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【HIDDEN WORLD】  作者: Meafuls CAT Studio@猫のような生き物
【スリープ郊外~旧街森林編】
18/24

第16話 始まりの銃声

 深緑にて交差する闇と小鳥と若草と──。



“とある森林”




「──はぁ……はぁ……はぁ……。」




 日が白く照る早朝──。木陰が続く高木(こうぼく)の森の中、青々と茂った草を踏み締めながら走る、一人の小さな影があった。

 幹を越え、草を越え、穏やかな木漏れ日の中を過呼吸に近いほど息を切らし、どこまでもどこまでも続く樹海を駆け抜けていく。


 先なんて見えない。出口なんて分からない。ここがどこかなんて、知る由もない。


 華麗に……? 颯爽に……? 森を香り、風を感じ……? ──残念ながら、この足取りにそんな綺麗な言葉など存在しない。

 あるのは、元より有酸素運動に慣れていないかのような激しい息遣いと、いつ(もつ)れてもおかしくはない、軸の合っていない足の動き。


 (もっと)も、それを助長させているのが過度な疲労であるということは、誰の目にも明らかなのだが、駆ける人物は休息を取るどころか、一向に足を止めようとはしない。

 それどころか、疲労を感じ足の動きが緩み始めるほど、当人は必死になって体を前へ前へと動かそうとする。


 息も絶え絶えしく、肺が酸素を欲し呼吸が荒く苦しくなる。

 小さな体には酷な大自然──当てもなく、光もなく──しかし、迫る絶望より背を向け、ただ永遠と距離を取るがために、翼を折られた小鳥の如く、若草を踏み締めながら薄暗い森の奥へと迷い込んでいく。




 駆ける足音が遠ざかり、小さき背が木陰へ吸い込まれて数秒後──無数の騒々しい足音と共に、刃物や銃を持った男たちがその後を追っていった。


 ここで判る。先程、息を切らしながら駆け抜けていった小さな影は”逃走者”であり、その後を追っているのは”追跡者”であると──。




 ……………




「おい! ガキは見つかったか?!」


「いや、こっちには居ない……!」


 武器を持った男たちが四方から集まり、焦燥(しょうそう)の会話を交わす。


「くそ! また見失った……!」


「一体どこに行きやがったんだ……!」


「今日中にとっ捕まえねぇと、俺たちが埋められちまうってのに……!」


 恐らく、彼らが”追跡者”。深い森の中、どうやら逃走者を見失ってしまった様子だ。

 当然、大自然は誰の味方でもなければ、善悪問わず皆、平等に受け入れ、平等に洗礼を与える。数や装備で(まさ)っていても、失う方向感覚と視界の悪さに変わりはない。


 しかし、追う側であるはずの彼らが焦っている理由は、また別のところにありそうだ。


「とにかく……! 早く見つけ出さないと俺たちの命が危ない……! お前たちはあっちを探してくれ! 俺たちはこっちを探す!」


 何かに急かされるかのように(せわ)しなく指示を飛ばし、集まった男たちは再び四方へ散っていく。




「……っ……。」


 そんな追跡者たちが去った横──すぐそばの木の影に、逃走者は居た。

 育ち(そび)える高木(こうぼく)に背を預け、荒くなった息を静かに整えながら、遠ざかる足音に身を震わせる。






…………………………






 午前、お昼前。見事、目的である岩石大鷲討伐を成したナナたちは、その討伐報酬を得るため、次なる目的地──”スリープ”へと向かっていた。




“ロック山脈 西方面(ふもと)


 一夜の休息を()て明朝から、ナナたちは再び数時間かけて、ロック山脈を下山。入山時とは反対方面──(さら)なる先の地の前で足を止めた。


「はぁ〜。やっと山を降りられましたね〜。」


 転落や滑落に気を配っていた緊張感から解放されたのか、チロットが肩から荷を下ろすかのように呟く。


「まぁ、登りより緩やかな道だっただけ、まだマシだな。」


 それに対して、ナナもそう返しながら、隣に居たルナが前方を指差す。


「でもでも! 今度は”森”だよ?」


 越えた岩山を背景とし、ナナたちを境界線として挟んだ、すぐ前方──そこには、先も横も覆い尽くすかのような深く広大な森林地帯が広がっていた。

 見渡す限りの深緑。唯一、それを裂いたかのように伸びた一路の畦道(あぜみち)のような土道と共に、(わき)に刺し立てられた木造りの小さな標識がナナたちを出迎える。


 標識には、古惚(ふるぼ)けた字で『三十二番街道』と一筆──。


「ここを道なりに進めばいいのか?」


 ナナがチロットへ道順を問うと、チロットはそれに、明るい調子で答えた。


「はい! “スリープ”に行くためには、まず、この森を抜ける必要があります!」


 例の如く、この辺りの地理を知っているのはチロットだけだ。ゆえに、スリープへ行くためには彼の道案内が必要不可欠といえる。


「ここは、”旧街森林(きゅうかいしんりん)”──。今、僕たちが居るこの場所とスリープ王国との間に広がる、巨大広葉樹林帯です。」




“旧街森林”

