第17話 正規ギルド
唐突な殺し合いと敵の正体。
“旧街森林”
土道より外れた森の中──。四方を木々に囲まれた天然の広場にて、ナナたちは焦茶色に身を包んだ謎の男と接敵していた。
「…………。」
「…………。」
両手で剣を構え、白銀の刃先を向けるナナと、依然、片手へぶら下げるかのように剣を持ち、切先を下へ向けたままの焦茶色の男。
構えは違えど、互いの鋭い眼差しは互いを捉えている。
ナナの隣では、ルナが強気と真剣な表情で拳を構え、そんなふたりの後方では、チロットが白緑色の髪の少年を庇うように寄り添い、全員が焦茶色の男を警戒していた。
辺りに──生暖かい風が吹き抜ける。
「ヘッヘッ!」
と、そんななか、焦茶色の男のニヤついた口角が僅かに上がり、不気味な笑みと共に目を見開くと、助走もつけることなく、ナナへ目掛けて矢の如く飛び込んだ。
「…………!」
一瞬で縮まる距離。驚愕に冷や汗を垂らすナナに焦茶色の男が迫る。
元より、丸く小柄な体。百センチほど浮いた宙にて、焦茶色の男がナナへ目掛けて剣を振り下ろす。
「へぇあ!」
瞬間、ナナは咄嗟のことに驚きつつも、瞬時に切先を横へ構え、自身の剣を上方へ持っていくと、勢いのある声と共に振り下ろされた焦茶色の男の剣を受け止めた。
ズズッ、と踏み締めた踵が僅かに後ろへ動き、体重を乗せられた刃同士がガチャガチャと擦れ合う。
「ナナ!」
見た目以上の機敏な動きに、まずは防戦を強いられたナナを見て、ルナが思わず声を上げる。動く暇がなかった自分自身へ冷や汗を垂らし、ただの傍観者になるわけにはいかない、と拳を構えるが、そんなルナの声に、ナナではなく焦茶色の男が反応した。
ナナを剣で抑えつけながら、顔だけを向け、笑みを浮かべる。
「心配しなくても大丈夫だぜ〜?」
「おまえの心配なんてしてないよ!!」
見当違いの相手に返事をされ、怒りと呆れを見せるルナの声を無視して、焦茶色の男が続ける。
「ちゃ〜んと後で、お前も切り刻んでやるからよぉ〜。」
「っ……。」
からかっているようにも見えて、その笑みに纏わりついた影に本気の殺意を感じ取ったルナは、冷や汗を垂らしながらも強気の視線を返していた。
しかし、そんな合間も僅か、違えた刃から不服そうな呟きが漏らされる。
「──よそ見している暇はあるのか……?」
聞こえた声に、ルナは警戒を緩めた表情で──焦茶色の男は余裕ある表情で視線を戻す。
声の主はナナ。未だに交えている刃の向こう側で、鋭い眼光を向けている。
だが、そんなナナに焦茶色の男は、やはり余裕のある声色で返答した。
「あん? そう言うなら、お前──さっさとオレの剣を弾き返せよ。」
意味深長な言葉。確かに、ナナの強気な言葉に反して、剣同士の鍔迫り合いは、まだ続いている。
顔を背け、他者と会話を交わしていたのにもかかわらず、だ。
もちろん、反撃できているのであれば、しないわけはない。
相手の剣を抑え続けることに体力を消耗させるメリットなど、基本的にはないはずだ。
ならば、なぜ相手の剣を弾き返さないのか。
いや──弾き返さないのではない。弾き返せないのだ。
子ども並みの背丈でありながら、真上から振り下ろされた刃には尋常ではない重さがあった。
全体重を乗せられているとはいえ、体格では明らかにナナのほうに分があるというのに。
武器にも特別な細工は見られず、剣身は自身の丈に合わせているのか、それほど長くも太くもない。
しかし、まるで巨大な鉛の塊にでも押し潰されているかのように、相手の剣が異常に重いのだ。
見た目では分からないが、恐らく、焦茶色の男の筋力がそれを成しているのだろう。
「くっ……!」
強気に挑発したところまで良かったものの、相手を弾くどころか、微動だにすら動かせない重さに、ナナは思わず歯を食いしばる。
だが、ナナもバカではない。押してダメなら引いてみろ、という言葉があるように、今回に関しては物理的にだが──ナナは押し返そうと込めていた力をふと緩めると、相手の剣を自身の刃で滑らせるかのように、斜めに剣を引いた。
「おぉ……?」
すると、途端に支えを失った焦茶色の男の剣がナナの刃に逸らされるかのように勢いを取り戻し、力余ったかのように、焦茶色の男が剣を振り下ろし切った体勢で前へ乗り出す。
バランスを崩し、ようやく離れられた刃で、ナナは透かさず体を回転させると同時に剣を持ち直し、焦茶色の男へ目掛けて下方から斜めに斬り上げるが、焦茶色の男はバク宙の要領でそれを回避。
そのまま後方へと着地し、僅かに距離が開いたナナを改めて見据えると、垂れ下がった長い髪のもと、不気味な笑みが浮かんだ。
「いい剣捌きだなぁ。あのまま受け止め続けていたら、お前を斬っちまってたところだ。」
不穏な言葉に、ナナの睨みに一層の警戒が乗る。
共に、ルナはそんな一連の対峙を不安そうな表情で見詰めていた。
「ナナ……。」
いつもの強気な両拳とは違う、危惧を堪えるかのような片拳を胸の前で作る。
対してナナは、そんなルナの表情と気持ちを目で見なくとも伝わったのか、焦茶色の男から目を逸らすことなく、小さく呟いた。
「……大丈夫だ、ルナ。お前の能力をわざわざ奴に見せてやる必要はない。」
だが、やはり雰囲気で感じ取っただけのため、肝心な部分が伝わっていないのか、ルナはその言葉に心の中で首を振る。
(──そうじゃないよ……。僕が言いたいのは、そんなことじゃなくて……。)
加勢するかどうかを悩んでいるわけじゃない。自分のことを心配しているわけじゃない。加勢はあくまで結果であり、それをする理由も、ただ君の手助けがしたいから。
自分じゃない。
──ただ、君が心配なだけなんだ。
しかし、その考えはナナも同じだった。
相手に手の内を明かすということは、こちらの能力の隙を探るチャンスを与えることにも繋がる。
少し時間を巻き戻して考えて──銃声が鳴っていた数を考えても、敵は恐らく、奴、一人ではない。
間違いなく数十人規模。まだ見ぬ敵の力量も分からぬままに、あいつ一人相手にこちらの能力を二つも見せてやる必要はない、そう考えていた。
ルナの手の内を明かすくらいならば、自分が代わりに見せてやる。
そう。どうせ見せるなら──。
「──見せるなら、俺一人の能力で十分だ。」
不意に、ナナの剣先が焦茶色の男へ向いた。
「あぁん?」
唐突な、剣で指を差されたかのような対応に、焦茶色の男が怪訝そうな表情を浮かべる。
すると、束の間、ナナの右肩上の空中に、一本の透明な槍が生成された。
それは、ナナの魔法により生み出された、槍形状のガラス。疑似的な刃物。投擲槍。宙にて、焦茶色の男へ真っ直ぐに矛が向いている。
同時に、眉をひそませる暇も与えることもなく、ナナが呟いた。
「──”ガラスピア”……!」
言葉に沿うように、ガラスの槍がひとりでに放たれる。
ただ一直線に、焦茶色の男の心窩を貫くため、飛んでいく。
「…………。」
しかし、焦茶色の男は微動だにせず、下げた刃のもとニヤリと笑みを浮かべると、その場で軽く払うかのように、向かってきたガラスの槍を剣で弾き飛ばした。
