第11話 エリンとルナ
過去と選択と人との繋がり。
“古城跡地”
月明かりに照らされた古城跡地──。
つい先程まで爆音が響いていたその内部は、すっかり静まり返り、月夜の寂しげな遺産が帰ってくる。
寂れた廊下を吹き抜ける夜風が人の居ない空間を嘆くように駆け抜け、ひと時の争いもまた祭りの如く、外敵の侵入によって齎された炎祭すらも、名残を惜しむかのように去っていく。
そんななか──しかし、ただ一人だけ、終わり良き祭りの終幕(エンドロール)を、とことこ軽快に駆ける小さな影があった。
桜の若き花弁を思わせる鮮やかな白桃色の髪を穏やかに揺らし、廊下を駆け抜ける彼女は何かを探す。
「ん?」
部屋を見つけ、中を覗き──。
「あれ?」
首を傾げ、また別の部屋を目指せば──。
「ここでもない……。」
再び見つけた部屋を覗いて眉を下げる。
知ってのとおり、この古城は遺跡と化すほど年月が経っているため、内部には壁のほか何も残ってはいない。
広い古城内部、幾つもの部屋があれど、そこは居住感を感じさせないほど、埃を被った完全な空き部屋と化している。
何部屋と経由し、何かを探す少女──もとい、ルナは、それでも、諦めることなく、この古城に確かに存在すると確信している、ある物を探し、静寂に包まれた廊下をまた小走りで駆け抜けていった。
そして、またひとつ、扉の無い小部屋の入口を発見する。
一見するだけではほかの入口と大差ない、普通の入口。ルナはその入口へ、さささっ、と近づくと、顔だけを覗かせるように、ひょこっと中の様子を窺った。
「あ! あった!」
すると、小部屋の隅へ寄り添うように置かれていた、ある物を発見し、ルナはパァと表情を明るくする。
そこにあったのは、麻袋いっぱいに詰められた、大量の梨。
「良かったぁ〜! 無事で!」
ルナはそれを確認するや否や、部屋へ小走りで入ると共に、梨の詰まった麻袋へ飛び乗るように抱きついた。
全身で梨のゴツゴツ感を堪能し、愛しい者を抱き寄せ愛でるかのように頬擦りをする。
そう。ルナが探していたのは、スタンに奪われていた食料のひとつ──アップル村特産品の梨。ようやくお目当ての梨と出会え、ルナも心底嬉しそうだ。
梨との再会を果たし、とりあえず安否(?)を確認できたルナは、次に梨の持ち運びについて考える。
「でも、こんなにたくさん……。僕だけで運べるかなぁ……?」
梨から一歩離れ、首を傾げながら自問する。
麻袋に入った梨はそれだけでも、ルナの背丈よりも量があり、その重量は計り知れない。
小柄なルナが一人で運ぶには少し……いや、かなり多いだろう。
「先に、ナナの所に行ったほうがいいかなぁ……。」
暗がりの小部屋の中で、あれこれ考えるように首を左右に捻りながら、悩みに時間を使っていると、ふと、背後の廊下から──。
トン……トン……。
といった、足音が近づいてきているのに気がついた。
その音にルナは、特に警戒することもなく、「なんだろう?」といった軽い気持ちを乗せ、自然体で振り返る。
それと同時に、近づいてきていた足音はルナの背後で──いや、振り返ったルナの正面で音を止めた。
そこには居たのは、月明かりを背中で受けて立つ、先程までルナと戦っていた槍使いの少年。
頭に巻いていた瑠璃色の手拭いを外しており、その明るい橙色の髪が淡い月明かりのもと、サラサラと全面的に晒されている。
武器である長槍も背中に背負っているだけで、構えてはおらず、戦闘の意志はないように思えた。
「…………。」
「…………。」
お互いに目が合い、なんともいえない空気の中、暫し見詰め合う。
何せ、殺し合いとまではいかないが、先程まで命のやり取りをしていた同士、敵対関係にあったのだ。気まずくなるのは当然といえば当然。特に、少年のほうはかなり気まずい様子で、ルナとまともに目を合わせられていない。
しかし、わざわざルナを追ってきたのだから、何かしらの用事か、はたまたは、何か言いたいことがあって来たのだろう。
気まずいながらも、その黒柿色の瞳を泳がせると、勇気を振り絞ったかのように小さく呟いた。
「あ、あの……。それ運ぶの……僕も手伝うよ……。」
この場における『運ぶ物』といえば、梨の入った麻袋のみ。
つい先程まで敵対関係にあった少年の意外な申し出にも、ルナは嫌な顔ひとつせず、表情を明るくすると──。
「本当? ありがとう!」
邪念を感じさせない笑顔でお礼を言った。
昨日の敵は今日の友、という言葉があれど、ルナの高過ぎる順応力。何はともあれ、ルナはもう、立場の違いによる争いのことなど、全く気にしていない様子だった。
……………
傾き始めた白月により、吹き抜けの窓が淡く誇張され、更に強く、そして、優しく差し込む月明かりが、古城の廊下に舞った埃をまるで蛍の如く踊らせる。
そんな古城の廊下、大量とあった梨を二つの麻袋へ分け、少女と少年は手分けして運びながら、それでも、重さを感じぬように麻袋を引き摺り、古城内の廊下を歩いていた。
「ごめんね……。君の村の食料を奪ってしまって……。」
ふと、少年が俯きがちに呟く。
ザラザラと麻袋を引きずる音がまるで自分の心を削り取り、罰しているかのようで、少年は謝罪の言葉を述べた後も罪悪感に苛まれたことだろう。
しかし、それを聞いたルナは間を空けることなく、素早く反応すると──。
「いいよいいよ! 君たちの意志じゃなかったんでしょ?」
気楽に謝罪を受け取り、寧ろ「そんなに気に病まないで」と少年を慰めるかのように明るく対応する。
