて駆け出し、丘のように盛り上がった土砂を迂回して白緑色の髪の少年のもとへと向かう。
一方でいう少年は、完全に思考が止まってしまったのか、空虚な瞳のまま固まっていた。
幼い子どもには酷な現実。ただでさえ抱えきれない絶望と恐怖に、一瞬の希望からの転落には、心がショートを起こしてもおかしくはないだろう。
あれだけ逃走を続け、ほんの些細な挙動にさえ敏感に怯えを見せていたのに、迫りくる男たちに身すら退かない。
勝敗は決し、人知れず行われた森での攻防戦は、最悪の形で幕を閉じた──かに思われた。
少年の瞳に、光が戻る前までは。
丁度、男たちが広場の中腹辺りまで来たタイミングで、突如、盛り上がった土砂の一部から破壊音と共に、土煙が吹き出すと、前触れなく開けられた穴から何かが飛び出した。
その音に男たちは足を止め、その情景に全員が各々の反応で見上げる。
飛び出したのは二人の人影。予想外の姿だったのか、目視で捉えたマグルが──。
「あいつら……! 生きてやがったのか!」
と、驚いたような声を上げ、二人の人影は素早く宙を翔けると、白緑色の髪の少年の前へと着地した。
それを見て、少年が安堵した表情で声をかける。
「よ、よかったです……!」
土煙を裂き、着地したのはナナとチロット。怪我もなく、心身一如の様子を見せる。
一方で、一人足りない人影──ルナはというと、ナナに背負われるかたちでグルグルと目を回していた。
土の中で洗濯機のように揉まれてしまったのか、意識が溶けている様子だが、幸いなことに、彼女にもこれといった怪我は見当たらない。
暫くして、ハッ、と目を覚ましたのを確認した後、ナナが優しくルナを地面へ降ろし、それと同時に、チロットが改めて胸を撫で下ろす。
「いや~、助かりましたよ。あの時、ナナさんがガラスで壁を張ってくれていなかったら、僕たち今頃、生き埋めになっていたところでした……!」
安堵したように言いながら、ナナへ感謝の表情を向け、それを見たルナも満面の笑みを浮かべると──。
「ありがとう! ナナ!」
担いでくれたことも含めて礼を言い、それを受け取ったナナも微笑みを返していた。
後、ナナが脱出に開けた穴からヒビが広がり、盛り上がった土砂が崩れると、晴れる土煙越しに睨みを利かせているグリルニードと目が合った。
「貴様ら……!」
不愉快そうに怒りの声を漏らしているのも、そのはず。生き埋めが失敗しただけなら、まだしも、グリルニードはその手で自らの戦力を土へ葬っている。
ナナたちが無傷であるならば、その犠牲も無駄骨。いや、無駄どころか、自分で自分の首を絞めた結果となってしまった。
しかし、その結果に一番納得を見せていないのは、寧ろ、ルナのほうであった。
「自分の仲間ごと攻撃するなんて許せない……!」
グリルニードの睨みにルナも睨みを返し、ナナたちは改めて、真剣な表情を纏わせ対峙する。
予期せぬ事態だったが、おかげで、敵の戦力はかなり減った。残ったのは、両手で数えられるほどの戦力のみ。
僅か数名にまで減った部下の男たちと、狂気の後始末屋、マグル。未だ未知数の兄弟、ロップとポップ。
そして、フォレストハントのギルド長であり、悪意の権化──グリルニード。
対するは、ナナ、ルナ、チロットの三人と、守るべき対象の白緑色の髪の少年。計、四人。
戦いも中盤へ──しかし、その前に、ナナがグリルニードへ眉をひそめると、改めて問いかけた。
「そろそろ、この子を狙う本当の目的を教えてくれてもいいんじゃないのか……?」
そう。それこそが、ナナたちが最初に抱いた疑問であり、最大の疑問。正規ギルドほどの組織が、なぜ犯罪混じりなことをしてまでも、この白緑色の髪の少年を狙っているのか。
偽りばかりを語っていたが、本性を現した今ならば、聞き出せるのではないかと思い、問いかけてみたのだ。
「…………。」
グリルニードはその言葉に暫く黙っていたが、隠し通すのも面倒くさくなったのか、もはや、受け流すつもりはないらしい。
