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家賃滞納

作者: 小林芍薬

「いや、だから毎月口座振替で払ってるって言ってるじゃないですか」


「ですから、当方はその事実を確認できていません!」


「大家さんに問い合わせればいいじゃないですか」


「何回言ったら分かるんですか? あなたの大家さんは無関係なんです」



 ずっとこんな調子だった。


 とある県の安アパートである。格安の家賃に目がくらみ、築五十年の木造アパートに住み始めて三年になる。大学生活も後半戦、これから就職や院への進学など進路を考えなくてはいけない時期である。


 スーツを着た小柄な女は、横柄にも朝の七時半に僕の部屋に訪れた。大学の授業は午後からで、太陽が真上に上がるくらいまで寝ていようと決め込んでいた時だった。アパート中に響き渡りそうなノックの音に、僕は飛び起きて応対した。



 なんでも僕は、家賃を払っていないらしい。



 しかし、女は家賃を払う先であるはずの大家は関係ないと言い張っている。


 結果、髪の毛が無造作に跳ねたままの寝間着姿で、知らない女に責められるという状況が完成していた。


 僕の目から見ても、女は非常に可愛らしい見た目をしていた。彼女が僕の言葉にうんざりするたび、前髪が綺麗に切りそろえられているボブカットが揺れる。凄みを出そうと僕の事を睨みつけるが、頭二つ分低い彼女の背丈でそれをされても上目遣いの可愛い仕草にしか見えなかった。


 僕が黙って扉を閉めなかったのは彼女の容姿によるところが大きかった。


 しかしそうは言っても、何度も同じ問答をしていると流石に気が滅入る。


「あの、もうそろそろいいですか。僕、そろそろ寝たいんですよ」


「この時間から寝るなんて良い身分ですね」


「一時間前までバイトだったもんで」


「それはご苦労様でした。しかし、あなたが疲れている事と私の仕事は一切関係ありません」


「……いやなやつ」


「何か言いました?」


「いや、なんでもないです」


 女はわざとらしく溜息を吐き、左右に首を動かす。やってられない、というサインだろう。


「あなたはこれから寝るだけかもしれませんけどね、私はこれから何件もの家を回って家賃を徴収しなければいけないんです」


「それはご苦労様です。でも、あなたの仕事と僕の気持ちは全く関係ありません」


「嫌な奴!」


「あなたが先に言ったんでしょう」


 ぐぬぬ、と悔しそうに下唇を噛む。少しだけ優越感を得たが、結局のところ事態は何も好転していない。


「いいから、家賃を払って下さい」


「大家さんに言ってください」


「何回言えば分かるんですか! 家なんかじゃなくて、もっと根源的なものです!」


「こんげんてき……」


「根本的というか」


「こんぽんてき……」


「なんて言えば伝わります?」


「何も言わずに扉を閉めてくれれば伝わるかもしれない」


「ぶっ飛ばしますよ」


 思わず笑いが漏れる。いい加減うんざりしているとはいえ、こちらの言動で表情がころころと変わる女を見ているのは愉快だった。


 女の方もそれを察したようで、左手に付けられている腕時計を確認し、少し早口になって説明を始めた。


「自分の置かれている状況は分かっていますか? あなたは長い間家賃を滞納している。これ以上払って貰えないようでしたら、強制退去になってしまいますよ」


「だから、俺には身に覚えがないって言ってるでしょう」


「身に覚えがないとは言わせませんよ。ずっと住んでいるくせに、よく言えたものです」


「まだ三年しか住んでいないのに、ずっと住んでるなんて言われてもなあ」


 お互い、これ以上の議論は役に立ちそうもなかった。


 男は女の事を、新手の詐欺か宗教勧誘だと思い始めていた。無作為に選ばれた人間、それか友達や恋人がいなそうなをターゲットにして信者を増やすのだ。最近はそういう手の物も来なくなっていたが、入学したての頃は週に一度は来ていたので、対応にも慣れたものだった。


「大家さんの許可ももらってないのに立ち退きをさせる気ですか?」


「はい。あなたがこれ以上意思を変えないのであれば」


 女は、先ほどとは打って変わって怜悧な口調だった。


「馬鹿馬鹿しい。強制退去でも何でもいいですよ。やれるもんならね」


 男の言葉に一瞬だけ戸惑いを見せた女は、しかしすぐに思い直し、携帯電話を取り出し、どこかへ発信した。


 それが合図だったのか、どこからともなく屈強な男が二人現れた。


「なんですか、あなたたちは」


 突然のことに動揺する。抵抗しようと試みるも俺より遥かに大きい相手に敵うはずもなく、体を引きずられ、強制的に自動車の後部座席にそのまま投げ込まれた。

暴れる間も無く、口元を布のようなもので押さえつけられる。


「安心して。今月は立ち退き者がいっぱいいるから。寂しくはないと思うわ」


 女の声が鼓膜に届いたが、意味を理解する前に男の意識は泥濘に沈んでいった。




 女は、ある研究機関を訪れていた。そばに控える屈強な男たちが持っているリストをひったくる。


「リストに載っていた人間は、これが全員?」


「ええ。今月はたくさんいましたね。甘い考えの奴らですよ」


「本当にね。だからこそ、立ち退きしてもらった方がこの世界のためなんでしょうけど」


 女は大きなモニターの前に立っている。そこに映されているのは、今まさに発射しようとしているロケットだった。


 女が鼻を鳴らして、モニターに向けて言う。


「私たちが住むこの母なる大地。まさか、タダで住めるなんて思い上がりも甚だしいわ」


 辺りに、館内放送が響く。



『それでは『地球立ち退きロケット』発射します。3、2、1……』

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