第8話 林檎という名の梨
生きた心地。生きる心地。
“渓谷”
山越盗賊団との戦闘を終えたナナとルナは、助け出したニロたちパーティー四人と同じ焚き火を囲み、一夜を共に過ごしていた。
「スープできましたよー!」
そんななか、鍋に入ったスープを煮込む用に使っていた別の焚き火の方向から、ニロの仲間である少女のひとりが明るくそう告げてくる。
同時に、もうひとりの少女とニロが器に分けたスープを両片手に一つずつ持ち、それを全員に配って回る。
「はい! どうぞ!」
「わぁー!」
ルナが少女からスープを受け取り、目を輝かせ──。
「はい、ナナさんも。」
「ありがとう。」
ナナもニロからスープを受け取った。
少女二人とニロも自分の分のスープを持ち、椅子として使っている木の幹に座る。
その後、全員でスープを頂いた。
戦いで疲労し、夜で冷えた体に温かいスープが沁み渡る。
串焼きに使わなかった残りの魔物肉と、盗賊から取り返した彼女らの食材を使った、肉と野菜の入ったシンプルなスープ。全ての食材から溶け出したうま味が黄金色に濃縮され、あっさりとしながらも濃厚で淀みのないスープは、閊えることなく心地の良い喉越しのもと、五感のひとつである味覚を潤していく。
特別な物は入っていないが、余計な物も一切入っていないので、何より飲みやすい。
年でいえば十代後半といった若さだが、旅をしながら野宿用の料理も作れるなんて、既に中々にできた子だなと内心思う。
「おかわり、まだありますからね!」
スープを作った少女が笑顔でそう言う。今まで盗賊たちに捕まり怯えていたとは思えない、少女らしい笑顔だ。
しかし、こちらが彼女の本来の姿なのだろうと、ナナが日常というものを改めて噛み締めながらスープを啜るなか、早速、その少女の言葉に応える明るい声が──。
「おかわりっ!」
「早っ!」
空になった器を掲げながら勢いよくそう言うのは、もちろんルナ。そんなルナを見て、ナナは驚きを込め反射的に声を上げる。
何せ、ナナを含めルナ以外は、まだ二、三口しか飲んでいない。一応、具材もしっかり入っているのだが、果たして本当に噛んで食べたのか……まさに、飲み干したという表現が似合う速度だった。
──この子にとって、この程度のスープは飲み物に過ぎないのか……。
しかし、スープを作った本人は嬉しそうな笑顔を見せる。
「ふふ、はーい!」
明るく対応し、おかわりのスープをよそう姿はまるで母親のよう。
そして、それに対するルナは子どものようなという表現になってしまうのだが、実際の年齢で見れば大した年の差はないはずだ。
……ないはずなのだが、やはりどうしてもルナのほうが幼く見えてしまう。
ルナが少女から再びスープを受け取ると、焚き火を挟みナナとルナの正面に座っていた青年が、改まったかのように口を開いた。
「ナナさん、ルナさん、本当にありがとうございました。あのままだと、俺たちどうなっていたか……。」
座りながら丁寧に会釈をし、改めて礼を述べるのはニロたちパーティーの青年。訊けば、彼はこのパーティーのリーダー的存在だという。
礼を述べた後、青年は器の中のスープへ視線を落とすと、続けて、ぽつりと呟いた。
「正直、俺たち……この世界をなめてました……。」
どこか切なそうにも聞こえるその言葉に、ナナとルナの視線は、自然に青年へとまる。
「訊けばナナさんも、”アウターワールド”出身なんですよね。」
「あぁ。」
訊かれた言葉にナナが頷く。このやり取りから察せるとおり、青年を含めるニロたち四人も、ナナと同じアウターワールド出身だということを既に聞いていた。
軽い前置きをおいて、青年は再び視線を落とすと、スープに映った自分自身を蔑むかのように、そして、それに投影するかのように自嘲した笑みを浮かべながら、ぽつりぽつりと自身の心情を語り始める。
「世界が崩壊したのにもかかわらず、異世界の存在や魔法の存在を知り、俺たちどこか喜んでいたんです。」
自嘲への虚しさか、はたまたは、自身への不甲斐なさか、どこか引き攣った笑みを浮かべ、続ける。
「まるで、ゲームや漫画のような世界に行けた……! ──と……。」
しかし、そこまで述べた後、まるで今度は幻覚から醒めたかのように夢現な引き攣り笑みを消し去ると、青年は痛ましい現実を直視したかのように、目に影を落としながら、ギュッ、と握り拳を作り、知りたくなかった事実を放棄するように言葉を捨て始めた。
「──だが、実際はどうだ……! 10年の月日を経て……! ようやくそれなりの年にもなった……!! 剣術だって魔法だって覚えた……!! やっと仲間たちと壮大な旅ができる……! ──なんて……そう思っていた矢先、為す術もなく盗賊に襲われた……。」
想いが爆発したのか、早口気味に言葉を連ねるリーダーの様子に、少女たちもただただ表情を暗くする。
「盗賊が出ることは知っていました……。でも……盗賊が出たって、倒せばいい……! なんて考えてましたよ。魔物だって倒してきたんだ。俺たちなら──大丈夫だ……! ──って……。」
浅はかな考えだったと自嘲を羅列する青年に、ニロも思わず俯く。