 スリープ王国領土の三割を占めている巨大広葉樹林。しかし、その広大さがゆえに、東側の国境は旧街森林を跨ぎ、領土外にまで広がった森林地を含めると、実際の規模は領土内にある森林地の倍となる。所々に、大昔、町へ物資を運ぶために使用されていた街道の名残りが存在しており、数百年経った現在でも旧道として利用されているが、人の行き来の少なさと、その広大さにより、舗装までには至っていない。旧道は全部で『二百二番街道』まで存在している。




「とっても広い森林地帯ですが、この道を真っ直ぐ、道なりに進むだけで森は抜けられるので、迷う心配はないです。一部では、”方位磁石がなくても抜けられる森”、として、ちょっとだけ有名だったりもするらしいですよ?」


 ちょっとした雑学と共に、広大さの割には楽に抜けられることを教えてくれる。


 『道なりを進むだけ』という、簡単だが単調な行動を求められたナナは、深い森へと続く土道へ目を向けると、チロットの言葉に頷いた。


「そうか。だったら、また(しばら)く歩きが続きそうだな。」


 足場の悪い岩道から続けて、今度は第二ステージと言わんばかりに長く伸びた森林地帯の土の道──。お互いに心の準備ができていることを確認しつつ、ナナたちはひと呼吸置くと、深緑に挟まれた旧街道へ足を踏み入れるのであった。






…………………………






“スリープ・ラランドラ”


 その頃、ナナたちの目的地となっていたスリープ王国──中心街よりやや外れた、とある巨大な建物では、何やら不穏な空気が漂っていた。


 虫も通さぬ石造りの建物に、関係者以外立ち入り禁止を示す石塀と鉄柵。高さ、二十メートルを超す堅牢な建物の外壁は、外敵の侵入を防ぐために滑らかに加工され、上階からの侵入を困難にする。

 建物全体は灰色に塗装。所々に、橙色(だいだいいろ)の抽象画のような模様が描かれており、どことなく(とぐろ)を巻いた蛇のようなものを連想させる。


 しかし、そんな要塞のような砦であっても例外はなく、この国にある建物や塀は全て、白い綿毛のような物に覆われているため、まるで上記へ(もや)をかけるかのように白が巻き付いていた。


 そして、建物の頂に掲げられた白地の旗と、正面中央の外壁に描かれたシンボルは、人々に安息の世界を約束し、秩序を乱す無法者には正義の鉄槌を下すだろう。


 善人悪人問わず、この世界において知らぬ者は居ない秩序の番人──世界最大の軍事組織──。

 世界全土に展開された数百を超える末端防衛基地のひとつが、ここ──スリープにあった。






挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)






 ……………




「隊長……! ご報告したいことが……!」


 基地内部の廊下にて、騒々しい足音が響いた。


 複数のボタンやポケットが施された淡いクリーム色の半袖シャツに、橙色(だいだいいろ)の長ズボン。足元は焦茶色のブーツで固め、色合いを除いた全体の風貌は軍服を連想させるが、旧時代と比べれて重装感はなく、一般人が着ても差し支えがなさそうなほど、軽装に思える。

 軍隊としての制服なのだろう。崩すことなく着こなし、左腰には鞘に仕舞われた剣が提げられていた。


 そして、廊下にて”隊長”と呼び止められた男は──。


「……どうした?」


 駆けてきた男──もとい、兵士の男の慌てた様子に立ち止まり、振り返った。

 丁度、日の差しが悪く、肩より上が影となって見えないが、基本的な服装は兵士の男と同じ。しかし、隊長はその上から(さら)橙色(だいだいいろ)の長いマントを羽織っており、背から見た左側には、この軍隊のシンボルにも使われていた蛇のようなマークと重ねて、大きな白文字で『T4』と描かれていた。


 情景を戻し──疲れからか、はたまたは、焦りからか、兵士の男は隊長の前で立ち止まると、冷や汗を垂らしながら緊急といった報告を始める。


「それが……つい先程──。()()()()()の動向を追っていた偵察部隊との通信が──突如、途絶えました……!」


 廊下にて行われた突然の報告内容に、隊長が暗がりで眉をひそめる。


「なんだと……? まさか本当に奴らが……? ──いや、だとしたら、なぜこのタイミングで……?」


 (はた)から聞く分には、なんのことだかさっぱりといった呟きだが、冷静な口調の中にも困惑したように思考しているのを見るに、非常事態といった様子が伝わってくる。

 しかし、指示を待つ部下を前に、考え込んでいる暇などない。一瞬の困惑はあったが、瞬間の判断が求められる職務──すぐに気持ちを切り替えると、隊長は兵士の男へ次なる命を提示した。


「……とにかく、事の真偽は後回しだ。──すぐに本隊の準備をしろ。まずは偵察部隊の安否を確認しに行く。我々もロック山脈(ふもと)の旧道森林地帯──”旧街森林”へ向かうぞ……!」


「はっ!」






…………………………






“旧街森林”


 大森林の街道に足を踏み入れ、数十分──ナナたちは順調に森林地帯を歩き進んでいた。

 しかし、特筆するべきこともない、ただ平坦で真っ直ぐな道のり。順調過ぎるがゆえに、少しの退屈すら覚えてしまう。


 周りにあるのは、代わり映えのしない樹木の数々。緑、緑、緑と続いて、永遠に続いて……地平線の先まで続いている景色は、まるで鳥籠に囚われたかのような恐怖さえ感じさせる。

