プロローグ 美術館脱出直後の話
前回のあらすじ
・稲日美術館を脱出した直後
「……貴様」
「……ん? どうした、創剣」
異空間と化した美術館から脱出し、相模と別れた卯月は、ふと、創剣に声をかけられた。すでに自宅の中であるため、薄影のお守りも消音効果のある剣のストラップも使ってはいない。
ソファを占領した創剣は、ちらりとキッチンにいる卯月の方に顔を上げる。
どうやらすでに大分酒を飲んでいるのか、頬がほんのり赤くなっている。いままでも何度か創剣がアルコールを摂取しているところを見たことがあるが、ここまでわかりやすく酔っぱらっているのを見るのは初めてであった。
創剣は、手元のワイングラスを軽く揺らし、卯月に言う。
「貴様は、いつぞやあの毛玉天使に、親からもらった金を使いにくいとほざいていたよな?」
「……ああ、言ったな。それがどうした?」
「別段親と仲が悪いわけでないにも関わらず、何故だ?」
ワインの赤が、創剣の唇を薄く濡らす。
創剣の言葉に、卯月はしばらくうなり声を上げた後、答える。
「……プロ野球選手になるっていう夢を応援してくれていた親に、その期待を返せなくなったっていう負い目がある。
あと、単純にさ、俺が怪我をした時、責任は使っていた野球場になって、慰謝料とか治療費が振り込まれたんだよ。__どうしても、それが使いたくなくて」
卯月は、目を細めてそう呟く。
治療費を、慰謝料を、自分の手で使ってしまえば、己の夢が断たれたことを実感してしまうから。継続不可能な夢であると、十分に理性は理解していたが、本能は、本音は、まだまだ野球を続けていたかったのだ。
だからこそ、慰謝料と治療費の振り込まれた銀行口座……つまるところ、両親からの仕送りが送られてくる口座を使いたくはなかった。
卯月の話を黙って聞いていた創剣は、ワイングラスから唇を離すと、半笑いを浮かべて言う。
「金はそこにどんな曰くがついてあろうと、金であろうが。使わぬというのは、本当に阿呆な所業よな。というか、口座を分ければよかろう」
「結局、今はバイトでどうにかできているからさ。食費も浮き始めているし、別にいいかなって」
三割引きのシールの付いた鶏むね肉を冷蔵庫から取り出し、塩と胡椒で下味をつけながら言う卯月に、創剣は嘲るように一笑する。
「いっそみじめなほど質素よな。貴様、案外聖人にでもなろうとしているのか?」
「俺が聖人になれるなら、お前は王になれるだろ」
「ド阿呆、俺様は王だ!」
創剣の反論に、「はいはい」と生返事を返しつつ、卯月はフライパンをコンロの上に置き、加熱を始める。
軽く舌打ちをした創剣は、「不敬者め」と言いながらも、グラスに残ったワインを飲み干した。
ワインでほんのりと赤く着色された空のグラスを眺める創剣に、卯月はふと、質問を投げかける。
「……なあ、聞いてもいいか?」
「質問によるとしか言いようがないな」
虚空から新しいワインボトルを取り出す創剣に、卯月は一度口をつぐむ。
十分に熱せられたフライパンに、サラダ油を適量流し、キッチンペーパーを使って油をフライパンになじませる。そして、鶏肉を皮から焼き始める。肉の焼ける心地よい音と、食欲をそそる香りがあたりに漂う。
しばらく無心になっていた卯月だが、ふと、口を開く。
「……あのさ、『剣聖』について、聞いてもいいか?」
「……」
無言になった創剣。細められた氷のような瞳は、ワイングラスに注がれた赤の波打ち際に焦点が当てられていた。
鶏肉の焼ける音と、回された換気扇の駆動音が、無音の部屋を支配する。
気まずくなった卯月は、ボウルを取り出し、しょうゆと砂糖、そして調理酒を混ぜ合わせつつ、口を開く。
「いや、あの、答えたくないなら答えなくていい。ただ、その、美術館で見た創剣の過去で、ちょっと気になって……」
「__いや、答えよう。この世界に剣聖がいて、貴様が__もちろん不本意だが__俺様の仮契約者である以上、関わらざるを得ないことだからな」