弾き飛ばされたガラスの槍は、焦茶色の男から見て右方向──ナナから見て左方向の地面へ突き刺さる。
「……見たことねぇ魔法を使うなぁ。まぁ、見る限りじゃ、精々”創造魔法”の一種だろうが……。」
ニヤけ面の焦茶色の男が言葉を発する。
“創造魔法”──。
ナナの得意とするガラスを生み出す魔法を含め、魔力を糧に物質を生み出し操る魔法を、総じて”創造魔法”と呼ぶ。
最も基本的、且つ、汎用性に長けた魔法であり、”創造”という名が付くとおり、生み出せる物質や能力の可能性は無限大。
炎や氷といった物質を自在に生み出す、一般的な能力から、ナナのように独自の物質を生み出し、操る能力まで、使用者によって戦い方や実力の振れ幅が最も大きい魔法といえる。
同じ『炎』でも、使用者の魔力や技術次第で、天と地ほどの差さえ生まれてしまう──そんな、原始的で能動的な魔法なのだが、使用者の桁が外れていない限り、所詮は芸がなく、単調で凡庸な能力と思う者も多い。
「──だが、軽く弾き飛ばしただけとはいえ、オレの剣で切れないとは、中々頑丈な魔法だな。」
その中でも、ナナの創造魔法は優秀なほうだと、焦茶色の男は上からの笑みで賞賛する。
「…………。」
対してナナは、今度は先程のガラスの槍を複数本生成すると、照準を合わせるかのように、再び切先を焦茶色の男へと向けた。
要らぬ賞賛とばかりに表情を変えず、黄色の瞳で敵を捉え、ナナが言い放つ。
「”ガラスピア”──!」
瞬間、無数のガラスの槍が一斉に、焦茶色の男へ目掛けて放たれる。
それぞれが独自の一直線を描き、広がった範囲で敵を狙う。
しかし、焦茶色の男は余裕の笑みでその場から跳ぶと、まずは初弾を回避。ドドッ、と二、三本の槍が足元へ突き刺さり、そのまま自身からもナナへ向かって飛んでいくと、迫る無数のガラスの槍を剣で弾きながら、縫うようにナナへ距離を詰めていった。
己自身が矢とでも言いたいのだろうか。そのスリルを愉しむかのように不敵な笑みと眼光を放ち、向かい風ならぬ向かい槍を捌きながら、突っ込んでいく。
そして、遂には、全ての槍を躱すと同時にナナの眼前へ飛び出すと、流れるままに剣を振り上げ、大きく上から斬り下ろした。
対したナナは、それを軽く後ろへ跳ぶことに避け、避けた後に素早く地面を蹴り返すと、焦茶色の男へ目掛けて二回、横から往復させるかたちで剣を振る。
しかし、焦茶色の男はその太刀筋を飛び越えるように、後ろ跳びからのバク宙で回避し、その勢いのまま、また大きく後ろへと退いた。
乱れた髪を振り下ろし、焦茶色の男が口端を吊り上げる。
「……面白い魔法を見せてくれた礼だ。オレも真の剣技ってやつを見せてやるよ。」
不気味な白歯と共に、不穏な風が焦茶色の男の髪と衣を靡かせる。
近接での攻防は、互いにとって、ただのじゃれ合いだったのか、何事もなかったかのように次のフェーズへと移った。
同時に、ナナたちの目にも映る。焦茶色の男が自身の体を中心として剣先を真下へ向けたかと思えば、まるで時を刻む針のように、ゆっくりと零時の方向へ剣を回し始めた。
「”アイソレーション”──。」
焦茶色の男が小さく呟く。
すると、回した剣に沿うように、剣の残像が二重、三重と見えるような、妙な感覚を覚えた。
「え、何……?」
幻覚か錯覚か。それとも現実か。その奇妙な光景に、ルナが目を瞬かせながら声を漏らし、チロットと白緑色の髪の少年も、冷や汗混じりにその情景を眺める。
ナナも剣を構え、警戒の表情を強くしたのも僅か、焦茶色の男が再び剣を振り下ろすと、血気ある目をナナへ向けた。
「──行くぞ。」
瞬間──助走をつけることもなく、焦茶色の男がその場で地面を蹴り放ち、考え得る最短距離にて一気にナナへ間合いを詰める。
「…………!」
最初の一太刀と同様の急接近。共に迫る焦茶色の男の不気味な笑みに、ナナは一瞬意表を突かれるが、剣の動きは意外に単調。上へ真っ直ぐに振り翳した刃は、誰しもの目を研ぎ澄ませることだろう。
唯一、『避けろ』という指令に体が追いつかなかったことを悔やみつつ、また、あの重過ぎる一撃を受け流さなければいけないことは徒労だが、一度受けた攻撃──ナナは余裕を以て剣を横へ構えた。
攻撃は単調、予想どおり。天へ振り上げられた切先は、そのままナナが待ち構える剣の腹へ振り下ろされ──。
──不意に、ナナの左脇腹に鋭い痛みが走った。
「っ──!」
突然の痛みに、ナナは思わず顔を顰めさせ、その眼前で──。
「ヘッ……ヘッ……!」
焦茶色の男の愉悦な狂気が映る。
「ナナ!」
「ナナさん!」
何が起きたのか。痛みと困惑に意識が奪われかけるなか、悲痛めいたルナとチロットの声に呼び起こされるかのように、ナナは自身の後方へ思いっきり跳び退き、焦茶色の男と距離を取った。
同時に、反射的に痛みの走った左脇腹へ手を当てる。
すると、服越しにでも分かるような、ヌルッ、とした生暖かい液体が肌に触れた。
目で見なくとも分かる、生命の源泉──躍動の象徴──。
わざわざ確認する必要もないのだが、本能が損傷具合を理解したいと思っているのか、ナナは脇腹から手を離すと、静かに自身の手のひらへ目を落とした。
──血だ。
理由は不明だが、ナナの左脇腹は、何か鋭利な物によって切られていた。
幸い、傷はそう深くはなさそうだが、紺色の衣服に血が滲み、濃い青紫色の染みを作っている。
「…………。」
見詰めていた手のひらを下げ、ナナは焦茶色の男へ目を向ける。
未だ、ニヤニヤと猟奇的な笑みを浮かべている焦茶色の男──。どんな手段を用いたのかは分からないが、十中八九、この傷を付けたのは焦茶色の男だろう。
しかし、だとしたら、余計に解らないことがあった。
ナナは確かに、焦茶色の男の剣を捉えていたはずだ。それも、ひと時も目を逸らすことなく──。
間違いなく、上から振り下ろされた刃は、ナナの剣へ衝突するはずだった。
いや──物理的に、せざるを得ないはずだった。
しかし、結末は刃同士の鍔迫り合いではなく、ナナへの損傷。
しかも、何が奇妙か──ナナは左脇腹を斬られている。頭や肩ではなく、脇腹を、だ。
仮に、ナナの防御をすり抜けたとしても、上から剣を振り下ろしたのならば、角度的に、脇腹を切ることは不可能なはずだ。向きや位置があまりに違い過ぎる。
別の武器を隠し持っていたにしろ、右手には剣がある。左手では、対峙したナナの右脇腹を狙うことはできても、左脇腹を狙うことは困難だろう。無理に狙えば、明らかに体勢がおかしいと勘づかれるのはもちろん、そもそも、わざわざ狙いにくい左側を刺す理由はない。
だが、事実──ナナは斬られている。
そして、同時に、ナナの構えた剣に、最初の時のような重い衝撃は生じなかった。
これらは一体、何を意味しているのか──。
結局、まだ見ぬ特殊な魔法を使った、というのが一番しっくりくる現状だが、そんなナナの困惑を嘲笑うかのように、焦茶色の男が不敵な笑みを浮かべる。
「ヘッヘッヘッ……。オレに斬られたやつは、決まってそういう顔をするもんだ。」
あまりのことで顔に出ていたのか、読まれた思考にナナが睨みを利かせる。