 森を抜ければ目的地──といえど、その先の見えない道のりは、ナナの頭に一縷(いちる)の疑問を生んだ。


 現状、唯一の案内人であるチロットへ横目を向ける。


「ところで、チロ。スリープまでは、どのくらいかかるんだ?」


 歩きながら問い、チロットも横目で返す。


「そうですね〜。結構あると思いますよ?」


 言うと共に、少し考え込むように(くう)を見上げると、詳しく続けた。


「まず、この森を抜けるのにひと苦労ですし……。軽く見積もっても──”一週間”くらいはかかりますかね〜。」


 およそ七日──。さらりと零されたそれなりの期間に、ナナはひと粒の汗と共に眉をひそめる。


「一週間か……。想像より遠いな。」


 思った以上の距離──。かといって、過剰なほどに遠いわけでもない距離は、絶望感や疲労感よりも、面倒くさいといった感情が勝ってしまう。

 加えて、一週間近く、この代わり映えのしない景色を見続けないといけないことを考えると、どこか遠くを見詰めてしまうナナだったが、ふと、そんなナナの顔を覗き込むように、ルナがにっこりとした表情を向けてきた。


「じゃあ! バーベキューたくさんできるねっ!」


 気を遣ってくれたような言葉にも聞こえるが、ルナの場合は、恐らく本心だろう。本気で、この長い旅路(たびじ)に喜びを見出(みいだ)し、ただの野営ですら楽しみにしているのだ。


 そんなルナの態度に、ナナは呆れ混じりの溜め息を吐きつつも、自分たちとの旅を心から楽しんでくれている彼女へ、和やかな笑みを返した。


「野宿のことをバーベキューって言うの、お前だけだぞ……?」


「えへへ。」


 この無邪気な笑顔を前に、退屈なんて言葉は浅はかだったかもしれない。






…………………………






 ほぼ同時刻。高木(こうぼく)が連なる深い森の中──改め、”旧街森林”の森の中。そこでは、再び何人かの武装をした男たちが集まっていた。

 ひと時の休息と情報共有を兼ねているようにも見えるが、皆、どこか落ち着かない様子。


 疲れとは違う、焦りゆえの冷や汗を垂らしながら、男のひとりが焦燥(しょうそう)の声を漏らす。


「くそ……見つかんねぇ。もう昼だぞ!」


 真上に迫る太陽──日の半分。彼らは何かに急かされているかのように逃走者を追い、森の中を駆け巡っていたが、なんの成果も得られぬまま、ただ時間のみが過ぎ去っていた。


 しかし、逃走する側ならいざ知らず、追跡する側の人間がなぜそこまで焦っているのか……?

 全員、口には出さないが、その表情からは焦りと、若干の恐れが感じ取れた。






─────






 ──お前ら……何のんびりしてんだぁ……?






─────






 すると、その時、不意に頭上から、低く(いや)しい声が響いた。

 決して大声ではないはずなのだが、男たちはその声に聞き覚えがあったのか、まるで脳内へ響いたかのように戦慄した表情を浮かべると、一斉にひとつの高木(こうぼく)を見上げる。


 そこに居たのは、焦茶色の物体か人物か──よく分からない丸っこい影だった。

 高木(こうぼく)の枝へ、とまるかのように(たたず)み、(やなぎ)のような長い毛で覆われている。


 それ自体がよく分からない風貌に加えて、木陰で全容が分からないため、もはや人であるのかどうかすら判断がつかない。

 だが──その姿を認識すると同時に、まるで視線が吸い込まれたかのように合わされた黄土色の瞳は、人間を嘲笑(あざわら)うかのような下卑た潤いのもと、見た者に嫌悪(けんお)と悪寒を感じさせた。


「あ、あんたは……! なんでこんな所に……!」


 見上げた男のひとりが驚愕の声を上げる。

 顔見知りだったのだろう。その不気味な風貌よりも、この場に居ること自体に驚いているといったふうだ。


 しかし、そんな驚きを前にした焦茶色の何かは、両口端を三日月のように釣り上げると、まるで人を食い殺そうと狙っている(あやかし)の如く笑みを浮かべながら、口を開いた。


「へへ……悪いねぇ。()()()()共を掃除してたら、遅れちまった。」


 やはり、人間ではないのか。もはや、言っていることすら意味不明に思えるが、下の男たちはその言葉の意味を知っていたのか、また別方向に驚愕の声を上げる。


「へ、蛇の尻尾……! なぜ奴らが……!! まさか嗅ぎつけてきやがったのか!?」


 男の反応を見るに、恐らくは隠語か何かだろう。異界の言語ではないことにひと安心も僅か、今度は、現実的な裏社会を連想させる。


 一方で、別の男がふと冷静になったのか、焦茶色の人物が発した、もうひとつの言葉を思い返すと、思わず口を()いて呟いた。


「それを()()()()()()って言ったが……。──あんた、まさか……。」


 発すると同時に全員が察する。

 共に、焦茶色の男の口角が迫り上がり、その白歯(しらは)が木陰に浮かんだ。






─────






 そう。その言葉が意味したのは、彼らの動向を秘密裏に探っていた()()()()()の全滅──。


 人知れない森の奥に、錆びた鉄と雨水に溶けた土壌が入り混じったかのような匂いが漂い、薄暗を介して、ふと凝らした先には、無数の────。






挿絵(By みてみん)






