心が壊れた旅立ちの日
「また、始まる。」
今日もまた一日が始まる。
クソみたいな一日が、絶望の朝が。
他人と会う時には、笑顔を浮かべて、元気で明るい顔を張り付けて。
誰にも気取られないように。
ばれそうになったら、「疲れてて」とごまかして。
一人の時だけ、中身を、本性を出す。
人はだれしも生まれたくて生まれたわけではない。
生きたくて生きているわけではない。
死にたいのに、死ねないだけ。
私たちは生きるという「権利」を保証してもらっているだけ。
決して「義務」なんかじゃあない。
生と死の決定権は、自分が持っているのだ。
生きるために行動することも、死ぬために行動することも、どちらも自分が決めることができるはずだ。
それなのに、それなのにだ。
どうして死ぬことが、死ぬ権利が否定されるんだ。
生きたくないから、死ぬ権利を行使しようとして、死に方を探しているのに。
生きる権利を行使することには何も言わないくせに。
生きるという行為で、それが幸せを感じないから、死ぬことで救いを、救済を求めているのに。
そんなに救いを求めることが悪なのですか。
今を幸せに暮らしている人には、わからないのですか?
あなたが普段感じている幸せと同じように、私が幸せを得ることができるのは、死を得られた時なのです。
自分の部屋の一室。
四畳程度の小さな部屋には、パソコンの稼働音と私の呼吸音だけが空しく反響する。
私の両手は小刻みに震え、呼吸はだんだんと早く、荒々しくなっていく。
「これで、すべて終わる......」
両手に持つのは、ホームセンターで買ってきた、一本の丈夫な麻縄。
それは、天井の骨組の木にくくられており、輪のように形成された1部分が手元にある。
これまでの人生、おおよそ22年程度生きてきたが、その過程には笑顔は少なかった記憶がある。
幼少期はまだよかったのかもしれない。
何も知らず、何でもできた。
無垢で真っ白な石ころ。
けれど、小学生になってからは違った。
もともと大人しい性格だったこともあるのだろうが、私はいじめの被害者となった。
切欠はなんだっただろうか。特になかったのかもしれない。
私はバカだったから、当時から朝早く学校に来ては、教科書やノートを読んでいた。
当然ながら、読むだけでは理解できるわけがないが、それもわからない程度にはバカであった。
いじめを行った彼らは、それが気に食わなかったのだろうか。
始めは大したことはなかった。
私が席に座っているところに、邪魔しに来る程度だった。
机に座るだとか、読む邪魔をするだとか、その程度だった。
最初は私も
「やめてよー」と軽く拒絶する程度だった。
バカで気弱だった私には、これが精一杯で、最大級の反抗だった。
今思えば、これはいじめを助長する発言だったのだろうと思う。
これを境に、だんだんといじめらしいことが増えていった。
まず起こったのは、持っていた鉛筆を折られる。教科書、ノートに落書きをされる。
椅子を後ろから蹴られる。
まあよくあるいじめだ。
ついでに、元から少なかった友達もいなくなった。
私は変わらず、反抗する勇気は持っていなかったので、ただただ我慢するしかなかった。
ついでに、私はその当時、習い事で武道を習っていた。
そこは、今時珍しい体罰がある教室であり、体罰を一度食らった私は、それが怖く、習い事に対して憂鬱な感情を持っていた。
私は、私自身が心の底から安心できる場所は、毎晩の布団の中。眠りにつくまでの暗闇の中にしか存在しなかった。
やがて、学校の教室での居場所が無くなり、私は図書館に自分の居場所を求めるようになった。
ただひたすらに本を読み、下層の空間に、世界に希望と救いを求める毎日。
そうして、自分の居場所、空間がないまま、小学校を卒業した。
私は彼らから逃げたいがために、中学を受験し、彼らから遠ざかった。
中学校に入ってからは、心機一転頑張ろうと思った。
それも、あまりうまくできなかった。
自我の形成の過程において重要な、他者との関わりや、アイデンティティの形成が不十分であった。