「いい表情だぜぇ〜? まぁ、そういう表情にも見飽きたがな。」
そんななかでも、その表情から愉悦を得てるかのような焦茶色の男の言葉に、見兼ねたルナが思わず喝を飛ばした。
「へんたい!」
「うるせぇな!! なんだいきなり!」
堪えていた鬱憤がルナなりに爆発したのだろう。焦茶色の男へ抱く嫌悪を乗せて、考え得る最大の罵倒を浴びせるが、焦茶色の男にとっては罵倒というよりも、あらぬ方向から飛んできた言いがかりに近かったため、愛らしい少女の似合わぬ辛辣に少し困惑する。
だが、すぐに気を取り直し──。
「ともかく……。」
再び、ナナへ目を向けると、その表情に卑しき笑みが戻った。
相変わらず、剣を構えることはないが、ぶらんと下げられた刃先は、どことなくナナへ向いている。
そして──。
「飽きてから、そろそろ死んどきなぁ!!」
焦茶色の男が勢いよく地面を蹴り放つと、トドメを決めると言わんばかりに、ナナへ目掛けて一気に距離を縮めた。
相変わらずの助走なしの突進と、小柄で丸みを帯びた体型から繰り出される読みづらい動きに、ナナはどこか苦手意識が生まれてしまったのか、冷や汗を垂らしながらその場で待ち構える。
しかし、数度の打ち合いで学んだのか、『あいつの剣は受けてはいけない』と本能が警鐘を鳴らすと、ナナは警戒に浮かぶ黄色の瞳を鈍く光らせ、焦茶色の男との間に、物理的な壁を張った。
「っ──”壁ガラス”!」
瞬間──焦茶色の男の放った横切りが、拒絶を可視化させたかのように生み出された、四角い板状のガラスの壁に阻まれ、ガキィィィン!! という凄まじい衝突音が森に響き渡る。
金属同士のような鋭い音が谺し、全員が目を向けた先では──ナナの張ったガラスの壁が、焦茶色の男の剣を完璧に防ぎ止めていた。
切り傷ひとつ付かず、綺麗な平面。互いの姿を完全に透過させながらも、刃は微塵も通さないその模様に、焦茶色の男が眉をひそめる。
(チッ……なんて硬さだ……。)
初の攻撃失敗。一瞬とはいえ、山のような巨大怪鳥の攻撃を受け止めたガラス──人間一人の刃など通しはしない。
(だが──!)
しかし、焦茶色の男は諦めていないのか、勢いよく目を見開くと、自身を阻んでいるガラスの壁へ目掛けて、凄まじい速度で何度も剣を叩きつけ始めた。
そこに、狂気じみた笑みと言葉を乗せて──。
「いくら頑丈といえども限界はある! このまま砕き切ってやる!! そして……! このガラスの砕けた時が──お前の最期だあぁ!!」
焦茶色の男が剣を打ちつけるたび、ガラスの壁が激しく振動し、その言葉どおり、徐々にガラス片が飛び散り始める。
「くっ……!」
秒で数十回──すぐにでも百回に至るほどの斬撃は、頑丈を取り柄とするガラスの壁を数という名の暴力で削っていき、ナナはガラスの壁をその場に留まらせることで精一杯。
破られなくとも、物理的に押し倒されそうな勢いに抵抗するが、衝撃を受け流すことを許されないガラスの壁は、自身の限界を稲妻のようなヒビで表現する。
「ナナ!」
それを見兼ねて、ルナが思わず声を上げ、ナナを助けるため駆け出そうとするが──しかし、その時──。
「来るな!!」
珍しく、ナナが大きな声でルナを制止した。
「……! で、でも……!」
その声に、ルナは僅かにたじろぎながらも足をピタリと止めるが、心配から出た冷や汗は拭えない。
一方で、状況が状況なだけに、反射的に声を上げてしまったナナだったが、相手がルナであることを思い出したのか、依然、焦茶色の男を睨みつけながらも、今度は声量を落とし声を発した。
「寧ろ……離れてろ……!」
「う、うん……!」
対してルナは、その言葉にどこか釈然しないといった表情を浮かべながらも、ナナの言葉に頷き、従う。
焦茶色の男が剣を乱暴に叩きつけながら、そんなやり取りを嘲笑うように声を張った。
「今更、退かせたところでぇ……! どの道、全員、ここで死ぬんだよぉ!!」
勢いに狂気が上乗せしたのか、これ見よがしに振られた一撃により、ナナの張っていたガラスの壁が遂に砕かれる。
「…………!」
凄まじくとも、気持ち良さすら相まった音と共にガラスが細々と四方へ散り、目を見開くナナの眼前に、獲物を捉えた猟奇的な笑みと鋭い刃が映る。
もはや、互いを隔てる物は何もない。ガラスの壁より呆気なく、本体は一太刀で終いとばかりに素早く刃が振り上げられ、舞ったガラス片に彩られながら、焦茶色の男の勝利を演出する。
「あばよ……!」
瞬間、振り下ろされる刃──よりも先に、相対した切先が、焦茶色の男へ向けられた。
そして、焦茶色の男が剣を振り下ろす間も訝しむ間もなく、砕かれた全ガラス片が一斉に──宙にて焦茶色の男へ矛を向け始める。
自らが乱雑に砕いたガラス片──。その無作為な形も、鋭利な断面も、決して勝利を演出するわけではなく、己が破壊行為を贖わせるかのように、焦茶色の男を取り囲んでいた。
時間は無用。無色透明なガラスを使役する術者に似つかわしく、ナナがガラスのように冷たく言い放つ。
「──”シャードカッター”。」
「…………!」
同時に、全てのガラス片が焦茶色の男へ目掛け飛翔を開始。それに気がついた焦茶色の男は、ナナへ目掛けていた剣を慌てて下げ、咄嗟の判断で後ろへ退き始めるが、無数のガラス片がそれを追っていく。
もちろん、小さな小さなガラス片が人間一人相手に追いつけないはずもなく、銃弾の如く迫ってくるガラスの破片たちを焦茶色の男は後ろへ退きながら剣で弾いていくが、さすがに捌き切れなかったのか、ガラス片のひとつが焦茶色の男の左脚を掠めた。
「く……!」
嫌な痛みに顔を顰め、思わず膝を突く焦茶色の男。おかげで、傷自体はよく見えないが、左脚付近からポタポタと血が滴り落ちているのが確認でき、その鋭利さを物語っている。
ようやく与えられた痛み分け。多少の余裕を得られたのか、ガラスを侮っていた結果とばかりに負傷している焦茶色の男を冷たく見据えると、ナナは釘を刺すように棘を添えた。
「小さくても砕けても、ガラスはガラス。たったひと欠片でも、お前の命を奪うことはできるぞ。」
半分、脅しも入り混じったような言葉に、焦茶色の男は僅かに冷や汗を垂らし──ルナは「おぉ……!」と感嘆の声を漏らしながら、羨望のような眼差しで固まっていた。
チロットも少年に寄り添いながら、焦りから出た汗を拭えていないなかでも、安堵と強気の表情を浮かべ──白緑色の髪の少年も、驚きから丸い目を見開いている。
逆転の兆し──しかし、多勢に希望を得ている空気を不愉快と感じたのか、焦茶色の男が痛みと怒りを込めた表情でゆっくりと立ち上がると、静かにナナへ睨みを飛ばした。
「チッ……。切り傷付けた程度でいい気になりやがって……!」
お互いに負傷させ合ったとはいえ、所詮は切り傷程度。致命傷には至っていない。
共に迫り上がるは敵対心。流れ出る血が沸々と、闘志と──嫌悪と──殺意を──増大させていき、皆が緊迫の空気へ引き戻されるなか、再び、ナナと焦茶色の男との対峙が始まる──。
─────
──おい! こっちのほうから何か聞こえたぞ!