もちろん、自分たちの意志ではないことは本当だが、起こした行為に違いはない。だが、ここまで明るく気楽に、こちらの事情にも寄り添い、迷いなく真っ直ぐに許してくれる彼女の対応には、罪悪感よりも感謝の気持ちでいっぱいになった。
「……ありがとう。優しいんだね。」
終始、緊張ぎみだった少年も、ルナの明るい対応に心が解れた様子で、ようやく少し微笑んで見せる。
暫く、月明かりのもと、静寂の廊下を歩き進む。
進むにつれ、徐々に心を開き始めた少年は、ここにきて初めて、自分の行いを思い起こすかのように口を開き始めた。
「僕はある日、傭兵としてスタンに雇われたんだ。──だけど、雇われ始めてからすぐに、彼の横暴な人間性を知った。彼は……自分の駒として利用できそうな立場の弱い人たちを集めていたんだ。その目的は、国の目が届かないような場所にある、辺境の町や村を支配し、その物資を我が物にするため……。」
俯きながら、その言葉に嫌悪するように話す。
しかし、ならばなぜ、その目的を知ってもなお、彼はスタンに従い続けていたのか……その答えは、次に語られた言葉から判った。
「僕はそれを知ってから、なんとかスタンを止めようとしたんだけど、話が通じるような相手じゃなかった……。そして、遂には、スタンは今まで集めた自分の部下を人質にして、脅しをかけてきたんだ。」
彼は、その時の言葉を今でもよく覚えているという。
──────────
「──俺に従えねぇと言うのであれば、従うと言うまで、お前の目の前であいつらを一人ずつ殺してやる。どの道、俺の目的を知ったからにはお前をタダで帰すわけにはいかねぇ。それとも、あいつらの代わりにお前自身が死ぬことを選ぶか……?」
──────────
あの時、自分の命を懸けてまで──ましてや、他人の命を危険に晒してまでも、スタンと戦う勇気は、彼にはなかった。
「僕の実力じゃ、スタンには勝てない……。だから、ほかの命を守るためにも、僕はスタンに従う道を選んだんだ……。」
それが、その時の最善の選択──そのはずだったのに、なぜ彼は今、暗い表情を浮かべているのか──。
人生の選択とは荒波と同じ。正解が決まっている、まるばつクイズとはわけが違うのだ。
越える道を選んでも、横に逸れる道を選んでも、後退する道を選んでも、為す術なく呑まれてしまうということもある。選択という別れ道に辿り着いた時点で、既に詰んでしまっているということもある。
彼は自分の選択のせいで、スタンの悪事に手を貸すかたちとなってしまった。そして、罪のない村人から食料を奪う、その手助けをしてしまった。
だが──少なくとも、彼の選択のせいで命が奪われるということはなかった。スタンの部下含め、アップル村の人々含め、彼がスタンに従ってから、人が死んだということは一度もなかったのだ。
もし、彼があの時、異なった選択を取っていたら、彼自身はもちろん、誰かしらの命が奪われていたかもしれない。
しかし、仮に彼がスタンに抗い、命を落としていたとしても、スタンがこの村の食料を奪うという因果は変わらなかっただろう。
もちろん、彼がスタンに勝てていたら、この村の食料が奪われることもなく、スタンの部下たちももっと早い時期に解放されていたかもしれないが、人質や自身の実力のことを考えても、それではどれだけ犠牲や被害が出るか分からない。
最善の選択とはときに、苦渋の選択──茨の道となることもあるのだ。
だが、このままでは自分含め、スタンに従わされている者たちに未来がないのもまた事実。村の人々の平穏な生活が阻害され続けることもまた事実。
少年は、過去の弱気な考えを振り払うかのように──いや、今この瞬間までの、最善だと言い聞かせ、スタンの悪事に目を瞑ってきた自分自身の考えを振り払うかのように、頭を左右へ振ると、何かを決めた強気の眼差しで正面を見据えた。
「だけど──だからといって……! 君の村に迷惑をかけていいはずがない……! 君の言ったとおり、このままじゃ何も変わらない! 悲しむ人が増えるだけ! だから──僕も腹を括るよ……!」
決意の言葉を胸に、スタンに抗うことを覚悟に決める。
対して、終始、口を挟まなかったルナだが、一連の言葉が彼なりの気持ちの整理──覚悟の決め方だと認識すると──。
「そっかぁ……。」
少年と同じ方向を見詰めながらも、少々うわ言のようにそう呟く。
だが、すぐに、子どもっぽい笑みを浮かべると共に、歩きながらその表情を、隣に歩く少年へと向けると──。
「──でも……良かった! 君が──いい人で!」
白光に照らされ薄白桃色に輝く髪を揺らしながら、その笑顔も言葉も、屈託のないものして少年の心を抱擁した。
それはまるで、ときに邪念を持つ人間とは違う、純白の心を持った神聖な存在のようにも感じ、少年はどこか見蕩れるかのように目を丸くしながら、呆けたようにルナを見詰め返す。
「──てか! ナナの所に急がないと!」
と、そんな雰囲気も束の間、ふとルナが思い出したかのようにそう言うと、駆け足気味に廊下を進み始めた。
「え……ちょっと、待ってよ……!」
対して少年は、奔放な少女の唐突な切り替えに置いてけぼりを食らいながらも、慌ててルナの後を追っていく。
淡い月明かりを背に──若き人生の名残を残して──。
…………………………
一方、無事スタンに勝利したナナは、倒れたスタンを背に、玉座の間から外側の廊下へ歩み出ているところだった。
だが、丁度、廊下へ出たタイミングで、急ぐかのような無数の足音が近づいてきているのに気がつく。