 ──斬死体(ざんしたい)が転がっていた。


 オレンジ系統色の兵士服と、袖も襟もない薄墨色の外套(がいとう)を血と土で汚し、どれも刃物で斬りつけられたかのような深く荒い切り傷が刻まれている。

 鞘から抜かれていない剣や、銃を背負ったままの死体などがあるのを見るに、それは一瞬の出来事──不意打ちによる殲滅(せんめつ)だと推測できた。






─────






 そんな模様を想像したのか、男たちはごくりと唾を飲み込む。

 恐らく、彼らにとっては味方に位置する存在なのだろうが、それゆえに、背筋が凍るものを感じているのだろう。




 何しろ──彼らの目線の先で(いや)しい笑みを浮かべている焦茶色の男は、今しがた、()()()()()()()()()男なのだ。




 だが、ふと、そんな緊張の糸を切るかのように、森の中にバサバサと羽音が響いた。

 野生動物だろうか。焦茶色の男も含め、全員が音のほうへ目を向けると、どこからともなく、暗い森の奥から一匹の蝙蝠(こうもり)が飛んできているのが見えた。


「……”連絡蝙蝠(れんらくこうもり)”。」


 男のひとりが呟くように言う。共に、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)と呼ばれた蝙蝠(こうもり)は、男たち全員を見渡すように一度大きく旋回すると、滞空しながらゆっくりと降下し、集まりの中央付近へ──男たちの目線の高さで留まった。




連絡蝙蝠(れんらくこうもり)

 暗い紫色のシルエット調、蝙蝠(こうもり)。肩乗りサイズで体は小さいが、分類は(れっき)とした魔物である。自身が聞いた音、もしくは、仲間内から音波を用いり送られてきた音を、模倣(もほう)し発する特性を持つ。ゆえに、この世界では遠方への連絡手段として飼われることが多く、非常に大人しいため、ペットとしても人気。大多数は、調教師のもと、それぞれペアとなった蝙蝠(こうもり)同士と連絡を行えるようになっており、二匹一対が基本。ペアとした蝙蝠(こうもり)同士を介し、まるで無線機のように遠方の者とも連絡が取り合えることから、一般の者や一般企業ほか、軍隊や国軍、様々な組織やギルドにも活用されている。加えて、元々ペアではない蝙蝠(こうもり)同士でも、互いの周波数を覚えさせることができれば、通話が可能になる。しかし、覚えられる周波数──つまるところの”連絡先”は、一匹の連絡蝙蝠(れんらくこうもり)で四つから五つ程度なので、注意が必要。あまりたくさんの連絡先を覚えさせると、古い連絡先から順に忘れていってしまうので、いろんな人と連絡を取り合いたい場合は、複数の連絡蝙蝠(れんらくこうもり)を飼うことが推奨される。豆知識として、連絡先を知らなくても受信自体は可能なため、自分の蝙蝠(こうもり)が相手の連絡先を覚えていなくても、相手の蝙蝠(こうもり)がこちらの連絡先を覚えてさえいれば、通話は可能になる。もちろん、その場合、こちらからは連絡ができないため、相手からの連絡を一方的に待つしかないというのが難点である。(さら)なる豆知識として、調教次第では着信拒否を覚えさせることも可能になるので、愛情を持って接すれば、しつこい元カレや元カノとの縁を切るのにひと役買ってくれることだろう。




 羽を羽撃(はばた)かせ、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)は男たちの中央で留まると、その丸い眼球を灯りのように輝かせ始める。

 共に、この場に居るほかの誰でもない、低い男の声が響いた。


『──ガキはまだ捕まらないのか。』


 それは、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)が放った言葉──否、正確には、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)同士を介して話している、人の声の模倣(もほう)音波。

 僅かに電子音混じりにも聞こえるが、その不機嫌な声質は”グリルニード”のものであるとすぐに分かる。


 恐らく、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)()()()()に──()()のだろう。小さき逃走者を捕らえるように命じた、張本人が──。


 連絡蝙蝠(れんらくこうもり)の先の相手がグリルニードであることを知った男たちは、蝙蝠(こうもり)相手に冷や汗を垂らしながら(へりくだ)り始めると、問われた言葉に対して現状の報告をした。


「いえ……この辺りでまた見失って……。」


 失態続き成果はなし。男たちは蝙蝠(こうもり)越しの怒号を覚悟したことだろう。

 だが、(すで)に逃げる姿を確認できている時点で、捕らえるのは時間の問題と考えていたのか、グリルニードは男たちの言葉に呆れ混じりの溜め息を吐きつつも、蝙蝠(こうもり)を通してでも伝わるような企みのある笑みを浮かべると、意外にも冷静に助言を与え始めた。


『ったく……テメェらの脳味噌はなんのために付いてやがる。……いいか? 獲物ってのは……()()するに限るんだよ。』


 その言葉と同調するかのように、連絡蝙蝠(れんらくこうもり)の眼の輝きが一段と増す。






…………………………






「〜〜♪」


 穏やかで静かな森の道。ルナのご機嫌な鼻歌も相まって、ナナたちの旅路(たびじ)を愉快なものに演出させる。

 人の居ない大自然──。当初の心配が嘘かのように、(むし)ろ、この三人だけという空間と澄んだ緑に囲まれ、時間を忘れるような癒しのひと時を感じていた。


 だが──。






─────






 ──バンッ!!