─────
その時、焦茶色の男の背後の森から、緊迫を緩ませるような第三の声が響いた。
同時に、駆けてくるような無数の足音が耳に届き始め、その場の全員が僅かに臨戦態勢を解くなか、何事だ、と警戒するナナたちの疑問へ応えるかのように、数秒と経たず、焦茶色の男の背後の森の奥から、約十数人の男たちが姿を現す。
皆、狩人のような姿格好をしており、その腰や背には、剣や斧といった刃物を携えているが見て分かる。
だが、中でもナナたちの目を惹いたのは、猟銃のような長い銃身を基盤に、木や金具で補強、装飾が施された長銃──俗にいう”ライフル銃”を持った男たちの姿だった。
ナナたちが白緑色の髪の少年を追った理由は、ほかでもない。森に響き渡った”銃声”に、ただならぬものを感じたから──。
そんな彼らを背後に、焦茶色の男も目尻で眉をひそめる。
「お前ら……随分と遅かったじゃねぇか。」
「”マグル”さんが早過ぎるんですよ!」
お互いの存在に驚くわけでもなく、慣れたようなやり取り──。間違いなく、彼らは協力関係にあるのだろう。それは、名を放ったことでも分かる。
共に、正体不明であった焦茶色の男の立ち位置──それが、孤立無援によるただの快楽衝動ではなく、組織的な目的があっての行動だったと推測できる。
そして、その目的が、刃を交える前の焦茶色の男の言葉どおりだとしたら──。
「これは……まずいかも……。」
チロットが思わず声を漏らす。その隣に居る少年の怯えは、焦茶色の男が現れた時よりも強い。
彼は、焦茶色の男のことは知らなかったようだが、銃を持っている男たちの存在は知っている──そんな様子だった。
気になることは山ほどあるが、そんなとき、単刀直入に真っ直ぐ尋ねてくれる者が、ナナたちの中には居るのだ。
現れた男たちと焦茶色の男へ改めて、ルナが声を上げる。
「おまえたちは一体なんなんだ!」
強気と警戒──そして、若干の怒りを込めた表情でそう言い放つルナだが、その言葉はそっくりそのまま、相手にも言えること。
謎の少女と若者たち──突然のひと声に、男たちは困惑を見せる。
「な、なんだ……? あのピンク色のガキは……。」
「そのほかにも、妙な剣士も居るぞ。」
向けられた視線に、ナナは無言の眼差しを返し──目的が逸れていると感じた焦茶色の男──もとい、”マグル”と呼ばれた背の低い男が、男たちの意識を引き戻すように口を挟んだ。
「そんなことより、お前らが追い込んでたガキを、オレが見つけたんだぞ。」
呆れたようにそう言い、チロットの隣で怯えている白緑色の髪の少年へ視線を向けるよう、男たちへ促す。
「…………!」
すると、男たちは、ハッとしたように一斉に少年へ目を向け──少年はそれに、ビクッ、と体を震わせると、僅かに身を退いた。
そんな少年の姿を見兼ねて、ルナは思わず両腕を広げると、少年と男たちの視線を遮るように、空間へ割って入る。
「み、見るなー! 怯えてるじゃん!」
また突然、今度は視界に割り込んできた桜色の少女に、男たちは再び困惑を見せる。
「だ、だから、あのガキは一体なんなんだ……?」
何がなんでも邪魔をするつもりなのか──その目的を知っているマグルが不愉快そうにナナたちへ視線を飛ばすと、男たちへ簡潔に説明をした。
「あいつらは例のガキを庇っている。仕事の邪魔をする──つまりは”敵”だ。」
理由は不要。結果だけを述べた淡々とした言葉だったが、男たちにとってはそれ自体が意外だったのか、困惑から真面目な表情へ切り替えると、驚いたような声を上げ始める。
「なに……? まさか”T”共の生き残りか……!?」
彼らがナナたちを知らないのは当然──無理もない話だ。ある意味では、ナナは生き残りといえるのかもしれないが、組織的なものにおいては縁すらなかったナナたちにとって、それは見当違いの呟きに思える。
しかし、その名称を聞いたチロットが、不意に眉をひそめていた。
「T……?」
どこかで聞いたような──いや、考えるまでもない。聞き間違えでさえなければ、子どもでも知っている名称だ。
それこそ、世間に疎いルナでも──といったら少し怪しいところだが、同じくらい疎いナナでも知っている。
“T”──正式名を”ワールドテール”。
この世界を束ねる”世界魔導王政”直属のギルド──”政府ギルド”の直下に位置する、世界最大の軍事組織である。
またの名を”世界防衛機関”。本部を中心に、世界のありとあらゆる場所に支部を構え、世界魔導王政、権限のもと、世界の治安や秩序、世界王政加盟国やその人々を闇から守るために活躍している、言わば法のもと確立された”社会組織”。
犯罪者を取り締まることはもちろん、その抑制や、民衆や国の防衛。ときには、世界に仇なす敵対組織や”闇ギルド”と最前線で戦い、今の社会制度を守っている。
だが、ナナも含め、チロットが疑問に抱いたのは、その名称が口に漏らされたことではない。そんな、国や世界を守るための組織──Tの『生き残り』と呟かれたところにあった。
Tという呼び方は、ワールドテールの俗称。ワールドテール自体が壊滅するということは、まずあり得ないが、末端である辺境の支部や、一分隊が壊滅するということは、争いの世界ではよくあることだ。世界規模の組織とはいえ──いや、それゆえに、末端の端の端まで、政府の目を届かせることは難しく、実力者も本部を中心に、世界規模の敵対組織を警戒するので手一杯。世界という名で闇を抑制できているかどうかでいえば、意外と綱渡りであることが現状である。
ゆえに、マグルのような危険思想の持ち主がワールドテールに攻撃を仕掛ける可能性は大いにあり、彼らがもし、ワールドテールの一部を手にかけていたとしても、一支部を壊滅させた規模の話でさえなければ、本部や政府が直接動くことはなく、仮に動いたとしても、今すぐにとはいかないだろう。
しかし、末端とはいえ、仮にも政府の軍隊。まともな思考の持ち主であれば、たとえ闇に生きる者であれ、手を出すことはまずしない。なぜなら、政府に敵対するということは、全世界を敵に回すことと同じことだからだ。どんな実力者であれ、とても生きていくことはできないだろう。
つまり、そんな、世界の末端に攻撃を仕掛け──或いは、『生き残り』というまでに半壊させたとなれば、彼らは相当な実力者組織か──それほどまでに過信があるのか──はたまたは、ただ頭のネジが飛んでいる連中と考えられた。
そして、同時に、なぜそんな奴らが、白緑色の髪の少年を組織的にまで狙っているのか──謎が謎を呼び、ナナたちが答えへ至る前に、マグルの不機嫌な声が脳に響き渡る。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとあのガキを捕まえたらどうだ!? 邪魔するやつは撃ち殺すか斬り殺すかすりゃいいだろ!」
部下──に当たるのかどうかは分からないが、男たちの行動力のなさと対応力の低さに、マグルが呆れたように怒号を飛ばしている。
だが、男たちは男たちで何かを待っているのか、行動に移す前に、気が立っているマグルを宥めにかかった。
「お、落ち着いてください……! マグルさん……!」
「そ、そうですよ……! それに、いつもなら、俺たちの手なんかに頼らず、ご自分で始末したがるじゃないですか……!」
凶暴な動物を相手にしているかのように、集団で落ち着かせにかかるが、最後の男の言葉に察しの悪さを感じたマグルが、呆れを込めて更に大声を上げる。
「いちいちうるせぇ野郎だな! こっちは足怪我してんだよ!! 見て分かんねぇのか!?」
ナナによるガラス片での負傷。強がってはいるが、思いのほか堪えているようだ。汗も吹き出し、少し熱も持ち始めている様子。
しかし、そんなマグルの痛みを知ってか知らずか、それを聞いた男たちは息を吞んだように固まると、驚愕に顔を染め上げながら、あり得ないといった口調で言葉を漏らし始めた。
「あ、あの……! “フォレストハントの後始末屋”と呼ばれた──”草毟のマグル”さんが怪我を負うなんて……!!」