今更か、と言いたげに鼻を鳴らすと、静かな声色で聴かせた。
「ふん。そのガキ自体に興味はない。俺たちは依頼を受けたに過ぎん。そのガキ──”ピピ”を見つけ出し、連れてきて欲しいという依頼をな。」
意外──というべきなのか。予想とは少し違った答えに、ナナたちは僅かに困惑を見せる。
「依頼……?」
ナナが言葉を漏らし、グリルニードが続ける。
「そうだ。だがもちろん、ただの依頼じゃない。”裏流通”の依頼をだ。」
裏流通の依頼。言葉のとおり、表には出せない非合法な依頼。請け負っただけで罪に問われることもある、犯罪の指令書ともいえる代物だ。
だが、当然といえば当然だろう。この世界でも人攫いは犯罪だ。ましてや、子どもの拉致を頼む依頼など、正式に受理されるはずもない。その場で拘束──即、牢獄行きに決まることだろう。
だからこそ、こういった依頼は表沙汰に出ることはなく、裏の世界にて人知れず、横行しているのだ。
「お前らのようなガキには想像もつかない話だろうが、この世界には無数の『闇』が存在している。奴らは己の存続と目的のために裏ビジネスを介し、闇の世界で常に蠢いている。」
どの世界にも裏はある。闇はある。
石を返した場所に何が広がっているかなど、整えられた世界で生きてきた者たちには想像すらできない。
「違法取引や密輸は当然──人攫いや人殺しなんてものも、なんら珍しい話じゃない。俺たちにとっては、それが日常だ。」
グリルニードがクイッ、と口角を上げ、何かを描写するかのように、その『日常』の例えを語る。
「つい、この間も、死体を処理してくれという依頼を請け負い、この森の中へ埋めたばかり。──想像できるか……? 俺たちは今まで、数百体の死体をこの森の中へ遺棄してきた。」
ゾッとした。なんの迷いもなく、ただ豊か過ぎるだけの大自然とばかりに足を踏み入れていたが、もしかしたら、『闇』との痕跡を足元にしていた可能性も考えると、ただただゾッとした。
そして、彼らが何年に及び、そういった行為をしていたのかは分からないが、数百にまで及ぶほど、そういった依頼があったのだという事実に言葉を失う。
グリルニードが嬉々として目を見開いた。
「自然は有効活用しねぇと罰が当たるもんなぁ……! だからこそ、国は俺たちにこの森の保護を任せた……! どっかのバカが大切な自然を荒らさないように、しっかりと”管理”しておく必要があるからなぁ……!!」
『何』を管理するためなのか──含みのある言い方で言い、今度はその国をも嘲笑う。
「しかしながら、国は俺たちのことを知らない。俺たちがこの森を有効活用していることも、『闇』と繋がっていることも……! あの国の王は甘いからな。正規ギルドというだけで、俺たちをただの”森林保安ギルド”と信じてやまないのさ……!」
グリルニードの言葉で判ったのは、フォレストハントの表向きの立場は、自然を守る”森林保安ギルド”であったということ。
しかし、それは偽りの姿であり、国や政府を欺きながら、裏では『闇』と繋がっていた犯罪組織であるということ。
白緑色の髪の少年──否、判明した名を”ピピ”。
彼を執拗に狙っている理由は、その『闇』から拉致の依頼を受けたからということ。
どれもこれも、信じがたいながらも重く現実味を帯びた話に、ようやく、今までの疑問が線となって繋がってくる。
だが、全てを曝け出してもなお、グリルニードの目的は、一貫して、少年──ピピに絞られていた。
グリルニードが眼光を強くする。
「尤も、俺たちの主な仕事はあくまで後処理──。本来、闇の深淵にまで足を突っ込む気はなかったんだが、今回ばかりは例外だ。何がなんでもガキは渡してもらう。たとえ、この場に居る全員を生き埋めにしてでもな!!」
そこまでしてまでもの目的。一体、グリルニードの何が、そこまで駆り立てたらしめるのか。
今までの発言を元に、ルナが困惑と怒りを乗せた様子で声を上げた。
「なんで、そんなこと平然とできるんだよ……!」
