前史②
冷戦が終わった遠因としては複数の要素があげられる。搾取に対する溜まりに溜まったブロック加盟諸国の両大国に対する不満、先の見えぬ紛争にともなう無視できない規模にまで膨れ上がった両大国国民の“緩やかな出血”、際限なき軍事費の拡張とそれに伴う長きにわたる経済的停滞。だが、直因としてあげられるのはただ一つ、両大国の崩壊であった。
2321年、かつて勝利のための闘争を熱狂的に希求した両大国国民も、この時期になると厭戦感情が蔓延しきっていた。世界を二分するブロックという名の鉄の壁によって新たな資本投下先は制限され、停滞する経済はブロックを超えて世界全体に不況をもたらした。失業率の増加と経済規模の縮小、それでもなお維持され続ける軍事費。両大国国民も勝利に対する熱は冷めきり政府に対する不満のみが増大し続けた。両大国ですらこの有様であったから加盟諸国、ましてや前線諸国の疲弊は推して知るべし。
初めにしびれを切らしたのはユーラシアに本拠をおく東側の超大国の国民であった。不況下における増税に対してしびれを切らした民衆が全土でデモを行い、すぐさま暴動に発展して政権が倒壊、広大な領土は分裂し、それが東側のブロック全体に波及した。そこで終われば西側ブロックの勝利で史書は締めくくられたであろうが、東側ブロックの崩壊は西側ブロックの加盟諸国の西側の超大国に対する造反をもたらした。西側諸国は戦うべき相手を失ったことで、憎むべき主人へとその矛を転換したのである。親超大国的な西側ブロックの加盟諸国の政権は次々と怒れる民衆に打倒され、結束した元・西側ブロックの加盟諸国は西側超大国に対して軍事力による挑戦状をたたきつけた。東側ブロックの崩壊による冷戦の勝利、自国の絶対的軍事力に対する自負、西側超大国首脳部ははっきり言って油断していた。加盟諸国の造反も取るに足らない、圧倒的軍事力によって即座に鎮圧される、自国が世界の唯一無二の頂点に座るためのただの儀式であると。だが西側超大国の国民は首脳部の想像以上に疲れ切っていた。元・西側諸国との戦争を決めた政府と議会に対して、民衆は暴動をおこし、政府は軍に対して民衆の鎮圧を命じたが、最終的には忠実な飼い犬であったはずの軍によるクーデターによって崩壊した。これにより世界を玩弄し続けた両巨人はついに直接争うことなく終わったのである。
両大国の崩壊により冷戦そのものは終結したが世界の混乱それ自体はそれで即座に収集がつくわけはなかった。両大国によって限界近くまで絞りつくされた元・加盟諸国の大半は経済再建を真の目的とし、表向きは様々な建前を掲げて残された数少ない資本と資源を奪い合うため壮絶な内ゲバを開始したのである。かつて世界をコントロールしていた両大国のうち東の超大国は国土の分裂によって絶対的国力を喪失し、元加盟諸国と同様のありさまに転落し、西側の超大国も軍事クーデターによって生まれた政権と民衆との間による政策の不一致で内戦に発展し調停者が不在の状況で、皮肉なことに残された数少ない再建材料すら消費し続ける有様であった。
この状況に変化が生まれたのは2338年の元・西側ブロック諸国の内の、西欧圏からであった。これには域内全体で合算して冷戦当時より二大超大国に準じる程度に国力に余裕があり、かつ治安も安定していたため、即座に内戦や無政府状態、独裁政権の誕生につながらなかったという条件がまず前提としてあり、経済的に立ち遅れた周辺地域が先に混乱状態に入ったために、まだしも民衆が冷静になり、新政権が国民を慰撫するだけの時間的余裕があったこと、冷戦時代から経済的な結びつきが強く即座に諸国間の戦争に発展しなかったことが大きい。こうしてかろうじて理性らしきものを保てた人々は、混沌の収拾のための手段として統一政体の誕生に一縷の望みをかけた。そして、まず西欧圏に属する諸国が地域統一政体を誕生させた。政治機構は西欧圏の既存の秩序よりは旧西側超大国のそれに近く、中央政府が外交・軍事の権限を独占し、統一政体に参加した諸国は州として広範な自治権を認めるという連合国家の体裁がとられ、国家元首は大統領と称した。やがて、この混乱の中でかろうじて国家秩序を保てた数少ない国々がこの連合に加わり(この時期の数少ない加入諸国の大半は旧・西側ブロック加盟諸国であった)、地域連合を超えた存在となったこの連合国家は混乱状態に陥った国家・地域に対する調停に乗り出した。それは外交に限らずしばしば軍事力を行使する者にはなったが、混乱によって国力を浪費した国々はもはや抗うだけの能力すら長く保てず、次々に連合国家に州として組み入れられていった。そして2356年、最後まで抵抗をつづけた旧・西側超大国の軍事政権が打倒され、連合国家は真の人類統一政体として完成を見る。
「地球連合」の誕生である