ワイングラスを傾け、つぶやくようにそう言う創剣。
その瞳には、いつもの不遜にもとれるような傲慢さからはかけ離れた、悲しみにも哀れみにもとれるような影が映りこんでいた。
ボウルの中の調味料を焼いた鶏むね肉に絡ませるようにかけ、蓋を閉じた卯月は、そんな創剣に向かって言う。
「安心しろ、俺もお前と仮契約を結んでいるのはだいぶ不本意だ」
「フハハッ、不敬!」
「あと、いい加減酒を飲むペースを抑えろ。酔っぱらいの介護なんてしたくもない」
卯月にそう指摘された創剣は、バツが悪そうに封を切ったワインボトルを虚空に消す。手元の一杯で終わりにするらしい。
ワインの香りを楽しみながら、創剣は言葉を続ける。
「そうだな……まあ、貴様が見た剣聖は、現在のあの小娘ではない。が、あの小娘もまた、『剣聖』だ」
「……それなんだよ。俺はさ、美術館で見た『剣聖』が、はっきり剣聖だと直感できた。『木原と契約している剣聖』とは、違う人なのに」
フライパンの中で、少しずつ水分を失っていくたれを見ながら、卯月は言う。創剣の過去に現れた、小麦の瞳の女性は、確かに剣聖だった。
創剣は、ワイングラスに口をつけながら、答える。
「……剣聖は、否、『剣聖のルシファー』という名前は、神から与えられた名前にして、使命だ。俺様を殺すために生まれた人間に与えられる、呪いのようなものよ」
「……?」
目を見開き首をかしげる卯月に、創剣は言う。
「俺様の世界では、名は神から与えられる。その名前を一生涯名乗り、そして、その名前とともに死ぬ。例外は、俺様の知るところ、俺様を含めて七人、それに、神から呪いの名を得られた者たちのみよ」
「……七人?」
「俗に、『七武器』とまとめられる者ども、もとい、俺様の友人たちだな」
創剣は、自虐的な笑みを浮かべながら、ソファに大きくもたれかかる。安物のソファは、小さなきしむ音で創剣に対し不満の反応を返していた。
「『七武器』って言うと、大谷の師匠の匠拳だとか、まだ見たことはないけれども、地球に召喚されてはいるらしい造斧だとかか?」
「貴様、本人には呼び捨てでその名を呼ぶなよ? 本来俺様の名前を呼び捨てにするのも十分に不敬かつ腹立たしいことではあるが、契約を交わしていないあやつらの名を呼び捨てにすれば、良くて即死、悪くて死だ」
「結局死ぬのかよ」
「訂正しよう、痛みなく死ぬか、苦しんで死ぬかの2択だ」
創剣はそこで一度言葉を切ると、ソファから体を起こし、ワイングラスを図書館の本が山積みにされたサイドテーブルのかろうじて空いていた空白地帯に置く。
鶏肉にたれを絡ませつつ、仕上がりを確認している卯月に、創剣は言葉を続ける。
「その昔、俺様たち『七武器』には、神から名前が与えられなかった。つまり、世界に生まれたものとして、認知されてはいなかった。その代わりとでもいうように、俺様たちは普通の人間とは異なる力を持っていた」
ワイングラスの赤い水面にじっと視線を向けつつ、創剣はソファにもたれかかりながら虚空に手を伸ばす。現れたのは、グリフォンのあしらわれた、一振りの剣。エクスカリバーである。
剣をそっと撫で、創剣は口を開く。
「本来のこれには、どんなものでも切り捨てる力を持つ。石だろうが鉄だろうが、水だろうが関わりなく、な。だからこそ、貴様に金属バットごときで俺様の宝剣を受け止められたときには、存外驚いたものだぞ?」
「ああ、もしかして、あの時声を上げていたのって、蹴られたからじゃなかったのか?」
卯月の言葉に、創剣は呆れたような表情をうかべつつも同意する。五百年程度のハンデがあろうと、創剣はそもそも、戦闘には慣れている。だからこそ、一瞬でもたかが金属ごときに止まった刃に、少々驚いたのだ。
目を細めた創剣は、そっと口を開く。
「まあ、あれだ。原因は既に分かっておる。俺様がこの世界の摂理に馴染んでいなかった故よ」
「……摂理?」
話が理解できない卯月は、きょとんとした表情を浮かべる。
察しの悪い卯月に、創剣は軽く舌打ちをしつつも、言葉を続ける。
