第12話 意志なる序章
出会いと始まり。
若草色が敷かれた緩やかな草原地にて、ルナは涼風に髪を揺らしながら、壮大と孤高のもと佇む巨大樹を静かに見上げていた。
アップル村、北方の外れ。ただひとり、ルナが住むための小屋を包み隠すが如く木陰が広がり、良き思い出も苦き思い出も、大樹は全てを知り──或いは、知らずか、日を覆い地を覆い君臨する。
「…………。」
何を思い、何を忘れ、孤独を知る彼女はどこへ進み、誰と歩むのか──。吹く風が慰めるように頬を撫で、感傷の心に閉じた彼女は大樹という名の虚空を見詰める。
“心ここに在らざれば、視れども見えず”。
多少、意味は違うかもしれないが、今のルナは何かを見ているようで、何も見ることができず心に囚われているようでもあり、放っておけば心と体が分離して、そのまま消えてなくなりそうな──まるで、春の過ぎた桜の花びらのように、ただ散りゆく存在となる──。
「──おーい!」
だが、そんな彼女を現実に引き戻したのは、ふと耳に響いた、青年の呼び声だった。
平坦ながらも聞き慣れた声質と共に、若草を踏み締める足音が聞こえ、ルナはハッとしたように振り返る。
すると、そこには、日向のもと歩み寄ってきているナナとチロットの姿があった。
ふたりの姿を認識したルナは、この青天の日の空を写し描いたかのような空色の瞳に光を灯すと、太陽のような明るい笑みを浮かべ、歩み寄ってきているナナたちへ自らも駆け寄った。
「あ……! ナナ! チロ! どうしてここに?」
大樹の木陰から飛び出し、日向に待つナナたちへ、とことこ駆け寄っていくと共に、向かい合うかたちで、パッ、と立ち止まる。
同時に向けられた疑問に、チロットが答えた。
「ルナはきっとここに居るよ、って、エリンさんが教えてくれたんだよ。」
素朴な疑問の答えを得られ、「なるほど……!」とばかりに目を丸くさせるルナを前に、次にナナが単刀直入に、ここに来た目的を話す。
「そんなことより、エリンさんが梨でお菓子を作ったらしいから、ルナ、お前も呼びに来たんだよ。」
そのナナの言葉に、ルナの瞳がパァと輝く。
「本当!? じゃあ、早く行こうよー!」
待ち切れないとばかりに言いながら、ナナたちの後ろへ回り込むようにクルッと場所を移動すると、それを目で追い振り返るナナたちふたりを急かすように、アップル村方面へ駆け足気味に先導を始めた。
迎えに来たのはこちら側だというのに、なぜか追随する身に変わったナナとチロットは、奔放に駆ける少女に急かせるまま、来た道を戻っていく。
「あ、ちょっとルナ〜……!」
「早く早く〜!」
「待てって……!」
去りゆく若き三人の背に、大いに佇む大樹は風に葉をそよがせ、新たな友を得た桜色の少女を見送った。
忘れ物はなきように──しかし、孤独だけは置いてゆき──。
…………………………
“アップル”
「ゼリーだぁ!」
目を輝かせるルナの視線の先には、数個の小さな器に分けて入れられた、たくさんの梨ゼリーがあった。
エリンはそれをプレートにて運んできており、ナナたちやひと時の休憩に入っていた若者たちへ、笑顔のもと声をかける。
「この村特産の梨で作ったゼリーですよ! ぜひ、皆さんで食べてください!」
丁度、小腹が空くお昼過ぎの時間帯。前もって、「お菓子を作るよ!」と呼びかけられていたため、若者たちは「待ってました!」と言わんばかりに小分けにされたゼリーを一人一個ずつ手に取り、或いは、協力して配り、全員に行き渡らせる。
元々、スタンのもとで兵隊の真似事のようなことを強要されていた甲斐もあり、息の合った動きで閊えることなく、それでいて省かれることなく、素早く循環させる。
ありがたいことに、その循環の中に含まれていたナナとルナ、もちろんチロットも、配られたゼリーを受け取った。
ほわぁ〜、と頬を桜色に染めながらも透明な笑みで半透明のお菓子を迎えるルナを隣に、ナナはベンチに腰掛けながら、添えられたスプーンで自身のゼリーを掬う。
銀の匙に乗った薄い梨色の半透明な塊は、それだけでも良質なガラス細工のように光を乱反射させ、僅かな手の揺れでプルプルとその柔らかさを誇張する。
そして、スプーンに伝わった手の熱だけでも溶けて無くなりそうな、艶やかさと儚さを以た梨色のゼリーを口に運んだ。