「……でも、甘かった。俺たちは所詮、この世界で10年しか生きていないんだ。でも、盗賊の一人一人が皆、俺たちよりもこの世界で何年も生きている。経験が違う。そんな奴らが何人も居たんだ。俺の剣術じゃ敵わなかった……。魔法だって、俺たちが使えるレベルじゃ、大した役には立たなかった……。」
今にも泣きそうになるのを堪えるかのように俯き、青年は更に握り拳を固くした。
「俺たちは……なめていたんです……。”この世界”を……。」
……………
現実というものは無情である。
そして、決して甘くはない。
この世界を生きるためには、それを知らなければならない。
ナナは、それを理解していないわけではなかったが、そこまで重く捉えてこの世界を生きてきたわけでもなかったため、彼らへ返す言葉を見つけられなかった。
それに、どちらかといえば、ナナも同じ立場。
突然、この世界に放り出されてから10年。目的もなく生き、特に深い人生を送ってきたわけでもない。盗賊に勝てる保証もどこにもなかった。
一歩間違えれば──或いは、もし異なった選択を取っていれば、ナナも彼らと同じような状況に陥っていたかもしれないのだから……。
「…………。」
気がつけば、ナナの手にも青年と同じ、静かな握り拳が作られていた──。
……………
「──どうして、みんな悲しそうな顔してるの?」
だが、そんな時、ふとナナの隣から、無垢な問いかけが聞こえてくる。
その突然の、空気が読めていないとも取れる呟きに、ナナを含めるニロたちは思わず「え……?」と呆気な表情を声の主へ向けた。
見れば、ルナが不思議そうな顔で全員の顔を見渡している。
しかし、呆気に取られている全員と目が合うなり、ルナは僅かに首を傾けると、今度はニコッ、と微笑んでみせた。
「みんな生きてるんだから、良かったじゃん!」
そして、更に聞かされたその言葉に、ナナたちは再び呆気に取られるが、同時に、力んでいたかのような握り拳が自然と解れていくのが分かる。
「生きてれば、美味しい物もたくさん食べられるよ!」
生きているということを実感するかのように、或いは、全員に実感させるかのように、ルナは笑顔で自身のスープをこくこくと飲み干す。
そんな、たわいもない日常の風景に、ナナたちは、自分たちがまだ”生きている”ということに気がつかされた。
ルナはただ当たり前のことを言っただけだ。しかし、当たり前がゆえに、人はそれを忘れてしまいがちだ。
ルナはこの世界で生きてきた。そして、恐らくここに居る誰よりも、生きているということを真に実感している。
だが、生きている事実はナナたちも変わりないはずだ。
だったら、生き残った者が絶望してどうする。それは、この世界で生きてきたルナに失礼なのではないのか。
どう足掻いたって、生き残ったからには生きるしかない。この世界を恨んでも、境遇を憎んでも、何も始まらないし終わらない。
ならば、この世界と自分自身に向き合うしかないんだ。幸いにも、この世界にはそれを手助けしてくれる、魔法という力がある。
失敗や軽率を糧に学び、前を向き次に活かせなければ、それはただの恥としかならない。
自分と──世界と向き合う──。
それが、生きる意味や目的に繋がる──そんな気がした。
……………
ルナの言葉に考えさせられたニロたちも、何か吹っ切れた様子だった。
そんなニロたちを見て、ナナも安心したように穏やかな表情を浮かべる。
そして、同時に、ナナは感謝を込め、隣のルナへ軽く微笑みかけた。
対してルナは、その微笑みの意味までは理解していないのか、「ん?」と首を傾げながらも、同じような笑みをナナへ返してくれる。
──彼女の存在が、この世界で生きるということを教えてくれるのかもしれない。
「おかわりっ!」
「まだ飲むのか……!」
尤も、そのためにはまず、彼女の胃の底を知る必要があるかもしれないが……。
……………
長くも短い一夜を通して、ナナは少し分かったことがあった。
まず、盗賊たちは戦闘において魔法を使ってこなかった。
対して、ニロたちは多少の魔法が使えたのにもかかわらず、結果的にはその盗賊たちに為す術もなく敗れている。
これらを通して分かることは、単に、魔法が使えればいいというわけではないということだ。
この世界の全ての物体、物質、大気中、そして、生き物の体内には、少なからず”魔力”が存在している。”魔法”はその”魔力”により発せられるものだ。
その気になれば、人は誰でも魔法が使える。
だが、魔法とは本来、日常生活における”便利な手段”のひとつに過ぎない。マッチの代わりに火を灯したり、髪や衣服を乾かすためにそよ風を起こしたりと、元々は戦闘手段として使われるものではなかった。
しかし、便利なものには必ず、それに見合った”逆用方法”がある。火を灯すための炎も規模を変えれば、家や人を焼き払う凶器となり、起こす風も速度を変えれば、災害となり得る破壊手段となる。
かつての人間たちは、魔物に対抗する手段──或いは、争いのための武力として、この魔法を過剰に鍛えた。
その結果、現在では戦闘で用いられるような過剰な力を持った戦闘用魔法を、一般的な”魔法”と呼び、認識するようになったのだ。
しかし、人が潜在的に使える魔法のレベルは意外と低いところにある。
先にも述べたとおり、所詮はマッチような小さな火を灯したり、そよ風程度の風を起こしたりと、普通に過ごす分には便利な手段という域を越えることはない。