「この世界の、摂理、ルールだ。地球には、元より俺様の創った剣なぞ存在しなかった。故に、元の世界で『どんなものでも』切断できるエクスカリバーの存在は、地球のルールには合わなかった、ということよ」
「ああ、うん、なるほど?」
「貴様、さては分かっていないな?」
創剣から目を逸らし、さらに出来上がった鶏肉の照り焼きと添え物の野菜をのせ、食卓に並べる卯月。そんな彼に、創剣は深くため息をつくと、口を開く。
「ともかく、俺様の力は、言うなれば『剣に能力を付与する力』だ。一応剣以外にも付与できないわけではないが、そうなると俺様が行使できる魔法レベルに能力が下がる」
「ふーん? そうなのか?」
「貴様さては、話を聞く気が無いな?」
「いや、ちゃんと聞いているぞ。剣のキーホルダーは剣扱いできるってのが大分意外だったが」
箸を二膳取り出し、茶碗にご飯をよそいながら言う卯月に、創剣は疑わしそうに眉を顰める。
「一応、どんな剣であれ、付与できる能力に限りはある。具体的には、付与する能力に剣が耐えきれなければ意味は無いからな。あと、物によっては二度とつくれない剣も存在する」
「なんで?」
「貴様、『矛盾』を知らんのか?」
「いや、うん、知っているけど?」
首をかしげる卯月に、創剣は深くため息をつき、ソファから起き上がると、テーブルの前の椅子に座る。
「例えば貴様、俺様が持つエクスカリバーには、【万物を切り捨てることが可能】な能力が付与されている。その場合、俺様は【どんな方法でも壊れない能力】を剣に付与することは不可能になる。摂理的に矛盾してしまうため、当然だな」
「当然……例外を設けるのはどうなんだ? 例えば、【どんな方法でも壊れないが、エクスカリバーを用いられると壊れる】とか」
「阿呆、それだと、【どんな方法でも壊れない】ではないだろうが。というか、先ほど貴様が言った付与を用いて作ったのが、今代剣聖の【ブリューナク】だ。まあ、【復活】の付与もしてある以上、基本破壊しても意味はないのだがな」
「嘘だろお前、自分を殺そうってやつに何でそんなものを……?」
困惑する卯月に、創剣は鼻で笑うと言う。その笑みは、自身への自虐とも取れた。
「慈悲だ」
「……慈悲?」
「ああ、慈悲だとも。俺様の存在のために己が人生を狂わせた、あの哀れな小娘に、せめて他のことで力を振るうために、くれてやった。エクスカリバーをもつ俺様にはかないようはないが、他には負けぬ、最強の剣をな」
エクスカリバーを虚空の倉庫に消し、創剣はそっと目を伏せて言う。
卯月は、食事の配膳を終え、ほんの少し拳に力を籠める。
「……安住区役所前で、剣聖を殺さなかったのは……」
「俺様は、アレを殺す気はない。あまりにも哀れすぎる。不死身の俺様を殺すために生まれてきたなど。__もちろん、俺様の民に害を与えたとなれば、話は別だがな。それだけは許さん」
はっきりと言い切った創剣は、そっと目を閉じる。
卯月が思い出すのは、創剣の過去。創剣レベルの理不尽とは言わないまでも、確かに過去の剣聖も、人知を超えた力を持っていた。
「なあ、剣聖って人間だろ? 何で剣からビームみたいなのを出せたりするんだ?」
「ああ、アレか。俺様も今一つわからんが、奴ら曰く『神への信仰から得られる神秘の力』らしい。ぶっちゃけ、神聖魔法の一種を剣に乗せてぶっ放しているだけだな。魔力効率的にも最適とは言わないが、火力はそれなりにある」
「そんなものなのか……?」
思ったよりもロマンのない回答に、卯月は首をかしげる。もちろん、魔法という時点でロマンの塊であるのだが、日々廃棄物と戦っている卯月は、感覚がマヒしていた。
そんな卯月に、同じく魔法のあるのが当たり前の世界で生きてきた創剣も首を縦に振る。
「そうだとも。元の世界なら、才あるものならアレくらい出来たものだ。まあ、肉体面だけ言えば、比較的一般の人間よりも頑丈にできているようだが、俺様たちから比べれば、ほぼ誤差だな。