─────






 突如、そんなひと時を裂くような、重く乾いた音が森全体に響き渡った。


「…………!」


 まるで、鉄の球が破裂したかのような音に、ナナたちは驚き立ち止まり、遠くの木々で鳥たちが群れを成して空へ飛び立つ。


「…………。」


 数秒の静寂──。聞いた事実を確認するかのように思わず顔を見合わせ、その場で息を殺すように辺りの様子を(うかが)う。


 後──続けて、三発連続の破裂音。


 幻聴や気のせいではない。前方から聞こえてくる破裂音は、恐らく火薬による”発砲音”──”銃声”だ。


 チロットがその場でゆっくりと口を開く。


「誰かが……魔物狩りをしているのでしょうか……?」


 森での銃声。珍しいことではないといえば嘘になるが、決して、不思議なことではない。魔物や動物を狩るにおいて、銃を用いることはよくあることだ。

 いや(むし)ろ、数多の武器が使われているこの世界でも、刃物類や鈍器類と同じくらい、銃器類は一般的な兵器として普及している。


 魔法に負けず勝らず、誰が用いても同じ威力として放つ音速の鉛玉は、たとえ敵が格上の猛者であっても、急所を捉えることができれば死の瞬間すら知らせない。

 ゆえに、一般宅の護身用や狩猟用ほか、公的な軍隊や政治関係の組織までに、幅広く活用されているのだ。


 今、この瞬間も鳴り続けている銃声も、その”銃器”によるもの。物珍しい情景でもないはずなのだが、本能が何かを感じ取ったのか、ナナはその銃声へ睨むように眉をひそめると、チロットの問いかけに打ち消しを(もっ)て呟いた。


「……いや。」


 ナナはこの銃声に違和感を覚える。


 主に銃声は、前方向から聞こえてくるが、その頻度や距離感はバラバラ。もし、魔物か動物へ向けて撃っているのであれば、間を空けず、もっと連続して聞こえてもいいはずだ。

 なぜ、妙に間隔を空けて──そして、なぜ一発一発の銃声が、絶妙に違う位置から鳴っているように聞こえるのだろう。


 まるで、森へ広く展開したそれぞれが、何かへ向けて、自分たちの位置を知らせているかのように──。


 ──いや、目的自体は()()()だとしたら──知らせる行為が、己たちへ近づけさせるためではなく、()()()()()()の行動だとしたら、ひとつだけ思い当たることがある。


 パーティーやギルドが集団で狩りを行う際、囲い込むように広く展開したそれぞれが銃を真上へ向けて発砲することにより、その音で獲物の逃げ道を塞ぎ、誘導し、追い込む手法──これに似ていると。


 だが、残念ながら、この手法が使われることはあまりないのだ。銃弾や火薬の消費が加速してしまうほか、流れ弾が人や関係のない動物に当たる可能性。空砲であっても、大きな騒音により、野生の生物に要らぬストレスを与えてしまう可能性もある。

 集団で追い込むにしても、実際に用いられるのは狩猟用の鈴や己自身の声であり、銃が登場するのは獲物を仕留める時だけだ。


 つまり、結局は何が言いたいか──この手法を実行する人間たちは限られてくるということ。


 その中で、狩りの心得をよく知らない、初心者が挙げられるが、狩り初心者が銃を無闇矢鱈(むやみやたら)に撃つとは考えにくい。初心者はより慎重なものだ。

 何より、初心者がこの手法を知っているとは思えない。


 そもそも、初心者が銃を持つこと自体、珍しいことなのだ。

 弾を込めて撃つだけとはいえ、その仕組みや扱いを知らないと、あらぬ事故に繋がる。大切な仲間が居るのなら、なおさら、誤射や暴発を恐れ、持つことを自体を躊躇(ためら)う者が多い。