魔物を倒せるほどの魔法を扱えるようになるためには、魔力を上手く操るための特訓や知識、やはり、それなりの”努力”が必要となる。誰でも簡単にとはいかない。
そして、魔力を上手く操れるようになれば、それこそ人間離れした魔法を扱えたり、”自分だけの能力”を得ることも可能だろう。
譬えるなら、魔力とは紙粘土のようなものだ。己次第で、どのような形にも変えることができる。
しかし、逆を言えば、魔力を扱うための特訓などという面倒なことをするくらいならば、剣術や肉体を鍛えたほうがいいと考え、戦闘用の魔法を覚えない選択を取る者も居るだろう。
今回の──山越盗賊団のように──。
もちろん、単純な向き不向きや個人が抱える魔力の質などの要因に左右されることもあるが──しかし、結論から言えば、この世界に魔法を扱えない人間は存在しないと言っても過言ではない。
だが、忘れてはいけない。この世に”絶対”というものは存在しない。
魔法が使えるからといって、必ず勝てるわけではない。魔法が使えないからといって、必ず負けるわけではない。
魔法というものはあくまで、ひとつの”手段”に過ぎないのだ。
…………………………
そして、各々の一夜が過ぎ、翌朝──。
焚き火の火は消え、炭屑となった木の成れの果てを後に、ナナとルナはニロたちと別れのひと時を過ごしていた。
「それじゃ、俺たちはもう行くとするよ。」
「はい! 本当にありがとうございました! 道中、お気をつけて!」
向かい合い、ナナとニロが会話を交わす。
心なしか、彼らの表情も昨夜と比べて爽やかなものに感じ、ナナも強気の笑みを浮かべニロの言葉に頷く。
弱さや挫折を知り、或いは、それを見届け、強く生きると決意した彼らに、今更、湿っぽい別れなどない。
旅路での出会いとは、他の人生と干渉できる交差点。同じ大地を踏み締め生きている限り、繋がった人との関わりが死ぬことはないのだ。
ゆえに、そこに永遠の別れなどない。生きている限り──世界に別れなどない──。
敗北を乗り越え、前を向いた表情で自身たちを見送ってくれるニロたちを見て、ナナも安心したように改めて心の中で頷くと、ニロたちへ背を向け、自身たちの道を歩み始める。
「またねっ!」
それを見たルナも元気良くニロたちへ別れを告げ、少し先を行くナナへ小走りで追いついていった。
その後も、ルナは後ろ向きで歩きながら、離れゆくニロたちへ「バイバーイ!」と手を振る。
そして、見送るニロたちの顔が認識できなくなるほどに離れた頃、最後に──。
「僕たちきっと! この世界で生きてみせますからー!!」
ニロの、この世界への宣言とも取れる言葉を耳に、ナナとルナはニロたちパーティーを後にした。
……………
暫く歩けば、ニロたちの姿も見えなくなる。
周りに広がるのは、いつものように穏やかな森林地帯。それに吹き抜ける風に、昨夜のことが少し遠い過去のことのように思えてくる。
そして、隣を見れば、よく分からないが楽しそうに歩いているルナの姿──。
と、そんなルナを見ていると、ナナは不意に、盗賊たちとの戦いで目にしたルナの放った炎を思い出し、反射的な問いを投げかけた。
「ところで、ルナ。お前の魔法って、一体どんな魔法なんだ?」
歩きながら横目を向け、率直に訊く。
対してルナは、声を聞くと共にナナのほうへ顔を向けると、渋る様子もなく明るい声で答えた。
「ん〜? 僕の魔法は、”コピー”だよ!」
「コピー……?」
しかし、返された簡潔過ぎる答えに、ナナは思わず眉をひそめる。ナナには聞いたことのない魔法だった。
『コピー』という言葉自体はもちろん知っているが、魔法へ置き換えたときの、その内情が分からない。
そんなナナの反応にルナは、自分なりの解説をする。
「うん。例えば、火をコピーすると火が出せるようになるし、水をコピーすれば水が出せるようになる!」
かなり雑な説明だが、あれこれ考えるように言っているのを見るに、ルナなりに丁寧に説明しようとしてくれているようだ。
「なるほど……。なんか……凄そうだな。」
しかし、全く理解できないわけでもないため、ナナも思わずふわっとした感想を添えて頷く。
聞く分には随分とあっさりした解説だが、物さえあればその性質を完璧に複製し、自分の能力として扱えることを考えれば、場面や状況にて汎用性の利く、かなりの強能力といえるだろう。
考えようによっては、相手の能力──或いは、想像のつかないほどの危険物質までをも自分の能力として複製できそうな、使い方次第では手がつけられない凶悪な力にも変貌し兼ねない能力だが、そんな仮想を遮るように、ルナがハッとしたように付け加えた。
「あ、でも、よく分かんないものはコピーできないよ? だって、よく分かんないじゃん?」
同調して欲しいのか、軽く首を傾げながらナナを見詰める。
なんでもかんでも複製できる万能能力ではなく、あくまで制限や限界ありきの能力と言いたいらしいが、それがどこまでの範囲の物質にまで及ぶのかが、ルナの曖昧な言い方では分からない。
そのため、ナナも思わず首を捻りながらそれに返した。
「よく分かんないものがどういうものなのか、俺にはよく分からないけどな。」
少し困り気味に言うナナに、ルナも釣られたように困ったような顔をする。