もはや、その言葉は、グリルニードだけに非ず、世界の『闇』に対して問いかけた悲痛な叫びにも聞こえるが、それを聞いたグリルニードは冷静に呑み込むと、反芻するかのようにゆっくりと答えを導き始める。
「なんで、だと……? ふん。そんなもの──。」
そして、一度、静かに瞼を伏したと思えば、勢いよく目を見開くと共に、驚愕の動機を口にした。
「──金のために決まってんだろ!! それ以外、何がある……!! 高々ちんけなガキを一匹連れていくだけで、莫大な金が手に入るんだ!!」
あまりにもくだらなく、その低俗な理由にナナたちは驚きを隠せなかった。
何か崇高な目的があれば許されるというわけではないが、救いの欠片もない考え方に反吐が出る。
これが本当に、正規の名を担ぐ男なのだろうか。
あまりにも矛盾した人格と肩書きに、気分すら悪くなり兼ねないといった様子のチロットが声を漏らす。
「そんな……! 正規のギルドが……そんなことのために……!」
驚愕ゆえにだろうが、露骨に『正規』という言葉を多用してしまうチロットの言動に不快感を覚えたのか、グリルニードは軽く舌打ちを鳴らすと、それに対しても不愉快そうに反応を示してみせた。
「正規正規うるせぇ野郎だ……。正規ギルドに入ったのも、所詮は裏で動きやすくするためだ。誰が好き好んで無力な人間共のために体なんぞ張るか……!」
もはや、正規ギルドなんてものは偶像なのだろう。寧ろ、遅過ぎるくらいだった。
ナナたち四人は察する。彼らは『正規』なんかじゃない──。
『闇』──そのものだ。
「……もういい。お前がクズなことは十分に解った。」
呆れと不快に睨みを強くして、ナナがグリルニードとの会話を終わらせる。
一方で、それを聞いたグリルニードは鼻で笑うと──。
「自分から訊いておいて随分な言い草だな。ならば、今度はこちらが問おう。なぜ、そのガキを庇い続ける。今までの言動を見るに、知り合いというわけでもなさそうだが……?」
返されたのは、なんてことはない問いだった。
今に始まったことではない。銃弾を浴びせられる前から、とっくに覚悟は決まっていた。
ルナが強い意志のもと、考えるまでもない答えを用意する。
「そんなの……困っている子を助けるのは、当然だよ!」
その空色の瞳に揺らぎはない。迷いはない。
ナナとチロットも心からその言葉に賛同し、ピピは僅かに瞳を潤ませていた。
悪党とはいえ、その言葉の意味が分からないわけはないだろう。理解はできなくても、少なくとも納得はしてもらえる答え──そのはずだった。
イミのワカらない言葉が返ってくるまでは──。
グリルニードが不可思議な笑みを浮かべる。
「……そうか。だったら、俺たちも困っている人を助けることになるとは思わないか……?」
賛同でも否定でもない、譬えるなら、『共感』に似て非なる気持ちの悪い何かに、ルナは困惑した様子で、思わず「え……」と身を退いた。
──こいつは何を言っているのか。
もはや、己の部下たちでさえ首を捻っている現状だが、グリルニードは構わず、諭すように続きを話し始める。
「どういう理由かは知らねぇが……俺たちに依頼をしてきたやつも、そのガキが居なくてさぞ困ってるんじゃないのか……?」
何を言い出すのかと思ったら……と言いたくはあるが、善や悪を差し置くのであれば、それ自体は間違いではない。
ナナたちも決して、法のままに従い、ただの善行として起こした行動ではないがために、その言葉は妙に胸へ引っかかった。
特に、『困っている人を助けたい』という己の信条に従ったルナには、一種の矛盾として突きつけられ、思考がぐにゃりと歪みを始める。
「誰かを救うということは、別の誰かを犠牲にすることと同じ。この世の中──叶う願いは常に一方のみだ。」
相対した時点で、救えるのは──助けられるのは、どちらか一方のみ。どちらかを助けたいと思った時点で、どちらかを見捨てることになる。
──ならば、その判断基準はなんだ……?
顔か……? 言葉か……? 年齢か……?