「何か音がしたような……!」
それと共に、遠くのほうから反響した声が回廊を通じてナナの耳へ聞こえ、恐らくはスタンとの戦いの音を聞きつけ、部下と呼ばれる者たちが集まってきたのだろう。
ナナは一連のスタンとの戦いで疲れもあったのか、特に逃げることもなく、静かに彼らがやってくるのを待った。
「……! だ、誰だ、お前は……!」
予想は的中。暫くして、慌てたように駆けてきた数十人の若者たちがナナの姿を発見するや否や、これまた慌てたように立ち止まり、警戒の声を上げると共に武器を構え始める。
皆、ルナ一人相手にするだけでもかなり骨が折れたというのに、未知なる侵入者がもう一人居たという事実に冷や汗を垂らす。
しかも、実力は桁外れといえど、鮮やかで愛らしい風貌のルナとは、また全く違う出で立ちの男。夜闇に溶けるかのような紺色の容姿に、敵のみを照らすかのような黄色の瞳が浮かんでいる。
この場面だけを見れば、人によっては人知れず現れた暗殺者にも見えることだろう。
刃先を向けてもなお、表情ひとつ変えることなく、ただ見据えてくる男に、若者たちは固唾を呑み警戒する。
だが、その時、ふと仲間内のひとりがナナの背後のほうを見て、驚いたような声を上げた。
「……! スタン──が……やられてる……!」
そこには、玉座の間の中央付近でうつ伏せに倒れ血を流す、スタンの姿があった。
想定外過ぎる事態と状況に、若者たちは思わず武器を構えることも忘れ、力が抜けたかのように次々と武器を下げていく。
自分たちのボスが倒されたことに悲しむか、恐怖するか、それによって逃げ出すか、はたまたは、怒りによる敵討ちを望むか──後の彼らの反応は分からないが、とりあえず、今は無駄な戦いを避けるために、ナナはここに事実を述べる。
「お前たちのボスは倒した。もう戦う理由もないだろ。」
未知の侵入者が初めて口を開き、第一声と聞かされた言葉に若者たちは呆けたように顔を見合わせる。
「あのスタンを倒した……って、本当に……?」
「じゃあ、俺たちはもう、スタンに従わなくて済むのか……?」
「村の食料を奪う必要もないってことだよな……。」
「解放されるのか……? 俺たちは……。」
現実を疑う者。希望を見る者。解放を望む者。
三者三様、それぞれ微妙に反応は違えど、己たちに問ううちに、それが現実のものだと実感し始める。その中には、スタンが倒され悲しんでいる者や、怒っている者などは居なかった。
そして、実感すると共にナナの正体を探ることも忘れ、彼らの表情が段々と明るいものなっていくと──。
「やっと……! スタンから解放される……!」
「遂に……! 俺たちは自由になれるんだ!」
長く夢見てきた自由への兆しに、これが現実であるということを確認するかのように声を上げる。
そう。それはもう、既に諦めかけていたこと──。
このまま一生、スタンの駒として利用され続けるのだろうと覚悟していたこと──。
だが、今この瞬間、スタンの敗北姿を見て、そんな彼らに希望が実った。
そして、実った想いは一瞬にして熟し、弾けた。
「「「や──やったー!!」」」
ある者は武器を投げ捨て、ある者は防具を脱ぎ捨て、戦いの終わり──無意味な兵隊ごっこがここに終幕する。
長きに渡った悪事を強要される生活からの解放──その瞬間を見て、ナナも思わず肩の力を抜くように、ホッ、とひと息ついた。
スタンの物言いからなんとなく察してはいたが、やはり、彼らは無理矢理、従わされていただけなのだろう。エリンの違和感の正体は、これだったのだ。
スタンから解放された若者たちは、ナナの存在もすっかり忘れ、互いに抱き合ったり、今までの日々を慰め合ったりと、とにかく、喜びをいっぱいに味わっていた。
「ナナー!」
と、そんな時、喜び合う人垣の反対方向から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
ナナがその声に反応して、ふと目を向けると、引き摺っていた大きな麻袋を床に置き、駆け足でこちらへ寄ってくるルナの姿が目に映った。
「ルナ……!」
それを見たナナも、思わず安堵の笑みを浮かべながら一歩前へ出る。ナナは無意識だろうが、その表情はいつも以上に綻んでいたことだろう。
ナナに名を返してもらったルナは、まるで親鳥に近づく雛鳥のように、真っ直ぐ、とことこ駆け寄っていき、正面へ立ち止まると共に、ニコッ、とナナを見上げた。
「無事で良かったよ!」
明るく安堵の声をかけ、対してナナも、そんなルナを見下ろしながら微笑みを返す。
「お前もな。」
互いに無事を確認し、再会した喜びを共有した。
嬉しさからか、暫くニコニコ見詰めてくるルナの顔を見て、ナナもこの世界で得た和みを思い出し、スタンとの戦いで生じた厳粛な気持ちも緩和される。
だが、不意に、ルナが何かを思い出したかのように、ハッ、と細めていた目を丸くすると、途端に強気の表情で握り拳を作りながら、ナナへ問いかけた。
「あ、そうだ! スタンは……!」
愛らしくも真面目な表情で眉を逆八の字にするルナに、「遅れちゃったけど、今からでも一緒に戦おう」という強い意志と覚悟が感じられる。
スタンの所在を問い、戦う前特有の緊張状態に入りかけるルナだが、そんなルナに反して、ナナは落ち着いたように片足を退き、背後の玉座の間へ目を向けられるように少し斜めに体を向けると──。
「スタンなら、あそこで倒れているぞ。」
ルナの目から玉座の間へ見るよう目配せしながら、そう答えた。
