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真知子の青春  作者: ロッドユール
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死と生

「世の中には食べたくても食べれない人もいるんだよ。君は恵まれているんだから、少しでも食べる努力をしなきゃ」

「食べるなんて子どもでも出来るんだから、君だって出来るはずだよ」

「・・・」

 医者やカウンセラーの言葉は、私の心に何も届かなかった。何も感じすらしなかった。それは、死んだ言葉だった。

 昔、外国の詩人の人が言っていた。

「死んだ言葉は心に何も響きはしない」

 医者たちの言葉は死んでいた。


 あの時のあの子の表情が思い出せなかった。どうしても、飛び降りる前のあの子の表情が思い出せなかった。あの子があの時、どんな顔をしていたのだったか・・、そこだけがのっぺらぼうのように、私の記憶から抜け落ちていた。

「あの子はどんな顔をしていたのだったか・・」

 飛び降りる――、彼女が死ぬ前の――、死を決断した人間の表情。それが、どんなものだったのか。私ははっきりと見たはずのその顔をどうしても思い出すことができなかった。

 でも、落ちた彼女が地面に横たわるあの、生々しいその姿だけは私の脳裏にはっきりと焼きついていた。その今もリアルな脳内に映し出される映像だけは、忘れたくても繰り返し繰り返し私の中でリピート再生され、私の意識を暗く覆っていた。


 私は、物心ついた頃から、気づくといつも意識のどこかに、死というものを持っていた。

「死にたい」

 私はいつも頭の片隅でなんとなくそう思って生きてきた。

 でも、それは所詮頭の中の自殺でしかなかった。私が今まで何千何万回と頭の中で夢想した自殺など、結局そんなものは、実際の自殺の衝撃の前では、あまりに陳腐でおままごとだった。


 私は怯えていた。死に怯えていた。あれほどに願っていた死に私は怯えていた。 

 私はあの日以来、急に死が怖くなった。あまりにリアルな死は、あまりにグロテスクで、残酷で、惨めで、悲しくて、醜かった。あの時のあの彼女の落ちていく、そして、落ちた場面が私の頭に繰り返し繰り返し襲って来た。

 なぜか、玲子さんが死んだ時には感じなかったリアルな死の恐怖が私を襲った。

「ああああっ、ああああっ」

 私の中に堪らない恐怖と不安が湧き上がって来る。私は頭を抱える。

「あああああっ、ああああっ」

 繰り返し繰り返し、彼女の落ちていくあの映像が、私の頭の中で繰り返された。私はパニック状態になる。あれほど願っていた死が、今は堪らなく怖く、不安だった。

「あああああっ」

 なんて勝手なんだろうと思いながら、でも、私は怖かった。湧き上がる恐怖をどうすることもできなかった。

 死ぬことが怖くて怖くて堪らなかった。あのリアルな死は不安神経症のように私を深く苛んだ。

 怖かった。死が堪らなく怖かった。怖くて怖くて、苦しくて苦しくて、だから、私は死にたかった。死の恐怖から逃れるために私は死にたかった。死を意識すればするほどに、私の中に希死念慮が強く出るようになった。

「・・・」

 死にたくないから死ぬ。相反する矛盾した自分。でも、私の中では不思議と、きちんと整合性がとれていた。

 私は死に場所を探すようになった。

「・・・」

 私の部屋で首を吊ったという患者のことを思い出し、その患者が首をかけたという窓枠の端を私は何時間も見つめた。

「・・・」

 あの子が飛び降りた場所を窓の内側から再びあの場所から見つめた。

「・・・」

 玲子さんが死んだ部屋に一人入り、玲子さんがぶら下がっていた天井を私は見つめた。

 

 私は私を守るために死ぬ。ネットブログで誰かがそんなことを言っていた。 


 私は死に怯えながら、死を望んでいる。おかしな私――。


 死にたくて、でも、死にたくなくて、でも、死にたくて死にたくて、生きたくて、もう自分も、自分以外も何もかもが何だか訳が分からなくて、不確かな、確かなもののない混沌とした世界のこのちっぽけな片隅で、でもやっぱり、私は悶えるように死にたくなっている。


 死を恐れる私は、より具体的な死を求めた。私は自分の手首を切った。

 死にたくないはずの私は、体を切れば切るほど、死に近づけば近づくほどになぜか心が落ち着いた。


「私は死ぬために切り、そして、生きるために切るの」

 誰かが昔、ネットの掲示板の中でそんなことを言っていたのを思い出す。


 ――あの戦争をしている国の人たちよりも私は幸せだった。あの飢えに苦しむ国に生きる人たちよりも私は幸せだった――


 テレビをつければ今日も、遠い外国で戦争で死んでいく子どもたちが映っていた。


「そんなことは分かっている。分かっている。分かっているんだ」

 私は枕を思いっきり叩く。

 私は恵まれている。でも、私は、苦しかった。この幸せな国にいても、幸せなんか欠片も感じなかった。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて堪らなかった――。

 

 なんだか自分が無性に情けなくて泣けてきた。自分があまりに陳腐でどうしようもない人間に思えた。恵まれた環境で、とても恵まれた環境で、でも、私はその中で、その中でですらうまく生きることができず、我がままにも死にたがっている。贅沢な何てどうしようもない人間なんだろう。

「うううっ、うううっ」

 最近、私は泣いてばかりだ。そんな自分も嫌になってきた。


 私は生きることに向いていない。なんだか堪らなくそう思えた。


「ふっ、リストカットかよ」

 ふいに私の部屋に入って来た美由香が私の腕の傷を見て言った。

 美由香に鼻で笑われ、看護師や医師たちからも、口々とそんなバカなことはやめろと諭され、怒られ、自分でもそう思うほどに稚拙で愚かな行為だった。それは分かっていた。でも、今、それは私が生きていくために、どうしても必要な行為だった。

 どうしようもなくダメで、みんなに迷惑をかけ、傷つけてしまうそんなどうしようもない私を罰することでしか、私は私を許すことができなかった。私を切り刻むことのその確かな痛みと血という罰を、私はその体に刻み込むことで、初めて私は確かな安寧を得ることができた。

 その確かな痛みと赤い血。自らを罰し、そのことでどうしようもない愚かな私は生きることの許しを得ていた。 

 歪な精神安定剤だったが、でも、それはどんな言葉や治療よりも私を安定させ、安心させた。私は自傷行為をやめられず、自傷にのめり込んでいった。

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