「でも、よく分かんないものなんだから、よく分かんないって言うしか──。」
「もう分かったから……「よく分かんない」を連呼するのやめてくれ……。ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ……。」
終わりの見えない「よく分かんない」の連呼に、ナナが思わず制止をかける。
しかし、それを聞いたルナは、「よく分かんない」といった表情を浮かべると、再びナナへ目を向けた。
「げしゅ……たるとほうかい、って何?」
初めて聞く言語といったふうに、目をぱちぱちとさせ問うてくるルナだが、ナナはわざわざ説明するのが面倒くさいのか、少し目線を逸らす。
「なんか……頭の中とか言葉とかが、ぐちゃぐちゃになるって感じの意味だよ。」
そして、逸らしながら適当な感じで答えるナナだが、ルナはそれを聞くなり、ニコッ、と子どもらしい笑顔を浮かべると──。
「何それ! よく分かんない!」
そう、無邪気な声を上げるのであった。
…………………………
それから、森を歩き数時間──すっかり日は高くなり、絶対ポジションから照りつける日の光が遮蔽の失くなった森林地帯へ降り注ぐ。
そんな日中──ナナとルナは森林を抜け、遂に、ちょっとした広原となっている地に広がる、とある小さな村の入口へと辿り着いていた。
「着いたー!」
ルナが背伸びをするかのように元気良く声を上げる。それを見るに、恐らく、ここが目的の村──。
「ここが──”アップル”か。」
「うん!」
──アップル村である。
“アップル”
風吹き抜ける草原に点々と小さな民家が立ち並ぶ長閑な村。南東を森林に、北西を山脈に囲まれ広がる緑の大地は、自然界の休憩所を思わせる。特産品は林檎──ではなく梨。
長くも短い道のりを越え、遂に辿り着いた目的の地。ひと括りの旅を終えたと感傷に浸るかのように暫く村の入口で佇んでいると、そんなナナたちの存在に気がついたのか、早速、声をかけてきた者が居た。
「旅人とは珍しい……! ですが、申し訳ない。」
しかし、気さくに声をかけてきたかと思えば、第二声目にはなぜか突然謝られ、ナナとルナはふたり揃って首を傾げる。
声をかけてきたのは、この村の住人であろう、三十代半ばと思われる壮年の男性。
意味が分からないといったふうに首を傾げるふたりに構わず、男性は更に申し訳なさそうに続けた。
「悪いことは言わない。早々にこの村を出て、別の町へ行くといい。」
なぜか滞在を推奨しないと言う。しかし、これを聞いて「あぁ、そうですか」と大人しく去るわけにもいかないため、ナナは当然の疑問を返した。
「それは……なぜです?」
困惑を込め理由を問うと、男性は少し考え込んだ。そして、考えた後、軽く辺りを見渡すような動作をすると共にナナたちへ顔を近づけると、まるで誰かに聞かれまいとしているかのように、囁くように小さく口を開き始める。
「実は最近、この村に”暴君”が現れましてね……。」
「ぼうくん?」
警戒するように囁く男性の言葉に、ルナが首を傾げ反応する。
同時にナナも、半ば困惑したように反応した。
「暴君って、突然現れるものなんですか……?」
王や領主が居たならまだしも、「現れた」というなんとも突発的な言葉に引っかかる。
それに、ルナが疑問を抱くということは、少なくとも、ルナが居なかった間に現れたということになるだろう。
ナナの反応に男性は、少しだけ言い辛そうにしながらも、先程にも増して周りの何かを警戒しながら、その”暴君”について話してくれた。
「いえ、それが──数週間ほど前のことです。突然、なんの前触れもなく、ある男が大人数を引き連れ、この村にやってきたんです。そして、やってきて早々、男はこう言ったんです。」
──────────
乾いた風が吹き抜ける、とある日の午後──仲睦まじく洗濯物を取り込む親子や、軒下の椅子で腰を下ろす老年の男性、世間話に華を咲かせる夫人方。村人たちは今日も、何事もない、ごく当たり前の日常を過ごしていた。
いや、過ごすはずだった──。
突如、村の中心を闊歩する大所帯に、村人たちは珍客を思いはしたが、所詮は、たまにやってくる旅の一団くらいにしか思っていなかった。
いつものような来訪者、旅行者、旅人──。また、特産の梨でも買いに来たのだろう。
奇々なる部分は多少なりあれど、村人たちは大して気には留めていなかった。
─────
「中々いい村じゃねぇか。」
何を思ったのか、村中を闊歩している一団の先頭に居た男が、村人と村並みを横目に、ニィ……と口端を上げ呟いた。
「ここなら、食料もたんまりありそうだ。」
民家先々にある果物や肉、保存食などを目敏く見つけては、獲物を追うかのような鋭い目の端で、ギョロリと食料事情を確認する。
そして、何かを決めたかのように、先頭の男が闊歩していた土道の中心で、突如、立ち止まると共に一団も足を止めると、先頭の男は人目も憚ることなく、いや寧ろ、人目を集めるかのように大きく両手を掲げた。
同時に、数人の村人たちが何事かと目を向け、先頭の男が更に注目を集めるため、村中に声を響かせる。
「聞けぇ!! 社会より見放されし哀れな村人共よ!!」
不穏と悪意の籠った呼びかけに、村人たちの表情と長閑な空気が強張る。
