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山の怪

 そこは山の中、木々は不気味にざわめき太陽はその瞳を閉じ、その場には常に嫌な風が吹いている。ゴールデンウィークという休日群の中の1日を山登りに当てた秋男。その後ろを春斗と冬子が着いて行く様は秋男をリーダーにした探検隊のよう。

 後ろのふたりを確認する事すらなく進んで行く秋男の背中を見失わないように追いかけるように春斗は進んで行く。

 冬子は浅い呼吸を何度も繰り返し、疲れを示していた。

「春斗……あのバカ止めて来てくれ」

 春斗は言われるがままに秋男を呼び止める。秋男は振り返ると疲れ果てた冬子を見下ろして言った。

「普段は自分カッコいいですみたいな態度取っておいてクソカッコ悪ぃな、運動不足」

「別にカッコいいなんて思ってない」

 秋男は嘲笑の表情を見せて走って登って姿は見えなくなった。

 取り残された春斗は冬子の隣りに戻り、ペースを合わせて歩いていくのであった。慣れない山登りで疲れている冬子は想いを乗せた言葉を流すために口を開く。

「春斗はこんな運動不足な私に合わせてくれるよな、助かる、ありがとう」

 春斗は手を小さく振り焦りのような仕草を見せつつ言った。

「ありがとうなんてそんな当たり前だよ。困ってる知り合いに少しくらいはね」

 途端、冬子は更なる疲れと心の重みを感じて項垂れる。

「はあ、まだ知り合いか。いい友だちだと思っていたのだが」

 春斗は言葉が出なかった。冬子のことを親友だなんて言うこと、そんな事でさえも恥ずかしくてとても言えなくて息が詰まる感じに襲われるのであった。



 秋男は随分と上の方で待っていた。そこは屋根の着いた木のベンチ、登山客がたまに使うであろう休憩所。

 追い付いた冬子はその休憩所を見た瞬間、鼻をつまむ。

 それを見て秋男は笑っていた。

「冬子は感じたっぽいな。ならウワサは本当だろうな」

「何だ……これ」

 冬子が目を見開き口をだらしなく開いたまま見つめるその場所、春斗もまたそこを見て驚愕のあまり言葉を失う。

 そのベンチは紅い血で塗られていた。

「すげえだろ。毎日こうなるらしいぜ。だから夜は特に霊感の強いやつは誰も来ないんだとよ」

 ずっと唖然としてその光景を眺めていた冬子はやがて秋男の方へ顔を向ける。

「お前やっぱバカだろ。どうしてこんな危険な所に連れて来た」

 その言葉が通じていないのか、秋男はただニヤけて語る。

「この山の怪はこれで終わりじゃねえぜ」

 その言葉通り、何やらおかしな事が繰り広げられ始めた。

 冬子と春斗の隣りを歩く男女がベンチへと向かう。

 それは厚いコートを着た男とこれもまた厚いジャケットを着た女。

 手を繋ぎ合ったふたりはベンチに座り微笑み合った、その刹那。

 男は立ち上がりコートのポケットより取り出した包丁を握り締める。鋭い銀色に輝くそれはまさに殺意の色を持っている。女は立ち上がり逃げようとするも、男は女の胸に包丁を刺した。そして引き抜きふたたび刺し、またしても引き抜きみたび刺す。何度も何度も繰り返し、刺さる度に血は飛び散り噴き出しいつの間にやら元の素材の色に戻っていた木ベンチを紅く染め上げる。刺して刺して刺して刺して。女の命が息の根が、根こそぎ奪われ死に届いた。その様を見て男は涙を流しながら休憩所の屋根の木の骨組みに縄を括りつけて自身の身を、首の根から命そのものを縛り経って己を殺したのであった。

「心中だ。いつの時代にでもある事だろ」

 全てを初めから知っていて呼び出した秋男を冬子は心底憎しみを溜め込んだであろうその瞳で睨みつける。目の下のクマと元の目つきの悪さから現れるその憎悪は恐怖でしかなかった。

 そんな3人の事などお構いなしに事は進んで行く。なんと刺された女は急に立ち上がり、力なく身体を揺らしながら歩き出した。虚ろな瞳が捉えたのはもちろんその場に生きている3人。女はゆっくりと歩き始め、秋男の方へと歩みを進めて行く。秋男は慌てて逃げ出す。春斗と冬子は幽霊どころか秋男にすら追い付かれないよう全力で駆け出した。疲れや他の人が来るかも知れないという事など構うことなく来た道を逆戻りしていく。山を下るその時、闇に閉ざされて所々辛うじて葉の輪郭が見える程度のその景色は素早く斜め上へと上がって行くように見える。それほどまでの疾走に脚の痛みは一歩一歩に叫びを上げ、心臓の鼓動は恐ろしさと運動により破裂の危機を思わせる程に激しく脈を打つ。そうしてどうにか降りた暗い山道を降りていく。それまでの記憶など恐怖の感情しか残っておらず、命さえ助かれば何もかもがどうでもよく思えていた。

 降りた先にある車、そこに冬子、春斗、秋男の順にドアを開け乗り込む。そしてドアを閉めて車のエンジンをかける。

 ライトに照らされた正面。フロントガラスに例の女がさぞ恨めしそうな目をして張り付いていた。



 そこは屋根の着いた木製のベンチ。それは銀に光る刃物。冬子は今、男と対峙していた。握り締められた包丁は冬子の身体を刺し、引き抜き、何度も刺しては引き抜いて何度も何度も殺意を放り込まれる。多額の借金を背負った苦しい生活、なぜだかそんな悲しい生活を思い起こしていた。



 冬子は目を開いた。

ー夢だったのか?ー

 辺りを見回すとそこは車内、隣りに寝ている春斗、後部座席にこれまた恐らく寝ているであろう秋男を乗せたまま冬子の家にたどり着いていたのだった。

 冬子は早速隣りに寝ている春斗を揺り起こす。

 春斗は目を開けて飛び上がるように後退りをした。

「刺さないで」

 春斗の怯える様を見て冬子は微笑んだ。

「おはよう……というよりこんばんは。いい夢……は見てないな。多分私と同じ夢」

 そうして今回の件は幕を閉じたのであった。

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