それを聞いたルナが覗き込むように玉座の間の薄暗へ目を向けると、そこには確かに、スタンと思われる大柄な体格の男が、うつ伏せに倒れているのが確認できる。
あの男がスタンかどうかはルナには判らないが、ナナの言葉を疑う理由はない。
間違いなく百パーセント、ナナがスタンを倒したのだと認識したルナは、少し驚いたような表情を見せながらも、それを塗り替えるほどの満面の笑みをナナへ向けた。
「凄い! さすがだねっ!」
自身が倒したかった、などというわがままも言わず、ただただナナの勝利を褒め、感心してくれる。
そして、そんなルナのほかにも、ナナの言葉に驚愕したような声が──。
「……! 倒した──んですか……!? あのスタンを……!?」
声の主は、ルナの後方──置かれた麻袋のそばに立っていた、オレンジ色の髪の少年。驚きで思わず声を出してしまったといったふうに、驚愕した表情で固まっていた。
その声に、ナナも少年の存在に気がつき、不思議そうに目を向ける。
「君は……?」
……………
アップル村解放のため、スタンを討ちに来たナナとルナ──。そして、スタンに従っていた、少年含める若者兵たち──。
対する勢力が偶然と──或いは、必然と集結したこのタイミングで、改めて、互いの境遇や事の経緯を共有する。
「なるほど。そうだったのか。」
若者たちから直接聞かされた言葉に、ナナが納得の言葉を呟いた。
彼らの話を要約すると、スタンは1年ほど前から、身内を失い貧しい生活を強いられているような若者や、魔物討伐等の仕事を受けたい気持ちはありつつも、実力不足や恐れで、中々踏み出せないでいた若い冒険者志願者や傭兵志願者を、高い報酬や質のいい仕事があるという甘い言葉で誘い、利用するため集めていたという。
彼らはそのスタンの言葉に乗ってしまい、騙されたと気づいた時には既に手遅れ。死にたくなければ従え、と脅され、強制的に手駒にされたのだ。
そして、幸か不幸か、そういった境遇の人間は、アウターワールドの生き残りに多かった。ナナの境遇からも分かるとおり、10年前の災害で家族や身内を失い、独り身になってしまった者が多かったからだ。
そのため、結果的にスタンの部下の過半数以上がアウターワールド出身の若者となっていた。
事実、この場に居る若者の半数以上がアウターワールド出身らしい。
そして──スタンは好んで”弱者”を選び、部下にしていたという。
考えられる理由として、スタンは直接的な武力を求めていたわけではなく、ただ自分が楽をしたかっただけなのだろう。
村や町の支配に手を伸ばしたのも、貢ぎという名の略奪で、食料や物資を楽して調達するため。
その奪わせる作業も全て手駒にした部下に任せれば、実質、椅子に座っているだけで食料側から勝手に集まってくる、自動収穫システムの完成だ。
加えて、その中でも敢えて実力者を部下に選ばない理由は、謀反を起こさせないためでもあるのだろう。
仮に起こされても、大した実力がなければ力でねじ伏せられる。
スタンが、孤児で育ったような身内の少ない若者を中心に狙っていたのも、国や政府に通報されるリスクを限りなく低くするため。
仮にその存在が消えても、気づく者が居なければ通報や捜索願いが出される心配はなくなる。
粗暴の中に隠された、その用意周到さ。ただ楽をするためだけが目的の犯罪行為には、ある意味、楽ではない計画性があった。
それに巻き込まれた若者たちは不憫としか言いようがないのだが、しかし──不幸中の幸いというべきなのだろうか。スタンは、彼ら若者たちに、初めから期待などしていなかった。
魔物と戦えず怖気づいたり、手際が悪かったりと、何かしらの失敗をしたとしても、スタンは「使えねぇな」と暴言こそは吐き捨てたものの、暴力などを振るってくることはなかったという。
動くだけマシなガラクタ──本当の意味で『利用できるから使ってる』程度の道具としてしか見ていなかったのだろう。
そして、若者たちもスタンから逃げ出す勇気はなく、殺されないだけマシという考えもあったため、結局、『逃げたり逆らったりしたら殺す』という脅しは、ただの脅しで終わった。
……………
「改めて、スタンを倒していただき、ありがとうございます。そして、いくら逆らえなかったからといって、村に迷惑をかけてしまい、すみませんでした。」
彼らの事情を訊くと共に、ナナとルナ──主にナナがこちらの事情も話したため、若者たちは二つの意味で頭を下げる。
加えて、謝罪した後、ふと、玉座の間に倒れているスタンへ──否、今は若者たちの手によって、腕と胴体部分を縄でグルグル巻きにされているスタンへ目を向けると、続けて言った。
「それと、彼の身柄は、俺たちに任せてください。」
彼──そう、スタンの身柄は、彼らが責任を持って国へ引き渡してくれるという話になった。
正直、倒すだけ倒して、その後のことは全く考えていなかったので、彼らがスタンの後始末を請け負ってくれるというのであれば、こちらの手間も省けてありがたい。
──というより、あれだけ血を流し倒れていたというに、まだ息があったということに驚きだ。
ようやく見えた、一件落着の兆し──夜明け前。ルナが号令をかけるかのように元気良く声を上げる。
「それじゃあ! みんなで村に帰ろう! 梨を持ってねっ!」
その言葉に、ナナは心の中で頷くが、オレンジ色の髪の少年を含める若者たちは呆気な表情を浮かべた。
「え? みんなで?」
…………………………