民家を挟んだ土道の中心で、突如、叫びを散らす男に目線が集まり、乾いた風をもが不敵な微笑みを以て村中に吹き抜け、男はその風に煽られるように、集まった人目の数も確認することなく、続けて、こう言葉を轟かせた。
「今日から俺がこの村の王だ!! 毎日、一定量の食料を俺に貢げ!! でなければ、一人ずつ村人を殺していく……!」
支配の始まり──その宣言に、村人たちは冷や汗のもとたじろぎ、親は子を抱き寄せるように身を萎縮させ、年長者は相手を刺激しないように身を動かさず、女たちは目線を逸らし、男たちは警戒の表情で固唾を呑んだ。
手を広げ──嗤い──記念すべき搾取統治の始まり──この日、この村に暴君が誕生した。
──────────
「──その日から、彼の恐怖による食料搾取が始まったんです。もちろん、村の者は彼を王などとは認めていません。しかし、逆らえば殺されるかもしれない……。村の平穏を守るためには、今は、あの暴君に従うしかないんです。」
どこか諦めた口調でそう言う男性を一瞥すると、ナナは軽く村を眺めた。
「随分……無茶苦茶な話だな。」
まさに『無茶苦茶』という言葉を絵に描いたような暴君の行動と、この村の現状に思わず呟く。
村を見る限りでは、緑の大地が広がるだけの長閑な村だ。しかし、その見た目では分からない重い現状がこの村を覆っていることを知り、上部だけでは分からない闇が、この世にはあるのだと改めて考えさせられる。
村を遠目で眺めるナナに男性は、だから、といったふうに続けた。
「ですから、早々にこの村を──。」
男性が滞在を推奨しないと言うのは、せめて、無関係な人間を巻き込まないようにと、考慮したゆえの発言だったのだ。
しかし、幸か不幸か、全くの無関係とはいえない人物がここには居た。それを知っていたナナは、気持ちだけ受け取るといったふうに優しく男性の忠告を遮り、旅の目的地がこの村であるということを述べる。
「そうもいかないんですよ。この村は、この子の故郷ですから。」
同時に、ポン、と桜色の髪へ手を置き、この子こと、ルナの存在を示した。
その言葉に男性は、呆けたような表情を浮かべると共に、示された小柄な少女へ視線を落とす。
「故郷?」
復唱する男性と目が合い、ルナは「ただいま!」と片手を挙げ、自己主張をする。
すると、男性はすぐにルナのことを思い出したようで──。
「ああ! 確か、村外れに住んでいた子か!」
なんとも、久しぶりに会った娘を見るかのように明るく声を上げる。
しかし、そう声を上げたのも束の間、今度は悩むように腕を組み始めた。
「しかし、困りましたな……。」
せっかく帰ってきたというのに、理由はどうであれ、追い返すのは忍びない。だが、現状、危険に晒されているこの村に滞在させるのはどうなのか……。
どうするべきかと男性が悩んでいると、また突然、ルナがとあることを言い出した。
「困ってるなら、僕たちがそいつをやっつけてあげるよ!」
「「え……?」」
唐突過ぎる発言に意表を突かれ、思わず男性と共に呆けた声が出るナナ。
──またこの子は突然……。
優しさゆえの発言だということは理解しているが、あまりにも突然──そして、なんの迷いもなく言うものだから、少し置いてけぼりを食らってしまう。
それは男性も同じのようで、驚きに困惑を込め呟いた。
「しかし、相手は大人数……。」
一応、もしものときを考えて心配もしてくれているようだが、大人数の相手なら既に経験はある、と考えてしまった自分に驚く。
「多分……大丈夫ですよ。」
何を根拠にそう言ったのかは分からない。だが、こうでも言わないと、いつまで経っても村に入れなさそうだったので、適当でもいいから、ここはルナに同調すべきだろう。
「とりあえず、村に入っても……?」
改めて男性へ問うと、男性はまだ心配が拭えていないなかでも頷いてくれた。
「えぇ……そういうことなら構いませんよ。ですが、あいつと戦おうだなんて思わないことです。幸い、まだ被害者は出ていませんから……。」
やはり、どこか諦めているようにも聞こえる、その言葉。被害者が出てからでは遅いと思いつつも、口には出さない。
「大丈夫ですよ。無茶はしません。この子のことはちゃんと、俺が見ときますから。」
男性を安心させるために和やかにそう言いながら、再びルナの頭に手を置き、奔放なこの子をしっかり見張っておくと約束する。
対してルナは、自分の村を救おうと、至って大真面目に”やっつけてあげる宣言”をしたのだが、なぜか子どものような扱いを受けていることに気がつき、「ふぇ?」と情けない声を漏らしナナを見上げた。
……………
それから、ようやくアップルへ入ることができたナナとルナ。先導するかのように前を歩くルナへ、ナナが付いていくかたちで村を進む。
そんななか、ふと、民家が立ち並ぶ合間の平地に等間隔を空けて生え揃った、一風変わった樹木たちがナナの横目に映った。
「あれは……。」
「梨の木だよ!」
ナナが声を漏らすと、それを読んでいたかのようにルナが少し食い気味に答えてくれる。
そう言われれば確かに、梨の木と呼ばれたそれらは果樹園のような佇まいにも見える。
「梨ねー……。」
しかし、ナナはそれにどこか違和感を感じつつも、その違和感がなんなのか気がつけないまま、梨の木を横目に通り過ぎるのであった。