というよりかは、浅井もそのうち、あの程度の魔法を使えるようになるだろう。あの娘は魔術の才を持っているからな」
「嘘だろ、おっかねえ」
「何、ただがた魔法だ。戦いの機会のある今ならともかく、俺様の世界では一部を除いて無用の長物扱いだったぞ? 太平の世の中に武力はさほど必要ないからな」
感覚としては、不必要な微積の知識やら、科学の合成式に近いか? とつぶやくように言う創剣。結局、創剣の世界でも日常生活以外で魔法を専門に使うのは、研究者か軍人か、魔物と戦う冒険者くらいである。地球よりかははるかに魔法が密接に生活に影響はしているが、しかし、誰もが高度な魔法必須な生活を行っているかと言えば、否である。
もちろん、魔法前提の家財、魔道具はあったが、結局それも、地球に存在する家電と同じく、操作方法さえ知っておけば、内部に組み込まれた魔法など気にしなくても十分に扱える代物だ。
ちらりとテレビに目を向けた創剣は、仕組みこそ理解しきれていないものの、確かに『化学』で動いているという。創剣の世界において、『化学』こそ空想の代物であった。
卯月が配膳した箸に手を伸ばし、軽く手を合わせてから創剣は口を開く。
「さて、剣聖だが、素体が人間である以上、俺様を殺すことはできない。何せ、俺様たちは神さえも殺したからな。寿命がない以上、これからも成長を続ける。だからこそ、俺様たちを排除するため、神は剣聖……いや、七聖に、とある力を与えた。それが、この呪いの発端よ」
「……呪い」
オウム返ししながらも食事を始めた卯月に、創剣は言う。
「アレは、前世の記憶を……つまり、歴代の『剣聖』の記憶を引き継ぎ、今に至る。過去の憎しみを、過去の苦しみを、神から与えられた使命を、薄れさせることも風化させることもできずにいる者だ」
「……! つまり、創剣が剣聖を殺した記憶も……?」
「もちろん、死にゆく間際までの記憶まで存在しているはずだろう。ヒトの身である剣聖たちは、基本修行の過程で命を落とすことが多いからな。アレも、俺様がある程度のフォローをしていなければ、いずれ使命に殺されていたはずだ」
アレも、疑似的な不死か、と眉を下げながら言う創剣。
要するに、創剣を殺すその日まで、様々な鍛え方と経験を積んだ、『剣聖』の名を得た人間が挑み続けるのだ。あまりにも哀れで、救いがない。
創剣はため息をつきながら口を開く。
「俺様は、他の七武器の友と比べれば、比較的死に安い部類だからな。だからこそ、教会連中も神もまずは俺様を殺そうとする」
「死にやすいったって……創剣、お前不老不死じゃないのか?」
「正確には、不老ではあるが不死ではないな。俺様の不死性は、あくまでも体内にある小剣の魔術付与から成立するものだ。故に体内の小剣を破壊されれば、ただ老いぬ人間になるのみよ」
「なるほど」
頷く卯月に、創剣は「本当にわかっているのか?」と言わんばかりの疑わしげな目を向ける。
食事をしながら、卯月はふと、創剣に問う。
「なあ、何で創剣は、神に命を狙われているんだ?」
「まあ、神殺しをしたというのもあるが、それ以上に……そうだな、分りやすく言うなら、俺様__否、七武器は、
あの世界での廃棄物だったからだな」
「……は?」
【七聖】
七聖とは、七武器を斃すために神が生み出した【名前】である。
その名前を付けられた人間は、過去同一の名を持った人間の記憶を引き継ぎ、幼少のころから大人並の能力を得ることとなる。当然、人格が全て乗っ取られるわけではないが、過去の記憶に感情を引っ張られがちになる。
また、聖教会も七聖たちの支援をしており、憎しみの炎が消えることは、彼女らの使命が消えることは、ない。
__本来なら、ない、はずである。
「私は、あの男……神を乏しめし邪なる王、【創剣】のルシファーを殺すための力を得る、そのために、この世界での戦いに手を貸しています。
__ですが、今やその使命と、貴方様を、木原様とを天秤にかけてしまっている!」
__ない、はずである。