古城跡地を皆で出る頃には、地平線に次の日の始まりを示す、太陽が昇り始めていた。
ナナ、ルナ、そして、少年を含めた若者たちは、食料の入った麻袋を手分けして持ち、アップル村へと向かう。
…………………………
“アップル”
「大丈夫かしら……。ルナちゃんたち……。」
その頃、まだ肌寒い朝早くから、エリンはひとり外へ出て、未だ帰らぬルナたちを心配そうに、古城跡地を見詰めていた。
日が地平線からすっかり顔を出し、朝焼けが村へ降り注ぎ始め、数十分──不意に、エリンの表情が心配から安堵の驚きへと変わる。
「あ……! あれは……!」
顔を明るくしたエリンの目線の先には、食料を持ったナナとルナの姿。そして、その後ろから横列後ろ列と連なる、たくさんの若者たち。
スタンの部下であったはずの若者たちが、なぜナナたちに付いてきているのかは分からないが、今はそんなことよりも、ナナとルナ──ふたりの帰還に、心の底から安堵する。
エリンに気がついた様子のルナも、遠くから笑顔で手を振ってくれているのが見えた。
…………………………
そして、完全に夜が明けた頃に、ナナとルナはエリンと合流。
合流した後、スタンに従わされていた若者たちは、朝方の早いうちに村の人たちに事情を話し、謝罪した。
それと共に、取り返した食料を村の人たちへ返すと、村の人たちはとても喜んでくれた。
ルナも大好きな梨を取り返せて、とても嬉しそうな様子だった。
その後、スタンのもとに居た若者たちは、迷惑をかけてしまったアップル村の人たちにせめてもの償いをするため、暫くこの村に滞在することを選んだという。
…………………………
そして──事から三日が過ぎた、お昼頃。
村のベンチ──というには少し味気ないが、ナナは木の幹で作られた椅子に腰掛けながら、日中の穏やかな空気に揺られていた。
「この村にもだいぶ慣れてきたな。」
晴天のもと、長閑な日常を過ごす村を遠目に眺めながら呟く。
若者たちのおかげもあってか、この村も活気づいているように見える。といっても、元々の村の様子を知っているわけではないので、あくまでそんな気がするだけだが、少なくとも、スタンに搾取されていた頃よりは格段に明るく、皆、活き活きとしていることだろう。
「あ! ナナさん! 見てくださいよ! 俺たち初めて魔物を倒したんですよ!」
不意に、元スタンの部下であった青年のひとりが、ナナへ声をかけてくる。
その呼びかけに反応してナナが目を向けると、そこには、声をかけてきた青年ほか三人の若者たちが、仕留めたであろう、体長、二メートルはある、茶色いヤモリのような風貌の魔物を得意げに囲っていた。
「おお! やるじゃんか。」
初めての狩りにしては中々の大物。ナナも感心したように青年の言葉に応える。
スタンに従わされていた嫌な経験と、それにより村へ迷惑をかけてしまった自分たちの心の弱さを見直し、彼らは強く生きることを決意した。
しかし、強く生きるということは決して、弱さを隠し、恐怖を押し殺し生きていくことではない。自分の弱さや恐怖に向き合い、それを乗り越える方法を考えることにある。
乗り越えることができなくても、試行錯誤した後に生み出した己の思考は、これからの人生、数多と立ちはだかる障壁を壊すための戦法、或いは、それを生み出す糧となるだろう。
彼らは今、この村に迷惑をかけた償いと、この村の役に立ちたいという本当の意志と目的が生まれたことにより、弱さや恐怖に向き合うための理由ができたのだ。
「といっても、四人がかりでやっとでしたが……。」
だが、照れ臭そうにそう言う姿は、まだ慣れ切れない初々しさと若さを感じさせる。
若者たちが魔物の解体準備を始め、丁度、尻尾の部分を担当しようとしていた別の青年が、ナナへ屈託のない笑みを向けた。
「ナナさん! 尻尾の先端、要ります?」
「なぜ尻尾の先端……?」
ナナが冷や汗混じりに返していると、今度はその後ろから、ひと回り若い少年の声に呼びかけられた。
「あ! ナナさん! こんにちは!」
次に声をかけてきたのは、オレンジ色の髪に瑠璃色の手拭いを巻いた、小柄な少年。古城跡地にて、ルナと共に梨入りの麻袋を運んできていた、元スタンの部下である。
名前は”チロット”。出身はアウターワールド──ではなく、この魔法世界で、旅の傭兵をしていたそうだ。
「あぁ、チロか。」
少年──もといチロットの挨拶に、ナナは軽くそう返す。
彼は元々、フラフラとひとり旅をしながら傭兵活動を行っていたため、そんな孤立していたところをスタンに狙われてしまったという。
しかし、傭兵をしていた甲斐もあり、彼はそれなりの実力も持ち合わせていたため、スタンは人質を取るかたちで彼を従わせていた。
見た目だけでいえばルナとあまり変わらない年齢──どちらかといえば少し年上にも見えるが、実際は”15歳”と、ルナより二つ年下である。
──年相応である。
この若さでひとり傭兵していた、という点以外は、ほかとなんら変わりない普通の少年だ。
もちろん、15歳の子が傭兵を熟している時点で普通ではないのだが、そういったことに慣れ始めている自分に驚く。ある意味、この世界の常識、という名の瘴気に、既に毒されているのかもしれない。
「どうしてナナさんまで、僕の名前略すんです……?」
不意に、ナナの「チロ」といった呼び方を聞いたチロットが、どこか不満げにじっとりとした目を浮かべ問うてきた。
弄られているのかと少しムスッとした表情をするチロットだが、ナナは深い意味はないといったふうに気楽に返す。