どちらにしろ、そんなものはただのエゴだ。
「困っている人間なんぞ、この世界には腐るほど居る。たとえ、時間の限りそれらを救っていったとしても、それらに時間や労力を割いただけ、別の誰かを救うための時間を犠牲にしているということだ。果たしてそれは、『誰かを救っているのだから、救い切れなかった人間の分は仕方がない』と本当に言えるのか……? 救われなかった人間はそう思えるか……? お前はそれを──『見捨てていない』と言い切れるか……?」
全ての人間を救うことなどできやしない。だから人は、誰を助けるのかを『選択』する。
それはつまり、本来、助けることのできた者を差し置き、それっぽい理屈をごねて自らが選んだ人を助けているということだ。
そこに──必ずしも私情やエゴがないと言い切れるか……?
どれだけ正論や弁明を並べようとも、世界が称賛しようとも、『選んだ』事実に変わりはない。
選ばなかった──否、『選ばない』ということは、『見捨てる』と同義──いや、限りなく近い行為だ。そうだろう……?
選ばれなかった人間は──見捨てられた人間は、決してお前を称賛しない。
「人間の数に対して需要とは常に足りないものだ。一つしかない物をどうやったら二人に分け与えられる……? 限られた時間の中で、どうやったら全ての声を聴き分けられる……? どうやったら全ての願望を記憶できる……?」
そのどれもを嘲るかのように、グリルニードが鼻で笑う。
「答えるまでもない。ましてや、正反対の思考を持つ人間同士をどうやったら救える……? 手と手を取り合うなんぞ、絵空事にしても笑えねぇ。」
ここは現実だ。理想は叶わないからこそ、常に『理想』であり続ける。
「どちらかを救いたいのであれば、どちらかを犠牲にするしかない。どちらも犠牲にできないのであれば、誰も救えない。それがこの世界の掟だ。世の中は常に二面性で回っているものだ。」
犠牲があるから救いがあり、救いがあるから犠牲がある。
空腹を満たすために他の生物の命を犠牲にするのは、何も人間だけではない。それが古来より続いている世界の自然であり、生物の宿命だ。
薬学や法、道徳的な教訓の過去にも、目を覆いたくなるような数多なる犠牲の酷道が伸びている。
「幸福の分だけ不幸があり、不幸の分だけ幸福がある。影のない場所に光がないのと同じように──逆もまた然りだ。」
光しか知らない者は、それが光であるということを知らない。幸や不幸も同じこと。
善を掲げたいのであれば、まず悪を理解しなければならない。
己の価値観を誇示したいのであれば、相手の価値観に寄り添わなければならない。
大切なのは、目を逸らさないこと。対極にある理不尽から目を瞑らないこと──。
『救い』の対極には何があるのか──グリルニードが歪に戒める。
「結局は、お前が言う『誰かを助けること』は、別の誰かを『不幸』にすることになり得るのさ……! 俺もお前も、ただどちらかを選んでいるだけなんだよ。」
誰かを助けたいという思考は、同時に犠牲を──不幸を生む思考。ルナはその言葉に、胸が苦しくなった。
それを畳み掛けるかのように、不平不満の募ったグリルニードの声が、彼女の心を覆い尽くす。
「そんなことも知らずに、情景や憶測だけで首を突っ込み、『誰かを救う』ために『誰かの邪魔』をしているお前らのような浅い考えの人間が、俺は一番嫌いなんだ……! 自分が善人でありたいがために『人を選んでいる』だけのくせに……! 「困っている人を助けたい」だ……? 綺麗事を抜かすな!!」
そして、その言葉を圧とするかのように、ルナは最後の言葉で後退った。
意志は誰よりも強い彼女。これだけ言葉を並べられてもなお、その瞳の輝きは失われてはいないが、下がった困り眉と伝う冷や汗が思考の淀みを感じさせる。
──自分が今までやってきたことは、ただの綺麗事だったのだろうか……?
──誰かを助けたいと思い起こしてきた行動も、所詮は独りよがりだったのだろうか……?
誰かの助けになれば──少しでも力になれたなら──そう思って生きてきた。
しかし、その考えが、自分の気づかない所で知らない誰かを不幸たらしめていたとしたら──自分が今までしてきたことは、一体なんだったのか……?