 防衛にも使える刃物とは違い、銃は”殺傷兵器”。引き金一発、威力の調整はできない。

 護るための矛や盾と比べて、どうしても、”殺すための武器”というイメージが強いため、初心者が持ちたいとは、あまり思わないのだ。


 その間にも響く銃声──。


 鳴っている頻度や位置関係を考えても、かなりの大人数と見える。

 手段を選ばない大きなギルドか──もしくは、山越盗賊団のような無法者か──。


 確かめたいのは、この森の中に、銃を乱射してまでも誘導しないといけない魔物が居るかどうかってことだ。


 ひそめた眉を崩さず、ナナがチロットへ問いかけた。


「……チロ。この森に、危険な魔物は居るか……?」


「え……?」


 唐突に訊かれ、少し呆気に取られるチロット。だが、ナナの真剣な眼差しを前に、すぐに表情を切り替えると、確信を(もっ)て答えてくれる。


「あ、はい! この森には、それほど危険な魔物は居なかったと思います! 少なくとも、岩石大鷲クラスの魔物は絶対に居ません!」


 どこか緊張しながらも、強気の表情で言い切るチロットの言葉に、ナナは再び前方へ目を向けた。


 その言葉が本当なら、今、森の中で銃を発砲させている者たちは、()()()()()()()()を集団で追い込んでいることになる。

 然程(さほど)、危険でもない魔物相手に──わざわざ銃を用いり──誘導する。


 その情景に思い浮かぶのは──『野蛮』の二文字だった。


 だが、それは、相手が魔物や動物だった場合の話。野蛮な狩り方だな、程度で済まされるのだが、人間が狩りを行うのは、何も魔物や動物だけではない。

 銃声に違和感を感じた、あの時から、ナナの頭に浮かんでいた最悪の予感──。




 人間は──人間を狩る。




 しかも、魔物や動物には(いだ)きづらい、憎悪や悪意を(もっ)て──。


 それが”引き金”となって、野蛮な行動へ至っているのならば、この違和感のある銃声にも辻褄が合ってくる。


 気づけば──ナナの足が動いていた。


「走るぞ! 二人共!」


「え、あ、はい……!」


 突然、銃声が鳴り響く前方へ駆け始めるナナに、チロットは慌てて返事をすると共に後を追い──。


「え!? 待ってよ〜!」


 そんなチロットたちの背に、ルナも遅れて追っていく。




 駆けている間にも鳴り響く銃声。


 正直、なぜ走っているのかは分からない。

 だが、山越盗賊団に嘲笑(あざわら)われていたニロたちや、スタンに利用されていたチロットたちのこともあってか、そういった被害に対して少々、過敏になり始めているのかもしれない。


 加えて、ルナに全く影響されていないといえば嘘になる。彼女の真っ直ぐな正義感や優しさに惚れたのは、何もチロットだけではないのだ。


 しかし、この銃声の正体が、まだ悪行と決まったわけではない。それを確認するためにも、ナナは今、走っているのだが──ナナはこの銃声から、どこか悪意のようなものを感じていた。






─────






 ──バンッ!!






─────






 その時──駆けるナナたちの真横から、一発の銃声が鳴り響いた。


 今までで一番近い距離からの銃声──。


 共に、ナナの体にドンッ、といった衝撃が走り、駆けていた足が(もつ)れる。


「…………!」


 突然の衝撃に、ナナは目を見開いたままバランスを崩していき、傾き始めるナナの背を、ルナとチロットは驚いたような表情で見詰めた。






 ────……。






 思わず立ち止まるルナとチロット。そして、そんな目線の先で、倒れることなく(たたず)んでいるナナ。


「…………。」


 ナナは自身の体に走った衝撃に、一瞬、驚きはしたものの、胸に飛び込んでくるかたちで()()()()()()()、その小さきものを、反射的に腕で抱えるように受け止めていた。

 当人のナナ、(はた)から見ているルナとチロット共々、(ほう)けたような表情を浮かべながら、それへ目を落とす。


 ナナ目線──そこに見えたのは、メロンクリームのような鮮やかな白緑色(びゃくろくいろ)の髪。

 そう。ナナに受け止められるかたちで飛び込んできたのは、白緑色(びゃくろくいろ)の髪に亜麻色(あまいろ)の衣服を身に(まと)った、小さな子どもであった。


 銃声へ向かっていたはずが、なぜか出会ったのは子ども。

 よく分からない情景に、ナナたちが固まっているなか、その懐で、ハッ、としたようにナナを見上げ、映る瞳は丸く大きな黒色の瞳。僅かに潤んでおり、その瞳孔の奥には怯えを感じさせる。




 ──少年、だろうか……?




(こ、子ども……?)


 少年と目が合い、ようやく思考が定まってきたのも(つか)の間、少年はナナから視線を()らすなり、よろよろと二、三歩後退すると──。


「に、逃げなくちゃ……。」


 虚ろに呟きながら、銃声とは反対側の森の中へ、おぼつかない足取りで走り去っていった。

 その一瞬、少年の首から紐を通して提げられていた、古い鍵のような物が空中へ投げ出されるように揺れ──一連の流れにハッとしたかのように、ナナが声を発する。


「あ、ちょっと待て……!」


 だが、走り去った後で声が届いていないのか、はたまたは、声が届いても無視されてしまったのか、足音は森へ消えゆくように遠ざかり、響く銃声が思い出したかのように耳へ届き始める。


「…………。」


 思わず、銃声の鳴るほうへ目を向けた。


 今、銃声が聞こえるのは、土道を挟んだ左方面。少年が飛び出してきた方向と同一の森の中だ。

 そして、ナナたちのもとへ飛び出してきた少年は、まるで、その音から逃げるかのように土道を横断し、銃声とは反対方向の森の中へ駆け去っている。


 獲物を追い込む野蛮な手法に、迫る銃声と逃げる少年──。


 ナナの嫌な予感と、今までの経験から、ナナたちは真剣な表情を浮かべると、ひとつの考えに集約した。

 ナナがルナへ目を向ける。


「……ルナ。」


「うん……! 追いかけよう!」


 みなまで言わずとも目線だけで言いたいことが伝わったのか、ルナもナナを見詰め返しながら頷き──ルナと意見が一致したことを確認したナナは、今度はチロットへ目を向けることにより彼の意志を(うかが)うと、チロットも強気の頷きを(もっ)て応えた。