「どうしてって……ルナがそう呼んでたから、俺もあやかっただけだよ。」
ルナはチロットの名を知ってから、『チロット』を略し『チロ』と呼び始めていた。なので、ナナもそれを真似て呼び始めただけで、特に深い理由はない。
因みに、ルナがそう呼び始めた理由は、「そのほうが可愛いから!」とのこと。
「まぁ……別にいいですけど……。」
悪意がないのが逆にたち悪く、チロットは半分、諦めたように呟く。
そんなチロットの心情を差し置いて、ナナが話題を変える。
「お前も魔物狩りの帰りか?」
ナナの問いかけに、チロットは落ち着きを取り戻した表情で答えた。
「はい。さすがに、狩り初心者のみんなだけで行かせるわけにはいきませんから。」
年齢だけで見れば、チロットはほかの若者たちと比べてもかなり若いほうだが、そう言う彼からは、この世界での先輩ともいえる頼もしささえ感じられる。
その頼もしきチロットの言葉に、先程の青年が再び、なんだかニコニコした表情で目を向けてきた。
「チロットのやつ、凄いんですよ〜! 俺たちが四人がかりでやっと仕留めたって魔物を、一人で倒しちゃうんですからね〜。」
話題の魔物を横に、まるでできた後輩を褒め称えるかのように言葉を繋ぐ。
対してチロットは、その言葉に慌てて謙遜した。
「いえいえ、そんな……! ただ慣れているだけですから……!」
慌てる理由は、真っ直ぐな褒めちぎりによる恥ずかしさ、照れ隠しである。恐らく青年は、チロットが照れることを分かっていて、敢えて声を大にしてチロットの実績を補足したのだろう。
青年が満足そうに作業へ戻ると、ふとチロットも何かを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべた。
「あ、そういえば、ルナが居ないようですが……?」
軽く辺りを見渡した後、ナナへ目を向け首を傾げながら問いかける。
しかし、それを聞いたナナも思い起こすように首を上げると、同じく、そういえば、と呟いた。
「言われてみれば、今日は朝から見かけてないな。」
言われて気がつき、ルナの姿を探して村を見渡す。すると、束の間──。
「ルナちゃんなら、自分の家に行っていると思いますよ。」
ナナたちの話題にそう答えながら歩み寄ってくる、エリンの姿が目に映った。
エリンがナナたちの前へ立ち止まると共に、ナナが呟くように問いかける。
「家に……?」
そして、ふと、自分で呟いたその言葉に、ナナはここ数日で聞いたルナの言葉を思い出した。
まず初めに、若葉亭でも言っていたルナの目的──彼女の目的は、アップルにあるという自身の家への帰省だ。
しかし、同時に、ナナがルナへ家族の所在を尋ねた時、彼女は「分からない」と答えていた。
今まで聞いた話をそのまま捉えるなら、ここはルナの故郷であり、帰り着く家もある。
だとすれば、家族が居るならこの村に在住しているだろうし、もし既に亡くなっていたとしても、尋ねられた家族について「分からない」とは答えないだろう。
ナナはあの時の──「分からない」という言葉の意味が、分からないでいた。
「──ルナは、どういう子だったんですか?」
そのこともあり、気づけばナナは、ルナのことを尋ねるため、口を開いていた。
そのナナの言葉に、チロットも同じく気になるといった表情を浮かべ、エリンへ顔を向ける。
真剣や興味といった表情を含んだふたりの様子に、エリンは少し困ったような、悩むような素振りをするが、それは話すかどうかを悩んでいるわけではなく、どう話せばいいか、を悩んでいるような様子だった。
そして末、エリンは暫く悩んだ後、ぽつぽつと──その過去を含んだ、ルナとの出会いの日々を語り始めた。
「ルナちゃんは──不思議な子でした。」
頭の中を整理しながら、まずは始まりの日を思い出す。
「あれは、今から約5年前のことです。その日は日差しも強く、眩しいくらいによく晴れていました。当時、私は、お菓子職人になるための勉強をしていた身──。その日も、いつか作れたらいいな、と夢見ていたお菓子について考えながら、気晴らしに村の外れまで散歩をしていたんです。そしてですね、この村の北側には、それはもうびっくりするほど大きな、樹齢何百年はありそうな、一本の大樹が生えているのですが、木陰を求めてなんの気なしにその木のもとまで歩いていくと、ふと、小さな女の子が倒れているのが見えたんです。」
真剣な表情でエリンの話に聞き入り、「それがルナ……?」とナナが合いの手のように小さく呟くと、エリンもそれに合わせて「はい……」と小さく頷き、続きを語る。
「その時の彼女は酷く衰弱していました。せっかくの服も綺麗な桜色の髪も泥で汚れ、体には傷もありました。なので私は、急いで彼女を家まで運び、至らないながらも慌てて介抱したんです。」
そこまで語ると共に、今度は三秒ほど間を空け──。
「それから……二、三日経った頃でしょうか……? ルナちゃんが目を覚ましたのは……。」
記憶を探り、思い起こしながら、できるだけ詳しく続けた。
「目を覚ました彼女は、特別怯えた様子を見せることもなく、きょとんとした顔をしながらも不思議と落ち着いているようでした。しかし……今のような誰とでも気さくに話せる人懐っこい性格とは違い、当時のルナちゃんはあまり自分からは喋ろうとしないほど、大人しい子だったんです。」
今のルナの性格とは、まさに真逆……そう言いたげなのが伝わる。
