裏世界
“裏視点”
文明社会。それは、テクノロジーが発展した大都会。
数十階はあるオフィスタワーに、病院、学校、司法機関の建物。
舗装されたアスファルトの道路には車が走る。
スマホやパソコンといった電子機器。
曇天のもとでも忙しなく行き交いを見せる人々。
…………………………
そんな、まさに誰もが知り、誰もが暮らしている文明社会。
時刻は正午。天気は曇り。空に立ち込めた不穏な黒雲が、この後に訪れる悪天を示唆している。
低気圧により吹き込んだ湿った風が、歩く人々、または、駆ける人々の髪や衣服を揺らす。だが、人々はそれも日常のひとつと捉え、皆一様に各々の時間を過ごしていた。
時を同じくして、砂や砂利の複合材にて作られたコンクリート壁の建物より上部──そんな人々、もしくは、そんな世界に、疎めの目が見下ろされる。
ここは、街の中心街に佇む、中高共学の大校舎。合計6年の期間を経て、社会に出るための学びを積む、学び舎である。
この社会の未来を担う、おおよそ数百から数千の若き在校生が、この建物で各々の人生を思い描いている。
疎めの目はそんな校舎内──ではなく、若き想いを包む校舎外──屋上にあった。
若き心を育成する中心──社会の中心でもある屋上で、若き心を足元に世界を見下ろしているのは、真っ黒な衣服に身を包んだ一人の男。
マントともコートとも取れる丈の長い羽織ものを、高所特有の強風に靡かせ、時折り見せる真っ黒な長ズボンと真っ黒な靴で屋上の端に立つ。
全身を黒で包んだ彼が見せる唯一の肌色は、素肌である顔だけだが、その顔すらも真っ黒なフードを深く被ることにより隠れているため、顔つきの全容はよく分からない。ただ、額とフードの隙間から覗く紺色の髪の先端が風に靡いていた。
そして、その左頬には、猫の顔を模したような形の、紫色の小さなマークがペイントされている。
その姿を見ても分かるとおり、彼はこの学校の生徒などではない。いや寧ろ、この世界の人間であるかどうかすら疑わしい佇まいであった。
……………
しかし、そんな異色の雰囲気を醸し出しながら世界を見下ろしている黒い服装の男の背後から、不意に、どこから来たとも知れないひとつの足音が聞こえてくる。
本来、誰も立ち入ることのない屋上に響く、二人目の存在を示した靴音。
その余裕ある足取りは意志を持ってこの場へ来たと語り、黒い服装の男の背を確認するや否や、ニィ……と狂気を含んだ笑みを浮かべた。
「こんな所に人が居るなんて珍しいな。」
重い声質の中にも、どこか好奇を乗せた言葉と共に立ち止まる。
「…………。」
対して黒い服装の男は、目の端だけで確認するかのように、ほんの少し振り向いた。
声の主は、黒い服装の男とは対照的な、赤やオレンジ色を基調とした服とマント姿の男。黒い服装の男と同様、フードはあるが、被ってはいない。代わりに、炎のような激しい色合いの髪が晒されている。
瞳は黒色だが、その目はまるで火が灯っているかのように、瞳孔奥に僅かなオレンジ色の色彩が見えた。
彼もまた、この校舎に通う在校生などではないだろう。
異質な雰囲気を醸し出すその姿は、まるで炎を着たかのような立ち姿だった。
──ここに、文明社会には不釣り合いの二人が揃う。もう一度言うが、ここは中高共学の校舎の屋上。
「こんな所で、何をやっているんだ。」
赤い服装の男は問うようにそう言うと、黒い服装の男の背後から少し距離を空けた位置へ腰掛けた。
それを目の端で確認した黒い服装の男は、好奇の目を向けている赤い服装の男と反し、興味なさげに街へ視線を戻しながら──。
「それは、こちらの台詞でもあるだろ。」
平坦な声質でそう返す。
「……確かに。」
その返しに、赤い服装の男も自分で自分を鼻で笑うように呟く。
後、暫くの静寂と、湿った空気が吹き抜けた。
「……しっかし、つまんねぇ世界だぜ。ここはよぉ……。」
その空気を退屈に思ったのか、赤い服装の男が少々、大袈裟に口を開く。
「だったら、なんで来たんだ。」
しかし、黒い服装の男はそれに対しても平坦に、寧ろ、正論のような言葉を投げかけてくる。
だが、赤い服装の男はその言葉に不満を感じたのか、唐突に、目に灯った卑しい好奇の光を消すと、黒い服装の男の背後へ睨みつけるかのように眉をひそめた。