「わぁ……! 美味しい!」
同時に、正面に向かい合うかたちで座っていたチロットの感激したような声が耳に聞こえ、ナナはその言葉に心の中で同意する。
暖かな日のもと冷んやりとした甘みが口の中いっぱいに広がり、噛まずとも溶け解けるゼリーの中からは、シャリシャリとした梨の果肉が良き食感となって躍る。
余計な手は加えず、梨本来の甘さが感じられて、シンプルながらも上品な味わいだ。
「おかわりっ!」
「食べるの早っ!」
続けて、ふた口目をスプーンで掬ったタイミングで、勢いよく器を掲げるルナと、それに驚き声を上げるチロットの素早いやり取りが耳に聞こえた。
相変わらずの凄まじき食事スピード。代わりといったように指摘してくれたチロットに、ナナは心の中で賛同しながら、掬ったゼリーを頬張る。
「…………。」
頬張りながら、ナナは改めて周りを見渡した。
こう見ると、今まで対立していた同士とは思えない光景だ。
二杯目を完食し、無垢な笑顔で器を掲げる少女と、それに驚きツッコミながらも、同じような笑みを浮かべている少年。ゼリーを楽しみながら数人単位で談笑している若者たちに、それを和やかに眺める村人たちと、この時間を作ってくれたお菓子職人。
この光景の中に自分が含まれていることを考えると、なんだか少し不思議な気持ちになってくる。
人と関わり、誰かと笑い合う──。これが、自分が求めた”生きる目的”なのだろうか。
──正直、その答えはまだ分からない。
だが、なんとなくだけど、この10年間、生きてきて良かったなと思えるひと時だった。
「そういえば、ナナさんたちは、これから予定とかあるんですか?」
不意に、正面のベンチに並ぶように座っていたナナとルナへ向け、チロットがゼリーの器を片手に問いかけてきた。
その問いかけに、んー、と悩みながらもゼリーをぱくりと頬張れば、その甘味に思わず思考することを忘れてしまうルナを横に、ナナが考え込むように呟く。
「予定か……。」
改めて訊かれて気がついたが、これからのことは全く考えていなかった。ルナに出会ってからは、彼女に流されるがままに行動していたように思える。
このアップル村がルナの目的地であり、旅の終着点であるならば、彼女に同行するナナの旅もここで終点──。
となれば、ナナは今までどおり、生活のため、魔物を狩る人生に戻ることとなりそうなのだが──。
(ん……? そういえば……。)
ナナはふと、その思考の過程で、何かを思い出したかのように自身の懐を漁り始めた。
そうして、暫くしないうちに取り出したのは、一つの小さな包み。
ナナはその包みの重さで悟ったのか、中身を確認するや否や、どこか青ざめた表情で固まった。
それを見たチロットが、不思議そうな表情で首を傾げる。
「……? どうしたんですか?」
投げかけられ、心配も混じえた疑問に、ナナはゆっくりとした動作で顔を上げ、冷や汗を垂らすと──。
「金欠だ……。」
一言、冷めた懐事情を告白した。
「え……?」
唐突な発言に意表を突かれ、呆けたように見返してくるチロットを前に、ナナはここ最近の金銭事情──あまり思い出したくない現実を思い出す。
まず、簡単な話。実は、割とお金に余裕がなかったのだ。
フレッシュリーフで食事をした時は、店主のフロートが奢ってくれたため、お金のことに意識を回さず、それ以降も、戦いばかりですっかり金銭のことを忘れていた。
──あ、いや、しかし、それと共に、もうひとつ忘れていたことがあったではないか。
そう。フロートの依頼を完遂し、得た報酬の存在だ。
決して多いとは言えないが、節約して使えば、三日は保つだろう。
ぽんぽん、と再び懐を漁り、なけなしの報酬を取り出そうとするが、漁っていて気がついたのか、はたまたは、酒場での自分の行動を思い出したのか、数秒後には、なぜか沈むように項垂れていた。
「受け取るの忘れてた……。」
「ナナさん……?」
対して、ナナの言動しか見ていないチロットは、浮き沈みを繰り返すナナを奇怪と心配を込めた表情で見詰めながら冷や汗を垂らし──報酬を受け取ることを忘れていたという、まさかの失態を仕出かしたナナは、途端に今度は思い立ったかのように勢いよく顔を上げると、手元のゼリーを一気にかき込み始めた。
「こうしちゃいられない……!」