あまりにも無意味──。あまりにも無価値──。
誰かを安易に救ったせいで、新たな不幸を生み、それに気がついてさえいないとなれば、もはや、自分の信条なんて──意志なんて──形を成さない。
──いや、そんなものは初めから無かったのかもしれない。
人を助けていたと思っていた行為が、そもそも、人を助けていなかったのだから──。
──だったら、そんな自分に、もはや存在価値なんて──。
────……。
前髪で目を覆い、己の不甲斐なさと悔しさで、ぎゅっ、と胸の前に拳を作る。
人を助けた先にある犠牲や責任すら理解していない自分に、彼を──ピピを助ける資格はない。
そもそも、赤の他人である自分たちが首を突っ込むこと自体、お門違いだったのかもしれない。
強く固い意志は、グリルニードの精密な口弁により、内側から自己崩壊の手前──不意に、迷える彼女の肩に、トン、と支えるかのような手が添えられた。
ルナが肩越しに見上げる。そこには、ナナの姿があった。
優しく温かい手の感触──。
しかし、それに反し、ルナはなんだか申し訳ない気持ちになっていた。
もし、自分の行いが間違っていたならば、彼の手助けにと付いていったこの旅も、所詮は自己満──独りよがり。この存在自体が迷惑になっているのではないかと、余計なことまでをも考えてしまい、見上げながらも上手く声を発せられないなか、ナナの意外な言葉が彼女の信条を後押しした。
「お前は間違っていないよ、ルナ。」
──間違ってない。本当に……?
否定に否定を重ねられ、思考を散々、掻き乱されたルナの瞳に困惑が映る。
同時に、ナナの顔はルナには向いていなく、グリルニードを鋭く見据えているが、不思議と、その表情は落ち着いて見えた。
妙に冷静なナナの横顔に、ルナは少しの驚きを得たせいか、僅かに冷静さを取り戻す。
そして、そんなルナと入れ替わるかのように、ナナが一歩前へ出たかと思えば、グリルニードへ向けて、一言──。
「グリルニードとかいったな。お前はひとつ勘違いをしているぞ。」
あの言葉を全く意に介していないのか、表情も萎えなければ起伏も落ち着いているナナの声に、グリルニードは眉をひそめ、次の言葉を待った。
ナナが静かなる反論を始める。
「そもそも、お前は人を選んでなんかいない。ただ自分の欲のために行動しているだけだ。」
己で言っていた。グリルニードの目的は、あくまで私欲──金だ。
そこに、そもそも『選択』なんてものはなく、『犠牲』以前に『誰かを助けたい』という意思すら見受けられない。
奴の頭にあるのは己だけ──それを突きつけるかのように、ナナが黄色の瞳で睨みを利かせると、自らの発言を洗えとばかりに低い声色で問いただした。
「いつ──お前が人のためを考えて行動した……?」
自分さえ良ければそれでいい。あの男の行動には『人』が居なかった。
「救う、救われないにしろ、そこには必ず『人を助けたい』という意志がある。お前にはそれが欠如している。端っから、人を助けたいという考えすらないお前には、その文言を口にする資格はない。」
目的のためには自身の部下でさえ、必要なく手をかけて、『救う』思考すらないあの男には、人を助けたいという意志を否定するどころか、その人間の『選択』を戒める権利はない。
落ち着いていたナナの表情が僅かに曇る。
ナナは──決して落ち着いているわけではなかった。
溢れる怒りを抑えつけるために、表情へ蓋をしていただけだったのだ。
音もなく鞘から剣を引き抜き、前方へ構えると同時に、ギリッ、と歯を食いしばったかと思えば、仲間への──ルナへの侮辱に対する怒りを込めて──。
「……人のことなんて一ミリも考えていないお前が──誰かのことを考えて行動しているやつをバカにするんじゃねぇよ!!」
心身へ勢いを乗せて駆け出した。
一瞬、取り乱したかと思うほどの迫力だったが、目線は真っ直ぐグリルニードへ。持ち手を左脇腹へ持っていき、刺突の勢いで間合いを詰めにかかるが、中々の距離──グリルニードは余裕を以て、それを嘲笑うと──。
「分かんねぇ奴だな! 大事なのは気持ちじゃねぇ! 理解してるかしてねぇかだろうが!!」