「それ……お前が言うか……? お前だって外から来たんだろ……?」
見透かすかのように低く、或いは、脅すように問いかけられた言葉に対しても、黒い服装の男は恐れどころか興味すら惹かれていないといった様子で、背を向けたまま無言で街を見詰めている。
何も答えを得られなかった赤い服装の男だが、わざわざ答えなくとも、やはり全てを見透かしているのか、否定はしなかった反応を見て、再び満足そうにニィ……と口角を上げると、黒い服装の男が唯一、問うた言葉を拾い、話題を繋いだ。
「この世界に来た理由……。そんなもん……この世界をぶっ壊すために決まってんだろ!」
繋いだ話題が最悪の言葉を吐き出し、赤い服装の男が突然の狂気を露わにした。狂いの中にも意志を感じさせる笑みに目を見開きながら、湿った風を吹き飛ばすほどの勢いと言葉に、赤い服装の男の炎色の髪とマントが靡く。
しかし、そんな常軌を逸している発言にも、黒い服装の男は特に反応を示すことなく、無言で佇んでいた。もはや、この言葉に微塵たりとも反応しないこの男も、やはり、まともな存在ではないことが察しられる。
そんな無言の空気に少し冷やされたのか、冷静さを取り戻す赤い服装の男だが、狂気の笑みだけは崩さない。
「退屈なんだよ。この世界はぁ……。ただでさえ力がねぇのに、ゴキブリみてぇに這いずりながら生きて、自分の価値を見出すのに必死ときた。自分のためなら誰かを蹴落とすことも厭わない、まるで害虫のような奴ら。そんな世界は……駆除してやるべきだとは思わないか……?」
ニヤリと黒い笑みを浮かべながら、黒い服装の男の背後へ問いかける。
この狂気じみた笑みと言葉に、面と向かって否定の言葉を吐ける人物はどれほど居るだろうか。たとえ本心でなくとも、その場凌ぎに肯定の言葉を吐かなければ、自分の身が危ない、と本能的に感じてしまうような、狂気と圧を纏った問いかけだ。
そんな問いかけに、黒い服装の男は背を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……言われなくとも元よりそのつもりだ。でなければ、またわざわざこんな世界へ誰が来るか。」
狂気と狂気は惹かれ合う。この男もまた、赤い服装の男と同じ考えだと口にした。
それは、先程述べた、その場凌ぎの肯定などではない。明らかな本心であると、その平坦な口振りと態度が物語っている。
しかし、赤い服装の男は意外にも意外だったのか、「ほぉ……」といったような反応を見せていた。
「ここからなら、この世界の縮図がよく分かるだろ。」
黒い服装の男が世界を見下ろしながら、今度は自身の番だ、と言わんばかりに言葉を述べ始める。
「なんの価値も力もなく生まれてきたこの世界の人間は、他者を虐げることでしか生きる意味を見出せない。弱者と罵るいじめ。違いを認めぬ差別。絶対的な上下関係。抗いようにも抗いようのない世界。抗う術のない世界。いつ訪れるとも知れない事故や災害に恐れ、法や金で管理されなければ、ろくに生きていくこともできない。」
相変わらずの平坦な口調だが、今までのような適当な返しとは違い、ハッキリとした意志を乗せた言葉に、赤い服装の男も同調するように笑みを浮かべ、言葉を乗せる。
「哀れだよなぁ。力がないゆえに、自分の人生を自分で切り開くこともできない。だから八つ当たりに他者を虐げ、自分で自分を誇示したいんだ。」
「……あぁ。まさに生きる価値のない世界だ。」
合いの手のような赤い服装の男の言葉に、黒い服装の男もそう同調を返しながら、見下したかのような目で街を──世界を見下ろす。
「他者を虐げることでしか生きる意味を見出せないのであれば、その醜態を晒す前に潔く死ね。そして虐げられ、無意味に生きるくらいならば、生き恥を晒す前に俺が殺してやる。この無意味な世界と共にな。」
淡々と狂気の言葉を並べる黒い服装の男。その狂気は、他者を虐げるような加害者側の人間に対して根強く吐き捨てられてはいるが、この男は被害者側に当たる人間にさえも、嫌悪を抱いている様子だった。
それは、赤い服装の男も感じ取ったようで──。
「おっそろしいねぇ〜。なんでこの世界のためにそこまでする。お前になんのメリットがあるんだ……?」
興味ゆえの笑みを浮かべながらも、一旦して冷静に投げかける。
