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桜の木の下

 あのダムでの恐怖体験から1ヶ月近くが経った。3月の終わり、春斗は2回生を迎えようと心の準備を整えていた。

 あの時の1件以来変わった事と言えば新聞をよく読むようになった事。目付きが悪く目の下に刻み込まれたようなクマのある背の低い女、冬子に新聞を差し出されて言われたあの一言。

「昨日の件、多分割と最近の事件だ」

 新聞など一切取っていなかった春斗にとってはその事実は決して知り得ないはずのもの、それひとつで思い知らされていたのであった。

 自身が世界どころかこの狭い地域ひとつの事ですら知らずの大海のように思える小さな井戸の中の蛙に過ぎないのだということ。

 それがあまりにも恥ずかしく思えた春斗は出来る限り住まいの地域周辺の事が書かれているような新聞の朝刊を購読することにしたのだ。

 新聞とは世の時勢時事を伝える媒体。そんな世の中の出来事を追っていく中で春斗にとってはそれが事実を記された小説のように思えて来て楽しみのひとつとなっていた。

 コーヒーを飲みながら新聞に書かれた事実を読み込んでいく。

 ある芸能人の不倫問題。

 スポーツの競技にて新記録を出した日本人。

 ある国の研究にて新たに発見された科学の世界の一端。

 春斗の住まいから電車に乗れば軽い気持ちで行ける大きな公園での殺人事件。夜中に起きたのだというこの事件の被害者は女子高生で犯人は未だ逃走中なのだという。

 新聞を読んでいる真剣な姿勢を崩したそれは携帯電話のメールの着信音。

 春斗はすぐさまそれを開いて確認する。

「よお、今夜空いてるか? もしヒマなら今夜花見しようぜ。お前が来てくれるなら冬子も来るらしいぜ、冬子が来なくても春斗だけは引っ張り出してやるけどな」

 どの道行くほかないらしい。春斗はすぐに了承の返事を送信して携帯電話を閉じる。それから春斗は冷蔵庫を開き、コーヒーをコップに注いで冷凍室からエビピラフを取り出し皿に半分ほど入れて電子レンジの中に入れたのであった。



 夜の空は明るく黒い。都会の方ともなれば街灯や建物の光に照らされて夜闇もさほど暗くはない。春斗は歩きながら以前のダムの事を思い出す。所々に頼りない電灯が立って弱々しい光を放つだけのあの景色。それはまさに闇の中、薄々見える闇の中、電灯に照らされたあの世にもおぞましい光景。

「やめたやめた。この前会ったのがそれとカフェだけだからって思い出さなくていいから」

 春斗が着いたそこは近くのコンビニ。秋男と冬子は既にそこにて待っていた。

「こんばんは、春斗」

「あ、あぁ、こんばんは」

 冬子の挨拶に対して頬に熱さを覚えながら挨拶を返す春斗。

「お前どんだけ照れ屋なんだよ、ウケるわ」

「秋男は春斗の事バカにし過ぎだ。私だって最初はしっかり話せるか……心配だった」

 目付きの悪さと可愛らしさを感じさせない口調と声とは裏腹に心は案外繊細なのかも知れない、そう思った春斗だった。

「ほら、今日は花見なんだろ。ジュースも食べ物も買ってくぞ」

 秋男に背中を押されてコンビニに入って行くふたり。唐揚げやフライドチキンを多めに買う秋男とサラダやイカを買って行く冬子、飲み物は全て春斗が持って行くのであった。



 電車に乗って着いた先、その駅名に春斗は見覚えがあった。たまに出かけて通り過ぎるものや切符売り場などで名前を見たそれらとは違う、もっと身近にあるような感覚。

 大勢の人々が流れている駅周辺から歩いていく中で少しずつ人は減っていく。どれだけ歩いたであろうか。駅からは対して離れたようには見えないが春斗にとってはそこそこの距離を歩いたように感じられた。

「運動不足だな、私。これだけで疲れるんだ。春斗はそうでもない?」

 冬子も同様に感じているようであった。見栄を張るような真似もしない春斗に同意しない理由などありはしなかった。

「俺も疲れたよ。やっぱ運動しなきゃな」

 秋男は随分先へと行っていた。遠くから手を振る小さな人影。

「アイツかなり元気だよな」

「知ってた。羨ましい限りだな」

 それから数分後、ようやく公園へとたどり着いた。冬子は公園の名前を見てひとつ訊ねる。

「で、なんでよりにもよってこの公園を選んだ」

 春斗はただ頷く。その理由は秋男がしっかりと語るのであった。

「ったりめえだろ。俺ら3人揃って行く場所なんて例のカフェか……心霊スポットだけだろ」

 そう、秋男は初めからこの場所が目的なのであった。

「おめでたい男。春斗、来年はふたりでもっといい場所で花見しような」

「遠慮しとくよ。このふたりじゃ絶対盛り上がらないし」

「はたちになって酒入れれば勝手に盛り上がる」

 秋男は桜の木の下でシートを広げて座り、唐揚げを食べ始めた。

「ほらふたりともさっさとこっち来い唐揚げ冷めちまってんぞ」

 春斗は言われた通りにビニールシートの上に座り、缶ジュースを取り出す。

 冬子はただ立ち尽くしていた。

「どうしたよ、紅一点」

 冬子は秋男の方、否、秋男の向こう側、その奥の方を指差していう。

「なんだよ……お前」

 春斗がそっちを向くとそこに佇むのは女子高生。ただただこちらを睨みつける肌が灰色がかって見える少女。

 秋男はどこも振り向かずにただ口を動かす。

「心霊スポットって言っただろ。よく言うじゃねえか、桜の木の下には死体が埋まってるって。何が出てもおかしくはねえんだっつーの」

「桜の木の下に死体って……ここは公園だぞバカ。そんな物騒なもの埋まってるわけがない」

 ただ睨みつけていただけの女子高生が近付いて来る。足を動かしたわけでもなく、身体を動かしたわけでもなくただ滑るようにゆっくりと。秋男は気が付いていないのか、それにしてもおかしいほどの無反応。冬子の言葉を聞いているのは本当に秋男なのだろうか。

 あまりの不気味さに春斗はその目を見開き震え、女子高生を見つめ続けていた。近付いてくる女はやがて秋男の背中のすぐ後ろ、そこで立ち止まり肩に手をゆっくりと伸ばしていく。

「春斗、逃げるぞ」

 我に帰った春斗はようやく身を縛るような震えを断ち、秋男の手を引いて精一杯駆け出す。秋男はただ虚ろな目をして引っ張られるだけだった。



 結局3人は人気の多い公園で花見をしていた。まず初めに冬子が口を開く。

「秋男、大丈夫か。結局あれはお前に取り憑いてたんだと思う」

 あの女子高生が現れてからの秋男の反応、あれは明らかに普通ではなかったのだ。冬子はひとつ、質問を投げかける。

「いいか? 答えてくれ。秋男はあそこで殺人事件があった事を知ってるか?」

「殺人事件?なんだそれ。そもそも俺たち花見に来たんだよな」

 その回答に春斗は開いた口を閉じる事が出来なかった。秋男が言ったはずの心霊スポットの事、それを秋男は知らなかったのだ。

「やはり取り憑かれてたな」

 そして冬子は自身の思うひとつの結論を話した。

「もしかしたら、あの桜の木の下には死体が埋まってるのかもな」

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