「どんなことがあろうと、僕はお二人に付いていきます……!」


 三人の意見と意志が一致する。


 少年を追いかけよう──。






─────






 おぼつかない足取りで、薄暗い森の中を駆け進む少年──。






─────






 長い銃身の先を真上へ向けながら、銃を発砲する男たち──。






─────






 対する間で、ナナたち三人は少年の後を追いかけていく。






─────






 そうして、ものの一、二分ほど木々を()(くぐ)ると、ナナたちの目に(まばゆ)い日の光が覆った。

 木陰から日のもとへ。場面が切り替わるかのように一瞬の白光に包まれ、数秒の後に慣れた目を開く。


 そこは、八方を木々に囲まれた、少し開けた地。共に、先で驚いたように振り返り、ナナたちへ怯えた目線を向けている、先程の白緑色(びゃくろくいろ)の髪の少年を確認する。

 少年はナナたちを見るなり、その顔を恐怖ゆえに青く染め、後ろ向きで後退(あとずさ)りをする。


 もう体力も限界に達しているのか、逃げようとしつつも足が動かないといった様子だ。


 一体、どれだけ走り続けていたのか──。


 脇目も振らず、初対面であるはずのナナたちにまでも見せる、この怯えよう。

 逃げようと身を退く少年へ、咄嗟(とっさ)にルナが、落ち着かせるために声を上げる。


「待って! 僕たちは──!」


 だが、その時──ナナたちの背後から木の葉が擦れるような音が聞こえたかと思えば、突如、何かがルナへ目掛けて飛び出した。


「…………!」


 ルナはその音と気配にハッとし、思わず言葉を止めながら振り返ろうとするが、その直後──。




 ──ガキンッ!!




 という鋭い音と共に、振り返ったルナの眼前で、刃と刃が衝突した。


「っ……!」


 突然の衝突音に、ルナは思わず腕で顔を覆うように身を()らし、きゅっ、と目を(つむ)る。

 一瞬のことで何が起きたのか──。ルナは恐る恐る目を開くと、なんと、明らかにルナへ目掛けて振り下ろされていた白銀の刃を、ナナが自身の刃で、同じ白銀の線条で止めていた。


 ナナの顔へ目をやる。


「…………。」


 ナナは冷静な表情を浮かべながらも、突然、斬りかかってきた謎の男へ睨むように(がん)を飛ばしながら、(いま)だカチャカチャと触れる相手の刃を抑え続けていた。


 共に、ルナへ目掛けて剣を振り下ろした謎の男──もとい、焦茶色の男の白歯(しらは)が浮かぶ。

 横へ伸びた楕円形の顔を裂いたかのように吊り上がった口角を、(さら)に吊り上げ、ニヤリと不気味に笑みを零すと、刃同士で弾くかのように後方へ跳び、ナナたちと距離を取った。


 着地すると共に、改めて、ナナたちはその不気味な姿を認識する。


 全体が色味のない暗い焦茶色。枯れ葉のような無地でボロボロの布切れのような衣に、まるで枝垂(しだ)(やなぎ)のように垂れ下がった長い髪。肌も、その服と髪に同化するほどの褐色の肌。