好きの反対は無関心というのなら、黒い服装の男のこの世界に対する嫌悪や憎悪は、明らかに度を越している。態度や口振りは冷静なものの、その底知れない狂気さは見た目どおり、黒く濃く、深く滲み、溢れ出ている。
しかし、わざわざ外から来てまでも、この世界を壊すのには、自身に及ぼす、それなりのメリットがあるはずだ。
でなければ、わざわざ嫌いな虫を家に招き、家の中で潰すことと同じくらい、度を越したイカれっぷりになると、赤い服装の男は思い、そう問うたのだ。
黒い服装の男が口を開く。
「……メリットならあるさ……。……それに、俺はただ”無意味”なものを排除したいだけだ。」
メリットはあった。しかし、続けて語った言葉に、赤い服装の男は疑問ゆえに眉をひそめる。
それを悟ったか否か、黒い服装の男は一拍置くと、一転して、その答えとなる言葉を勢いよく語り始めた。
「世界は”平穏”で”自由”でなきゃいけない。それを得るためには、”力”と”生きる意味”が必要だ。この世界にはそれが無い。だから、俺が掲げる”平穏な自由”に、この世界は不必要なのさ……!」
声を大にしたわけではないが、明らかに今までの調子とは違う声の張り上げ方に、この男の狂気さが更に窺える。
そして、この言葉こそが、この男の考え全てであり、目的であると示唆していた。
「そっちの事情はよく分からねぇが……まぁ、目的は同じってわけだ。」
しかし、それを傍から聞いていた赤い服装の男は、その言葉の真意までは理解できないといった様子で呟くと、徐に腰を上げ、この場から立ち上がった。
そして、黒い服装の男へ背を向けながら続けて──。
「お前も観ていくといい。この醜い世界が灼熱の地獄へと変わる様をなぁ。」
不敵な笑みと共に言い放ち、今からこの世界を壊しに行く、と言わんばかりに、屋上から立ち去ろうと歩み出す。
しかし、その時──。
「……そう言うお前も、ただこの世界を破壊することだけが目的じゃないだろ。」
黒い服装の男が突然、背を向けたまま、そう口を開いた。
今まで受け答えする一方で、自分から問うてくることなどなかった黒い服装の男の突然の投げかけに、赤い服装の男は立ち去ろうとしていた足をピタリと止める。
それと共に、黒い服装の男は赤い服装の男へ片目だけを向けるように少し振り向くと、横目を向けながら、一言、問いかけた。
「……”解放”か……?」
解放──という謎の問いかけに、赤い服装の男も顔だけを振り向かせるかのように、黒い服装の男へ横目を向け、眉をひそめる。
しかし、赤い服装の男はその言葉の意味を理解していたのか、すぐに今までのような悪い笑みを浮かべると、機嫌良さげに口を開いた。
「参ったね〜……。まさか、初対面の相手に俺の目的を見透かされるとはなぁ……。」
言いながら、赤い服装の男は再び体ごと、黒い服装の男へ向き直る。
それを見た黒い服装の男も、再度、街へ目線を戻し──。
「予想くらい誰でもつくだろ。」
呆れたように、素っ気なくそう返す。
だがそれでも、やはり機嫌が良さげの赤い服装の男。不敵な笑みを浮かべ、続けた。
「いや、いいさ! 更に気に入った! それにどうせなら、この世界を壊す合図もお前に託すとしよう……!」
勝手に納得し、勝手にそう決めてしまう。
「…………。」
それに対して黒い服装の男は、肯定もしないが、否定もしない。
だが、赤い服装の男はそれが肯定に近い対応だと、まるで昔から知っていたかのように笑みを浮かべると、今度こそ、この場へ背を向けた。
「お前とここで出会えて良かったよ。今度会うときは、あっちの世界で会うとしようぜ。」
そして、ニヤリと笑みを浮かべながら言い残し、この場を後に、マントを靡かせ去っていく。
「…………。」
その後も、相変わらず街を眺めている黒い服装の男。結局、赤い服装の男のほうを数回ちらりと見ただけで、それ以降、振り返ることはなかった。
だが、まるで前から決まっていたかのような偶然の出会いと、必然にも思えるほどの利害の一致。
この出会いは神の悪戯か──はたまたは、悪魔の意志か──。
どちらにしろ、この世界を破壊しようと目論む二人の”怪物”が、この日に出会ってしまった。
そして、それはもう逃れられぬ事態であると、事の成り行きが示唆している。