梨の木たちを通り過ぎると、今度はほかの民家とは少し違った、簡素なデザインのお店のような家の前を通りかかる。同時に、その家の前の手入れをしていた若い女性がナナたちに気がついたようで、物珍しそうな目を向けてきた。
「あら? 外からのお客さんとは珍しい! でも、悪い時期に来ちゃいましたね……。」
先程の男性のように気さくに声をかけてきたかと思えば、今度は苦笑い気味に微笑まられ、歓迎できないなかでも歓迎される。
声をかけてきたのは、この店の店主らしき若い女性。露出の少ない村娘といった質素な色合いの、足首まで丈のあるロングスカートと合わせた服の上から、お菓子職人が着るような白いエプロンを着用している。
頭には、梨のような色合いの模様が入った白地の手拭いを巻いており、手拭いからは薄茶色の髪がはみ出ていた。
この村の恒例とでもいうかのような、また上げて落とされの歓迎。先程の男性の時と同じような展開に、なんだか面倒くさいな……などとナナが思っていると、不意に女性が、ハッとした様子で表情を明るくした。
「あ! あなたルナちゃんじゃない! 帰ってきたのね!」
予想に反した歓喜の声が向けられた先は、ナナの隣に居たルナ。
「うん! ただいま! “エリン”!」
喜びからか、どこか慌てたふうに駆け寄ってくる女性へ、ルナも元気良くそう返した。
“エリン”
アップルに住む若い女性。この村特産の梨を使ったスイーツを作り、販売している。それなりの人気商品。
エリンと呼ばれた女性は駆け寄ってくるなり、ルナの目線まで腰を下ろすと、今度は心配そうな面持ちでルナの目を見詰め始める。
「でも、ルナちゃん。まずい時期に帰ってきたわね。」
先程、第一声と共に旅人であるナナたちへ向けた言葉を、改めてルナへと送る。
しかし、ルナはそれに対して強気の笑みを浮かべると、その小さな両手でエリンの手を力強く包み込んだ。
「大丈夫! 僕たちに任せて!」
小さくも包容を感じられる手の温もりと、力強いその言葉に一瞬の安心感を得るエリンだが、同時に、ルナのこれからの行動を察したのか、現実を見るかのようにルナの両手を優しく包み返す。
「で、でも、ルナちゃん。あなたが不思議な魔法を使えることは知っているけど、いくらなんでも、あんな奴には……。」
心配を更に色濃く出し、思わず言葉に詰まる。
ルナは決して口だけではない。それを可能にさせるほどの確かな実力を持っていた。
だが──だからこそ心配なのだ。嘘や偽りではないからこそ、その実力を以てルナは必ず行動に移してしまう。
寧ろ、威勢だけ吐いて逃げてくれるのであれば、ルナが傷つくことはないだろう。しかし、ルナは相手が誰であろうと、何人であろうと、ひとりでも果敢に挑んでしまう。だから、どうあっても傷つくリスクから逃れられないのだ。
しかも、今回ばかりは相手が悪い。敵は大の大人であり、それなりの人数も居る。見た目はともかく、まだ二十にも満たない小柄な少女が一人で太刀打ちできるかどうか以前に、そもそも、こんな重荷を、この小さな背ひとつに背負わさせたくはない。
村が救われるかどうかよりも、その過程でルナが傷つくことが何よりも心配なのだ。
エリンの心配を表情、そして、包まれる手の温もりから感じ取ったルナは、それでも──強気の表情は変えなかった。
なぜなら──。
「大丈夫だよ! 僕には”仲間”が居るから!」
ルナが目を向けた先──もはやひとりではない、ナナの存在があったからだ。
ルナとエリンの会話の邪魔にならないよう、ぼー、と村を眺めていたナナも、「仲間」という言葉に反応して、ふとルナへ顔を向ける。
すると、目が合うなり元気良く微笑むルナの顔がナナの瞳に映った。
ナナが居なければ行動に移さなかった、というわけではない。ナナが居ようが居まいが、ルナの行動は変わらなかっただろう。
しかし、やはり気の持ちようは変わってくる。
所詮は気持ちかと思う者も居るかもしれないが、何か行動を起こすにおいて、気持ちの面は大きく関わってくる。
極度な緊張の中で普段どおりの行いができなかったり、人を想うあまり物事に集中できなかったり、極端なことを言えば、冷静さを失えば人は人でなくなってしまう。
ルナも人間、全く恐怖や緊張を感じないわけではない。ひとりであれば、それはなおさら。
しかし、ナナが居ることにより、その恐怖や緊張が少しでも緩和され、もうひとり居るという安心感を生む。その”少し”の緩和と新たに生まれる安心感が、ルナにとっては”大きな”存在なのだ。
安心感は冷静さを生み、冷静さは成功を導く糧となる──。
ルナが普段、奔放なのは、今が安心安全で、ある意味、冷静で居られるから。
その”普段”を常に発揮するためには、もうひとりの存在──ここでいうナナの存在が、必要不可欠、といえるのかもしれない。
仲間という繋がりを確かめるかのように数秒見詰め合い止まっていると、そんなルナとナナの顔を呆けたように交互に見ていたエリンが、不意に何かを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべる。そして、軽く裾を払いながら立ち上がると、慌てた様子でナナへ声をかけてきた。
「あ、すみません……! 放置してしまって……!」