片手で扇ぐように、後方からかけて勢いよく腕を突き伸ばした。同時に、その動きで誘導されたかのように、グリルニードの右後方の地面から根っこのような形状の土の柱が伸び、迫るナナへ突き刺す勢いで突っ込んでいく。
場所にして、およそ広場の中腹──。
土の柱を捉えたナナは、刺突の構えを解き、剣を上段へ持っていくと、正面より刃を振り下ろした。
瞬間──互いの渾身の攻撃が衝突する。
その勢いに、衝撃風が吹き荒れたかと思うほどの音を轟かせ、広場を中心に、なんともいえない圧が広がった。
守りなどない。慈悲などない。あるのは、互いを討つべくした攻めのみ。
ガリガリガリ、と土の柱に刃が擦れ、互いの力を相殺するかのように鍔迫り合う。
しかし、圧倒的な重量を持った土の柱とはいえ、相手は鋭利に鍛え上げられた鋼。
ナナが剣に力を込めると、先端より五十センチほどの所から、乱切りの要領で土の柱が切り落とされる。
首を捥がれた大蛇のように、土の柱の先端は地面へ落下し、砕け割れる。
同時に、魔法の効力が切れたのか、或いは、一度身を退いただけなのか、土の柱はナナ側から順に、音を成して崩れていった。
「…………。」
体勢を立て直し、グリルニードと対峙する。
グリルニードも無言の表情を向けたまま、互いに睨みを返し、ナナが狙いを定めるかのように、切先を向けていた。
「ナナ……。」
その後方で、ルナが心配と申し訳なさを込めた表情で呟く。
決して、全てのつっかえが取れたわけではない。しかし、せっかくナナが庇ってくれたのだから、いつまでも思い悩んでいるわけにもいかない。
戦いはまだ、終わっていないのだ。
自分に、少年を助ける資格があるのかどうか──大切なのは、そこじゃない。資格があろうがなかろうが、今、助けなければ、彼は悪逆に連れ去られ、闇の深淵へ呑まれてしまう。
何より、彼の涙を見た時に、一度覚悟を決めたはず。グリルニードの要求を、決意を以て断ったはず。
途中で意志を曲げたら、それこそ自分勝手──みんなに迷惑をかけることになる。
──彼が、「お前は間違っていない」と言ってくれたんだ。
敵であるグリルニードの言葉よりも──仲間の言葉を信じるんだ……!
「…………。」
グッ、と拳に力を込めると、ルナは改めて、決意ある眼差しで正面を見据える。
もう迷わない。自分で掲げた意志は──最後まで貫き通す……!
……………
その一方で、己の話術を振り払った者──そもそも効かない者──それぞれを一瞥したグリルニードは不愉快そうに眉をひそめると、背中越しに指示を飛ばした。
「マグル、ロップ、ポップ。あの生意気な小僧は俺がやる。お前らは残りの二人を片付けろ。手段は問わない。俺の目的を知ったからには、どんな手を使ってでも、この森から絶対に生きて帰すな……!!」
遂に解かれた鎖に、マグルが「ようやくか」といった表情で不敵な笑みを浮かべながら、グリルニードと同じ線上まで歩み、ルナたちへ目を向けるが──同じように名を呼ばれたポップは、今までの情景やグリルニードの言葉を聞いていたせいか、呆気に取られたような表情で困惑を見せていた。
「え……で、でも……。」
加えて、小さく声を漏らすが、そんなポップの言葉を遮るかのように、ロップが彼の肩に手を置き、静かに首を振りながら、先の言葉を制する。
そして、代わりといったように、グリルニードへ向けて一言──。
「──分かりました。」
そう、指示を受け入れた。
その対応に、ポップは不思議そうな──或いは、不安そうな表情でロップを見上げる。
「兄ちゃん……?」
「ポップ。今は何も考えるな。おれたちは、今のおれたちの仕事をしよう。」
どこか、何かを覚悟したかのような表情と言葉に、ポップも思い当たることがあるのか──。
「うん。」
と、小さく頷いてみせる。
そうして、マグルと同じように何歩か前へ出たかと思えば、ふたり揃って拳を構えながら、眼前の敵──ルナたちへ向かって駆け出すのであった。
「行くよ……!」
「うん……!」
声を掛け合うロップとポップ。
迫りくる兄弟に、ルナが決意を以て迎え撃つ。
「絶対に、渡さない……!」
……………