驚愕と興奮のあまり、ベラベラと喋り倒す男のおかげで、ナナたちは予期せぬ情報を得ることに成功。もはや、怒鳴ることもバカらしくなったのか、マグルが呆れたように冷や汗を垂らす。
「お前……喋り過ぎだろ。」
そして、その予期せぬ情報には、それこそ予期せぬ事実があった。
「フォ、”フォレストハント”!?」
反応を示したのはチロットだった。
その声に、マグルが部下への皮肉を込めて笑みを浮かべる。
「ほら……察したやつが居るぜ……?」
マグルの笑みとチロットの声に、一瞬、時間が止まっていた部下の男だったが、一連の流れに対してハッとしたのか、「しまった……!」といった顔で慌てて自身の口を押さえている。だが、一度出た言葉は帰ってこない。同時に、聞いた人間は忘れない。
呆れるという救いすら与えることなく、ナナがチロットへ顔を向けた。
「チロ、知ってるのか……?」
大きく反応を示したチロットへ問いかけ、願わくば、対峙している敵の情報を一つでも引き出しにかかりたい。
チロットはナナの問いかけに──。
「は、はい……。」
と、小さく頷くと、冷や汗を垂らしながらも一度、冷静に気持ちを整え、真剣な眼差しで解説を始めた。
「フォレストハントは、スリープにギルドを構える──”世界王政”公認の”正規ギルド”だったはずです……!」
「せかいおうせい? せいき?」
チロットの言葉に、ルナが首を傾げる。
“世界王政”とは、前述した”世界魔導王政”の俗称。それ公認のギルドというのは、文字どおり、国や世界によってその実用性が認められた、”世界王政公認正規ギルド”──略称を”正規ギルド”と呼ぶ。
いかに、国や人々に有意義の存在か──そして、世界的に有意義な存在かで、正規ギルドは選出され、ギルド創始者、或いは、ギルドの代表者──”ギルド長”との合意契約のもと、正規ギルドの肩書きを有することが許される。
正規ギルドの何よりの特権は、その知名度を得ること。そして、場合によっては、国や政府から資金援助が受けられるということ。
対価は、市民権が与えられている自国において、敵対組織や闇ギルドが攻めてきた場合、優先的に対処へ当たる義務が生じること。政府による緊急招集に応じる義務が発生すること。大いなる闇や、世界を揺るがす存在が攻めてきたとき、これらに最前線を以て、”例外なく”対処に当たること。
これらに応じず、或いは、全うできなかった場合、正規ギルドの権限を剥奪することも辞さない。
正規ギルドになるために必要なものは様々あるが、世界王政が対価として何より求めているものは、”武力”の行使。防衛手段。
実績や信頼は大前提のもと、か弱き者の盾となり、矛となり、人々の明日のために闇と最前線で戦える、圧倒的な実力が正規ギルドには求められてくる。
つまり、チロットの言葉に間違いがなければ、今、目の前に居る奴らは、それだけの実力を世界に買われた、圧倒的な実力者ということになるのだと──逆に、そうでないのであれば、彼らを取り纏め、このギルド全体を統括している”ギルド長”こそが、桁違いの実力を持っているということになってしまうだろう。
だが、実力を持っているということを危惧する必要は、本来ないはずだった。
なぜなら──ナナが正規ギルドというものをルナへ簡単に説明すると共に、その理由を説く。
「──つまりは、いいギルドのはずだったってことだよ。」
言葉だけはルナへ向いているため、簡潔に柔らかく──しかし、敵を見据えた表情と声色には警戒が固着している。
ルナはそれに対して──。
「なるほど〜。」
と、納得の表情で相槌を打ってはいるが、本当に理解しているかどうかは神にも定かではない。
ルナも話に付いていけた(?)ところで、改めて、チロットがキッ、とマグルたちを見据えた。
「ですが、そんな正規のギルドに、”後始末屋”なんて物騒なやつが居るとは、とても思えないです……!」
肩書きと行動が矛盾していると、チロットが困惑の声を上げると、それを皮切りに、辺りへ嫌な静寂が走る。
表情なく黙りを決め込んだ男たちへ向け、ナナもチロットの言葉に続いた。
「だが、さっきのは、どう考えても仲間同士のやり取りに見えた。」
マグルのみを切って離せば、まだフォレストハント自体が悪とは言い切れないが、男たちは明らかに、マグルに対して敬意を持って接しているように見える。極めつきは、マグルのことを『フォレストハントの後始末屋』と言ったところだ。
未だに状況が追い切れない。何しろ、彼らが本当にフォレストハントであり、正規ギルドであるならば、彼らが敵対視していたように呟かれた”T”とは、共に秩序や民衆を守る、味方同士のはず。
怯える少年を、刃物や銃を用いて追い回す行為も、突然、背後から斬りかかる所業も、狂いを感じさせる殺意も、とても正規ギルドのそれとは思えない。
だが、先にフォレストハントの名を口にしたのは、彼ら自身だ。理解するにしろしないにしろ、まずはそこをハッキリさせようと、ナナが強く眉をひそめ、問い詰めた。
「お前たちは、フォレストハントってことでいいんだな……?」
尋問するかのように、重い声色で問いただすナナに、マグルを含めた男たちは黙り込む。
尤もな反応だ。仮に答えても、もはや、それが本当かどうかなんて判断がつかない。募った不信感が、彼らの存在を淡く濁すのだ。
だが、その時、返ってこないと思われていた回答に、意外にも反応があった。
それも、物凄く分かりやすく──。
マグルだけは沈黙を貫いているが、後ろの男たちはそれができなかったのか、謎に息の合った動きで露骨にナナたちから目線を逸らし始めると、冷や汗を垂らしながら口を揃えた。
「「「い、いやいや……俺たちはその……フォレスト──なんとか……? とか、全く全然知らねーし……聞いたこともねぇな〜……?」」」
「「嘘つくの下手か。」」
これほど下手な口裏合わせが、未だかつてあっただろうか。ある意味、感謝すらしたい男たちの反応に、ナナとチロットの呆れも思わず重なる。
そして、これが決定打となったのか、無駄な抵抗はやめたとばかりにマグルが開き直りの笑みを浮かべると、改まったかのように口を開き始めた。
「ヘッヘッヘッ……。もうすっかりバレちまったようだなぁ。」
人を食ったかのような卑しい笑みに、ナナたちは警戒を固める。
共に、マグルが名乗りを上げた。
「お前らが察したとおり、オレはフォレストハント所属の後始末屋──マグルだ。」
「本来なら、こうして名乗ることはないんだが……まぁ、仕方ねぇよな。このバカ共が喋っちまったわけだし。」
やれやれと肩を竦ませ、傷の痛みが引いてきたのか、誰も望んでいない不愉快な笑みが帰ってくる。
同時に、その黄土色の瞳を殺気で輝かせると、今までの狂気も上乗せして、怒声のような叫びを散らした。
「でも、関係ねぇか。どの道、お前らは、ここで死ぬんだからなぁ!!」
もはや、話など通じない爛々とした狂気に、人ならざるものを投影させてしまう。
寧ろ、少しの間、話が通じていたのが奇跡に近いと、チロットはその豹変ぶりに、思わず身を退いていた。
「こ、こんな奴らが……正規のギルドであっていいはずがない……。きっと……何かの間違い──。」
マグルを含む彼らが、本当に正規ギルドであったことにショックを受け、うわ言のように呟くチロットだが、そんな彼を現実に引き戻したのは、意外な人物だった。
ふと、裾を軽く引っ張られるような感触と共に──。
「──本当だよ。」
消えゆくような小さな声が聞こえ、チロットはうわ言を止めると、思わぬことに「え……」と声を漏らし、自身の隣へ目を落とした。
声を発したのは、白緑色の髪の少年。まだ怯えはあるようだが、今までの流れで多少はナナたちに心を開いてくれたのか、恐怖で潤んだ黒く丸い瞳でチロットを見詰めている。
初めての対話やら、その意味深長な言葉やらで、色々呆気に取られるチロットだが、そんなチロットを気遣う余裕もないのか、少年は小さく続けた。
「あの人たち……本当にフォレストハントだよ……。だって──。」
─────
──あれ〜? もうあの子、見つけちゃったの~?
