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将来の夢なんて覚えているほうが少ないはずだ

 寝る前の僕と、目覚めた後の僕は本当に同じ自分なのだろうか。

 寝て、起きてみたら、別人だった、なんてことはないのか。似たようなのを授業でやった。あれは、意識が蝶に移る話だったか。

 『胡蝶の夢』だ。結局、あの話はどちらが現実だったのか。

 いや、蝶と言わずとも、未来や過去の自分に移ることはないのだろうか。


 ――もし、そんなことがあるとすれば。


 今日見た夢は未来の自分だったのかもしれない。


 朝、リビングのソファで寝ころび、二度寝に落ちる前に、そんなことを母さんに話したら、「あんた、悪い夢でも見たの?」と笑われた。


「始業式なんだから、孝一も早めに高校へ行きなさい」


 母さんの声で我に返る。

 それにしても、今の発言はおかしい。今日が始業式だろうが、学校の時間は変わらない。接続詞が間違っている。僕の論理的な反論は、直感的な感情によって抑えられる。


「まあ、できる限りそうするよ」


 僕はのろのろと立ち上がり、食パンをトースターに入れる。

 母さんは僕の行動に満足したのか、「じゃあ、仕事行ってくるから」という声と共に、リビングの扉を閉めた。

 僕は扉に向かって「いってらっしゃい」と声をかけた。

 人は死んだら生き返らない。時間は戻らない。意識は一つの体に宿る。全て、抗えない事実。だが、体験できる世界がある。


 『夢』


 トースターの音。香ばしい食パンの匂い。ふと思う。これが夢だとしたら、現実の僕は今、どこで何をしているのだろうか。



 始業式。僕は新しいクラスの列で開会の挨拶を聞いていた。出入口から最も遠い、三年九組七番。これが今年の出席番号だった。

 体育館は静かとは言い切れないが、騒がしいほどでもなく、周りの先生たちも特に指導をしていない。松尾校長は壇上で定型文のような挨拶をした後、「さて」と本題に入った。力を込めた割には、将来の夢、現実、努力、悔いのない一年、といったありきたりなものだった。


「将来の夢、ね。久しぶりに聞いたな、そんな言葉」


 ホームルーム前、独り言のような僕の呟きに「そうか?」と律儀にも返答があった。後ろの席を向く。発言した当の本人は単行本に目を向けたままだ。表紙は見えないが、横書きの文章から専門書の翻訳版なのだろう。これは、彼に対する経験則。僕は構わず続けた。


「中学までなら将来の夢を書いたりするだろ? でも、高校に入ると書かされるのは志望校。将来の夢なんて書いたことないわけだ」


「将来の夢で志望校が決まるなら一緒だろう」


 高木はページを捲りながら答える。相変わらず器用に答えられるものだ。最初こそ「失礼な奴だな」と思っていたが、一度も聞き返さず、正確に返事をしてくるから、そういう奴だと受け入れた。いや、選択科目の時間を除き、三年間同じクラスだから慣れた、が正しい。

