休話 過去をうつす鏡(在りし日の野球少年)
前回のあらすじ
・文字数と話の流れ的に挟めなかった、創剣視点の『過去をうつす鏡』
青年に手をつかまれた創剣は、ただ淡々と薄暗い鏡を通り抜けた。
「……」
仏頂面で付いて行く創剣に、ふとある瞬間、青年は創剣の右手を離す。
すると、次の瞬間、周囲が目もくらむような明るさに変わる。
「むぅ?!」
突然の光量に、創剣は思わず目元を手で覆い、周囲を警戒する。が、しかし、特に何も起きない。
だんだんと目も光に慣れていき、創剣は目元を覆っていた手をゆっくりと放した。
そして、その整った眉をわずかに上げる。
気が付けば、創剣は屋外にいた。美術館の中ではなく、ここはどこかの運動場のような場所である。
開けた運動場の、砂地の広場。白線によって直線が複数描かれ、線はほとんどが直角に交わっている。
創剣が立っていたのは、白線の四角の内側の、少し土が盛られた場所である。一歩足を踏み出し、触れた土以外の感触に、卯月は下を覗き込んで短い長方形の白色の物体を踏んだことに気が付く。
警戒をしつつも周囲を確認すれば、現在創剣が立っている場所を取り囲むようにフェンスが張らりめぐらされ、そして、フェンスの奥には階段状に椅子が並べられている。
__魔物同士を戦わせる闘技場か何かか?
あきれるような広さではあるが、魔物が戦うならこれくらいの広さがあってもおかしくはない。だがしかし、ここは地球である。
記憶をたどった創剣は、ようやくこの場所が何だか気が付き、納得したように顔を上げ、つぶやく。
「なるほど、ここは野球場か」
創剣がそう呟いた瞬間、創剣の視点が切り替わる。
気が付けば、創剣は野球場のベンチに座っていた。そして、先ほどまで誰もいなかった野球場に、数人の選手が見えた。どうやら、攻守交替らしく彼らは目まぐるしく動き、監督の指示を聞いては立ち位置を変えていく。
その中の中心に、彼はいた。
『木原、ナイスファイト!』
『ナイスファイト!』
覇気のある、澄んだ声。伸びた背筋に、自信に輝く瞳。
高校の野球部のユニフォームを着た、卯月だ。
創剣は、盛大に舌打ちすると、ベンチで行儀悪く足を組み、目の前の光景を鑑賞する。どちらにせよ、ここでは剣が使えない。なら、この世界が見せたいものを見終えるまで待たねばならないのだ。
鏡の中の卯月は、軽やかに走り己の守備場所へ移動する。足を引きずらずに走る姿に、一瞬の驚きを覚えた創剣だったが、これが怪我をする前の卯月なのだと理解し、退屈そうにあくびをした。
何をすればいいのか理解ができず、創剣はただ退屈そうに目の前を眺める。
三回裏の守備。ピッチャーの木原は先ほどまで創剣がいた、ピッチャープレートへ、卯月は三塁ベースへと向かう。
最初に出てきたバッターをベンチに送り返し、そして、二番バッター。
木原が投げたボールは吸い込まれるようにミットに入り、木製のバットは哀れにも空を撃ち抜く。ワンアウトワンストライクの現状に焦ったのか、バッターは不安そうに自陣を眺める。
そして、第二球。
ややカーブ気味の投球は、バットの先端に当たり、レフトのファールラインを大きく超えた。焦ることもない程度の、ファールである。
高く飛んだボールは防球ネットの金属柱に当たり、鈍い音を立てた。ボールはレフトを守備していた部員によって回収され、そして、木原がボールを投げようと正面に向かったその時。
鈍い、金属がきしむ音が、野球場に響いた。
そして、卯月の叫び声。
「佐々木!! スバル!! 逃げろ!」
「へっ?! 何っスか、卯月センパイ?!」
気が付いて駆け出した佐々木と呼ばれた青年とは反対に、驚いて立ちすくむ青年に、卯月は三塁ベースから離れると、スバルの首根っこをつかむと、全力でベースの方へと向かう。
パニックになりつつも、必死な様子の卯月に従い、走って逃げだすスバル。これでは間に合わないと判断した卯月は、スバルを庇うように、地面に伏せる。
次の瞬間、凄まじい轟音とともに、防球ネットが倒れてきた。
響く悲鳴と、困惑の怒号。そして、次の瞬間、青年の悲鳴が響いた。
「センパイ、卯月センパイ!!」
スバルを庇った卯月は、小さくうめき声を上げつつ、顔を上げる。
「スバル、無事か?」
「ちが、センパイ、センパイが……!」
「いや、背中に当たったの、ネットだからそこまで痛くなかった」
「違うッス!」
涙混じりの絶叫。
きょとんとした表情を浮かべながら、ネットから這い出ようと足に力を籠める卯月。そして、ようやく気が付く。
ネットとネットをつなぎ合わせていた、金属のアングル。
それが、卯月の左足首を横断するように倒れ、押しつぶしている。いくら尖ってはいない鉄材とはいえ、防球ネット全体の重さが伝わったそれは、卯月の左足に出血を伴う大怪我を負わせていた。
監督の怒号と、慌てて駆け寄るチームメイト。