─────
その時、せっかく声を発することができた少年の勇気を遮るような、別の少年の声が、再びマグル背後の森の奥から響いた。
今の現状に似つかわしくない、その明るい声質と共に、無数の足音が近づく。
「また来た!」
正直、想像以上だった。これ以上、増えることはあっても、精々、二、三十人程度だと思っていた援軍の合流に、ルナが思わず驚愕したような声を上げ、残りのナナたちは口を開くことも忘れ、警戒の表情で冷や汗を垂らした。
先程の比じゃない足音──。
森の暗がりより余裕を感じさせる足取りを以て、徐々に浮かび上がる人影は、圧倒的物量による、敵軍本隊の到着を思わせた。
もちろん、正規ギルドであるフォレストハントが、たった二、三十人規模とは思っていなかったが、まさか、こんな森の奥地にて、本隊を思わせるような多量の人間が現れるとは、予期しているはずもない。
彼らの目的が、皆、一貫しているのであれば、なぜそこまでに、白緑色の髪の少年を狙うのかが分からなかった。
そうして、数秒の後、約六十人ほどの男たちが日のもとに姿を晒し、マグルを追ってきた者たちも含め、総数、七十名──更に、その中央付近には、それまでの男たちとはまるで違う、目立った色合いに身を包んだ二人の若者の姿があった。
分かりやすく、身長の高いほうと低いほうに分かれ、青年と少年の二人組。どちらも、水色に近い鮮やかな青色を基調とした布地の服を着用。身長差はあるものの、その顔つきはよく似ており、お揃いのように、青く染められたサンタ帽のような物を被っている。
身長の高いほうは、白色のボタンが施された、無地で鮮やかな青色の長袖と、同じく無地で青色の長ズボン。特別な装飾や模様はないが、その帽子も相まって、どこか冬国の祭りのような──或いは、道化師のようなものを連想させる。
手には無地の白い手袋。靴はしっかりとした素材で明るい茶色。顔は素肌で、ナナより若い青年といったところだが、ナナに似て表情が薄く、黒色の瞳から感情は読み取れない。代わりに、明るい茶色の髪が彩りを加えている。
身長の低いほうは、身長の高いほうと比べて、やや青みが薄く、より水色に近い色合い。長袖ではなく、半袖半ズボン。やはり、白色のボタン以外に特別な装飾はなく、ほぼ完全無地だが、その元気な表情も相まって、陽気なピエロのよう。
手袋は着けておらず、手は素肌。黒色の靴に、若さゆえの潤いある黒髪。同じく、好奇心に溢れた黒色の瞳は僅かに青みがかっており、澄んだ日の夜空を思わせた。
そんな彼らを見て、先にマグルと合流していた男のひとりが呟く。
「──”曲芸兄弟”。」
“曲芸兄弟”──と呼ばれた彼らは、どちらもかなり若いように思えた。
身長の高いほうでさえ、ナナと比べれば少し背が低く、ナナより年下といった雰囲気。
身長の低いほうに至っては、逃げていた白緑色の髪の少年と同じくらいの年齢に見える。
今更だが、白緑色の髪の少年も、今しがた現れた身長の低いほうの少年も、ルナの見た目年齢と同等か、それ以下なのだ。
男の呟きに、マグルも青色の少年たちへ横目を向ける。
「……今頃、来たのか。”ロップ”、”ポップ”。」
自身がひとりで戦っていたこともあってか、遅れてきた彼らに、若干、皮肉を交えて呟く。
だが、その言葉に対して、身長の低いほう──”ポップ”と呼ばれた少年が、ムッ、としたような表情を浮かべると、反論するかのように大きな声を上げた。
「今頃ってなんだよ! 勝手に突っ走っていったくせに!」
声質を聞くに、森の中から最初に放たれた一声は、彼のものだろう。あのマグル相手に反論するところを見るに、中々の怖いもの知らずにも思えるが、身内同士、それは理解していたようで、身長の高いほう──”ロップ”がポップを諭しにかかる。
「あいつに突っかかんなって……。」
その言葉に、ポップがロップを見上げると、大胆にもマグルを指差しながら話しを始めた。
「何、兄ちゃん。あいつ嫌いなの?」
「うん。」
『兄』と呼んでいるところを見るに、やはり兄弟なのだろう。怖いもの知らずといったところは、兄も弟と同じだ。
冒頭より少年たちに嫌われたマグルが呆れたように目を逸らす。
「本人の前で堂々と言いやがって……礼儀の欠片もねぇガキ共だ。」
しかし、そんな呟きも意に介さず、ポップが再び大きな声を上げ始めると、前方へ勢いよく視線を向けた。
「あー! あの子、居るじゃん!」
落ち着きのない彼の次なる犠牲者は、チロットの隣で怯えている少年。いや、本来の目的であると言ったほうが正しいか、彼らもフォレストハントに所属している以上、ナナたちとの対立は避けられない。
「なんで捕まえないの?」
ポップが無垢に首を傾げる。
現状をまだ理解し切れていないのか──そもそも、白緑色の髪の少年を捕まえる理由や目的自体を理解してるのかどうかすら不明だが、そんなことを考えている余裕はない。
マグルがポップの声を横に、ナナたちへ刃先を向ける。
「いちいちうるせぇガキだ……。黙ってろ。今、あいつらを殺すところだからよぉ……。」
もはや、説明することが面倒くさくなったのか、最初の時の余裕とは違い、早急に障害を除去しようと、剣を構え始める。
だが──。
─────
──待て、マグル。
─────
またもや聞こえてきた声に、マグルの動きがピタリと止まった。
声の元は、やはり、マグルと男たち背後の森の中。
「まだ来るのか……。」
しつこいばかりに現れる援軍に、警戒を通り越して呆れたように呟くナナだが、今回は静か──足音が少ない。
響いた声も重く低く余裕があり、何より、敵の意識がこちらから、やや逸れている。
なんてことはない時間──。
なんてことはない空気──。
すぐにでも、マグルたち背後の森の奥から、ひとりの男と、狩人ふうの男数人が姿を現す。
狩人ふうの男たちは今までの男たちと同様、違いはない。
問題は、中央を陣取った、ひとりの男だ。
痩せ型で長身──。
茶色のロングコートのような服に黒いベルト──。
縮れた抹茶色の髪を左右へ流し、露わにした表情は、今までの誰とも当て嵌まらない張り付いた余裕と、なんともいえない無機質な圧があった。
