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代わりに

 通院生活1ヶ月は過ぎたであろうその場所で春斗は松葉杖をついて歩いていく。リノリウムの床と白く清潔な廊下は変わり映えはしないものの、その整った清潔感に心を洗われていた。右脚は未だにギプスを身に着けており治るまでそう遠い距離は歩けないであろう。今日もまた腕を動かし歩いていくものの、腕の疲れはすぐに来てしまう。

 春斗は大学の単位は既に諦めていた。冬子や秋男、このふたりに置いて行かれる様を想像しながら歩くも追いつく像が浮かばない。春斗は俯いて振り返り病室へと戻ろうとする。

 そんな春斗の目に映ったそれは男の子。恐らく小学生であろうその男の子は病室のドアの隣りの壁に寄りかかり春斗の方を見つめていた。春斗は男の子の身体を見て悟るのであった。

ーきみも行き場に困ってるんだねー

 来年も大学に通っている姿を想像することが出来ない春斗はまさに行き場のない亡霊と変わりのない存在に過ぎなかった。目の前の透き通る身体をもつ男の子と変わりのない自分。果たしてあの場所に戻ってふたりと共に歩む事が出来るのか、それが正しい道なのか、正直に言うと春斗には確信が持てないでいた。男の子の霊は春斗を見つめていたがやがてその姿を消す。

 春斗の視線から少しズレたそこについているドアが横にズレてゆっくりと開かれた。

 春斗は目を見開いた。

 そこから出て来たのは紛れもないあの男の子。母と思しき大人の女性と手を繋ぎ、歩いていく男の子。その姿は先程の霊よりも弱々しくて細くて儚い。目を離した隙に消えてしまいそうなほどに。

ー子ども……かぁー

 春斗は自身が子育てをする未来などやはり見えない。将来の彼女の姿を想像してみてもその顔は霧に包まれて見る事すらも叶わない。


 きっと、この世の中にこんな男と交際するような女性などひとりもいない。


 既に分かり切った紙よりも薄っぺらな事実など素早く切り裂いて病室へと戻って行く。

 立ち去り際に後ろから低い位置からの視線を感じていた。



 病室に戻るとそこには背の低い女が立っていた。目のクマと鋭い目付き、不健康に見える肌は髪の黒さも相まって少しばかり恐ろしい。

「ちょっとは動けるようになってきたな」

 いつもの可愛げのない表情と言葉の裏側に優しさを持っているのもまたいつも通りの事。冬子は春斗のノートに落書きをしていた。

「冬子? それ俺のノート……だよね」

「表紙の裏だから問題ないよな、提出するわけでもあるまいし」

 そういう問題じゃない、そう言おうとした春斗だったがそれよりも冬子がどのような事を書いているのか、或いは描いているのか、気になって仕方がなかったが覗き込もうとすると冬子はノートを閉じて後ろを向いてしまった。

「まだかけてない」

 しばらくは冬子の口も開かずにノートに何かをかいているようだった。そんな沈黙の時が流れて20分。気まずい春斗は病院の怪談の本を読みながら待っていた。正直に言うとこんな所にそんなものを持ち込む事自体あまり気分の良いものではなかったが。

 そこでようやく冬子は口を開く。

「そんなもの読んでたら怖くて眠れなくならないか」

 もっともな言葉に春斗は頷き答える。

「他に暇つぶしがなかったからね」

「秋男のやつ、春斗が元気になるまであまり姿を見せる気がないらしいな」

「昔からそういう人なんだよ、真面目な場所が嫌いというか、いつでも突然なんだ」

 冬子は思い返し、そして言った。

「確かにな」

 それから少しだけ些細な日常の話をして立ち去る冬子。

 静かな病室に残された春斗は閉じられたノートを開く。表紙の裏、固い紙に描かれたその絵の正体は目のクマのある可愛らしい少女が『ファイト!』と声援を送るというものであった。

「かわいすぎるよホント」



 夜中、全ての空間は闇に閉ざされる。白い部屋はその白を闇に沈めて死んだように眠る。春斗は正面から何かの視線を感じていた。あの時のお持ち帰りの霊でもなければ、たまに現れる意思も感情も感じられないただの浮遊霊でもなく、それは冬子の言う断末魔の残り香が視える霊。正真正銘の悪霊。

 春斗はその視線に背筋をなぞられる。あまりの気味の悪さに春斗は怯えるばかり。

 視線を感じるだけだったそれはやがてカーテンを開けも揺らしもしないで春斗の目の前に迫って来た。

 それは昼に見かけた男の子。身体が透き通る男の子は春斗を睨みつけながら呪詛を吐きつける。


 代わりに、代わりに……死ね。


 早く……ボクを……助けて


 震えながら首を横に振る春斗。更に近付いて来る男の子。


 代われよ……代わ……れ…………よ


 男の子は手を伸ばす。その手が狙うものは春斗の首。春斗は手をベッドに這わせて後ろへと下がろうとするもそれは全く意味の無い事。

 男の子は首を掴んで思い切り力を入れる。


 お前が死ね!


 なんでボクが死ななきゃいけない!


 透き通る爪は首筋に食い込み、小さな手は春斗の喉を締め上げる。

 春斗は手を振りばたつかせて抵抗するも、ビクともしない。振っていた手はある物を払い、床に落とす。

 その感触はノートであろう。そう、冬子の優しさが刻まれたあの絵が描かれていたノート。


 ファイト!


 春斗はどうにか息を吸って憎しみを吐き出すのだった。

「誰が殺されてやるか! 諦めろ」

 しかし、締め上げる手の力は更に強くなり、春斗の意識を奪い去った。



 目を開いたのは看護師に起こされた朝7時。春斗の眠そうな顔を覗き込んで看護師は訊ねる。

「健康は大丈夫ですか?」

「良好です」

 看護師は1冊の本を手に取って春斗を諭す。

「どうせこれ読んでたのですよね。いけませんよ? 病院で病院の怖い話なんか読むから怖くて眠れなくなるんですよ」

 昨夜の出来事は怪談を読んだが為の夢だったのだろうか。否、あの出来事は明らかに現実。今でも鮮明に思い出すことが出来た。あの怨みを、あの手の感触を。

「彼女さんだってこんなの描いてらっしゃるじゃないですか」

 看護師は床に落ちているノートを指して言っていた。

ーああ、あの絵ー

「彼女じゃないですよ、友だち」

 看護師は微笑んで言った。

「そうですか、じゃあとても良いお友だちですね。大切になさって下さい」

 それから数日後、あの男の子の病室を覗き込むとそこにいたのは全くの別人だった。

 看護師に訊ねたところ、男の子は手術に失敗してしまったらしい。

 春斗は今でもたまに思い出す。

 首を掴む男の子の小さな手を、怨みの籠った目を、そして恐ろしいあの言葉を。

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