遅れてやって来た激痛に、卯月はひたすら悲鳴を噛み殺した。滲む脂汗。痛い、というよりももはや熱いとすら感じるような激痛。
倒れたのが巨大な防球ネットだったということもあり、足を挟まれた卯月が救出されるまでには、しばらく時間がかかってしまった。
それが、取り返しもつかない事実へと、つながってしまう。
『もう、二度と歩けないかもしれません』
『……えっ』
カルテを見ながら、淡々と説明する医者に、卯月はただ茫然と声を上げる。ただただ、信じられなかった。
卯月は、震える声で言う。
『大会、前で……地区予選前で、どうしても、出たいのですけれども』
『……諦めてください、卯月さん。貴方の左足は、アキレス腱及び靭帯を大きく損傷しています。出血多量で死ななかったのが奇跡なのです』
無慈悲にも言い切った医者は、卯月にレントゲン写真を見せる。
左足のかかとあたり。骨折とともに、大きく断裂した筋肉がありありと映りこんだその白黒写真に、卯月はただただ呆然とするしかなかった。
『俺の、夢は……?』
弱弱しい卯月の言葉に、医者は無言で首を横に振る。
卯月は、目の前が暗くなっていくのを感じた。
プロの野球選手になるという夢を抱いていた卯月。そして、その夢は、順調に進んでいたはずだった。遠方に家族がいる影響で、付き添いの一人もなく、その絶望的な話をたった一人で受け止めることになった卯月は、ただひたすらに絶望することしかできない。
後輩のスバルを守ったことに、微塵の後悔もない。だからこそ、誰を恨むことも、誰に文句を言うこともできず、卯月は運命の理不尽に感情を噛み殺すしかなかった。
その後の記憶は、卯月にはない。ただ、お見舞いの時に同情とともに渡された花束の香りに、吐き気と嫌悪感を覚えたことだけは、記憶に残っていた。
いつの間にか車いす姿で退院し、一人暮らししていたこともあり、慣れていたはずの日常生活にも苦労しながら、生活を再開した卯月。それは、まるで魂が抜けたように見えた。
甲子園へと戦いの駒を進めた部員を横目に、卯月は車いすで帰る。
今まで部活動をしていた時間がまるまる空き、余った時間に恐怖を覚えるようになった卯月は、その時間にリハビリと勉強を詰めこんだ。何もしないと、将来のことや未来のこと、失った夢のことを考えてしまうためだった。
皮肉なことに、その効果はすぐに表れた。
まず、勉強の成果が出た。
元々上位だったテストの成績が、トップに変わる。そして、今まで部活動推薦なら狙えていた志願校が通常入試でも合格圏内になった。
そして、車いすが必要なくなり、松葉杖で歩けるようになった。
その松葉杖も次第に必要なくなり、歩けるようになり、そして、少しなら走れるようになり、日常生活に不自由しなくなるようになる。
徐々に日常を取り戻した卯月。だがしかし、なくなった夢を、未来への希望を、埋めるあては見つからなかった。
死んだように毎日を送り、ただただ時間を空費する。
リハビリが不要となってからは、開いた時間にアルバイトを詰め込んだ。将来について、何も考えたくなかった。
そうして、自信あふれていたはずの青年は無気力に代わり、将来への不安と絶望と、もうすでに叶えようのなくなった夢に未練を抱え、あったはずの希望も失う。
死んだ瞳に、自信のない力ない表情。
錆びついた本能に、乾ききった感情。
__ああ、なるほど。あやつに妙な親近感を感じたのは……
磨き上げた氷のような瞳を細め、絶望にも諦観にも似た感情に支配された卯月を見つめる。
「アレが、俺様の過去に似ているからか」
挫折、あきらめ、理不尽。
平和で、生ぬるくて、発狂死してしまいそうなほど退屈なこの世界。恵まれた環境で、恵まれた才能を得ていながら、その才能を捨てるほかなかった彼。
理不尽を乗り越え、平穏を手に入れ、目標を叶えながらも、その平穏に殺されかけた己。
異なっているようで、似通った根底を持つ彼に、創剣はそっと拳を握り締める。
虚無な時間に、空白に、心を殺されかけたという共通点。
それが、王である己が支配されていても心を許せた理由だった。
「……あの、阿呆め」
そう呟いた創剣は、気が付くと、美術館に戻っていた。
『縁』によって引き合わされた二人。
一人は、死を望みたくなるほどの退屈から逃げた王。
一人は、夢を失い己を見失った青年。
彼らは互いにいがみ合いながらも、初めの門との戦いに競り勝った。
次の門では息が合わず、されども門を踏み越え、王は新たな居場所を手に入れた。
やがて、家族を生き返らせんと奮闘する小さな魔術師と、その魔術師に付き従う悪魔の執事と出会い、三つ目の門で王は刺客と、青年は暴走する己の感情と戦った。
『大切』を見つけた青年に、王は言った。もう、戦いから離れろと。
だが、青年は反発した。二つの『大切』を前に、どちらを切り捨てることも、あきらめることも選べなかったからだ。
そうして、四つ目の門との戦いが始まった。