 顔全体を覆い隠すほどに伸びた長い髪の隙間からは、人を嘲笑(あざわら)うような黄土色の瞳が覗き、生理的嫌悪(けんお)を感じさせる妙な潤いを放っている。


 身長はルナやチロットよりも低く、どことなくドングリのようなものを連想させるが、その(たたず)まいは明らかに子どもではない。

 ()えて悪い表現を使うならば、ちんちくりんといった言葉が当て()まるが、逆にそれが、この男の底知れない不気味さを演出していた。


 長い髪のもと、焦茶色の男が(いや)しく口角を吊り上げる。


「ヘッヘッヘッ……。よくオレの剣を受け止めたなぁ。」


 不気味に笑い、発せられた声は低く嘲笑(あざわら)ったかのような声質。

 そんな焦茶色の男に、ナナは剣を下げながら困惑したように呟いていた。


「なんだ……あいつは……。」


 ()()れもそうだが、目的も正体も不明──。


「せっかく、勘づくことなく息の根を止めてやろうと思ったのによぉ〜。」


 言っていることも行動も、常人のそれとは思えない。何しろ、今しがた出会った人間に、命を狙われる覚えなどないのだ。


 未知なる敵の遭遇に、ナナたちは警戒に冷や汗を垂らし、その後方では、逃げていた少年が怯えと困惑のもと固まっている。

 そんな膠着(こうちゃく)状態を前にした焦茶色の男は、今度はおどけたように肩を(すく)めると、わざとらしく声を張った。


「あ〜、どうしたもんかね〜。()()()()()()はなかったことにして、大人しくガキをこっちへ渡せって言っても、もう聞き入れちゃくれねぇだろう……?」


 なぜか、こちらへ問うように訊いてくる焦茶色の男。

 「さっきのこと」というのは、先程ルナへ斬りかかった件のことだろう。


 その後の、「ガキを渡せ」という言葉についてはよく分からないが、状況を見るに、恐らく──と、ナナが思考へ至る前に、ルナが反論の声を上げる。


「意味分かんないよ! 大体! いきなり斬りかかってくるなんて酷いよ!」


 珍しく、怒りの声を飛ばすルナだが、全く怖くないがゆえに意に介していないのか、焦茶色の男はニタリとへばり付くような笑みをルナへ向けると、気味の悪い返答を用意した。


「おうおう……そんな可愛い声を上げて……。あの時、斬られてたら、そんな声も出せなかったのになぁ。」


 不気味を通り越して、もはや気色悪さが勝る対応に、ルナではなく、(はた)から聞いていたチロットが「うっ……」と思わず身を退く。

 その横で、ナナが単刀直入に問いかけた。


「……目的はなんだ。」


 至って冷静に向けられた疑問のはずなのだが、それを聞いた焦茶色の男は、状況が読めてねぇのか、と小馬鹿にするように片眉を吊り上げると、こちらも本題とばかりに声色を落とし始める。


「あん? さっき言わなかったか……? 後ろのガキをこっちへ寄越しな。そうすりゃ、オレの剣を止めたお前の実力に免じて、テメェらは見逃してやるよ。」


 「後ろのガキ」というのは、やはり、後方で怯えている少年のことであった。

 焦茶色の男の言葉に、少年の困惑が恐怖へ塗り替えられる。


 面識はなかったのか、目で見て分かるほどに顔が青くなる少年は、焦茶色の男から身を退こうと後退(あとずさ)るが、恐怖ゆえに萎縮してしまっている様子で、ろくに身動きが取れていない。


「…………。」


 そんな様子を尻目で見て、ナナは何を思ったか──表情はなく、冷めた黄色(おうしょく)の瞳から情は感じられないが、再び焦茶色の男へ視線を戻すと、僅かに眉をひそめながら、低音の声色で呟くように言った。


「断る、と言ったら……?」


 想定していたかいなかったか、焦茶色の男はそれを聞くや否や、ニヤけたような笑みを消し去ると、再び大袈裟に片眉を吊り上げた。


「はぁあ? お前らそのガキの保護者か何かか?」

「違う。」

「いちいち答えなくても分かっとるわ!! 見ず知らずのガキのために、死ぬつもりか……? って言ってんだよ。」


 通じない冗談に声を荒げながらも、脅すように低く問いかけてくる。


 その、どストレートな『死』という単語に、チロットと少年は、思わず息を呑むようにたじろいだ。

 言葉にされて改めて気がつく、事の切迫さ。焦茶色の男の吸い寄せられるかのような瞳と、右手へぶら下げるかのように持たれた、両刃の剣が映る。


 もはや、恐怖すら殺され、負の感情ごと切り裂かれそうな男の(たたず)まいに、少年が絶望を感じ始めた頃──不意に、ナナとルナの(ほう)けたような表情が目に入った。


「──あれ? 俺がいつ()()なんて言った? なぁ、ルナ。」


「うん! 死ぬなんて言ってないね。」


 当然の如く交わされる、まるで日常会話のようなやり取りに、少年は呆気に取られたように状況を見詰め、焦茶色の男は笑みを消した表情で口を閉ざした。

 チロットも、そんなふたりの態度に鼓舞(こぶ)されたかのように強気の表情を浮かべながら、ナナとルナと共に焦茶色の男を見据え始める。


 自身のペースから一変、途端に風向きが変わり始めた場の空気に、焦茶色の男は少し沈黙する。

 そして、沈黙の末、今までのおどけた様子とは違い、口角を上げることなく眉をひそめると、ナナたちを真っ直ぐに睨みつけながら、ゆっくりと口を開いた。


「ああ……そうか。お前らはオレに勝てる算段でいたのか。悪いなぁ……。考えもしてなかったわ。」


 少々、相手を煽り過ぎたとはいえど、元々斬りかかってきたのは奴のほうだ。少年をどうこう以前に、あの時点で、(すで)に敵対は決まっていた。


「……チロ。あの子を頼む。」


「わ、分かりました……!」


 剣を構えながら、少年の安全をチロットへと任す。

 タッタッタッ、と少年へ駆けていくチロットを目の端に、ナナ、ルナ、そして、焦茶色の男は、互いに対する相手を見据えた。


 チロットが少年の横へ寄り添うように付き、振り返るようにナナたちへ目を向ける。

 仲間の背を挟んだ向こう側──目的であるはずの少年に目を移すこともなく、焦茶色の男は手に持つ剣の刃を鈍く輝かせた。


「残念だ。オレの手で、こんなガキ共を殺さないといけないとは。」


 残念そうに呟く態度とは裏腹に、その表情は、殺すべき相手が増えたことを(よろこ)ぶかのように、ニタニタと嫌な笑みに溢れていた。




………to be continued………




───hidden world story───

 狂気の密猟者と幼き小鳥。

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