そんな三人の少年少女たちのぶつかり合いを、残ったマグルは優雅に観戦。しかし、獲物の横取りはしない主義なのか、すぐに目を逸らすと、己の分を探すかのように前方を見渡した。
「さぁ~て。オレの獲物は~、っと。」
ひとり、大袈裟に呟きながら、彼の卑しき黄土色の瞳にとまったのは、とある槍使いの少年。マグルが、ニタリと不気味な笑みを浮かべる。
そして、見つけた、とばかりに勢いよく地面を蹴り放ったかと思えば、まだ自身に気がついていない少年──否、チロットへ目掛けて弾丸の如く突っ込み、思いっきり剣を振り下ろした。
「…………!」
瞬間、チロットが寸前のところで気がつき、慄きながらも反射的に、長槍の柄でそれを受け止めるが、ナナも苦闘した重過ぎる剣──いかに食いしばっても、弾くどころか受け流すことすらできない。
不意を突かれたこともあってか、結局、人体の限界が先に来る。
チロットの足が地面を離れ、同時に、マグルが剣を振り切ったかと思えば、一瞬にして、チロットは背後の森の中へ吸い込まれていくかのように、弾き飛ばされていった。
「…………。」
チロットと交代するかのように、マグルがその場に立つ。そして、すぐそばで愕然としている少年──ピピへと横目を向けた。
「……ぁ。」
目が合ってしまい、ピピは蛇に睨まれた蛙のように、青ざめた表情で半歩退く。
ここまで守られてきたが、終わりは一瞬だと悟った。
「…………。」
だが、マグルは近づくでもなく、何かするでもなく、何も言わず、ただ彼を軽く一瞥しただけに留めると、吹き飛んでいったチロットを追うかのように、森の中へ消えていくのであった。
予想外過ぎるほどに何もされなかったピピ。少しも悲しくはないが、ひとり呆然と取り残される。
……………
(チロ……。)
そんなチロットたちの様子を、ナナは肩越しに見ていた。
正直、あの気味の悪い男──マグルは強い。ルナと対峙している兄弟も未知数だが、グリルニードが名を呼んで指示を与えたところを見るに、マグルと同等か──近しいレベルだろう。
本来なら、すぐにでも手助けに行きたいところなのだが、今は、グリルニードから目を離すことができない。いや、仮にできたとしても、奴がそれをさせてはくれないだろう。
ならば、やれることはひとつ。一番危険なこいつを、ルナたちに近づけさせない。
マグルや兄弟たちも実力者であるだろうが、結局、一番野放しにしちゃいけないのは、グリルニードだ。
人として腐り切っていても、その実力は正規ギルドに認められるほどのもの。自分が止めなければ、最悪の場合、ルナたちの誰かがもっていかれ兼ねない。
「…………。」
剣の柄を強く握り、グリルニードへ目を向ける。
今は──ルナたちを信じるしかない。
それぞれの勝利を──生きて、旅を続けるために。
──信じるんだ。
…………………………
旧街森林、森の中。広場より吹き飛ばされてしまったチロットは、背を地面に起き上がっているところだった。
「いててて……。」
背や頭を摩り、掠り傷程度で済んだことにひと安心も僅か、前方の木陰から殺気を感じ取り、チロットは慌てて槍を持ち直しながら、黒柿色の瞳に警戒を灯す。
近づく足音──共に、あの低く卑しい声が聞こえた。
「──本当は、あのガラス野郎と決着をつけたかったんだが、仕方ねぇ……。あいつは、グリルの野郎に取られちまったからなぁ。」
ゆっくりと……ゆっくりと迫る歪んだ殺意。槍の柄を強く握った手に汗が滲み、冷や汗が頬から顎へ垂れ、落ちる。
木々の間から差した木漏れ日が半身を映し、緊張を携えながら──。
「まぁ別に、弱いやつをいたぶるのも、嫌いじゃねぇ……!」
焦茶色の男──もとい、マグルの威圧的な笑みと共に、接敵した。
…………………………
「…………。」
ナナがグリルニードへ全神経を向ける。
前方にて、怒りの笑みが浮かんだ。
「俺に逆らったことを……! 土の中で一生、後悔するんだな……!」
意志と決意を胸に、少年ピピを賭けた戦い──その終盤戦が今、始まる。
………to be continued………
───hidden world story───
救い救い救い──そして生まれる数多の犠牲。
常に一生、永遠の輪廻に広がる赤字の刻──。