「ナナさん……!?」
もはや、奇行にも見え兼ねないナナの言動に、心配を通り越して焦りの表情を浮かばせるチロット。ルナにも負けない速度でゼリーを完食すると、ナナは勢いよく立ち上がった。
「俺も依頼を受けないと……!」
若者たちも生きるために魔物を狩り始めているのだ。自身も、呑気に椅子に座っている場合ではないと、生活のため、依頼を受けようと思い立つ。
だが、まず、そのためには、受ける依頼を見繕わなければならない。つまりは、依頼を受理し、依頼書を発行している機関──”依頼案内所”へ向かう必要がある。正式な手続きを必ずしも踏まなければいけないわけではないが、報酬を確実に得るにおいて、”依頼書”の存在は必要不可欠といえる。
依頼を受けること自体はとても簡単だが、今、問題があるとするならば、この村には、肝心の”依頼書”が貼り出されていないということと、依頼書を得るためには、”依頼案内所”へ──つまりは、依頼書が貼り出されている機関が存在する、大きな町や国へ行く必要があるということだ。
と、なれば、ナナの行動は必然と制限される。ナナが知っている依頼案内所は、フレッシュリーフにある”若葉依頼案内所”、ただひとつ。
起こす行動は一本道。ルナたちと別れ、フレッシュリーフに帰還し、今までどおりの日常へ戻るという情景が頭に浮かぶ。
出会いもあれば──別れもある──。
よく聞く言葉だが、どこか名残惜しいという感傷に浸る間もなく、唐突に、ルナが一枚の紙を掲げ広げた。
「だったら、これ行こうよ!」
そう言いながらルナが見せてきたのは、一枚の依頼書。何杯目かも分からないゼリーをスプーンで掬い、あむりと頬張りながらナナを見上げる。
「いつの間に持ってきて……。」
一体、どこから──そして、いつの間に持ってきていたのかは知らないが、目の前にあるのは確かに依頼書だ。迅速に仕事を受けられるのであれば、それに越したことはない。
……とりあえず、内容を確認しよう。
「えーと、なになに……?」
ナナがルナから依頼書を受け取り、三人で覗き込みながら、チロットが依頼内容を読み上げる。
「依頼内容──”岩石大鷲”の討伐……。報酬──”600万Gl”……。」
そして、間を置き──。
「600万!?」
自分の言葉で復唱、驚きの声を上げた。
その驚きに、ナナが呆けたように確認する。
「なんだ……? やっぱり高いのか?」
ナナは一括で、ここまで桁のある報酬依頼を受けたことがなかったため、この金額が世間的に見て、高いの低いのか、いまいち実感が持てなかったのだ。
ナナの反応に、チロットはその言葉にも驚いたといったような表情を浮かべながら、どこか慌てた様子で答える。
「た、高いですよ……! もし、ナナさんとルナの二人で分けても、数ヶ月は困らないと思いますよ……!?」
高額な依頼報酬に、ちょっと必死な感じで語ってしまうチロットだが、それを聞いたルナは迷いのない真っ直ぐな笑みを浮かべると──。
「じゃあ! これで決まりだね!」
キッパリとそう言い放ち、早々に依頼を熟しに行こう、とナナの顔を見ながら立ち上がった。
しかし、早まってはいけない。チロットが必死な様子で語る理由は、金額以外の面にもあった。
「待ってよ……! 岩石大鷲といえば、”ロック山脈”に棲む、獰猛で巨大な魔物と聞きます……! いくらなんでも、二人だけでは……。」
心配を色濃く出し、高額には高額なりの理由があると言いたげに、危機感のない彼女らになんとか危険性を伝えようとする。
(獰猛で……。)
(巨大……。)
その想いが通じたのか、ナナとルナは立ったまま、脳内でチロットの言葉を再生する。そして、その言葉で連想されるような、この人生で散々戦い仕留めてきた、巨大で獰猛なトカゲや、巨大で獰猛な蛙などといった魔物を思い浮かべた。
彼らにとって、それらはありふれた日常の産物──。
結果、頭の上に思い浮かべた自身の思考を眺めるように固まっていたナナとルナは、ひとつの結論に辿り着いた。
「「……まぁ、大丈夫でしょ。」」
「絶対分かってないよこの人たち!!」
危機感を持ってもらうどころか、寧ろ、今まで戦ってきた魔物と何が違うのか、と言いだけに呑気な表情で呆けながら、なぜか揃って同じ言葉を吐くふたりに、チロットが呆れを込め声を上げる。
