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2.目、閉じてね





 トイレに駆け込んで、鏡を見ると、涙でぐしゃぐしゃになった自分の顔が映っている。


 初日だからって、ちょっと気合を入れて、前髪なんて切ったもんだから、左に向かって斜めにパッツン髪だ。

 慣れない化粧が涙で滲んで目尻は黒くなっているし、残っている化粧らしい部分なんて、髪に合わせて茶色く色を乗せた眉毛くらい。


 ――最悪の初日だ。


 勢い任せに蛇口を捻れば、物へ八つ当たりするなとばかりに物凄い勢いで水が吹き出す。

 弾けた水飛沫が制服に向かって飛びかかってくるもんだから、制服のシャツの胸元がびしょ濡れになった。

 水を含んだリボンが濃い赤色に変色して、しょぼくれたみたいに下を向いている。

 胸元の赤いリボンが二種類から選べる、なんて浮かれて、細い紐状のものより大きめのリボンが可愛いなって、わくわくしながら選んだのに。


 今の私にお似合いだ。


 人はそんなに簡単に変われないんだ。

 眼鏡からコンタクトに変えれば、何か変わると思ってた。

 化粧をすれば、可愛いねって褒められて女子の明るめのグループに入れてくれるかもなんて、夢見てた。


 全部台無しにされたけれど、台無しにされなかったとして、私は何か変われていたんだろうか。


 ――なんて、……いやでもちょっと待ってよ。


 あんまりにも悲しくて、えらくマイナス思考になってしまっていたけど、そのままの私だったとしても、友達くらい出来たはず。


 なのに、アレの仲間だなんて思われた日には、孤立確定じゃないか。


 一刻も早く訂正しに戻らなきゃ。

 完膚無きまでに、否定しなきゃ。


 そうは、思うのに。

 足はちっとも動かない。

 鏡の中の私は随分とボロボロで、目も鼻も赤い。

 これ以上泣いたら、コンタクトどうなるんだろうなんて冷静に頭は働いているのに、それでも涙は止まらない。


 初日をトイレで終えるなんて、最悪過ぎる……。


 此処がトイレじゃなければ、きっとへたり込んでいた。



「あ! みつけた!」



 声が聞こえて、鏡から声の方向へ視線を向ける。

 その声が誰のものかだなんて、分かっていた。



「甘南、ユズリ……」


「名前! 覚えてくれたんだね。ユズリでいいよ」


「呼ばないし……!」


「どうして? わたし、貴方の伴侶になるんだよ?」


「女同士じゃん」


「大丈夫。同性婚が認められてるの、わたしの世界」


「アンタの世界なんて知らない……!!」



 思ったより、大きい声が出て自分で驚く。

 けれど、私は必死に相手を睨んだ。

 化粧が崩れた顔では、迫力に欠けるかもしれないけれど、構わない。


 拒絶していると示さなければ。


 そんな私を見て、彼女は薄く笑みを浮かべた。

 二房の髪をゆらりとゆらして、ルージュのCMに起用されているモデルさんみたいにぷっくり魅力的な唇で弧を描く。

 ほのかに赤く色付いた唇がはくりと開いて、彼女は私にこう言った。



「イサミちゃんが、わたしの世界を知らないなんて言うのであれば。わたしだってイサミちゃんの世界のことなんて知らないよ」



 暴論だ。

 そんな事が(まか)り通るのであれば、世の中言ったもん勝ちになってしまう。

 そもそも、そっちが無理な事を言っているのに。

 それを拒否するのであれば、その拒否を更に拒否する、なんて無茶苦茶だ。


 気圧されてしまいそうになったけれど、私は自分を勇気付ける為に、ぎゅうと拳を握る。


 ――負けるな、負けるな、私。



「だからって、アンタの話は受け入れられない。転生? バカじゃないの?」


「イサミちゃん。自分の知っている事が世界の全部じゃないんだよ?」



 自分の唇に人差し指を添えて、困ったように眉尻を下げる。

 まるで聞き分けの悪い妹に手を焼く、姉みたい。

 そんな不愉快な動作でさえ、彼女は随分様になっていた。

 ドラマの中の女優さんが話しているみたいに、まるで現実味の無い彼女は、現実味の無い話をする。



「わたしの世界ではね。ひとつの村につき一人、王様に娘を差し出すの。私はその王様の七十番目くらいのお嫁さんなんだけれど、その王様がね、自分のお嫁さんたちに言ったんだ」



 台本を何度も読み返して覚えたみたい。

 (よど)みの無い口振りで、彼女は言葉を紡いでいく。

 綺麗な織物が織り上がるみたいに、言葉が形を持っていく。

 本当に、そんなものがあるんじゃないかと信じさせるくらい、彼女の言葉には力があった。



「勇者を連れてきなさい。そうして世界を救いなさい。そうすれば自分との婚約は解消してあげるから。勇者と結婚して、繋ぎ止めて。世界の為に尽くしなさい。その功績を称えて、私はその者の村を国にしてあげよう。国として成り立つだけの、支援をしてあげよう。国土が足りなければ周辺の村も与えてあげよう。勇者の力を私の国に貸してくれている限り、私の国は、その者の国と友達だ」



 彼女が目を瞑ると、長い睫毛が影を作る。

 その目蓋の裏には、その時の王様の表情も、息遣いも、全てが描かれているとでも言うように、彼女はその台詞を諳んじてみせた。


 ――そんな、突飛な話を信じろと?



「そして、貴方はわたしの国の勇者なの」


「違う……! やめてよ、気持ち悪い……!」


「覚えてないだけだよ。王様言ってたもの。勇者は記憶を失っているって。私も、他の世界に転生した場合、十数年間は記憶を失う事になるって。だから最近思い出したの」


「やめてってば……!!」



 とにかくその話を聞きたくなくて、私は叫んだ。

 けれど、甘南ユズリは、やっぱりちっとも譲らない。


 此方へ一歩、足を踏み出す。


 雲に隠れていたお日様が顔を出して、世界がきらきら明るくなったみたいな、瞳を覗かせて。


 私は一歩、後退る。


 それを続けていけば、みるみるうちに追い詰められて、後ろに壁が迫っていた。


 トイレの壁なんか触りたくも無い。


 けれど、この人に距離を詰められたくもない。


 そんな葛藤の中でまごついていると、甘南ユズリはまた一歩、足を踏み出した。


 耳元でパン、と軽い音がして、壁際に追い詰められてしまったんだと自覚する。

 真っ直ぐ伸びた手は、私の耳の横を通って壁に触れていた。


 私より少し高い位置にある、キラキラとした瞳が真っ直ぐ此方を見下ろす。

 近くで見る甘南ユズリの瞳は、恐ろしい程に澄んでいる。


 迷いも、濁りも、一欠片だってない。


 動揺する私を面白がるみたいに。

 私の足の間に、自分の足を挿し入れて、逃げられないように距離を詰める。

 胴長コンプレックスの私と比べて、規定外に足の長い彼女が膝を曲げるもんだから、その位置が高くて、ちょっと背伸びをして逃げた。


 ――こんなに、不格好で、惨めな事って、無い……!


 顔もあんまりにも近くって、私は必死に彼女の肩を手で押したけれど、びくともしない。



「目、閉じてね」




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