「私は彼女に様々なことを尋ねました。一体、どこからやってきたのか──親はどうしたのか──あそこで何があったのか──……。しかし、彼女は首を横に振るか、俯くかするばかり……。判ったことといえば、怪我と泥汚れは魔物に襲われた時に付けられたもの、ということと、彼女が”ルナ”という名前であるということのみ……。」
少し俯きがちそう話すエリンの言葉を、ナナとチロットは黙って聞き入る。
「そして、数日後、傷が癒えた彼女は小さく「ありがとう……」だけを言い残すと、スタスタと村を出ていってしまいました。正直、また魔物に襲われてしまうのではないか、という不安もありましたが、不思議と、当時の私は彼女を引き止めることはしませんでした。」
そしてまた、二、三秒ほど間を置くと、エリンは改まったかのように少し顔を上げた。
「それからです。ルナちゃんは時折り、あの時出会った木の下へやってくるようになったんです。その都度、私はルナちゃんと会話を交わし、ときには村まで誘い、手作りのデザートをご馳走したりと、できるだけルナちゃんと関わり合うようにしました。あの時のこともあってか、なんだか放っておけなくて……。それに、なぜかルナちゃんは、あの木の下へ行く時だけ、ひとり切ない表情を浮かべながら、その木を見上げている気がするんです。その時だけ……なんだかルナちゃんから”孤独”を感じるんです……。」
「孤独……。」
ルナの話にしてはどこか似つかわしくない意外な単語に、チロットも思わず口に呟く。
出会ってから三日ほどしか経っていないとはいえ、彼が彼女からそんな雰囲気を感じ取ったことは一度もなかった。
いや──寧ろ真逆。
ルナはいつも誰かと笑い合い、その中心で無邪気な笑顔を振り撒いている。
誰かのために悲しい表情を浮かべることはあれど、それは”誰かが居る”からこそ作れる表情。
彼女が笑えば自然と人が集まり、自分もそんなルナの笑顔に惹かれ、その優しさに助けられ、感謝をした。
“孤独”──とは無縁だと感じていた。
「…………。」
そして、もちろん、その考えはナナも同じ。しかし、思い当たる節が全くないわけでもなかった。
思い起こせば確かに、ルナは自分の人生に対して「ひとりの時が多かった」とも言っていた。
「でも、その甲斐もあってか、徐々にルナちゃんも私たちに心を開いてくれるようになり、今でこそ、あの明るく元気なルナちゃんになっていったんです。」
最後にそう締め括り、エリンとルナの出会いの話はここで終わり。後、エリンは話題を変えたかのように現在のことを付け加える。
「今あるルナちゃんの家は、村の人たちみんなで建てたものです。ルナちゃんに合うようにできるだけ可愛いデザインにしながら、ルナちゃんがよく行く、あの木の下へ建てたんです。」
エリンのその言葉に、ナナとチロットは思わず、ここから見えるはずもないその木と、ルナの家を眺めるかのように遠くへ目を向ける。
そんなナナとチロットの様子を見たエリンは、続けて、自身の話でちょくちょく言葉に出した、『あの木』について少し語ってくれた。
「ルナちゃんと何かと縁のある、あの木には、いくつか不思議な話も残っているんです。葉を散らすことなく花を咲かすこともなく、ただ永遠の緑のみを掲げ、この村ができる以前の大昔から存在していたといわれている大樹ですが、数十年に一度だけ、満開の桜を咲かせるという逸話があったり、この世界に存在する、もう一本の対となる大樹と根っこで繋がっているという話や、かつての大魔導士が膨大な魔力を幹に流し込むことで異世界への扉を出現させ、その入口が今でも残っている──などという、おとぎ話のような話まで伝えられています。」
不思議な逸話が残された大樹と、不思議な出会いを果たした少女──。両極の存在が表すものとは、一体なんなのか──。
「ただ、桜の話に関しては、実は私も見たことがあるんです。12年──くらい前の話でしょうか……? 散った桜の花びらが村まで届いて、それはもう美しい光景でした。村の人たちも全員、よく覚えていると思いますよ。」
その中でも、『数十年に一度だけ桜を咲かせる』という話は真実であると語り、安易に想像できるその光景は、普段は静かで長閑な村中に桜花爛漫の絶景を映し出す。
緑の大地が広がるだけのアップル村だが、12年前には桜吹雪──5年前には桜色の少女と、何かと”桜”に縁のある村だ。
物語を心で聞き、そよ風で散った緑の葉に桜色を思い描くかのように、ナナとチロットは村という情景を遠目に眺める。
だが、不意に、エリンの表情が少し暗いものになっていくのを感じ取り、ふたりはふと視線を戻した。
穏やかで鮮やかだった情景を幻想として打ち消すように、少し──纏わりつく空気が変わる。
「あまり……こういう話はしたくないのですが……私は時々思うんです……。もしかしたらルナちゃんは……物心つく前に……親に捨てられたのではないか、と……。」
突然の重い仮説に、ナナとチロットの顔が少し強張り、「そう思うのはなぜ……?」と言いたげな表情で次のエリンの言葉を待った。
エリンが思う理由を話す。
「ルナちゃんは、私と出会う5年前以前からも、既に何年もひとりで生きてきたらしいんです。そして、ルナちゃんは物心ついた頃から、親の顔を知りません。それどころか、自分に親が居るのかどうかすら分からないと言っていたくらいです。」
話すうちに感情移入してしまったのか、エリンの瞳が徐々に潤んでいくのが分かる。
「今だから分かる気がするんです……。元々ルナちゃんが大人しかったのも……時々感じた孤独感も……。親の温もりを知らないまま……ひとりで生きてきたせいなんじゃないかと……思うんです……。」