久しぶりにルナと出会えて嬉しかったのか、すっかりナナの存在を忘れてしまっていたようだ。
ナナもエリンの様子を見て、なんとなくそんなところだろうなと納得したうえでふたりの会話に加わらなかったので、決して故意ではないと焦るエリンを「お気になさらず」と宥める。
それを聞いたエリンはホッとした様子で胸を撫で下ろすと、先程の「仲間」という言葉がよく耳に残っていたのか、ナナにもルナに向けた時と同じような、心配したような表情を向けてきた。
「しかし……本当に戦いに行かれるのですか……? あの男と……。」
どこか言いにくそうに言いながら、少し目線を逸らす。
考えなしの無鉄砲者か、或いは、ルナのようなお人好しか、それとも、正義を志す優しき者か──。
どちらにしろ、完全にナナが暴君と戦いに行くつもりだと思っている様子のエリン。
正直、ナナは戦うと決めたつもりは全くないのだが、被害者であるエリンやルナが居る手前、「戦う気はさらさらないです」と全否定するわけにもいかない。
なんだか自分の選択肢がどんどんと失くなっていっている気がするなか、ナナはエリンへの回答を考える。
すると、なぜか申し訳なさそうに視線を逸らしているエリンの様子が気になり、同時に、「あの男」という言い方がなんだか引っかかったナナは、ある安直な質問をしてみた。
「何か……知ってるんですか?」
ナナが問うと、エリンは眉を下げながら「……はい」と呟く。
そして、ナナと目線を合わせると、どこか緊張した面持ちで知っていることを話し始めた。
「実は私、職業柄、ほかの町へ商品を売りに行くことがあるのですが……あの男がこの村にやってくる以前に、その町で彼のことを聞いたことがあったんです。」
話し始めると共に真剣な眼差しを浮かべるエリンの瞳に、過去、町で知った、あの男の姿が映る──。
「今、この村に居る暴君の名は”スタン”。”稼ぎ屋”として知られている男です。」
「……かせぎや?」
緊張感も混えた真剣な表情でそう言うエリンの言葉に、ルナが首を傾げる。
“稼ぎ屋”──。
稼ぎ屋とは、主に魔物討伐や対人討伐などの、”討伐”による依頼を請け負い、或いは好み、その討伐報酬で生計を立てている者たちのことをいう。
戦いを好む者も多いため、過激な人間も数知れず……。
そして、何より、彼らは”戦闘のプロ”。稼ぎのために戦闘手段を極めた者たちだ。
この地に居る初心者パーティーや、略奪をするだけのそこらのゴロツキとはわけが違う。
つまり、今この村に居る暴君は、この世界で生きる術を得てきた”本物”なのだ。
「しかし、彼はパーティーを組んだ仲間への横暴な態度や、依頼以上の魔物や動物の虐殺により、危険視されている人物だとか……。」
町で聞いた話を思い起こし、暴君──もといスタンの危険性を語る。
「そして、過去に、暴走した魔物の群れを稼ぎのためだけにたった一人で狩り尽くす彼の姿を取って付けられた通称が──”犀狩り”……!」
「さい……狩り?」
思わず迫真の表情でその言葉に重みを乗せるエリンと、相変わらず疑問符を浮かべっぱなしのルナ。
犀とは、あの犀──動物のサイのことだ。
そんな通称が付けられるということは、狩り尽くした魔物は恐らく、犀のような風貌をしていたのだろう。
ひと通り話し終えると、エリンはひと息置くように表情を整え直し、どこか遠くを見詰めた。
「スタンは今、この村の外れにある、”古城跡地”に住み着いています。」
そう言いながら、彼女が見詰めた先──そこには、村外れ──この村を遠くの地より見下ろすかのように佇む、古惚けた煉瓦造りの古城の姿があった。
……………
エリンに釣られるかのように、思わずナナとルナも遠くに佇む古城跡地を見据える。
そして、見据えながら、ナナはエリンの話を頭の中で整理する。
──”犀狩り”。
相手はそう呼ばれるほどの実力を持った、魔物を狩るプロ──”稼ぎ屋”。
加えて、世間でも危険視されるほどの横暴さと傲慢さを持ち合わせている凶暴な性格だ。
そんな奴が今や、ルナの村を大人数を率いて支配し、好き勝手物資を搾取する暴君と化している。
まさに弱肉強食の極み。やっていることは凶暴なだけの魔物と相変わりないが、相手は人間──知能や武力がある分、正直、そこらの魔物よりたちが悪い。
「…………。」
考えれば考えるほど見えてくる相手の厄介さに、ナナも思わず、古城跡地に向けていた視線をルナへ向け、「本当にやるつもりなのか……?」といった表情を送ってしまう。
しかし、ルナはナナの視線に気づくなり、こちらも顔を合わせると、ナナの表情から言いたいことを察したのか──。
「よく分かんないけど、きっと大丈夫だよ!」
胸の前でガッツポーズのように両拳を作り、依然変わりない強気の表情でそう返した。
──よく分かんないけど、大丈夫らしい。
相変わらずの前向き過ぎる考え方に、念押ししたように心配した自分がバカらしく感じたナナは、呆れ混じりの溜め息を吐く。しかし、同時に、自身の強張ったような緊張が解れていることも感じると、ナナは非常に落ち着いた表情を浮かべながら、再びエリンへ体を向けた。
そして、ルナへちらりと目を向けながら、やれやれといった笑み浮かべ、今の自分の気持ちを述べ始める。