単に『巨大』や『獰猛』、『危険』などといった言葉に対して反応が薄いのは、彼らにとってそれが、”普通”であり”日常”のものと化しているからだ。危険なのは当たり前。常に死と隣合わせなのが当たり前の人生を送り、現在でもそれは変わらないし、これからも変わることのない彼らには、『巨大』や『獰猛』といった言葉だけでは、その危険性が伝わらないのだろう。
一体、どういった人生を送ってきたらこうなるのか、といったふうに、ナナとルナから改めて未知数さを感じるチロット。
それを前に、ルナが出発の合図というように声を上げる。
「よし! それじゃあ! 早速、出発だー!」
しかし、その声にふとナナが気がついた。よく考えれば、なぜルナまで行く気でいるのか。ここからは、あくまでナナ個人の生活のための道筋に過ぎない。
今回の旅の目的は、アップルへ帰郷するルナに、ナナが半護衛のようなかたちで付き添い、新たな地へ足を踏み入れてみようという至極端的なもの。その目的が達成された今、ナナはともかく、ルナがナナに付いていく理由はないはずだ。
ただ、ルナは困っている人を放ってはおけないほどのお人好しな性格──。もしかしたら、ナナが金欠であることを知り、その手助けのために同行しようとしてくれているのかもしれない。
だが、さすがに、己の無関係な報酬のために、ルナの優しさを利用するようなことはしたくはないと思ったナナは、遠回しに、ルナの意志を尋ねてみた。
「別に、無理して付いてこなくてもいいんだぞ……?」
横目を向けながら、「気を遣う必要はないから、己の意志に従い、己のために人生を使うといい」といった意味を込め、ルナに選択を問う。
しかし、それを聞いたルナは、怒ったような──という表現は少し違うが、水臭いこと言わないで、といったふうに眉を尖らせると、ナナの目を真っ直ぐと見詰め返しながら口を開いた。
「無理なんかしてないよ! それに、僕たちもう、”友達”でしょ? だったら、一緒に行くのは当然だよ!」
言いながらも、共に拒絶されているのではないかといった気持ちを抑えるかのように、信じるかのように、胸の前の両拳を固くする。
そのルナの言葉と表情に、ナナは一瞬、呆けたような表情を浮かべるが、「友達」という言葉の選択に、決して自分は無関係ではない、というルナの意志を感じ取った。
──”友達”。
聞き慣れた言葉のはずなのに、久しく、どこか懐かしく、そして、胸の奥に沁み渡る響き──。
10年前に失い、10年間、忘却の果てに閉じられていた関わり──。
それが今、10年の期間を経て、年下の少女のたったひとつの言葉により蘇った。
出会いもあれば、別れもある──。だが、別れがあるのであれば、また、新たな出会いもある。
そんな簡単なことに気づかせてくれた桜色の少女に、自身も同じ想いを抱いているのは、もはや、己の心の内に問いかけるまでもなかった。
「……そうだな。」
改めて確認する必要もない。彼女の選択は、ほかでもない、彼女の意志なのだから──。
野暮なこと聞いてしまったと、ナナは軽く瞼を伏せながら和やかな笑みを浮かべると、開いた黄色の瞳でルナを見詰め、前言を撤回するように言った。
「だったら、報酬は半分こだな。」
微笑みを返しながら、自身を受け入れてくれたその言葉に、ルナも安心したように満面の笑みで応える。
「…………。」
一方で、その様子をどこか気遠い様子で眺めていたチロットは、ナナとルナのやり取りとは、また別の想いを浮かべていた。
─────
──どうして、あのふたりは臆さないのだろうか。
下手すれば、命を失うかもしれないのに──。
スタンの時だってそうだ。
一番近くに居たチロットたちでさえ、再び戦いを挑むことすらできないでいたのに、彼らはわざわざ危険の支柱に飛び込み、臆することなく、スタンと──チロットたちと戦った。
──そして、危険を顧みず、僕たちを救ってくれた。
─────
この人たちの助けになれたなら、どんなにいいか……。
─────
──そうだよ。そうだよね。
ここでいつも、あと一歩踏み出さないから、僕は弱いんだ。
だから、あの時も──。
……助けることができなかった。
一歩踏み出すんだ。ここで踏み出さなくて、どうする……!