立ち止まった男へ、マグルが横目を向ける。
「……”グリル”。」
習うように、男たちも呟く。
「”グリルニード”さん。」
そう。現れたのは”グリルニード”──。
もちろん、ナナたちは彼のことを知る由もないのだが──やはり、ナナやルナより情報通──グリルニードという言葉に、ある者が大きく反応を示した。
「……! グリルニードって、まさか──あのグリルニード……!?」
今日、二度目の驚愕を見せたのは、チロット。
例の如く、ルナが疑問の表情を──慣れたナナが冷静な目を向ける。
「…………?」
「誰なんだ……?」
ナナが問うと、チロットは唾をごくりと飲み込み、緊張したかのように、恐る恐る説明を始めた。
「グリルニードというのは……正規ギルド、フォレストハントの──”ギルド長”の名です……!」
“ギルド長”──。
前述にも少し登場した言葉だが、ギルド長というのは、ギルドを取り纏めている長や代表者のことを差す。俗にいう『ボス』や『リーダー』、組織内でいう『社長』や『総帥』といった立場の人間と同格である。
主に、ギルドの創始者や、ギルド内で最も実力を持った人間がこの地位に就くことが多く、その実力は言わずもがな。ギルドによって振れ幅があるとはいえ、正規ギルドともなれば、”世界王政”のお墨付き──国や世界に認められた実力者を意味した。
「あの人たち……本当にフォレストハントなんだ……。だって……ぼくを直接攫いに来たのは、あの人だから……!」
白緑色の髪の少年が、先程、途絶えさせていた言葉を改めて繋ぐ。
「あの人」というのは、グリルニードのことで間違いないだろう。ギルド長、本人が関わっているのであれば、もはや言い逃れはできない。
「ギルド長……。」
その言葉の重みと立場、実力を警戒するかのようにナナが小さく復唱し、その隣のルナにも緊張がうつる。
「…………。」
しかし、そんななかでもグリルニードは、ナナたちとマグルたち──そして、白緑色の髪の少年と順に、ゆっくりと見渡すと、意外にも、冷静に口を開き始めた。
「お前たち……。その少年をこちらへ渡してもらおう。」
一瞬で状況を把握したのか、少年を庇っているナナたちへ静かに譲渡を促す。
一切の表情を崩さず、淡々と述べる口調にナナとチロットは思わず眉をひそめるが、ルナが代わりといったように反論を見せた。
「おまえたちなんかに渡すわけないじゃん!」
迷いはない。恐らく、その判断に間違いはない。
だが、何かがおかしい奇妙な空気──。
ルナの言葉にも意に介さず──いや寧ろ、意に介しているのか、グリルニードは冷静が張り付いた表情へ僅かに申し訳なさを足すと、またもや意外な言葉を吐いた。
「私の部下が随分と乱暴を働いたようだな。すまなかった。少々、血の気の多いやつでな。管理し切れなかった私の責任だ。」
謝罪だ。まさかの謝罪。
しかし──どこか無機質で、感情を遠い彼方へ置いてきているかのような、意思が感じられない。
加えて、当のマグルからは謝罪どころか、なんの反応も見られない。
何が本当で、何が偽りだ……?
予想外の対応に、ナナとチロットは訝しげな表情で困惑し、あのルナですら、グリルニードの妙な空気感に吞まれつつあった。
「な、なんで、あの子を追っかけ回すんだよ……!」
今、一瞬──グリルニードの口角が吊り上がったように見え──。
──彼は至って冷静な表情で、ルナの疑問に答える。
「彼は盗みを働いたんだ。子どもとはいえ、盗みは立派な犯罪。だから、我々がその子を捕らえに来たのだ。」
身振り手振り、そう話すグリルニード。
だが、その話を聞いた白緑色の髪の少年は、罪がバレた──とは、また違う、驚愕に顔を青ざめさせた。
「……! ち、違う……違う……! ぼくは……盗みなんて……!」
ふるふると頭を小刻みに振り、否定の言葉を発しようとするが、恐怖と驚愕で、上手く言葉にならない。怖くて怖くて、グリルニードから目を逸らしたいのに、なぜか逸らせない。
まるで、グリルニードの張り付いた表情の奥の──見えない何かに怯えているかのように。
「…………。」
ナナとチロットはそんな少年を黙って見詰め──それは疑いか、哀れみか、内心は分からないが、少年は、そんなナナたちの視線にも気がつかないほどに、グリルニードの視線に囚われていた。
ルナが抵抗を続ける。
「そ、そんな話──。」
「お前はその子の何を知っている。」
読まれた抵抗が、いとも簡単に遮られた。
迷いはない。恐らく、その判断に間違いはない。
しかし──それには答えられなかった。
なぜなら、ナナたちは──彼のことを何も知らないから──。
何か抵抗しようと、何か反論しようと、ルナは口を開けるが、喉の奥で言葉がつっかえているかのように、何も出てこない。
遂には黙り込んでしまうが、そんなルナを見向きもせず、グリルニードが空中へ手を差し出した。
「さぁ……その子を渡してもらおう。」
改めて、少年の譲渡を促す。もはや、誰も、何も話さない。
あの狂気に満ち溢れていたマグルや、落ち着きのなかったポップですら、黙り込んでいる。
走る静寂──押し潰されそうな緊迫──。
その静寂を崩すことなく、不意にナナが疑問を投げかける。
「盗みを働いたやつを捕まえる──。そういうのは、それこそ”T”の仕事なんじゃないのか……?」
さりげなく、ワールドテールもとい、Tの話を交え、反応を探るが、グリルニードの表情は崩れない。
「正規のギルドならば、直接、そういう仕事を請け負うこともある。」
もはや限界か。嘘にしろ本当にしろ、相手の表情が読み取れなさ過ぎる。
正義や悪やらと語るつもりはないが、何より、己の中の意志が揺らぎ始めていた。
マグルの所業は許せない。それは間違いない。
だが、それ以外は……?
Tのことも、少年のことも、なんの確証もない話だ。
フォレストハントがただ野蛮とだけで、少年が罪を犯していない理由にはならない。
しかし、この怯えが嘘だというのか……? 本当に、罪で捕まりたくないという怯えなのか……?
マグルたちの話は解釈違いだったのか……? あの殺意は、真っ当な目的からくるものなのか……?
どっち──どっちなんだ……?
どちらを選べばいい……?