 選択科目は美術、書道、音楽の中から一科目選ぶもので、僕は音楽。高木は「テストがないから」とか言って、書道を選んでいた。


「そこだよ、そこ。なりたい職業が決まっているなら、良いけどな。決まってない人間はどうすればいいんだって話よ」


「夢の見つけ方か。難しいもんだな。子供の頃、夢とか無かったのか」


 僕は思わず窓際の席を見る。女子生徒が一人、文庫本を読んでいた。


「どこを見ているんだ?」


 気がつくと、いつの間にか専門書は閉じられていた。高木はちょっとだけ振り返り、すぐ顔を戻すと、僕だけにしか聞こえない声で言った。


「中里か。たしか同じ中学校だったか?」


 彼が小声を出すものだから、つられて僕も小声になる。


「昔話したっけ? 良く覚えているな」


「学年で二人しかいないって聞いたぞ。もう一人が中里だったとは初めて知ったが」


「別に隠してはいないさ。ちなみに言うと、保育園から一緒だ」


「幼馴染か。その割には話しているところを見たことがないな」


「小学校含めて、今まで一度も同じクラスになった事ないし、話す機会もないからな。だから驚いているんだよ、『ここで来るか』って」


「たぶん、向こうも同じことを思ってるぞ」


「だろうな」


「一度話しあった方がいいんじゃないのか」


「そんな、すれ違いのカップルみたいなこと言うな。まあ、なるようになるさ」


 僕はもう一度ちらりと窓際の席を見る。この高校唯一の幼馴染は文庫本を閉じ、物憂げに外を眺めていた。


「それで、子供の頃の夢はあったのか?」


「平凡なサラリーマン」


「夢がないな」


「高木は平凡の難しさを分かっていないな。普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供を養う。現代におけるこの難しさよ」


 僕の力説に高木は少し面を食らったようだ。


「……まあ、それが夢でいいなら構わんが」


「おーい、始めるぞ」


 チャイムの音と、先生が入ってくるのが同時だった。


 午後からは通常の授業が始まった。今日ぐらい半日で終わらせてくれと思うのだが、三年間の授業を秋までに終わらせる予定らしいのは、午前のホームルームで聞いたばかりだ。

 しかし、理解と感情は別問題。

 僕は午後いっぱい、『彼女をこれからどう呼ぶべきか』という悩みに捉われていた。小さい頃は『ミキちゃん』と呼んでいたが、流石にこれはない。ならば、高木のように『中里』か。いや、女子の名前を呼ぶのにしては高圧的すぎないか? 第一、実際にそう呼んでいるのは聞いたことがない。なら『中里さん』でどうだ? 無難に違いない。他のクラスメイトならまず間違いない。だが、彼女は幼馴染。実際に呼ばれたとき、どう思うのだろうか。距離を空けられたと思われないか。


 結局のところ、今日は彼女と話す機会はなかった。



 夜、ベッドの引き出しを開け、卒業アルバムを二冊取り出す。フローリングに胡座をかき、ページを捲る。

 小学生の時は僕が六年一組で彼女が三組、中学生の時には彼女が三年一組で僕が七組。面白いように端同士のクラスだった。そのまま眺めていると、小学校のアルバムに『将来の夢』という欄を見つけた。下手くそな字で書かれた『科学者』の文字。具体性がないのが子供らしい。

 忘れていたわけではない。言うのは恥ずかしかった。

 無邪気なみんなの夢が眩しい。サッカー選手、学校の先生、お花屋、司書。その中でも綺麗な字で書かれた『看護師』の文字が目を引いた。彼女の欄だ。思い出した。遊ぶ機会が減った理由。低学年のころから、彼女は習字教室に通い始めたのだ。

 捲る手が止まる。一枚の写真。運動会だろうか、お弁当が置かれたレジャーシートに座る二人の子供たち。体操服姿の二人はこちらに向かって笑顔でピースをしていた。こんな写真があったとは。彼女と僕の二人で映る、唯一の写真だった。少しだけ、胸が苦しくなった。


 卒業アルバムをそのままに、僕はベッドに倒れ込む。


 知らず知らずのうちに変わっていく。気づいた時にはもう遅い。


 ――何かできただろうか。


 彼女とどこかで同じクラスだったら。いや、同じクラスじゃ無くても、時折会う時に挨拶でもしていたら。今日、少しでも彼女と話すことができたかもしれない。

 思考が沈んでいく。いや、やめよう。こういうのを何と言っただろうか。古文で習ったような。ああ、反実仮想だ。意味のない後悔の中で生まれる仮定。僕らに変えられるのは未来だけだというのに。

 決めた。やっぱり、明日、彼女に話しかけよう。

 薄れゆく意識の中、最後の決意だけははっきりと心に残った。

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