これまでほとんど人と話していなかったため、会話デッキがない。
話が続かないから、友人はできない。
更には、勉強もできないから、そもそも話す時間がない。
そうなると、自分とは何かということを考えるようになる。
アイデンティティを持ち合わせなくなる。
自分という認識が薄くなるのだ。
その時には、私は会話をするときに、一人称を使うことが無くなっていった。
明確な自分がわからなくなった。
私は「僕」と呼称する理由はあるのだろうか。
私が「俺」と呼称する必要はあるのだろうか。
そもそも、「私」は「私」と言ってもいいのだろうか。
私は、自分の名付けられた名前が、ただの「識別番号」のようにしか感じられなくなった。
その名前の意味を理解するようになってから、その名前が自分には過分であると感じ始めた。
まあなんだかんだ言ったが、私がいじめられ、この人生に絶望するようになったのは、間違いではないだろう。
そんな人生で、ただただ惰性で変わらず進んでいった結果。
わたしは
なぜいきているのかを
かんがえるようになり、
やがて
死ぬということを求めるようになった。
救いだと考えるようになった。
私は
どうして生きているのだろうか。
私は
誰かの快楽のために生きてきたのだろうか。
周りの人のストレス解消のために生かされてきたのだろうか。
自分は、僕は、私は、
誰かのために作られた人形だったのだろうか。
わたしは
あなたのためのサンドバッグだったのだろうか。
ふと、走馬灯のように今までの人生がよみがえった。
「さて、これで終わりだな」
もうすぐ死ねると考えると、震えもあるが、それ以上に、
この人生から逃げれる、終われると考えると、喜びがあふれてくる。
「さあ...死ぬか...」
「人生のエンドラインがここにある。」
首元に縄をかける。
あとは、足をはずすだけ。
「スリーカウントで行くか」
心の準備をしていく。
このカウントで、私の22年が終わる。
「さて... 3.....」
カウントを始める。
あとは、口には出さない。
これで、苦しみも、悩みも、喜びも、何もかもが、なにもかもが、おわる。
にぃ............
いち............
・・・・・・・はは。
みんな、こんなにも楽しいことを、幸せなことを、
普段から感じて
ゼロ
足が外れる。
一瞬の浮遊感
その直後、
首元に圧迫感
その圧力を知覚した瞬間
「死にたくない」
あれほどまでに、死を受け入れていたのに、望んでいたのに
死ぬ瞬間には、
生きたいと感じてしまった。
「私」の言葉というよりは、「人間」としての本能の叫び。有機生物としての細胞からの叫びだった。
首元に感じる圧力に、
呼吸ができない苦しみに
骨がきしむ感覚に
恐怖を感じてしまった。
あ
いしきが
とぎれ
て
そうして、
意識がなくなり
わたしは
気が付くと、私自身と向かい合っていた。
見てしまった。
死体のわたし
ぼろぼろのからだ
首の骨が折れ、心臓の鼓動が外からわかるほどには静かで。
下半身は汚物にまみれ
骨の折れた首の上にある
わたしのかおには、
涙が
唾液が
顔のあらゆる器官から液体を垂れ流して
そして
苦痛にゆがんだ表情と
そして、わずかに、喜びの感情があった。
死んだであろう私は、わたしをみて、
「これで、終わったんだな」
そう感じた。
私の最期は、
多くの苦悩の時間と
一瞬の苦痛と
安堵の感情で
終幕を迎えた。
私が死んで、三か月ほど経った後、
ようやく死体が発見された。
私には友人はおらず、家族も、一人で問題ないと思い、特に関わっていなかったため、
連絡が途絶えたとしても、特に不思議に感じていなかったのだ。
葬式も行われず、悲しむ人間もおらず。
家族は保険金と通帳に残った金を受け取って放置。
知り合いも私が死んだことは知らない。
救いの手は、本当に救ってほしい人には届かない。
それは死後でさえ、誰にも救われなかった。
人間にとってより快適な世界を作っていった人間は、その環境に適した精神を持ち合わせていない。