恩を──返すんだ……!
─────
「あ、あの……!」
ふと、横から聞こえてきた呼び声に、ナナとルナは合わせていた顔を逸らすように振り向く。
見れば、どこか緊張した面持ちで佇むチロットの姿が──。
チロットは、ふたりの視線がこちらに向いていることを確認すると、緊張の中でも真剣な眼差しを浮かべながら、一歩踏み出し、振り絞るように声を張った。
「ぼ、僕も……お二人に付いていってもいいですか……!」
それは、ナナとルナに同行したいという、チロットの意志。
悪逆に呑まれ、溺れる前に、救い出してくれたふたりへの恩返しのために。
そして、その圧倒的な実力と、強き心への憧れを胸に──。
彼は、ナナたちに自分の人生を預ける覚悟を以て、勇気を振り絞り、懇願した。
悪のもとに居た事実は変わらない。拒絶されても仕方がない。
でも、だからこそ、その償いのためにも、彼らの役に立ちたい──。
表情を変えないナナの、口元が動いた。
「俺は別に構わないけど……ルナはどうだ?」
判断はルナに委ねられる。
心臓が早鐘を撞く。息が詰まりそうになる。
分かっている。彼女の大切なものを奪い、大事な故郷に酷い恐怖を与え、欠如した自我で刃を向けた。
分かっている。たとえ、どんな答えが返ってこようとも、罵声を浴びせられようとも、受け入れる覚悟はできている。
空色の瞳が毛先で隠れ、よく見えない。
いや、上手く目を合わせられていないだけか。
しかし、全てを左右する次の言葉──それを呟くための口元からは、目を逸らせない。
ルナの口が僅かに開かれ、言葉が漏らされた。
「そんなの……。」
目を見れない。表情が分からない。
覚悟はしている。しているはずなのに──。
──緊張が、治まらない。
口の中に唾が溜まる。固唾を呑む。
今、何分経った……?
いや、恐らくは十秒も経っていないだろう。
ルナが二、三歩ほど、近づいてきた。
もしかしたら、殴られるのか……?
それはそうだ。悪事に加担しておいて、許され、普通に会話を交わせているだけでも奇跡に近い。
それが、ふたりの関係に割って入り、時間まで共有しようというのだから、仏の顔も鬼に歪む。
ルナがチロットのお腹辺りへ向け、手を伸ばした。
「──もちろん、いいに決まってるじゃん! 一緒に行こう! チロ!」
手が、差し伸べられていた。
同時に、顔を見る。その顔は、一切の淀みのない、満開の笑顔だった。
「…………!」
罪悪感で忘れていた。彼女は、お人好しなまでにいい人だ。罵声を浴びせたりなどという負感情なことは、決してしないことも分かっていた。
受け入れられ、差し伸べられた手のひらを前に、チロットの固まった緊張が一瞬で解れていく。
そして、緩んだ表情で明るい笑みを浮かべると──。
「……うん!」
と、差し伸べられたルナの手を取った。
和解と友情の芽生え──。
そんな瞬間に立ち会い、ナナも後方より安堵したような微笑みを浮かべる。
広がる若き世界と出会い。生きとし生ける者は皆、意志を持ち、失い果てても命がある限り、境遇に抗い生き続ける。
ここが世界だ。世界は己のためには動かない。
そして、同時に、ナナたちはまだ世界を知らない。ここからが始まりの物語──。
チロットが改まったかのように一歩下がり、ナナとルナの前で立ち止まると、後の人生を乗せて宣言した。
「これから僕は、君たち専属の傭兵になるよ!」
子どもっぽさを兼ね備えた強気の笑みでそう言い放つチロットと共に、世界を周った風が背に吹きつけ、彼らに後の世を引き継がせる。
数多の苦難と世界の闇が待ち受けていることを、彼らはまだ知らないが、今、分かることはひとつ──。
ここに、新たな旅の”仲間”が加わった。
………to be continued………
───hidden world story───
物語は次章へ──。