最後の最後にまさかの説を聞かされ、ナナは少し表情が固くなり、チロットも、エリンの表情と心情が移ったかのように、俯きながら悲しげに眉を下げた。
──否定はできない。
確かに、今までの話やルナの言葉を繋ぎ合わせても、そう考えれば割と自然に落ち着く。
物心つく前に親に捨てられたのであれば、親の顔どころか所在すら知らないのも当然。あの時の「分からない」という言葉の意味も理解できるし、エリンや村の人たちが居たのにもかかわらず、どこか孤独を感じていたことにも納得がいく。
そして、同じような境遇として、ナナも幼い頃より家族を亡くしていたが、ふたりの境遇には決定的に違うところがあった。
それは、ナナは親の愛情を知って育ったのに対して──。
ルナは──親の愛情を知らずに育ったいうこと──。
同じ、親が居ない境遇でも、それを知っているのといないのとでは、後に培われる自我や価値観、大人になったときの思考回路、性格、生き方に大きく関わってくる。
人の成長において、親の有無──或い、その質は、今後の人生を形成する土台、一番の要因となり得るのだ。
涙目のままエリンが、加えて、自責の念のようなものを呟く。
「本当は……私が親代わりになってあげられればよかったのですが……当時はそこまで頭が回らず、親になるにしても若過ぎる年だったため、そうなることは叶いませんでした……。」
子ども一人の寂しさすらも忘れさせることができないと、エリンは自分の無力さを嘆いた。
重く湿った世界の無慈悲さに、内心より溢れた感情が水膜となって瞳を潤し、穏やかだった空気が悲しみに変換される。
チロットも同様に暮れるなか、堪え切れず空間に零れたのは涙──ではなく、重い空気を肩から降ろすかのようにひと息吐いた、ナナの呟きだった。
「……エリンさんが気に病む必要はないと思いますよ。それに、少なくともルナは、あなたのことを慕っているように思えます。」
起伏のない声だが、チロットもエリンも、ナナが励ましの言葉を送ろうとしてくれていることをすぐに理解する。
誰も悪くはない──と、この空気を宥めるようにナナが言葉を紡ぐ。
「赤の他人が親になりきることは簡単じゃないと思います。友達になるのだって大変なんですから……。でも、親になりきれなくとも、エリンさんはルナに、誰よりも温もりを与えていると思いますよ。今のルナを見れば分かります。見ず知らずの人を助けるために命を賭けるお人好しさに、誰とでも仲良くなれる懐の広さ。それは……あなたがルナにしてあげていたことと同じことじゃないですか。見ず知らずのルナを助け、その後も関わろうとしてあげたエリンさんの優しさが、そのままルナの優しさになったんです。間違いなく、この世界で一番ルナに愛情と温もりを与えているのは、エリンさんだと、俺は思います。でなきゃ、あんななんの迷いもなく、この村の人たちやエリンさんのために、笑顔で命賭けて戦いませんよ。」
その愛情と温もりがあったからこそ、ルナは今の人格を形成できたのだ。
もし、エリンと関わっていなかったら、ルナは今も、温もりを知らないまま、誰とも関わることなく、ひとり冷えた心を閉ざしていたかもしれない。
そして──ナナと出会うこともなかったかもしれない。
そうなれば、もちろん、ナナがこの村に訪れることもなく、チロットや若者たちも、今もスタンに従い続けていたかもしれない。
村の食料も根こそぎ奪われていたかもしれない。
その過程で──人が死んでいたかもしれない──。
これはあくまで、全て『かも』という仮定に過ぎない話だが、人と人との繋がりがひとつでも途切れ、もしくは、無かった事柄となれば、『かも』は起こり得る”現実”となっていた。
「……ナナさん。」
悲しげな空気に侵食されかけていたチロットも、己ができなかった励ましの言葉を紡いでくれたナナに、感動と感謝を込め、笑みを浮かべる。
そして、エリンも、その瞳を包んだ涙を流すことなく、潤んだ目を閉じると──。
「そうですよね……。ルナちゃんだって笑顔で生きようとしているのに、私が弱音を吐くのはおかしいですよね。笑顔には笑顔で応えないと、ルナちゃんにも申し訳ないです。」
今までのようなお淑やかな笑みを浮かべ、当のルナが前を向いて生きようとしているのだから、それに恥じないよう、自分も精一杯、笑顔を向け、包み込んであげるのが大人の──いや、良き友人の在り方だと、エリンは暗い考えを心の奥に仕舞い込んだ。
人と人との繋がりが、今を紡いでいるのだ──。
…………………………
村外れより北側──遮られることない風が悠々と駆け抜け、青天のもと晒された緩やかな草原地に、天を覆うように深緑の傘を広げ聳える、一樹の大樹があった。
樹齢、何百年とありそうな、その名もなき大樹の木陰には、桜並木を思わせる花びら模様が描かれた、木材質の小屋が寄り添うように建てられている。
「…………。」
彼女──ルナはそんな深緑の傘のもと、木漏れ日が散らされた涼しげな木陰で佇み、ただひとり、静かに大樹を見上げていた。
吹き撫でる風がザワザワと巨大樹の葉を揺らし、共にその桜色の髪も、抗うことのない涼風に晒され、柔らかながらも少し荒く、それでいて、どこか淑やかに舞い解ける。
………to be continued………
───hidden world story───
繋がりにより紡がれた世界──。繋がりが紡いでいく物語──。