「まぁ俺は、戦いに行きたいわけではないんですが……ルナをひとりで行かせるわけにもいきませんから。それに、ここまで付き添ってきたんだ。最後まで付き添う責任がある。」
この世界で様々な依頼を請け負い生きてきた身として、中途半端なことはしたくない。それがナナの考えだった。
たとえ口約束とはいえ、ナナはあの時──若葉亭で、ルナに「同行する」と言ったのだ。ならば、ルナの行動に対し、最後まで同行する責任がある。
それに、この数日で、ルナを放っておくと何かと危なっかしいことが分かった。危険を顧みず、後先考えずに突っ込んでいく無鉄砲さ。
しかし、ルナの行動は、「人を助けたい」という純粋な考えからくるものだろう。困っている人を放ってはおけない……そんな、優しさとお人好しさが感じられる。
だが、同時に、その行動が戦いの支柱になり兼ねない。ルナ自身は気づいていないかもしれないが、正直、彼女は自分を犠牲にするタイプだろう。
──でも、そんなルナを放っておけないと思っている自分も、同じくらいお人好しなのかもしれない。
「……お優しいんですね。」
不意に、ナナの耳にエリンの優しい声が聞こえてくる。
ナナは思わず、その言葉に目を逸らした。やはり、そういう言葉には慣れていない。
「では、ルナちゃんを宜しくお願いします……!」
そして、続け様に、エリンが深々と頭を下げ、ルナを宜しくお願いする。
そんなに頭を下げなくても……と思いつつも、ナナはエリンの言葉を心に受け止めた。
これで後戻りはできない。ルナがやめると言わない限り、逃げることも許されない。
同時に、ルナを負けさせるわけにもいかなくなった。
「それじゃ! エリンの作ったスイーツを食べてから、お城跡地に行こう!」
一方で当のルナは、まるでこれからピクニックにでも行くかのように、呑気にそんな声を上げている。
この子には危機感というものがないのか──と思いながら、ナナもエリンへ顔を向けると、エリンはルナの言葉に対して呆れるわけでもなく、笑顔を向けるわけでもなく、俯きがちに申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「あ……ごめんなさい、ルナちゃん。今、スイーツの主材料である梨を切らしているの……。」
「え!?」
思いもよらないエリンのまさかの告白に、ルナが驚愕する。
主材料である梨が無いということは、すなわち……! スイーツを作れないことを意味する……!!
つまり──スイーツを食べることができない──!!!
未だかつて、こんな残酷なことがあっただろうか。
待ち望んだ至福──甘味。きっと得られると信じ、数多の苦難を乗り越え、ようやく帰ってきたというのに、このお預けは拷問も同じというもの。
もはや、いたいけな少女の口へ、甘いスイーツが運ばれることはないのだろうか──。
がっかりした様子で驚いているルナを横目に、ナナが不可思議そうにエリンへ問う。
「梨って、この村の特産品と聞きましたが……。」
特産である品を切らすなんてことはあるのだろうか。寒期でもあるまいし、この時期に主材料を切らしていたら、とても店なんて続けられないだろう。
しかし──そんな疑問もすぐに解決することとなる。
申し訳なさそうな表情を暗くし、エリンが答えた。
「スタンに……ほぼ全て奪われてしまいました……。」
分かりやすくも過酷なその言葉──その現実。
しかし、考えてみれば、スタンという男は主に食料を搾取しているという話だった。だったら、特産品である梨も奪われていて当然といえるだろう。
そして、それと同時に、梨の木の前を通りかかった時の違和感の正体にも気がついた。
あの時──梨の木には梨が一つも実っていなかった。
収穫した後なのか……もしくは、時期違いなのか、とも思っていたのだが、まさか根こそぎ全て奪われていたとは思っていなかった。
下手な不作よりたちが悪い。スタンが居座る限り、この食料搾取は終わらないのだから──。
「…………。」
ふと横を見ると、その絶望を感じたかのようにルナが分かりやすく項垂れている。
余程、楽しみにしていたのだろう。
スイーツが食べられないという残酷な現実を突きつけられ、彼女は今、何を思うのか──。
もしかしたら、もう二度と──未来永劫、あの甘い梨やそれを使ったスイーツを食べることができないのではないか、といった考えが脳裏によぎっているのかもしれない。
なんにせよ、その内心までは分からないが、何か……暗いオーラを纏っていることだけはよく分かった。
そんなルナを見たナナは、なんて声をかければいいか分からないなかでも、なんとかルナを励まそうと言葉を発しようとする。
「あー……気持ちは察──。」
だが突然、ルナが勢いよく顔を上げると──。
「絶対に取り戻す……!!」
今にも、その瞳に火がつきそうなくらい気合いの入った表情で、自分自身に対してそう宣言した。
ルナは絶望など一切していなかったのだ。大好きな物を奪われたのなら、全力で取り返すのみ。
「今までで一番気合いが入ってるな……。」
対してナナは、若干の呆れ顔でそう呟く。
ルナの原動力がなんなのか、なんとなく分かった瞬間だった。
………to be continued………
───hidden world story───
いつの世も、人々は食料を巡り争う──。