「…………!」
不意に、少年の震える手が、チロットの腕を掴んだ。
迷いと困惑を乗せた黒柿色の瞳と、怯えに潤む黒色の瞳が交差する。
何かを訴えようとしているのか、少年の突然の行動に、ナナとルナも目を向け──そして、少年は初めて、その口から、己の意志を紡いだ。
「お願い……! 信じて……! ぼく、盗みなんてしてない……! あの人たち、ぼくを攫いに来たんだ……!」
一世一代の大勝負とばかりに、潤んだ瞳で精一杯、チロットを見上げ、懇願する。
信じてもらうために──。助けてもらうために──。
「もし、ぼくが本当に盗みをしていたら……その時は……! 君たちがぼくを捕まえてよ……!!」
今を生きるために──。これからを生きるために──。
懇願する。
「証明ならするよ……! いくらでもするよ……! 今はできないけど……きっとするよ……! だから、お願い──。」
少年の目から、涙が零れる──。
──助けて……!!
二、三滴の雫が、雑草原に沈んだ。
「…………。」
共に、ナナたちの表情が固くなる。
感情を表に出さない、無表情。
だが、その目に、もはや迷いはなかった。
心に何かを──覚悟を決める。
チロットが呟いた。
「……で、でしたら──。」
答えが決まる前兆。対極したグリルニードと、不安げな少年の視線が集まる。
チロットが答えとして選んだ相手──迷いと困惑を消した表情で、グリルニードへ目を向けると──。
「──”証拠”を見せてください……!」
勢いよく、そう言った。
「…………。」
予期せぬ対抗だったのか、ここにきて、グリルニードが口を閉ざす。
チロットがここぞとばかりに続ける。
「その言葉が本当なら、正式な”依頼書”や”逮捕状”が、国より発行されているはずです……! それを──見せてください……!」
機転を利かせたチロットの返しに、ナナは思わず、心の中で感心した。
そう。”やっていない”証明は『悪魔の証明』──やっていないことなど、誰にも証明はできない。
だから、人を裁くには、”やった”証拠と証明が不可欠となる。
ましてや、正規ギルド──彼らは法の番人ではない。依頼書や逮捕状なくして、勝手に人を捕らえる権利など有してはいないのだ。
グリルニードは先刻、こう言った。
──────────
「──正規のギルドならば、直接、そういう仕事を請け負うこともある。」
──────────
そう。請け負ったのだ。言葉の真偽は別として、だが。
ギルドが仕事を請け負う以上、依頼書の存在は必要不可欠。絶対と言ってもいい。
なぜなら、今まさに、今回のようなことが起こり得るからだ。
しかしながら、絶対の証明になるかと聞かれれば、意外とそうでもない。
相手は腐っても正規ギルド。”偽造書類”なんかも用意しているかもしれない。
そうなれば、正直、ナナたちでは見極め切れないだろう。
いや──仮にそうなっても、もう迷うことはしない。ナナたちは決して正義ではない。今を信じ──自分たちを信じ──もし、この判断が間違っていたならば、自分たちなりに筋を通す覚悟はできている。
何より──彼の涙を信じたのだ。
今更、退かない。退けない……!
だが、それも緊張から出た要らぬ心配だったのか、グリルニードは何かを取り出す様子もなく、ただただ、その冷静な仮面で眉をひそめていた。
「……我々は正規のギルドだ。その言葉よりも、そんな子どもの言葉を信じるというのか……?」
依頼書は出てこない。逮捕状や、その他、書類も──。
それを確認したチロットは、緊迫と緊張の中で冷や汗を垂らしながらも、自信を持って──。
「はい……!」
と、即答する。
グリルニードが呆れたように、更に眉をひそめた。
「愚かな……。正規ギルドに逆らうということは、国や政府に逆らうということ──。お前たちも、ただでは済まんぞ……?」
脅しのようなものに移行するグリルニードの言葉にも、チロットは退かない。
「そうならないためにも……証拠を見せてください……!」
退かないチロットに、グリルニードの睨みも強くなる。
「犯罪者の味方をするつもりか……?」
「そんなつもりはありません……!」
ぶつかる視線と言葉。気持ち、チロットのほうが優勢にも思えるが、しかし、いつまでも平行線を辿っているやり取り──。それに嫌気が差したのか、今まで口を噤んでいたマグルが、ふと言葉を挟んだ。
「へッ……! 茶番はもういいだろ、グリル。もう何を言っても無駄だろうよ。」
自身は早く殺しに行きたいんだと、たがが外れた狂気的な笑みをナナたちへ向けるが、グリルニードは横目を向けることもなく、重く静かにそれを諭す。
「……お前は黙ってろ。マグル。」
少々、荒っぽく、怒りを込めてそう言うが、狂犬を繋ぎ止めておくのも楽ではない。
同時に、自身の沸点も近いのか、その口調と声色が変わりつつあった。
グリルニードがナナたちへ強く睨みを飛ばし、再度、要求する。
「これが最後のチャンスだ。もう一度だけ言うぞ。」
空気が──変わった。
「──ガキをこっちへ渡せ。」
もはや、交渉は不可。グリルニードも半分、諦めているのか、明らかに変わった三人称に、ナナたちの答えは完全に決まる。
グリルニードの最後の要求に対し、各々、決意のような表情を浮かべると共に、息を目一杯、吸い込むと──。
「「「──断る!!」」」
図らずとも三人──口を揃え、そう断言した。
その言葉に、グリルニードの顔から冷静の仮面が剥げ落ちる。
無機質ながらも威厳と厳格さがあった佇まいから一変──不機嫌を寄せ集めたかのように眉間へシワを寄せ、蛮族のような狂気的な睨みが乗った。
グリルニードがその”本性”を現す。
「……大人しくガキを渡せば良かったものを……余計な手間ばかり取らせやがって……。」
低く呟き、そして──不意に、自身の部下たちへ横目を向けたかと思えば、明確な悪意のもと、命令を発した。
「おい。あのガキ共を撃ち殺せ。」
「へ……? し、しかし──。」
唐突な射殺命令に、さすがの男たちも困惑を見せるが、グリルニードは表情を変えることなく、寧ろ、不機嫌そうに睨みを強くすると、もう一度言った。
「聞こえなかったのか……? “撃ち殺せ”と言ったんだ。それとも何か……? 俺の言うことが聞けないとでも……?」
グリルニードの言葉に威圧された男たちは、「滅相もない……!」といったように慌てて目を逸らすと共に、銃の準備を始めると、ナナたちへ目掛け一斉に、その銃口を構え始める。
一遍に数十の長銃が向けられ、まさか、散々追っていた少年ごと撃ち殺すかのような勢いだが、そこは周到──グリルニードが補足命令を行う。
「獲物のガキにはできるだけ当てるなよ。多少の傷くらいはいいが、一応、生け捕りという約束だ。」
何も周到ではない。諸共、撃ち放つ気の攻撃命令に、ルナとチロットが焦りを浮かばせた。
「あわわわ……!」
「そんな無茶苦茶な……!」
各々、慌てたように声を上げ──白緑色の髪の少年も、そんなふたりに釣られるかのように焦りの冷や汗を垂らすが、今更、逃げる時間も隠れる場所もありはしない。
それを悟ったのか、ナナも慌てたように一歩前へ出ると、皆に聞こえるような大きな声で指示を飛ばした。
「ルナ! チロ! その子を連れて俺の後ろへ下がれ!」
早口の指示にも、ルナとチロットは聞き逃さず──。
「うん……!」
「はい……!」
と、素早く反応し、返事で意を示すと、少年を連れて、ナナの後ろ直線上へ身を隠す。
同時に、ナナが集中と警戒で見据える正面──前方のち前方。銃を構える男たちの指が、引き金に差し掛かった。
………to be continued………
───hidden world story───
正規が正しいか、正しきが正規か──。
肩書きと幼き命の天秤。