玲子退院前夜、私の部屋で
「よっ」
その日の夜だった。消灯後、美由香が私の部屋に突然ふらりとやって来た。その後ろには真紀もいた。
「どうしたの?」
「いや、なんか寂しいんじゃないかと思ってな」
美由香はなぜかニヤニヤしながら私のベッドに座る。
「何が?」
「玲子がいなくなっちまうだろ」
「うん・・」
確かにそれは寂しかった。
「・・・」
しかし、そんな理由で美由香が突然私の部屋に来るとも思えなかった。私はいぶかしむ。
「おいっ」
「えっ」
「これやってみ」
突然、美由香が手の平を私の方に差し出した。
「何?これ?」
手の平の上には、色とりどりの錠剤が何種類か乗っていた。
「ぶっ飛ぶぜ」
「・・・」
あの病院を脱出した時、川原で市販薬を大量に飲んだ時のことを私は思い出した。そして、飲んだ後のあの気持ち悪さも同時に思い出す。思い出すだけで、気持ち悪くなるほどの最悪の気持ち悪さだった。あの時は、本当に死ぬかと思うくらい気持ち悪かった。あれはもう経験したくなかった。
「私は・・」
それに、なんだか薬は怖かった。
「玲子も誘ったけどあいつは来ないってさ」
「玲子さんのところにも行ったの?」
「ああ、行ったぜ。でも、あいつ・・」
「あいつ?」
「まあ、いいよ。それより」
何かあったのだと私は察し、それを訊きたかったが美由香は、もう、その話はしなかった。多分、また何か言い争いをしたのではないかと直感で思った。この時、私は何かはよく分からないけど、一瞬すごく嫌な予感がした。
「いいから、これ試してみ」
「うん・・」
私はためらう。
「どうしたんだよ」
「・・・」
私は美由香の手の平の薬を見つめる。
「私はいい」
「なんでだよ」
「・・・」
なんか美由香の様子がいつもと違う気がした。なんだろう。この違和感。
「なんだかよく分かんないけど・・」
「お前は退院なんかしないよな」
すると、突然美由香が言った。
「えっ?」
一瞬、私は美由香の言っていることの意味が分からなかった。
「お前は裏切らないよな」
「・・・」
何を言っているんだろう。私は思った。裏切るとか裏切らないとかそういう話ではない気がしたが、口下手な私はいつものようにうまく言葉にできなかった。
私は美由香を見る。目の前にいるのはいつもの美由香だった。でも、その瞳の奥はどこか怯えているように私には見えた。
「美由香は退院しないの」
逆に私は訊いた。
「退院か、まあ、それもいいかもな」
美由香は自分のことなのに、呑気に答える。
「あたしは、全部自分の意志で行動する。誰にも指図は受けない」
「えっ」
「全部あたしが決める。だから、医者が退院だとかなんだとかあたしには関係ない。出て行きたくなったら、出ていく。それだけ」
「・・・」
確かに美由香はいつでも出ていける力を持っている。
「美由香は退院したら、どうするの?」
「さあな」
「さあな?家には帰らないの」
「あんな家冗談じゃねぇ」
「学校は?」
「学校なんてまっぴらごめんだね」
美由香は顔を思いっきりしかめ、心底嫌そうなそんな顔をした。
「それに、もう戻れねぇだろうな。担任自殺しちまったしな」
「えっ」
私は驚く。しかし、美由香は何でもないことみたいに言う。
「若い女の先生だったけど、むかつくからみんなでいじめてたらさ、学校の屋上から飛び降りちまったんだ」
「・・・」
「まあ、幸い命は助かったみたいだけどな。でも、まあ、あれは再起不能だろうな」
美由香はまったくの他人事みたいに話す。
「・・・」
私はそんな美由香を見つめる。この時初めて私は美由香を怖いと感じた。
そういえば、私は美由香のことを何も知らなかった。私はここに入院してから、初めてそのことに気づいた。
「美由香の両親は病院には来ないの」
美由香の両親がお見舞いに来たのを私は一度も見たことがない。
「ああ、来ねぇよ」
「なんで?」
「諦めてんだろ」
「・・・」
「それに色々忙しいしな。自分たちのことで」
「何をしているの、美由香の両親は」
「あたしの親父は、元官僚で大学教授」
「えっ、そうなの。すごいじゃん。滅茶苦茶頭いいんだね」
「すごくねぇよ。母親は音楽家」
「へぇ~、すごい、エリート一家だね」
「だから、反社会性人格障害にならざる負えないんだよ」
「そうなの?」
私にはその理屈はよく分からなかったが、美由香は真剣にそう思っているようだった。
「あ~あ、あたしも自殺しようかな」
「えっ」
突然の言葉に私は驚く。
「意外な人間が、意外なとこでいきなり自殺すんだぜ。外国のさ、自殺した有名なミュージシャンの前日に撮った映像を見ると、そいつは楽しそうに仲間と笑ってるんだ」
美由香はそう言って笑った。
「・・・」
冗談とは思ったが、冗談とばかり言えない何かを美由香は滲ませていた。
――怒りに任せ両親の傷つくことを言いまくった後、一人になり怒りの冷めた私は、両親が自殺してしまうのではないかといつも不安にかられた。それは、どうしようもなく現実で確かな気がした。私はその襲い来る不安に押しつぶされそうだった――
「まあ、とにかく飲めよ」
美由香は話を戻す。
「う、うん・・」
押しに弱い私は、一度断ったものの飲む方に傾いてしまう。
「あたしオリジナルのカクテルブレンドだ。これは効くぜ」
「うん・・」
「これは真紀が飲んでる統合失調症の薬さ。ぶっ飛ぶぜ」
「飲んでいいものなの」
「ダメだろうな」
美由香は平然と言う。
「まあ、精神病院入院の思い出だよ。なっ。そんな重く考えんなよ」
「うん・・」
そう言われるとそうかもしれないと思えてきた。
「一回くらいなら・・」
私は思った。
「・・・」
私は美由香の口車に乗る形でその錠剤を手に取った。
「・・・」
だが、手に取ったものの私はその錠剤を見つめる。私はためらう。
「一気にいけ、一気に」
そんな私を美由香が煽る。
「・・・、うん・・」
私は意を決した。
「えいっ」
私は一気に口の中に全部の錠剤を放り込んだ。