いつの間にか、空を覆っていた黒雲も雷雲に変わり、稲妻が定期的に雲を駆け巡る。
後の悪天候を知らぬように、この世界の人々は今、崩壊の一歩手前に居ることを知らない。
吹きつける風も強くなり始め、真っ黒なマントが世界を見下ろし、靡き始めた。
「まず消えるのは、この無意味な世界……無価値な人間共だ。価値のないものに意味などない。そこに生きる意味などない。この世界も……この世界の人間も……! 無意味なものに存在する価値などない……!」
その言葉と比例するかのように、雷が世界に鳴り響く。
《──この世界に生まれたその瞬間から、既にお前らに”人生”なんてものはないんだよ。》
そして、その黒いフードの中から一瞬──まるで闇を色として落としたかのような紫色の瞳が世界を捉えた瞬間──黒い服装の男の姿を包み隠すかのように、中高共学の校舎へ、青白い巨大な雷の柱が落ちた。
それはまるで、雷雲から伸びた巨大なレーザーの如く。
はたまたは、天から伸びた神の雷の如く。
天から地へ捧げられる、天変地異。その無慈悲な天からの裁きは、柱の射線上に居た罪なき全て生徒を呑み込んだ。
そうして、大気を破裂させたかのような轟音と共に、社会を担う未来の架け橋──巨大校舎は崩壊した。
…………………………
無慈悲な裁きを遠目より確認した赤い服装の男が、青白い光を仰ぎながらニヤリと笑みを浮かべる。
「気の利いたスタート合図だ。」
そして、そう呟くと、黒雲へ目掛けて手のひらを突き出すように、勢いよく両手を掲げた。
「ありがたく、その黒雲を使わせてもらうぜ……!」
すると瞬間、赤い服装の男の目線の先の空中に、巨大な赤い魔法陣が展開される。
複数の円を中心に、なんらかの規則性がありそうな線や模様が幾つも描かれ、古代文字のような記号が並んでいる。
そんな赤い魔法陣へ向かって、赤い服装の男が合図をするかのように声を張り上げた。
「全てを……! 燃やし尽くしてやれ!」
すると、その声に応えるかのように魔法陣が禍々しく輝き始め、空に敷かれた異様な黒い雷雲の中から、炎の体を持つ鳥のような怪物が、無数と姿を現した。
『ガァー!』
炎の体を持つ無数の怪鳥たちは、異様な声を上げながら街並みへ向かって炎を吐く。
炎はコンクリートの建物であろうと、容赦なくその熱と勢いで破壊し、燃焼物に一瞬で引火。広がり、一気に燃え盛り、火の海と化す。
更には、道路からは体が溶岩で形成された、原型のない怪物たちまでもが湧き出てくる。
溶岩生物は動きはのろいものの、その通ったアスファルトの地面や触れた建物を、容赦なく溶かしていった。
「さぁ……! まだまだだぁ!」
赤い服装の男が世界へ更なる追い討ちをかける。
空中の魔法陣が二重、三重と増え、広がると、今度は雷雲の中から、火山弾のような炎の塊が雹のように降り注いできた。
降り注ぐ炎は勢いのまま建物や街並みへ落下。辺りを破壊し、燃やしていく。
その模様はまさに災害。街は一瞬にして炎に包まれた。
…………………………
街が炎に包まれていくなか、なぜか家でピアノを弾いている男が一人。
一軒家を取り囲むように火の海が広がり、外はまるで地獄の有様。ガラス張りのラウンジには夕焼けの如く熱射線が注ぎ、炎の色のみで照らされた薄暗の室内で、男は人生の終わりを悟ったかのように優雅な音色を奏でていたが、その美しい音色も虚しく、突然、両手の指で鍵盤を叩くように鳴らした。
乱れ重なった邪音が室内に響く。
「遂に……! やってくれたな……!」
そして、そう言い放つ男の顔は狂気の笑みに歪んでいた。
…………………………
そのほかにも、世界が崩壊していくなか、なぜかそれに、歓喜の笑みを浮かべている者たちが──。
─────
──この忌まわしい世界から、ようやく解放される……!
─────
──長い余生だったわ……。久しぶりにあの世界へ戻れるのね……!
─────
──感謝しないとな。この世界の封印を解いたやつには……。
─────
街の崩壊は留まることを知らず、その勢いは世界に広がっていく。
そんな世界の終焉を見届けるかのように、真っ黒な服が風に靡いていた。
…………………………
これがおよそ、”10年前”の話。
世界崩壊から始まる、”意味”を求めた物語。




